その23 『長いお別れ』の不思議な明るさ

 映画『長いお別れ』には、ひとつの忘れられないシーンがある。
 3本の雨傘を持って遊園地へ彷徨ってきたかなり進んだ認知症の東昇平。そこで彼は思いがけず、ある幼い姉妹から大人と一緒でなければ乗れない規則のメリーゴーランドに同乗してくれるように頼まれ、引き受ける。光を浴びて回転する木馬上の笑顔の昇平と幼児。そこへGSPに導かれてやっと駆けつけた妻の曜子、長女の麻里、次女の芙美は、昇平がかつてこの遊園地に雨に降られた3人の家族を迎えにきたことがあったことを思い起こし、歓びに溢れた馬上の父に力いっぱい手を振る・・・。
 原作でも、それを潤色した映画でも、このくだりは冒頭と終わり近くの2つにわけられているけれど、美しく燦めく場面だ。そこにはまた、この映画のメッセージが集約されている。それは、徐々に失われてゆくとはいえ生き続ける記憶の核、残される家族と若い世代に贈られる絆の確かさということができる。。

 中野量太監督・脚本、中島京子原作の『長いお別れ』は、2007年はじめに認知症を発症し80歳ほどで死ぬ東昇平(山崎努)と、介護に苦闘する家族たちの物語である。家族たちとは70代半ばの妻・曜子(松原智恵子)と、夫の転勤でアメリカに住む主婦、40代の長女・麻里(竹内結子)と、独身で食品関係の仕事を転々とする30代後半の次女・芙美(蒼井優)。そこに、中学生から高校生にいたる麻里の息子・崇(蒲田優維人⇒杉田雪麟)がときに加わる。この介護の6~7年の間には、中学校の校長や地域の図書館長の経歴をもち、誇り高く結構がんこな昇平の、症状の深化に伴うさまざまの奇妙な行動。それに懸命に対応する曜子の不屈のケアと、そのあげくの網膜剥離の手術と入院。麻里の対米生活のトラブルと数度の帰国。なにかにつけてすぐに介護の手伝いに呼ばれるけれど、仕事がなかなかうまくゆかず失恋もくりかえしす芙美の焦慮・・・などが続いてゆく。程度はさまざまであれ、介護は一般に心身を疲れさせる過酷な体験だ。とはいえ、この映画は、結局は報われない労役であるゆえに、ダーティワークも避けられない介護の日常を描く作品にどうしようもなくまつわる、嘆きの暗さというものをまぬかれている。ではこの不思議な明るさはどこからくるのか。
 まず、素朴にいって、関わりの深浅はあれ、介護者が仲のよい家族の女3人という恵まれた前提がある。在宅介護では介護者の数が多いことは予想以上に有利な条件である。すぐにわかることだが、現代のふつうの家庭の介護問題の深刻さは、家族関係の崩壊に伴う複数の介護協力者の不在がその一因であろう。その点、東家では、介護に専念できるのは曜子のみであるとはいえ、なにかあれば女3人が昇平を見守り助けるのである。配役も明るい印象を助ける。気丈で不屈の曜子役の松原智恵子も、しっかり者で責任感のつよい芙美を演じる蒼井優もくらくない役づくりの好演である。とくに竹内結子は、頼りなげで泣き虫ながらもともとは情の篤い「ネアカ」という魅力的な麻里像をうまく立ち上げていると思われる。 
 しかし、この映画に明るさにもたらしている最大の要因は、認知症の深化を「二度童」(にどわらし)――痴呆化とともに憎めないこどもに帰ってゆく――とみる視点であろう。この視点ゆえに、観る者は、名優・山崎努の繰り出す奇妙な言動にヒューモア(かなしいけれどおかしい思い)を感じさせるのだ。たとえば昇平は、親友・中村の葬儀に招かれて弔辞を述べるのを引き受けたあと、「えっ、中村は死んだのか」と口走って友人たちを唖然とさせる。故郷の生家を訪れた帰途には、列車で「そろそろご両親にも求婚を申し込まなければな」と曜子に重々しく語る。また昇平は、どこへいっても、自宅にいても、すぐに「そろそろ家に帰ろう」と言い張って困らせる。そんな「おもしろい」エピソードが続くのである。
 それに、中年近い娘たちが心奥ではなお父親に甘えて、その生活上の悩みを認知症の昇平に告げ、それなりに癒やされる事情も、状況の暗さを相対化している。芙美がくりかえす失恋の淋しさにふれて、「また、ダメになっちゃった。つながれないって切ないね」と語ると、昇平は、忘れた言葉の意味を奇妙な造語に託して、「まぁ、そうくりまるな。ゆーっとするんだな」と応える。そこで芙美は、なんとなくわかってのびをするのだ。また麻里は、あまり英語を話せなくてアメリカの生活になじまず、思考がクールにすぎて、たとえば大震災と津波と原発事故が日本を揺るがせているのもいっこう気にしない有能な会社員らしい夫(北村有起哉)との関係もぎくしゃくしている。息子の不登校について高校の担任に「ご両親の間柄にも原因があるのでは・・・」といわれて取り乱し、ネット通話では、入院している昇平の無言の顔に、どうすればいいの?と、酔って泣きながら訴える始末である。そんな麻里もしかし、夫との真情を吐露した対話を経て日本に駆けつけ、明るく昇平の臨終を見守って立ち直ってゆく。曜子はといえば、誰か不可欠な人として傍らにいることを求められている限り、「妻」として認知なくなったことも、もういささかも気にしていない。 
 孫の崇と昇平との間には、国語教師だった祖父の驚くべき漢字の知識への尊敬を通じて心の交流があった。崇はかつて見舞ったディケアセンターで昇平の本からこぼれた栞の枯葉を拾う。最後に、祖父の死後しばらくして、アメリカの高校で校長から認知症は「長いお別れ」と教えられた崇は、廊下で瑞々しい青葉を拾う。若い世代になにかが再生的に伝わったことを、それは象徴するラストシーンである。

 原作もそうだが、この映画は、2007年、09年、11年、13年というそれぞれの時点でのエピーソードが可視化されており、認知症がじりじりと進むプロセスくわしく描かれていない。それが経過をいつも見守る心労から読者や観客を自由にしている。また、原作にはかなり書き込まれているけれど、映画では曜子や芙美や訪問ヘルパーの日常的な介護労働の実態はむしろ淡泊に扱われている。曜子が網膜剥離で入院してからは芙美や麻里は特養や老人病院への入居を模索するが、そうした社会施設を利用することにまつわる困難も、さして深刻な問題として登場していない。しかし、昇平が大腿骨骨折で入院中に誤嚥性肺炎を起こして死亡することなく生き延びれば、「お嬢さんががんばるしか」なかった。週一度のディケアセンターはあっても、中心的な場はどこまでも在宅介護であった。
 また、昇平の記憶、映画が「昇平がそこに帰りたかった」と想定する記憶も、暖かいが家父長的な家庭と、彼の文化が培われた「学校」「教職」であった。それが昇平のリアルであり、私にはむろん、その視野の範囲を問題視する資格はない。だが、ここで、同じく認知症介護を明るく描いた佳作として、森崎東監督の『ペコロスの母に会いに行く』(2013年)を想起することは許されよう。この映画では、天草出身で貧しい生活を耐えて、原作者でもある岡野雄一=「ペコロス」(岩松了)を育てあげた母・みつえ(赤木春恵)が最後にアイデンティティを取り戻すのは、天草での中学時代の親友であり、生活のため早くに長崎に渡って苦界に身を投じ、原爆症でひそかに死を迎えるまで消息の途絶えていたちえこ(原田知世)と、長崎どんたくの花火の下、彷徨って、幻のうちについにめぐりあった時だった。そのシーンはまた限りなく美しい。ここでは底辺を生きてきた認知症の老女にとってかけがえのない記憶というものが、厳しい階層生と過酷な歴史のなかにしっかりと位置づけられている。
 
『長いお別れ』は、「介護もの」としても明るい作品はつくれるということを示すまぎれもない成功作であった。総じて「暖かい家庭」の映画よりは「社会派」の映画を好む私も、そのことを評価するに決してやぶさかではない。とはいえ、この中野作品を日本かかえもつ介護問題を凝視する代表的な映画とみなすことには、やはりためらいが残る。その理由は、『長いお別れ』を特徴づける明るさの要素の裏側に潜んでいる。
 現在の日本では、介護問題に直面する実に多くの家庭が、家庭内介護者のマンパワー、家族の絆、経済的な余裕、住居の狭さ、それにどの階層にものしかかる公的な介護施設の絶対的な不備・不足に悩みぬいている。死亡した父親(仲代達矢)の年金で生活しようとする無職の中年男(北村一輝)を描いた『日本の悲劇』(小林政広、2013年)は、先駆的な試みとして世の中に大きな衝撃を与えたけれど、いま介護問題の焦点は、無職で中年の息子ひとりが老親の介護をするという「80-50問題」、そして親の死後、心身を喪失して引きこもるしまう103万人もの「ミッシング・ワーカー」にあるといって過言ではあるまい。介護はつらいばかりの営みではなく、明るい介護映画も空疎でない確かな希望を与えることができるかもしれない。けれども、「下層」ではないにせよ、東家のように中流でないふつうの庶民にとって、遭遇する老親介護はやはり、限りなく重い心身の負担、ある意味では人生最大の危機であることは疑いを容れない。時代を映す映画作家は、この暗さを避けることなく、そんな「肩の凝る」映像化にも挑戦してほしいものである。
       【KOKKO37号:2019年11月】