その18 報道の自由とベトナム戦争――『ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書』/『ハーツ・アンド・マインズ』

 スティーヴン・スピルバーグの新作『ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書』は、アメリカ政府のベトナム政策に関する機密文書を、ニクソン政権の弾圧に抗し、民主主義の死命を制する「報道の自由」に殉じてあえて公表にふみきるワシントン・ポスト紙の人びとを活写して、まっすぐな感動をもたらす佳作である。
「ペンタゴン・ペーパーズ」(以下「PP」)とは、マクナマラ国防長官の指示によって1967年に作成されたもの、戦後アメリカの対ベトナム国策をつぶさに記録した文書である。そこには、米軍やCIAがベトナムに行使してきた極秘の軍事行動、暗殺、ジュネーブ協定違反、不正選挙などが報告されているばかりか、歴代4人の大統領がそれらについて、連邦議会や国民に対して隠蔽し、あるいは虚偽の報告をしてきた事実が明かにされている。マクナマラはすでに、泥沼のベトナム戦争に勝利の展望はないと見通していたという。にもかかわらず国防長官としての彼は、PPを隠蔽し続け、ニクソン大統領に作戦はうまくいっていると報告を重ねていたのだ。
 映画の物語は次のように流れる。マクナマラのベトナム視察に同行した軍事アナリストで、ランド研究所に属し彼自身がPPの執筆者でもあったエルズバーグ(マシュー・リス)は、国防長官の対政府報告に納得できず、研究所からPPを持ち出し、そのコピーをニューヨーク・タイムズ(NY)紙にリークする。NY紙はその一部を穏和なかたちで報道したが、ニクソンはすぐさま機密保護法違反としてNY 紙を厳罰に処する措置をとった。しかし、かねてからベトナム戦争批判のスクープを企画していたワシントン・ポスト紙の編集主幹ベン・ブラッドリー(トム・ハンクス)は、より立ち入ったPP報道を追求し、編集局次長で元ランド研究所員のベン・バグディキアン(ボブ・オデンカーク)を通じて、エルズバーグからPPの全文を入手するにいたる。紹介はあとになったが、実はこの映画のヒロインは、ポスト紙の社主キャサリン(ケイ)・グラハム(メリル・ストリープ)である。ケイは以前に社主であった夫の自殺のため、54歳にして突然に子育ての専業主婦から、有力紙ではアメリカ初の新聞発行人に転身している。上品なおしゃれや上流人士との社交はともかく、ポストの経営不振の挽回を図る株式上場を控える今、不慣れな経営の財政業務などには自信なげである。名優メリル・ストリープが、生え抜きのキャリアーウーマンにほど遠いこのトップ経営者の、ある種「主婦的」な優柔の風情をみごとに表現している。
 そんなケイが、ニクソンが発行停止、罰金、刑事罰などの報復に出ることを怖れて、PPの大々的な報道をためらうのは当然であろう。ケイは、「報道の自由を守るのは報道そのもの」とあくまでも主張する、不屈の「海賊」ベンと対立する。映画の主題は、人間としての信頼の絆はあれ、それでも不可避であったふたりの諍いであり、ケイがついに、他の重役たちの忠告を斥けて、報道の自由を選ぶにいたる勇気への軌跡である。この決定に、すべてを準備して待機していた編集者、論説係、印刷工、配達人などが歓声をあげて勇躍しはじめる描写がすばらしい。響きを立てて稼働する輪転機の無機的な映像にさえ、私は思いがけない感動を覚えたものだ。
 そしてジャーナリストたちは賭けに勝った。多くの新聞がポストに追随し、裁判所は、アメリカ合衆国憲法修正法第一条によって、「報道の自由の義務を負う者は、政府の国民に対する欺きによって多くの若者が遠い外国へと派遣され、病気や戦闘で命を落とすという悲劇を避けるために責務を全うすべきである」、NY紙やポスト紙が行った「勇気ある報道」は、政府批判の自由という「建国の父たちが望んだ」ことの実行にほかならないと無罪判決を下したのである。

 この映画は、ある意味でワシントン・ポスト社内の人びと、わけてもケイとベンの物語である。論者によっては、これは「過激な」フェミニストならざるケイという女性の静かな自立のストーリーだという理解もあるという。確かにそうしたテーマ限定が、多くは素朴に「おもしろい」従来のスピルバーグ作品にはあまりみられない、丁寧な人物描写という特徴をもたらしているのかもしれない。とはいえ、「社会派」の私には、例えばペンタゴン・ペーパーズの内容、ベトナム戦争とこの報道事件をめぐるアメリカの庶民の反応、泥沼の戦場にある兵士たちの苦しみなどにも、もう少しはふれてほしかった。この文章の解説部分の多くもこの映画そのものから得た知見ではない。要するに、ポスト社のインテリたちの決意を促したベトナムの現実という視点がもっと必要ではなかったか。「報道の自由」という新聞人の使命感そのものへのオマージュはよくわかる。しかし「報道の自由」も新聞人のある意味で自閉的な価値意識であってはならないだろう。例えばケイが最後に決断するとき、ベトナムの泥沼での兵士たちの悲惨な体験はどれほど切実に自覚されていたのだろう?
 そんな「ないものねだり」のような不満があったところ、映画のなかのエルズバーグは本人と酷似しているなぁと驚いたことをきっかけに思い出したのは、ドキュメントの名作、1974年の『ハーツ・アンド・マインズ』(ピーター・デイヴィス監督)である。
 1974年頃の撮影だろうか、そのなかでエルズバーグは、ベトナム戦争の拡大に批判的だったロバート・ケネディが次期大統領選挙のキャンペーンさなか68年6月に暗殺されたことを語り、「すべての希望が失われた」と嗚咽をもらしている。エルズバーグが71年にあえてPPのリークにふみきった背景には、彼のそんな体験があったことが推測される。それはともかく、作品の意図もジャンルも違うゆえに、単純に『ペンタゴン・ペーパーズ』とこのドキュメントをくらべて優劣を論じるものではないけれど、『ハーツ・アンド・マインズ』こそは、広範なインタビューとナマの映像のすぐれた構成によって、ベトナム戦争に関わった人びとの重層的で多面的なありように肉薄して、私は大きな衝撃を受け、深い感動に引きずり込まれたのである。
 この記録映画の傑作は、あの汚れた戦争の生々しい悲惨と、そこに関わって傷ついた人びと、あるいは厚顔無恥な指導に携わった人びとの、悲しみと苦渋の、あるいは開き直った発言を生き生きと伝える。ベトコンを支援しているとみなされて家々を焼き払われ穀物を棄てられる村民たち。ナパーム弾で焼けただれ皮膚の垂れ下がった子どもを抱いて逃げる母親。政府軍将校に拉致され路上であっさりとこめかみを撃ち抜かれるベトコン?の兵士。埋められようとする家族の棺の蓋に降りようとする女性。写真をつかんで泣きじゃくり父親の棺に取りすがる子供……。それらの映像に続いて、米軍司令官ウェストモーランドが、アジアでは我々ほど命を尊重しないと言ってのける。共産主義の外部からの浸透があれば「自由」のために軍事介入をするのは当然、なにを馬鹿な質問をするのかねと息巻くロストウ大統領補佐官。インタビューはもちろん兵士たちにも及ぶ。帰還して故郷で大歓迎され、後に得意げにアメリカ的価値観を母親や子どもたちに講演してまわるもと捕虜の「英雄」。もううんざりだ、なんのために闘っているのかと呻く塹壕の兵士。傷ついて帰還し、ときに標的「ダーク」(現地人の蔑称)を撃つ快感を語り、あるいは任務だからそうせざるをえなかったと語る、戦略爆撃機のパイロットたち。このドキュメントはまた、多くのふつうのアメリカ市民が、帰還兵の歓迎会や建国記念日のパレードやラグビーの試合での熱狂をそのまま共産主義という敵をぶちのめす愛国の熱狂に移行させてゆく姿を描いている。そこに「帰還兵に仕事を」と訴えるデモ隊が現れれば、「ソ連かキューバがお似合いよ」と罵声が飛ぶ。これが戦時中のアメリカの少なからぬ人びとの気分だったのかもしれない。
『ハーツ・アンド・マインズ』は、超大国アメリカの傲慢と欺瞞が打ちのめされた1975年のサイゴン陥落・アメリカの紛う方なき敗戦の以前につくられている。アメリカの映画づくりの豊富な資源と70年代初期にはまだ実在した批判的な表現の自由との、危うくもしあわせな一致がここにある。
 終わり近く、帰還した爆撃手のフロイドはこう語る――私はボール爆弾を投下した。この爆弾から弾け出る無数の金属ボールが身体に食い込み、摘出も困難で、人は悶え死ぬ。いまもし、私の子どもたちがそんな目に遭うとすれば……。彼は絶句して顔を覆う。沈黙の後、「ベトナム戦争でなにを学びましたか」と問われ、フロイドは逡巡しながら答える。「学ぶことを拒んでいる。見まいとしている。ほら、私はもう泣くこともできない……」と。そのゆがんだ表情が心を抉る。なんという切実な悲しみだろう。
 私たちはしかし、ベトナム戦争の愚行を大きな背景とした『ペンタゴン・ペーパーズ』にみるジャーナリストの勇気から、『ハーツ・アンド・マインズ』にみる戦争の痛恨の記憶から、学ぶことを拒んではならない。私たちは今、政権が隠蔽と欺瞞を重ね、人びとがどこへ導かれるかわからない風土と季節のなかで、総じて強権に確執を醸す志を失いつつあるからだ。
             KOKKO 32号:2018年8月