その22 ふたつの「希望」――『僕たちは希望という名の列車に乗った』/『希望の灯り』

 最近のドイツ映画、ラース・クラウメ監督の『僕たちは希望という名の列車に乗った』は、旧社会主義政権下の表現と行動の抑圧に対して苦しみつつ抗い、ついには人権の死守に身を投じる人びとの輝きを描く数ある名作のなかでも、屈指のものということができる。物語の規模はA・ワイダの作品ほど雄大ではないけれども、その感銘の質は、ここにみる若者たちの選択の背景に、当時の歴史と階層関係がしっかり織り込まれていることからくるすぐれた説得性によって保証されている。

 時代は「ベルリンの壁」構築の5年ほど前、1956年の頃、きびしい検問はあったとはいえ、東独からベルリンの西欧圏へまだ往来できる時期のことである。製鉄所のある東独スターリンシュッタット(当時)に住む、大学進学予定者のための名門高校に通うクルト(トム・グラメンツ)とテオ(レオナルド・シャイヒャー)は、対ナチス戦で戦死した祖父の墓参を口実にして西ベルリンに遊びに赴き、潜り込んだ映画館でハンガリー動乱のニュースの映像を見て衝撃を受ける。報道・言論・自由選挙・ソ連の撤退などを要求する数十万もの民衆デモに政府軍が発砲し、多数の死者が出たのだ。その後、彼らはテオの恋人レナ(レナ・クランク)らとともに、同級生パウルの伯父エドガーの家で、禁じられている西ドイツのラジオ放送局RIASの報道を聞いて、ナジの登場したハンガリー民主化勢力の一時的な勝利がソ連軍の出動を招き、ついに数百人もの市民が命を落としたことを知らされた。黙過できなかった。そこでクラス20人中12人の賛同を得たクルトの提案によって、生徒たちは次の授業中に、教師のいらだちをふりきって、ハンガリーの死者のため2分間の黙祷を捧げるのである。
 当時の政府にとって、それは反革命・反社会主義の企てとみなされる行動であった。校長は来春に卒業試験を控えている生徒のために穏便にことを済ませようとしたが、同僚の内通によってこの事件は郡学務局の女性局員ケスラー(ヨルディス・トリーベル)の調査に委ねられることになる。生徒のこれからの処遇を左右できるケスラーは、黙祷の背後に政治的謀略があると疑って、生徒を個別に呼び出して黙祷の意図や提案者を探り出そうとする。生徒たちは将来を心配して、死者のうちに著名なサッカー選手がいたという情報に頼ってアスリートを悼む行為と装おうとしたけれど、これは西側の宣伝による誤報だと知るケスラーは、逆にその情報はどこで得たのかと追及し、もともと行動に懐疑的だったエリックの証言にしたがってRIASを聴かせたエドガーを逮捕するにいたる。だが、生徒たちには「黙祷はみんなが言い出したこと」としか答えない連帯は失わなかった。そこで人民教育相までが登場する。彼ランゲ(ブルクハルト・クラウスナー)は、黙祷の首謀者を吐かなければクラスの全員を卒業試験から閉め出すと宣言したのだ。いっそう厳しくなったケスラーの追及によって、両親の期待と心配を負う若者たちは追いつめられてゆく。
 当局はついにエリックを落とす。対ナチ戦の英雄だったとされていた父親は実はナチスのスパイとして処刑されていた。このことを公表していいかと迫られたエリックは、ついにクルトの提案だったともらす。だが、行動に慎重だったとはいえ、友人を裏切った自己嫌悪にわれを忘れたエリックは、その直後、銃撃訓練所で監督官を撃ち逮捕されてしまう。しかしなんという狡知か、ケスラーはクルトの父が地方行政の高官であることの影響を考えて、どうせ罪人になるエリックを首謀者としようと画策したのだ。クルトはすべてに絶望して、親友のテオに、事態を決着する明日の教室で提案者はクルトだと明かしクラスを救えと依頼して、ひとり西側に脱出する・・・。

 以上のように事態の推移のなか、両サイドの主要な登場人物の言動は、それぞれに異なる歴史的体験と帰属する階層というものの認識に裏打ちされており、きわめて説得的である。物語が「おもしろい」ことの、それは大切な資格だ。たとえば、居丈高な大臣ランゲにしても、首筋に深いナチスの拷問のあとを残す歴戦の闘士であり、彼においては死守すべき「社会主義」をいささかでも脅かす輩はすべてファシストなのだ。「こんなやり方はゲシュタポみたい」と口走る高校生に、お前らになにがわかるか、というわけである。穏便にことをすまそうとする校長は、労働者階級出身であり、生徒たちに自分と同じ階層上昇の機会を失わせたくないと感じ、大学に行かず「労働者になるつもりか」と生徒を諭しもする。またテオの父はかつて東独で試みられた民主化運動に挫折して「反省」した製鉄炉前工であり、彼と暖かい家族みんなは、テオに進学によるブルーカラーからの脱出を期待している。クルトの父は、すでにのべたように地方行政の高官、共産党員で、地域の要人であり、反発するクルトにハンガリー事件が西側の陰謀であることをしきりに教えようとする。その父がかつてエリックの父親の裏切りの告発者であり、功労者としてその処刑の場にも居合わせたことも、暴発して倒れたエリックを抱擁さえするほど友情篤いクルトの絶望を深めたのだ。だが、そんな父も、西側への脱出を見送った母を怒鳴りながらも、いったん検問にかかったクルトの西側亡命を黙認するという苦渋の決断をするに到る。
 クールなケスラーに代表される当局の側は、父親たちの対ナチ戦や共産党政権についての功罪や、家族および生徒たちの階層上昇の期待や不安などを個人情報として調べ上げ、その情報を現体制に順応させる恫喝の武器とする。唾棄すべきおぞましい統制である。だが、翻って私たちが今、このおぞましさから学ぶべきは、こうした個人情報の蓄積と「危機」における「活用」は、「社会主義国」だけのお家芸ではあるまい、今では東西いずれの国家においても、情報技術の飛躍的な進歩によっていっそう容易になった当局の個人情報取得が、国家権力による強力な国民統制の、少なくとも潜在的な武器となりつつあるということにほかならない。

 当局が最終的な決着をつける日。すでにエリックを主犯とすることに決めているケスラーはあらためて問う、黙祷の提案者は誰か? テオをはじめ、誰もクルトともエリックとも答えない。業を煮やしたケスラーが、では「全員退学」としようとしたとき、レナが突然「私が提案した」と発言する。するとそれに次いで、全員が口々に「私が提案した」と声をあげたのだ。深い感動を忘れられないあの『スパルタカス』の名場面と同じだ。こうしてクラスは閉鎖され全員が退学になる。それからほどなく、東に留まる4人のほかテオやレナをはじめ多くが、ばらばらに、西へ脱出する「希望」の列車に乗り込むのである。当時はまだ可能だったのか、「壁」以降では不可能だっただろう、彼ら、彼女らはそろって西ドイツで卒業試験を受けたという。ちなみにクルトは、「事実にもとづくこの物語」の原作者ディートリッヒ・ガルカス自身である。
 
 50年代末の東ドイツの高校生たちのこのような「静かな革命」は、人びとの抑えきれない自由の希求に焦った東側による「壁」構築の要因のひとつであった。しかしそれは、やがて「壁」そのものを壊す、人権を求める生き生きとした反体制行動の大波の先駆であったといえよう。すばらしい若者の行動であった。とはいえ、ふと思うに、「沈黙の教室」という原題にくらべれば、「希望という名の列車・・・」というタイトルはいささか明るすぎるのではないか。
 ここにもうひとつ、いぶし銀のように光る近年のドイツ映画、『希望の灯り』(トーマス・ステューバー監督、クレメンス・マイヤー原作・脚本)を紹介しよう。
 再統一後の旧東独ライプツィヒ郊外の巨大スーパー。放埒と入獄の後、そこに夜勤の飲料担当・倉庫係として就職した27歳の無口なクリスチャン(フランツ・ロゴフスキ)は、とかく無気力な日々を送っていたけれど、どこまでも暖かい同僚たちに仲間と認められ、お菓子担当の人妻マリオン(サンドラ・ヒューラー)に惹かれもして、この文字どおり陽の当たらない職場に定着してゆく。深夜の倉庫職場、滑らかに動くクレーン、鬱屈はあれそこで地道に生きてゆこうとする労働者たちの会話・交歓・パーティ。すべての描写はくすんだ古典絵画のように静謐で陰影に満ち、印象的である。 これは東ドイツに留まり、「希望という名の列車」の若者たちが選ばなかった肉体労働を引き受けた若者の物語だ。市場経済は、旧社会主義とは別のルートで、このような地味な労役を不可避的に誰かに課す。しかしそのクリスチャンもまた、ささやかな「希望の灯り」をついに見いだす。高く積まれた飲物の箱を降ろす丈高いクレーンがアームを下げるとき波のような音を奏でることをマリオンに教えられたときだ。そう、この仕事でも海の広さに通じている・・・。この人びとにも、ここにも「希望」あれ! この美しいラストシーンは、私たちをそんな思いに誘う。
( KOKKO 36号 2019年8月)