その26 兵士の帰還――『ディア・ハンター』『我等の生涯の最良の年』/『ハート・ロッカー』(2020年8月)

 外出自粛のこの春から夏にかけて、鬱屈を救ってくれたのはなによりも、長編の秀作映画の数々を収めるDVDであった。例えば私にとって「生涯ベスト」に数えられるテオ・アンゲロプロス『旅芸人の記録』、B・ベルトリッチ『1900年』、F・フェリーニ『甘い生活』、I・ベルイマン『ファニーとアレクサンデル』、S・キューブリックの『スパルタカス』など。映画ファンは幸せだ。すべてが比類ない魅惑に溢れ感動に誘われて時間を忘れる。十分の紹介と評論でなくとも、それぞれについて一筆書きでも語りたい気持になる。それでも、この連載の慣行には従うことにしよう。今回は、そのうちのひとつ、1978年のマイケル・チミノ『ディア・ハンター』を取りあげ、その前後のふたつの秀作と比較して、<兵士の帰還>ということを考えてみたい。

 『ディア・ハンター』は数ある「ベトナムもの」の最高傑作である。そのテーマはしかし、戦闘そのものの描写ではなく、残酷きわまる捕虜体験を強いられた兵士3人の、懐かしい人びとのコミュニティにもう戻れないほどの心の壊れにほかならない。
 マイケル(ロバート・デ・ニーロ)、ニック(クリストファー・ウォーケン)、スチーヴン(ジョン・サベージ)の3人は、ロシア正教の教会のある中西部の鉄鋼町「クレアトン」の平凡な労働者として、そこに息づくロシア移民のソサイエティにしっかりと抱擁されて屈託なく暮らしていた。映画は最初の1時間以上もかけて、出征直前のスチーヴンの婚礼のさんざめきを延々と描く。みんながコザックダンスに興じロシア民謡大合唱がはじけるすばらしい盛り上がり。翌朝、3人は恒例の鹿狩りにも出かける。それらのうちに沈着で果断に富むマイケルがあと二人の不安や気弱さを支えていることがわかってくる。そこから物語は一転する。短い戦闘のあと、3人はベトコンの捕虜になって河畔の水牢に閉じ込められ、床に呼び出されてはロシアン・ルーレット(弾倉に一発の銃弾の入った拳銃の引き金を引く賭)を強いられるのだ(ベトコンはこんな残酷なことはしないとかつて本多勝一は批判したけれど、その点は今さておくとしよう)。スチーヴンは半狂乱になる。ニックと相対したマイケルはしかし、勇を鼓して弾倉に3発を込めるよう求め、最初の引き金で外れるや1瞬のすきに2度目の発射でベトコンの兵士たちを射殺し、ニックとともにスチーヴンを連れて川に逃れるのである。
 3人はそれぞれ米軍に救出されるけれども、みんな程度はさまざまながらPTSD(心的外傷後ストレス)にとらわれており、まっすぐに故郷に帰れない。スチーヴンは新妻や子どもとも離れて精神病院におり、ニックは自失のままサイゴンを彷徨ったあげく、魔物に魅せられたようにロシアン・ルーレット場の白人スタッフになっている。凱旋したマイケルでさえ、故郷の歓迎会をパスして、その夜はモーテルに一泊する始末である。しかし彼は、ニックの恋人であり自分もひそかに惹かれていたリンダ(メリル・ストリープ)との間で癒しあう愛を育て、やっと故郷に定着するにいたる。  
 だが、マイケルは、おそらくニックがひそかにスチーヴンに多額の送金をしていたことを知って、ニックを取り戻そうと陥落前夜のサイゴンへ旅立つ。無法の場末の賭場でやっと彼を見つけたマイケルは懸命に一緒に帰ろうと語るけれど、ニックは仮面のままだ。マイケルは結局、この危険な賭を通してニックの心を問うほかなかった。マイケルはまた賭に勝つ。ニックは一瞬ほほえみを浮かべたあと引き金を引き、号泣するマイケルの腕のなかで死んでしまう。
 故郷の町でニックの葬儀が行われる。スチーヴン夫妻も古い友人たちもみんな来た。その後のささやかでぎこちない会食。涙を見せまいととかく席を立ちたがり、台所で嗚咽をもらす友人たち。小声の合唱は始まる。歌はもう「カチューシャ」ではなく、神よ、アメリカを救い給えという歌だった。この人びとはやはり懸命に寄り添おうとするけれど、スラブ移民の濃密なコミュニティは国家によってずたずたにされて、もうないことがわかっている。心細い絆はそれまで疎遠だった「アメリカ」に求めるしかなかったのだ。切実に哀しく美しい、それは稀にみるすぐれたラストシーンである。

 この秀作の32年前、アメリカには、やはり兵士の帰還を描く、巨匠心づくしの暖かく豊穣な作品があった。ウィリアム・ワイラー『我等の生涯の最良の年』である。
 第二次大戦が終結し、撃沈された空母の火傷で両手とも鉄の義手になったもと水兵のホーマー(ハロルド・ラッセル)、銀行員だったもと陸軍軍曹のアル(フレドリック・マーチ)、もと空軍大尉で勲功あるB17の爆撃手のフレッド(ダナ・アンドリュース)の3人が、故郷のオハイオ州「ブーンシティ」へ帰ってくる。しかしホーマーは、重い傷害に引け目を感じ、恋人ウィルマ(キャシー・オドネル)の変わらぬ愛も信じられず苦しんでいる。アルは、妻(マーナ・ロイ)や成長した娘ペギー(テレサ・ライト――わが初恋の女優さんである)に暖かく迎えられながらも、理解ある父親の役割や、再就職した銀行での新しい仕事に容易にはなじめない。フレッドは、戦闘時の悪夢と、ナイトクラブで働く妻(ヴァージニア・メイヨ)の不貞に悩み、市民の心ない言葉に荒れて職を失いもする・・・。映画は、このような3人が平和な市民生活へのさまざまの不適応を経て、ついには生活と心の安定を取り戻してゆくプロセスを心をこめて辿るのである。ホーマーは優しいウィルマとの結婚にいたり、フレッドは、その悩みの理解者になるペギーに抱擁される・・・。
 こうして帰還兵たちにとって本当の平和の日、生涯最良の日が訪れるのだ。アルの息子が原爆のすさまじさを父親に語るいさかいこそあれ、反ファシズムの第2次大戦はアメリカにとってひとまず意義ある戦争であったという国民的合意が、市民社会に幸せに溶け込むかたちで兵士の帰還を描くワイラーの作品を可能にしたかみえる。

 さて『ディア・ハンター』からさらに30年後、アメリカ映画界は強靱な感性の女性監督による、もうひとつの汚れた戦争、イラク戦争を凝視する傑作を世界に送り出している。キャスリン・ビグロウ『ハート・ロッカー』である。
 この映画は、全2作とは異なり、バクダットにおける米軍の爆弾処理班の1年を任期とする危険きわまりない作業の日々をすさまじくリアルに描写する。主人公は873個の爆弾の処理経験をもつジェームズ軍曹(ジェレミー・レナー)。ジェームズは、上級隊員の黒人サンボーン(アンソニー・マッキー)と技術兵エルドリッジ(ブライアン・ジェラルティ)の後方支援を受けて、イラク人の総じて敵意に満ちた視線のなか、宇宙人のような防御服に身を固めて爆弾に接近し、鉄の意志と細心の注意をもって爆発を解除する。その他ゲリラの掃討もふくめ、すべては一瞬の気の緩みも許されない。その緊張の耐えがたさにエルドリッジを傷つけた失敗への自責が重なり、冷徹なサンボーンさえ心の平衡を失う。ジェームズの心はしかし、すべてに凍結している。
 この小文の脈絡から私が注目するのは、任期を終えて妻子のもとへ帰還したジェームズを描くラスト近くの数ショットだ。膨大な商品に満たされたスーパーでの買物にも、彼の戦地での仕事内容には無関心なまま寄り添う魅力的な妻にも、幼い息子のあどけなさにも満たされず、ジェームズは放心のうちに自分にはなにもないと気づかされるのだ。ラストシーンは、またイラクに戻って、爆弾に近づいてゆく防御服の彼の姿である。それはジェームズのアイデンティティの回復であった。それだけにいっそう、その虚しさが胸を衝く。
 
 アメリカの兵士の帰還は、このようにも変貌をとげた。兵士たちは、第二次大戦の後にはほどなく市民生活に摩擦なく溶け込み、ベトナム戦争の後では、自前のコミュニティは失ったとはいえ、ともかくも「アメリカ」の地域社会に絆を求めた。そしてイラク戦争では、「棺桶」の意味をもつ戦場「ハート・ロッカー」以外には居場所のない、もう安定した帰還すらできない人間として現れた。戦争の「大義」の喪失過程に伴うこの変貌は、アメリカ現代史のまことに悲劇的な一側面ということができよう。
 戦争というものをPTSDや心の壊れという視点をもって描き、「銃後」の人びとと戦場にあった兵士との心情の距離をみつめ、それゆえにこそ兵士の帰還の曲折に満ちた成否を問う――上の3作品はそんな共通性をもつ。そして感銘ぶかいことに、3作品はいずれも、その年度のアカデミー作品賞、監督賞ほかに輝いた。私たちはそこに、アメリカ映画界になお脈うつ、ひとつの心意気と活力を感じとることができる。
 ちなみに他国について類似のテーマを扱う数少ない珠玉作を尋ねるなら、フランスでは『シベールの日曜日』(セルジュ・プールギニョン、1962年)、日本では『清作の妻』(増村保造、1965年)のみが想起される。
 (『KOKKO』40号:2020年8月)