その16 「頑張れ!」の届く地点はどこに――『夜空はいつでも最高密度の青色だ』/『川の底からこんにちは』

もう5ヶ月も前に観た石井裕也の演出・オリジナル脚本による『夜空はいつでも最高密度の青色だ』は、ほぼ確実に、私の2017年邦画ベストワンになるだろう。だが、この作品から受けたいいしれぬ感動の質をどのように紹介すればいいのか戸惑ってしまう。これは砂漠というよりはジャングルのような東京をさまよっていて心に鎧をまとわせていた若いふたりが、ついにお互いを不可欠な存在と意識するまでの経過をたどる、一種の恋愛ものほかならないけれど、例えば近年の佳作『ナラタージュ』(行定勲)のように試練に遭遇してもなお息づく一途な愛の物語ではなく、ヒロイン役の石橋静河も、こんな女性が幸せにならなくていいものかとすぐに感情移入できる『ナラタージュ』の有村架純のようではない、不機嫌・無愛想な佇まいなのである。むろん、それだからこそ『夜空はいつも・・・』は、類型を遙かに超える秀作なのだ。
 とりあえず「ふたり」を紹介しよう。病院の看護師として働きながら夜はガールズバーでアルバイトする美香(石橋静河)は、社会情報や言葉の氾濫に真実を見いだせず、総じて他者にシニカルで、寡黙なまま孤独なひとり暮らしの日々を送っている。他方、慎二(池松壮亮)は日雇いの建設作業員。ひそかに持病を抱える先輩の智之(松田龍平)、いつもここからの脱出を願って苦役に携わる中年の岩下(田中哲治)、借金に縛られながら故郷の家族のため我慢しているフィリッピン人の正社員アンドレス(ポール・マグナリン)と良好な関係のチームを組んでいる。この建設現場の重筋作業の過酷さと劣悪な処遇はきわめて具体的に描かれ、東京の底辺のリアルをよく伝えている(私見では美香の看護職場のリアルにももう少し描写がほしかったと思う)。慎二は実は片眼が不自由ながら、隣のひとり暮らしの老人からいつも本を借りて読む、とても優しい若者だ。彼はしかし、美香と同様に世の中の構造や惨めさの由来が、象徴的にも半分しかわからず、その焦慮を饒舌に発散している・・・。
 そんなふたりの出逢いが偶然に重なる--美香は同僚と合コンできた居酒屋でひとり本を読む慎二を見かけなぜか気になる、慎二は、建設現場のなかまと訪れたガールズバーで、そのあと電車の人身事故のため歩いて帰宅する途上で、勤め帰りの美香と出逢う。ふたりはまた、智之が作業場で急死したことから葬儀場で、慎二が仕事場で怪我をして入院したことから病院でも出逢う。そして慎二は美香に惹かれ、こんなメールをする--「携帯9700円、ガス代3261円、電気2386円、家賃65000円、シリア、テロリズム、食費25000円、ガールズバー18000円、震災、トモユキが死んだ、イラクで56人死んだ、薬害エイズ訴訟、制汗スプレー750円、安保法案、少子高齢化.・・・会いたい」と。生活のリアルを伝える支出記録の律儀さと、多くの他人の死を気になる慎二の優しさがあふれる、この不思議なメール。そういえばこの映画には、若者たちはいま東京にも充ち満ちている死の傍らに生きているというメッセージがあるかにみえる。美香がしばしば遭遇し「大丈夫、たいしたことではない」と自分に言い聞かせている患者の死、蔵書家の老人の孤独死、列車の人身事故、そしてトモユキの労災死。数多の身近な死が、若者たちに社会の行方に不安を感じさせ、理想や励ましの言葉への信頼を失わせているのだ。
 ふたりは渋谷を彷徨するデートを重ねるようになる。だが、そもそも愛とか恋とかの確かさも信じられず、信じて傷つくまいとして心に鎧をまとうふたりの会話は、ぎこちなくすれ違うばかりである。饒舌な慎二にしても、例えば、寡黙な美香がふと放射能汚染の実情について尋ねても、「知らない」というばかりなのだ。美香を堅気のサラリーマンらしい「元カレ」(三浦貴大)が、慎二をアメリカ留学の夢破れた「元カノ」が訪れ、それぞれ復縁を求めてくるが、いずれもその気になれないところ、ふたりは本当はお互いをこそ必要としているのかもしれないけれど、身体のふれあいもない。慎二が1200円の髪飾りを美香にプレゼントしたとき、いつもの韜晦した会話のあと、美香が足早の慎二のジャンパーの袖にはじめてつかまる。それだけである。渋谷の陸橋ではいつも、ストリートミュージシャン(野嵜好美)が誰も耳を傾けないのにひたすら歌っている--「ワキ汗かいて気にして わたし生きてる/眼をそらして いつもの作り笑顔/みんな同じでしょ ここは東京/でも頑張れ ああ頑張れ ああ」と。ふたりはその歌声を気にもとめない。ふたりはどこに行きつくのだろう?

 石井裕也には、2009年に『川の底からこんにちは』(オリジナル脚本も石井)という快作がある。。駆け落ちして東京で5年、しがない雑業のOL仕事も5度目、子どものあるリストラされた課長で文字通りぐうたらな恋人・健一も5人目という佐和子(満島ひかり)は、すべては「しようがないですよ」、私は「中の下」だから、ですませるなげやりな、無気力でこの上なく鈍い感じの女性だ。その佐和子が、父親の死病に際して倒産寸前のシジミパック製造工場の経営をいやいや引き継ぐ羽目になる。無職の健一が「エコ生活」にあこがれてついてくるので「しょうがな」かったのだ。
 しかし帰郷してみれば、漁師の妻でもある中年おばさんの従業員たちからは馬鹿にされ、健一は、佐和子の幼なじみの女性に誘惑され、幼い娘をおいて東京に逃げ出してしまう。怒りのあまり父親も危篤になる。だが、そこで佐和子は突然、きっぱりと転生するのだ。彼女は育児を引き受けるばかりか、駆け落ちして棄てられた過去をさらけ出して意地悪なおばさんたちにリーダーとして対峙する。自分もあなた方も「中の下」、それでなにが悪いの?と叱咤激励し、「頑張らなくちゃ、ひたすら頑張れ、うまくいかないのは政府が悪い(!)、川の底からこんにちは」と叫ぶ新しい社歌をつくる。そしてシジミパックのデザインも新しくして、経営を立て直す。投げやりと無気力、万事にわたる鈍い反応と韜晦をふりすててゆくこの覚醒と転生の過程を、満島ひかりはその瞳の輝きの変化によって鮮やかに表現している。随所に喜劇的ユーモアをちりばめながら、それはまことに観る者の心を弾ませる作品であった。
 最果タヒの詩集のイメージから創作され、ある意味でストーリの構造性が曖昧な今回の『夜空はいつも・・・』は、本来、私好みとはいえないが、劇場に足を運んだのは『川の底から・・・』によって、石井裕也の作品の何気ないエピソードにみる社会意識の鋭敏さや細部のリアリアズムを信頼していたからだ。『夜空はいつも・・・』も、一見とりとめない物語の「部品」の迫真性は比類ない。そしてまた、陸橋上の孤独なシンガーソングが、『川の底から・・・』の「頑張れ」社歌を思い起こさせる。

 慎二の同僚たち、重労働に身体を痛めていた岩下は、俺は元気でここを出て行ってやると職場を去り、アンドレスも、こんなところではまともに稼げないとフィリッピンに帰っていった。美香は、たまたま帰った実家でも家族とわかり合えず、幼少のころ母(市川実日子)を失った心の傷を忘れられない。そこへチームの解体で失職する慎二が追ってくる。ネオンのまったくない夜の田舎町を自転車に同乗して、ふたりはこんな会話を交わす。私は捨てられたんだよ/そっか。・・・まぁ俺に任せろ/何を任せるのよ/いやなことは、俺が全部半分にしてやる・・・こんな目で生まれてきてよかったって、いまはじめて思ってるよ。これは「でも、半分もみえれば上出来じゃない。ふつう半分も見えないから」という以前の美香の台詞に木霊している。そして渋谷へ帰ったふたりは思いがけず、あの歌手がデビューしてあの「頑張れ」の歌が街頭の大画面で流れているのを知って、ほほえみを交わす。
 慎二と美香は慎二の下宿で、はじめて柔らかい表情で夜通し語り合う。この東京でも、そして物事が半分しか見えなくても、やってゆけるのだ。夜明け。窓辺の紫の花が開花している。「また大きな災害があってたくさの人が死んだらどうする?」と美香が言う。慎二は「・・・とりあえずカンパする」と答える。私にはそれは奇跡的なまでに美しい言葉にきこえ、したたかに感動させられた。石井裕也はこうして、「頑張れ」がいっそう届きにくくなったいま、それでもやはり愛と思いやりの意味を大切にして「頑張れ」と、なにも信じられず、ともすれば心を鎧で覆う若者たちに贈ったのである。

 注:文中、慎二のメール、2人の長い会話、野嵜好美の歌など、直接引用部分については、パンフレット『夜空はいつも最高密度の青色だ』に掲載された製作関係者のエッセイやインタビューによる。ここにも物語の詳細やシナリオの採録はない。
      KOKKO28号:2018年1月