なによりもまず、パリ・オリンピックのNHK報道にはいつもいらいらした。それは競技のそのものよりは、もっぱら日本人選手の活躍についてのアジテーションをくりかえすみたいな報道だったからだ。前提として動かないのは、日本人すべては日本のメダル獲得に我を忘れて熱狂しているはずだという思い込みである。日本選手の勝利をとくに切望しているわけでない私なぞ「非国民」」なのだろう。とはいえ、日々の暮らしがままならぬ人びと、例えばこの猛暑のなかクーラーもつけられないでテレビをみるほかない人びとにとって、メダル・ラッシュなどはなにほどのこともないだろう。大会関係者もアスリートも、「日本に勇気と感動を与える」ためがんばったと思わないほうがい
メダルラッシュと言うけれど、いまメダルの金を三点、銀を二点、銅を一点として計算すると、総得点はアメリカ(240)、中国(195)、フランス(118)、イギリス(113)、オーストラリア(104)の順番であって、日本(91)は6位である。まぁそんなことはどうでもいいが、報道は日本の強さを過大評価させるように思われる。
ついでに言うと、競技後、メダル受章者は国旗をまとって小走りするが、彼ら、彼女らには国からの報奨金がある。ナショナリズム鼓吹の強弱の差なのか、報償は国によって大きな格差をもつ。『フォーブス』誌の東京オリンピックでのメダル獲得の報奨金報道によれば、国別のベスト10は、①イタリア、907万ドル(約10億円):金10、銀10、銅20/②アメリカ、784万ドル:金39、銀41、銅33/③フランス、651万ドル:金10、銀12、銅11/④ハンガリー、564万ドル:金6、銀7、銅7/⑤台湾(チャイニーズ台北)、492万ドル:金2、銀4、銅6/⑥日本、403万ドル:金27、銀14、銅17/⑦スペイン、255万ドル:金3、銀8、銅6/⑧トルコ、226万ドル:金2、銀2、銅9/⑨セルビア、201万ドル:金3、銀1、銅5/⑩香港、193万ドル:金1、銀2、銅3。一方、イギリス、ニュージーランド、ノルウェー、スウェーデンはなどは報奨金ゼロだ。日本は6番目に報償の大きい国である。選手たちが闘うのはむろんカネのためではなく、多額の報酬でその純粋さが損なわれるわけではないけれど、このことにマスメディアがいっさい触れないのはやはり問題であろう。
私は、格闘技一般と、それに、たとえば水中で逆立ちするとか頭を下にして身をくねらせるとか、人がふつうやらない軽業めいた競技が嫌いだ。TVの実録、録画をあれこれさがして見るのは、日本選手の活躍報道に比較的偏しない陸上競技、それも走りと跳びである。そこにみるの肉体の躍動はとても美しい。それでも、しなやかな美のきわまる棒高跳びの放映は結局なかったのではないか。
走りは距離にかかわらず緊張感がただようけれど、印象深いのは、長距離ではアフリカ在住の黒人、中距離、短距離ではアメリカはもとより、フランス、イギリス、イタリアなどの先進国に移民・定着した黒人が主力スターであることにほかならない。鞭のようにしなやかな汗に光る黒い肌の疾走は、セクシーですらあり魅力的だ。心から愉快になる。そしてそこであらためて痛感されるのは、国籍と人種の著しいずれである。日本でもその傾向は徐々に進んできたと思う。国家ごとに競技を競うというオリンピックの建前は、いずれもたなくなるのではないだろうか。