映画は、小説ともに私には「ご飯みたい」なもので、劇場、DVDをあわせてシャワーを浴びるように観る。しかしこの頃はさすがに、短いショットの「瞬間認知能力」や囁かれる台詞を聞きとる聴力の衰え、感性の鈍磨などを自覚せざるをえない。そのためか、しばしば世評高い新作のいくつかも、DVDでの忘れられない名画再訪のときほどにはときめかなくなっている。
例えば、リアリズムの毒が回ってしまっている私には、ゴシックSF技法の『哀れなるものたち』はなじめなかったし、『ヨーロッパ新世紀』は、移民差別というテーマへの切り込みはすばらしいとはいえ、最後がひとりよがりのようで感銘がうまく着地しない。『オッペンハイマー』はといえば、複雑な政治ドラマのようで、オッパンハイマーの自負と悔恨の入り混じる人間像の彫りが不鮮明だ。あの『関心領域』にしても、強制収容所のユダヤ人を焼殺する煙や叫びのかたわらで優雅に暮らすヘス一家の、おそるべき無関心の酷薄というの空気はわかるとはいえ、私たちを慄然とさせるはずの小道具のクローズアップやヘス一家には些細な残酷のエピソ-ドの具体的な描写が技法的に排除されていて、なかなか感情移入ができなかった。私にはこれは上質のホラー映画のような印象である。
わかりやすい映画がいい。さらに私の好みでは、物語の過程での人間という愛しい存在の確かな変化と成熟がみえる映画がいい。その点で、評論家の評価はともかく、ふつうの映画ファンである私が勧めたい近作は次の3作である。
罪深き少年たち(韓国22年、チョン・ジヨン監督、チョン・サンヒョブ脚本)
定年間近の不屈で嫌われ者の刑事(ソン・ギョング)が、前科をもつ知恵遅れの少年3人を、ずさんな捜査、拷問、恫喝をもって「自白」させ冤罪を捏造したエリート刑事、追随する同僚、検事たちと、左遷というの挫折をふくむ16年の間、徹底的に抗い、女性弁護士らの協力も得て、ついに法廷での真犯人(すでに時効である)から真相の証言を引き出して3人を救う物語である。正義と権力への拝跪、真実と欺瞞、勇気と逡巡の葛藤がくっきりとリアルに描かれて感動的だ。妻たち、女たちがいったん希望を失う刑事や証言をひるむ真犯人の背中を押すのも、最後に、立ちすくむ証言した真犯人に勝訴記念写真に加わるよう、刑事がふと手をさしのべるのもいい。99年参礼ウリスーパー事件の事実にもとづく作劇という。
MISSING(吉田恵輔監督・脚本)
愛娘・美羽が失踪して見つからぬままの母・沙織里(石原さとみ)の煉獄のような日々を描く。街頭で続ける空しいよびかけ。言動の控えめな夫(青木崇高)との諍い。失踪日にたまたまアイドルのライヴのために出かけていたことを容赦なく誹謗するNET。その日に娘を預かっていたやや言語障害の弟(森優作)を犯人扱いしようとするマスコミ。誰かを美羽と見間違えては泣き叫び、わめき、食ってかかる、そんな狂おしい母の姿をすっぴんで、魅力のポイントの唇にもルージュも引かない石原さとみが体当たりで演じている。
それでも沙織里は、他家が遭遇した同様の失踪事件の解決に協力し、その子が見つかると「よかった!本当によかった」と涙を流す。美しいシーンである。そしてその母子が沙織里らの街頭キャンペインの場に現れて感謝を述べ、これからはあなた方の運動に協力したいと申し出ると、傍らの夫がはじめて慟哭するのである。
2年後を描くラストシーン。沙織里は交通整理のボランティアをはじめ、通過してゆく子どもたちをいとおしく見つめている。かなしみの煉獄を経て、なお人を信じて生きてゆこうとするみごとな成熟をここにみることができる。
あんのこと(入江悠監督・脚本)
あん(河合優美)は、ホステスで娼婦の母親(河合青葉)に虐待されて育ち、12歳のときからその母の手引きによって身体を売って、中学も中退。21歳の今、ウリとシャブの常習犯である。救いようがないかにみえるあんはしかし、型破りの刑事・多々羅(佐藤二朗)と出会い、彼の主催する薬物更生グループに加わり、彼に寄り添われ、グループを取材するジャ-ナリスト(稲垣吾郎)の協力もあって、DVシェルターに起居し福祉施設の介護職にもつくようになる。日記もつけはじめた。周囲の大人はみんな親切だった。
だが、職員のミスから居所を知った母親が職場に現れて暴れる、コロナ禍で非正規職を失う、さらに多々羅のグループ参加者への性加害が暴露されて逮捕されるなどのトラブルが続き、あんはまた出口のない絶望に落ち込む。そんなとき突然、シェルターの隣人の女性が赤ん坊をあんに一方的に預けて失踪してしまった。あんはそこで、卒然と赤ん坊の万全のケアに没入するのだ。けれども、ここでまた母親に捕まり思いがけない至福のときが終わる。この毒ママは、あんを身体で稼いで来いと追い出し、その間に赤ん坊を児童相談所に引き取らせてしまう。帰宅したあんは、怒りのあまり母親を殺そうと包丁を構えるが、ついに刺すことはできなかった。あんはシェルターに帰り、子どものアレルギーになる食品と献立を記したページだけを残して日記を焼き捨て、ベランダから身を投げるのである。
あんは、介護施設の利用者に慕われ、赤ん坊の十全なケアに生きがいを見いだす優しい女性であり、ひたすら識字に励み、グループで自省をこめて過去を率直に語れるようにもなった真摯な少女であった。こんな女性がなぜ自死しなければならなかったのか? 薄氷を踏む思いで経過をみつめてきた私にはどうしようもなく悔しい思いがつきまとう。いっそこの比類ない毒ママを刺してしまえばよかったのではないか!と感じさえする。これも現代日本、2020年の実際の事件をベースにした映画であるが、ストーリーの中には、あんの本来の優しさと、逆境の中での成熟の歓びがちりばめられていて胸が熱くなる。
ちなみに今年、女性の受難を描く佳作・名作は、たいてい生家や婚家での育児放棄や虐待やDVを扱う。その点では『あんのこと』も戸田彬弘の『市子』や成島出の『52ヘルツのクジラたち』(原作・町田そのこ)と共通するところがある。『あん・・・』には、悪女としてしたたかに立ち上がる『市子』ほどはサスペンスフルでなく、性的少数者者との揺るぎない愛を発条として孤独なクジラの叫びを聴く、人間の絆を取り戻す『52ヘルツ・・・』ほどの物語の文学的な広がりはない。とはいえ、『あんのこと』がもたらす切実きわまりない衝迫はまた、この作品を今年の収穫のひとつとしている。