2月1日、イギリスでは、学校教師10万人をふくむ多様な部門の公務員50万人ものストライキがあった。5000人以上のデモがウェストミンスターの官庁街をぎっしりと埋めた。学校の半分が休みになった。大英博物館もスタッフのストライキで休館となった。
昨年来、イギリス各地では、年10%ほどの物価高騰に直面して、鉄道や地下鉄などの交通機関、郵便局、港湾、郵便局などの労働者、ゴミ収集などの現業公務員、空港地上スタッフ、教師、救急隊員、病院や大学の若手スタッフなどのストライキやピケが相次いだ。要求はほぼ10%の賃上げである。とくに衝撃的だったのは、12月15-16日における国営医療の看護師たちの大規模な、ときに労働組合機能も果たす「王立看護協会」始まって以来初のストライキだった。
あえてさまざまの分野を列挙したのはほかでもない。この国のストは、地域、産業、職業ごとにきわめて分権的に始まり、その先駆的な行動が野火のように他の職場にに広がってゆくのが伝統だからだ。そこにはまた、労働者の生活を守るためにはひっきょうストライキしかないという、産業民主主義(端的には労働三権の行使)の不可欠性に対する断固たる確信が息づいている。思えばサッチャーは80年代半ば、10万人・1年間の炭坑大ストライキを「内部の敵」としてたたきつぶしたが、さまざまの分野で働く当時の坑夫の子や孫たちはなお、この「確信」をわがもとしているかにみえる。そして注目すべきことに、その思想は組織労働者だけのものではないようだ。BBCが伝えるサヴァンタ・コレムズの世論調査によれば、総じて国民の60%はこれらのストライキを支持している。看護師や教師のストライキへの支持はとくに高率であった。2月1日のTV報道のインタビューでも、デモ参加の教師たちはもとより、街頭の親や子どもたちも、ストライキの正当性を朗かに表明していた。
この50万人ストライキについて、日本のマスメディアは、毎日新聞やTBSがわずかにふれるのみで、総じて無視している。その立場は、インフレに伴う生活苦を打開するストライキというものの意義を顧みないように誘導しているとさえ思える。イギリスのストは、いま話題とされている「春闘」で賃上げがどれほどになるかの問題と無関係だろうか?、まさにここに関わるのではないか。まえにも私が論じたことだが、日本ではいったい誰が賃上げするのか? 労働組合の行動なくしても「温情的」な政府や経営者が賃金を上げてくれるのか? ここまで産業民主主議の思想を忘却している「先進国」はない。この忘却は、残念ながらマスコミ界だけではなく、労働界にも、野党にも、革新論壇にも、私が日頃敬愛するFBの「お友だち」のなかにさえ浸透しているかにみえる。しかし、だからこそ私は、昨年末に書き下ろした、先駆的にサッチャーと闘ったレジェンド、「イギリス炭鉱ストライキ(1984-85)の群像」の刊行を模索し続けている。