立憲民主党雑感(2024年9月26日)

 早朝、ようやく咲いた彼岸花の小堤や旧東海道を散歩しながらこんなことを考えた。
 野田佳彦と側近たちは、「中道保守」路線をとれば「国民は安心して」投票してくれると考えているらしい。これからの立憲は、集団自衛権・敵基地攻撃能力強化・軍事費増額・沖縄の辺野古基地建設・原発回帰などについて自民党に対決することはないだろう。維新や国民民主や連合幹部はいっそう、一緒にやりたいなら「もっとこちらへ(右へ)おいで」と流し目で誘惑する。立憲が自民党と違うところは、裏金・金権政治の打破と夫婦別姓の制度化くらいになるのだ。前者は議会秩序を危うくするほどの大胆さがなければ闘えず、後者は、安倍の亡霊の巫女のごとき高市早苗が明日まかり間違って自民党総裁にならない限り、争点ではなくなるだろう。
 そもそも政策において野党が支配政党とあまり変わらなくなれば、国民が野党を支持する理由がない。選択の判断が同じような政策課題を達成するにどちらが技術的に長けているかになる、そうなれば官界に「顔を効かす」経験をもつ今の支配政党のほうが望ましいという結果になるからだ。この憂鬱な関係に逆転をもたらす隘路は、支配政党が極端な「へま」を犯すことである。立憲民主は裏金問題こそがその隘路であり、国民の怒りが沸騰している今こそその隘路を通ることができると読んでいるかにみえる。
 この判断は甘いと思う。韓国ならば、度しがたい裏金への憤激は連日の何万という大デモを引き起こしただろう。だが、長年の自民党の金権政治に慣れっこになってしまったシニカルな日本国民の裏金への怒りの熱量は、大規模な市民行動を呼び起こすほどではなかった。いま野党共闘の困難はさておいても、政策上の対抗性の乏しい野党が自民党支配を覆す「隘路」を進みうる可能性は乏しい。来たるべき総選挙で政権交代が生まれる見通しは、遺憾ながらほぼ絶望的である。
 ほんとうのところ、生活改善のため政治行動や労働組合運動の方途を見出せていない中下層の国民多数は、貧窮に呻吟し、根深い生活保障と戦争への不安に苛まれている。その方途を見いだせれば、多くの国民の「中道保守」への投げやりな支持は一気に雲散霧消するだろう。議会制民主主義のいずれの国でも、国民は「穏健」や「中道」を支持するとは限らないのだ。さしあたり「出口なし」に見えるとはいえ、理想を旨とする野党はいま、敵失を期待した隘路ではなく、オルタナティヴの正道こそを追求すべきだろう。それゆえ、せめて立憲民主に残るリベラル・左派の枝野派は、「代表代行」などに祭り上げられることに甘んることなく、立憲民主本来の政策理念に固執して野田支配に対して絶えず叛乱するよう期待したい。そして、その本来の政策理念をかなり共有する社民党や共産党との共闘をやはり模索してほしいと願うものである。
(付記:この記述は石破政権成立直前のものだが基本的に主張内容の変更は必要あるまい)