その21 『労働情報』廃刊の風土と季節

 イギリスの労働組合運動がきわめて強靱だった70年代末か80年代初めの頃だったか、私の記憶に深く刻まれているこんな出来事があった。
 ロンドンのあるブティック。女性店員Jが上司から執拗なセクハラを受け、それを拒むと解雇通知を受けた。悩んだJが親友のKにどうしたらいい?と相談をもちかけたところ、KはそのことをTGWU(運輸一般労組)の活動家だった兄に話した。TGWUは座視しなかった。ブティックの新装開店の朝、ドアを開くと、路地はそこに抗議のためシットダウンする、女性たちばかりかトラック運転手や工場労働者さえふくむTGWU組合員でいっぱいだった。ブティックは困り果て、Jを復職させてセクハラ上司のほうを解雇した・・・。
 今ではもう資料出所が定かではないけれども、私がこのエピソードにふれたとき感じたのは、こんなことも可能なのだという感銘とともに、日本ではとてもこんな連帯の発揮は難しいだろうという、あきらめの混じった羨望であった。
私たちの国でこれと類似の営みを担ってきたのは、主流派の企業別組合の組合員ではなく、地域コミュニティユニオンなど企業外の広義「ユニオン」の人びとである。その主要な役割は、解雇、賃下げ、パワハラなど、選別の労務がもたらす<個人の受難>を、団交や門前行動を通じて救うことだったと思う。その成果の度合い、個別労働紛争の解決率は、労働委員会、裁判所、労働局、労基署など公の機関よりも遙かに高いことを、ユニオンの活動家は誇りにしてよい。とはいえ、当のユニオンも知悉していることながら、「紛争」の結末は、たいてい受難の本人へのバックペイや解雇撤回や会社の謝罪であり、その人が実際にそこで働き続けることも、会社の労務の基本を変えることもできなかったという限界はまぬかれなかったということができよう。
 その限界を突破できる条件は、受難者を擁護するなかまが職場内で増えること、そうした人びとの言動の自由を外から守るユニオンがTGWUのような力を備えていることである。そう考えると、私たちはどうしても国民意識に、わけても若者たちの日常意識に、忌憚なくいえば、どう批判的に切り込むかを問われることになる。日本ではなぜアメリカのように、マクドナルドの店員のストライキに呼応して、ケンタッキーフライドチキンやダンキンドーナツの若者が街頭にあふれ出さないのか。

 若者に限らず現時点の日本のふつうの人びとは、日常的には、職場、学校、ネット上の友だち関係などの「界隈」に属している。その界隈では総じて、権力に無批判な俗論を声高に語るオピニオンリーダーに、ふつうの多数派は「KY」とみなされることを怖れ、「なにもとがったことを言わなければ大丈夫」と悟って追随する。そこには、忖度の「空気」濃厚なつよい「同調圧力」が働いている。だから、その空気のなか、人権に敏感な誰かがあるとき、追随するのはおかしいなぁと感じたとしても、(若者言葉の)「そっち系の人」とみなされれば、いじめやハラスメント、排除の憂き目に遭うと怖れて、何があっても寡黙のまま行動しないのだ。それに棹さして、街頭で政治関係のビラは受けとらないようにと「指導」するふぬけの教師もあるという。結局、労働生活の軌道を外れないサラリーマンやOL(その一部は企業別組合のメンバーだ)、教室での孤立を怖れる中高生、就職を心配する大学生、「ママ友」を失うまいとする主婦・・・などにとって、ストライキや激しい団交で企業労務に抗うユニオンや、政府の施策に抗議してデモやスタンディングをする、いうならば「労働情報系」のおじさん・おばさんは、できればかかわりたくない「そっち系」の人たちなのである。

 しかしながら、正社員の働きすぎと非正規労働者のワーキングプア化の相互補強関係に閉じ込められる現代日本の労働状況が、とりわけ若者のそれが「大丈夫」でないことは、今さらいうまでもない。そんなとき、結局は逃れられない労働の現場を働き続けられる居場所とする労働組合運動を若者が忌避し続けるとすれば、それは悲劇的というほかあるまい。また労働者に限らず、若者をふくむふつうの人びとの界隈に、同調圧力に靡く「空気」が瀰漫し続けるならば、日常生活のしんどさに深く関わっている、憲法には保障されているはずの人権尊重や民主主議の空洞化はあきらかなのだ。その空洞化はすでに、2012年頃から加速度的に進行している。
 静かなファッシズムへの接近ともいうべきこうした日本の状況のもと、『労働情報』が廃刊になるのは、ある意味でやむおえないとはいえ、深い挫折感にとらわれる。折しも私個人も、加齢のためもう発信の新鮮な感性と能力を失いつつある。とはいえ、ほとんど絶望的にこの日本の状況を診断しながらも、私はなお、香港やアメリカの若者たちの勇気に憧憬のまなざしを注ぎ続ける。日本でも2015年には、自分のこれまでのKYの姿勢こそが間違いだったのだと語る女子学生を目の当たりにもしたのである。
 あのシールズの運動でもなにも変わらなかったという思いが、若者に社会運動への希望を失わせたという分析がある。そこを考慮して、これからの労働・社会運動論は、香港やアメリカの若者の行動のような、非暴力ながらももう少し身体を張った運動形態の議論にも踏み込むべきだろう。私の夢みるところ、労働運動ではスト・サボタージュ・ピケなど、社会・政治運動では長期のシットダウンなどがそれだ。議会のルールや最低限の政治倫理すら意に介さない安倍・菅政権のもとでは、あえていえば、人びとの怒りの熱量に比例しない議会内外のあまりに「秩序」を守った抗議行動に、労働や政治の現状にわずかでも疑問を感じるようになった潜在的な運動の参加者はさして魅力を感じないのではないか。ラディカルを忌避しすぎると選挙時の得票さえ失いかねない。権力のあまりの非道がまかり通るとき、いつもはとかく秩序に靡いて抗議行動に立ち上がらない庶民たちも、ついには正義(JUSTICE)なくして平穏(PEACE)なしと思い到リもする。香港やアメリカの若者たちの「秩序紊乱」さえ一部にふくみもった生き生きとした社会運動はそうした思想の顕現にほかならなかった。そしてそれこそがふつうの人びとの心に灯をともし、両国の直近の国政選挙において、リベラル派・民主党に勝利をもたらしたのである。
『労働情報』(最終)1000号:2020年12月