その25 『Fukushima50』の光と陰 

 3月のはじめ、コロナウィルスの影響なのか数人の観客しかいない四日市のシネコンで、『Fukushims50フクシマフィフティ』を見た。門田隆将『死の淵を見た男 吉田昌郎とフクシマ第一原発』を原作として監督は若松節朗。描かれなかったいくつかの陰の領域はあれ、意義ぶかい力作であり、ある感銘は禁じえない。

 2011年3月11日、東京電力福島第一原発は、東日本大地震によって主電源を失い、そのおよそ50分後に到来した大津波によって原子炉の自動スクラム(停止)に不可欠の非常用ディーゼル発電機に損傷を受けてすべての電源を喪失する。この事態を放置すれば1号機~4号機の核燃料を冷却する注水が不可能になり、核燃料の溶融、ひいては原子炉と格納容器の爆発、広範囲への大量の放射能の飛散を招きかねない。そうなれば、東北と関東一円に人が住めない事態にもなる。日本はそんな危機に直面したのだ。この映画は、あらゆる制御機器が作動しないというかつて体験したことのない状況下で、身を賭して当面の収束に献身した緊急対策室の吉田昌郎所長(渡辺謙)、中央制御室の1、2号機担当直長伊崎利夫(佐藤浩市)をリーダーとする、現場働者たちの3月15日正午頃までにいたる不眠不休の苦闘を生々しく描いている。
 原子炉や原発設備、不可欠とされる技術や作業について私は十分の見識を欠くゆえに、記述の正確さは心許ないが、「苦闘」の具体的な内容は、社外の電源車やマイカーバッテリーを利用する部分的な電源の確保、消防車や自衛隊の協力による難しいホースつなぎに始まる注水の試み、世界ではじめてという原子炉内の水蒸気をぬく(放射能被曝を避けられない原子炉建屋に入って手動でバルブを開く)ベント作業などである。どれも懸命の模索であり、「緊対」では、まして暗闇の制御室では、緊迫した指令の怒号、悲鳴に似た状況報告、作業の失敗の嘆きとささやかな成果への歓声が相次ぐ。セットも入念につくられ、刻一刻のシーンは緊張感に満ちている。
 この映画の見るべき点はまず、そうした限界状況に遭遇した労働者たちの困難な作業の実像だ。どこにいても危険な放射線量だった。にもかかわらず福島出身者を中心とする労働者たちはそこに留まる。彼らの内心の思いは、吉田や伊崎の依頼や懇請のほかにはとくに表明されるわけではないけれど、おそらくは想定外の大事故を起こしてしまったこの原発で働いてきた者の地域の人びと対する責任感と、自分たち以外にこの状況に対処できる者はいないという技術・技能労働者の矜持であろう。ともあれ班員たちは、若手もふくめて被曝が確実なベント手作業に進んで手を上げ、事態が切迫したとき勧められる退去をも拒むのである。伊崎が「決死隊」に選ぶのは中高年の下級管理職クラスであるが、この映画の見所としてここにもうひとつ上げておきたいのは、彼らを演じるベテラン俳優たちの好演である。役どころを得ている佐藤浩市や渡辺謙ばかりではない。吉岡秀隆、日野正平、平田満、萩原聖人、堀部圭亮、安田成美などが、緊張や不安や苦渋や覚悟、あるいはふと洩れる思いやりやヒューモアの佇まいを説得的に表出する。東京では、現場に対して命令口調ながら、押し寄せるマスコミ人には狼狽もあらわにして退く東電フェロー役の段田安則が印象的である。
 3月14日午後、3号機建屋の水素爆発の影響で海水注入による冷却活動がストップするとともに、2号機格納容器内の圧力が極端に高まって手つかずとなる。この最悪のとき、吉田はそれまで留まっていた協力会社作業員をふくむ約600人に退避命令を出す。その際、おそらく被曝死さえ覚悟して残った69人がいわゆる「フクシマ50」である。一方、本店の不十分な報告のため「全員退去」と誤解した菅首相は本店に乗り込んで「逃げるな」と叱咤する。すでに覚悟した吉田らへのこの心ない叱咤も、ベント直前の首相の突然のフクイチ訪問も、現場の緊急作業を遅らせる不要な介入として描かれている。それらをみるに、この物語の基本的なスタンスは、いらだつ官邸およびほとんど無策にみえる東電本店と福島の現場との距離感である。このスタンスもふくめて、これは危機的状況にある労働をリアルに映像化した希有な映画作品となりえている。私の好みでは、600人の内の協力会社員・下請労働者の比率、東電社員との分業関係など、「階層一体」とされている現場状況なども知りたかったけれども。
 3月15日午前遅く、2号炉の内圧が急激に低下して、最悪のシナリオは回避された。「天の助け」だったと後に吉田は語ったものだ。この僥倖の科学的な理由はいまだにわからないという。映画にもその解明はない。 

 しかしながら、あの日々の原発収束労働の実像を凝視する『Fukushima50』は、そのすぐれた特色にもかかわらず、それなりの視野狭窄をまぬかれてはいない。私見では、この映画づくりが原作に忠実すぎるところに由来する、それは陰の領域である。 門田隆将の問題意識は、原発の是非を問うことではなく、そうした「イデオロギーからの視点」ではみえにくい、死を賭して闘った「人としての」実像を描くことであった。「原発の是非はイデオロギー」という愚論はさておいても、逃げなかった労働者の尊厳を掬うことと、原発推進を反省的に捉え直し脱原発を暗黙のメッセージとすることの間には、いささかの矛盾もない。いやむしろ、そうした思想こそが、逃げなかった労働者たちの、おそらく痛恨の思いを伴った責任感と矜持の意味を輝かせるのだ。原発というモンスターの本来的制御不能性の認識なく、彼らの行動は危機に際しても逃げない、欧米とは異なる?日本人の美質として賞揚することは許されないのだ。
 端的に言えば、この映画は「原発の是非」を棚上げすることなく、原作には欠落している原発事故のさまざまの問題を豊富に取り込むべきだった。例えば、東京の権力者たちの描写が手薄だ。いらだつ菅首相(佐野史郎)はほとんど戯画化されており(彼のなにを嗤っているのか?)、東電重役たちの無責任さもあまりの自省の欠如も追及されていない。「悪役」の存在感のない物語はふくらみに乏しい。それに、避難を余儀なくされた人びとは、危機を脱して戻ってきた伊崎や前田(吉岡秀隆)に、感謝と恨みの入り混じったもっと複雑でアンビバレントな対応をするはずなのである。
 もっと見逃せないのは、事故後の原発に留まった600人以上の、まして最後まで残った「フィフティ」の放射能被曝の実態と、彼らのその後が不問に付されていることだ。最大の功労者、吉田昌郎所長は、累積した心労と放射能被曝のため2012年に食道癌に冒され、13年7月に他界したけれど、その他の作業者は健康なままだろうか。どこにいるのだろうか。東電の発表によっても、2011年3月~13年2月までに146人の社員が100mSv以上の放射線被曝を身に負った。問われても当の労働者たちは決してみずからの被曝を語ることはないだろう。東電社員にも、少なからず加わっていたはずの協力会社労働者にも、それぞれのルートで厳しい箝口令が敷かれたはずだからだ。だが、被曝した彼らもどこかに消えてしまうのでなく、何かを語らねばならない。そんなことにも、いま原発の人間像を描く映画作家は無関心であってほしくないのである。福島の労働者の身を賭した苦闘が福島を、そして日本を救ったという。ある意味でそれは本当であろう。しかし正確には、フクシマ50の人びとにそれ自体は英雄的ながら悲劇的な献身を余儀なくさせた原発事故、その受難を引き受けた福島が脱原発の必要性を説得することを通じて、これからの日本を救うのである。
 この映画のラストシーンは、原発の是非論を棚上げにしたこの映画の無思想性を如実にあらわにしている。富岡町の夜の森公園で満開の桜を見上げる伊崎利夫に、われわれはどこで間違ったのか・・・自然の力を甘く見すぎたのだという、今は亡き吉田の残した言葉が想起される。吉田の人格の高潔さは疑いを容れないけれど、これはなんという貧しい反省だろう! そこへエンド・クレジットが重なる――2020年復興オリンピックの聖火は、ここ福島から出発する・・・。映画のパンフレットに門田は、「日本を救った福島はここまで復興しました・・・聖火のスタートは福島は放射能汚染にも負けなかったぞという全国へのメッセージだと思います」と語っている。
 この度しがたい批判精神の欠如は、とはいえ、桜を見上げる佐藤浩市のまことに苦渋に満ちた表情によって救われている。渡辺謙は、この「浩ちゃん」の演技を俳優として心から尊敬する、あの表情が作品全体を背負っているという。そして若松節朗もその場面にふれて、「何も復興していない。そんな意義深いラストになりました」と語る。ではなぜ、監督が責任を負う映画があのような軽薄なラストメッセージを加えたのか理解できないけれど、少なくとも名優たちの幾人かは、原発の是非はさておいてというこの映画の前提に、あるうさんくささを感じていたことは確かである。
(初出:『KOKKO』39号:2020年5月)