その27 『真昼の暗黒』をめぐって(2020年11月)

 先日、アマゾンで購入したDVDで、今井正監督、橋本忍脚本の『真昼の暗黒』(1956年)を観た。学生時代に深い感銘を受け、長い間、再会を切望していた作品である。
 物語は、戦後裁判史上、最大の冤罪事件として知られる1951年の八海事件を素材にしている。戦後間もない山口県の農村で、いささかぐうたらな若者、小島武志が、遊興費ほしさに近所の老夫妻宅に盗みに入って気づかれ、夫を斧で撲殺し、夫婦喧嘩を装って絞殺した妻を梁に架ける。その凄惨な現場を検証した司法主任(加藤嘉)は、これを多数の犯行と推断する。すべてはここに始まる。刑事たち(織田政雄、陶隆司)らは、「単独犯で死刑になりたいのか」と小島を執拗に誘導尋問し、圧迫に耐えかねた小島はついに、「植村清治(草薙幸二郎)をリーダーとする4人の土工なかまとの共犯」という虚偽の自白をしてしまう。戦後の飢餓ゆえの窃盗の前科をもつ植村らを、警察はかねてから目をつけていたのだ。4人は逮捕され、くりかえし殴打され、睡眠や食事を許されず、線香でいぶすなどの拷問をうける。「吐けば罪が軽くなる」とも言われ、そこで耐えうる限界にきていた4人はやむなく犯行を認めてしまうのである。
 映画は、拷問の事実を「確たる証拠なし」とし、弁護人(内藤武敏)による4人の犯行の無理のみごとな立証も斥けて、植村を死刑、小島ほか3人を無期懲役とする不当判決に到るまでを描く。その過程での、犯行時刻のアリバイを知悉する植村の内縁の妻(左幸子)と母(飯田蝶子)、宮崎、清水ら「共犯者」の母たちの、驚きと戸惑いの表情や仕草やつぶやきにみる人物造型が、それ以上は望めないほど鮮やかである。例えば、宮崎の母(北林谷栄)が、出世志向のためウソの証言をする愛人の駐在警官(下元勉)に迫る、愛執から怨念に変貌する描写が生なましい。随所に今井正と橋本忍の卓越した人間観照がさえわたっている。今井と橋本によって生かされ、俳優たちもリアルな存在感を発揮している。まことに秀作というほかはない。
 学生時代に私は、この映画によって、過去の瑕瑾(多数犯という推断)を隠蔽するためにはあからさまな謀略も辞さない国家権力の実態をはじめて具体的に知ることができた。だが、それ以上に感銘を受けたのは、「傍らで床に就いていた息子が有罪になるはずがない」という当初の権力への絶対の信頼を踏みにじられ、そこから権力への明瞭な不信に転じてゆく、およそ知的表現に不慣れな庶民たちのはらむ転生へ可変性であった。若い社会科学の学徒だった私はそれ以来、人びとがやがて変わってゆくことへの「信頼」をこころに刻んだのである。

 『真昼の暗黒』をめぐっては、以下、語りたいことが三点ほどある。それはこの古く地味な名画を今回とりあげた動機でもある。
 その1。今井正のこと。この秀作は、キネマ旬報ベストワンをはじめ1956年の映画賞を総なめにした。しかし今井は、本作の他にも、1950年~63年にかけて、『また逢う日まで』、『ひめゆりの塔』、『にごりえ』、『ここに泉あり』、『米』、『純愛物語』、『キクとイサム』、『武士道残酷物語』など、受賞作だけに限っても夥しい秀作を生み出した。受賞数では他の追随を許さない。60年代以降でも、『喜劇 日本のお婆あちゃん』、『越後つついし親不知』、『仇討ち』、などの傑作を私たちに贈っている。
 これらの作品をそれぞれ紹介するゆとりはない。それに最近、再見することのできた作品は、次の三作ほどに限られている。明治期の女の生のやりきれなさを活写する樋口一葉原作の『にごりえ』(53年)。貧困のなか群馬交響楽団の育成に苦闘する人びとの群像を描いていくつかのエピソードのもたらす感動が比類ない『ここに泉あり』(55年)。また武士のマゾヒズム的なまでの主君への隷属の「家伝」を辿り、武家の子孫たる現代サラーリマンの自立性いかんを問う雄渾な『武士道残酷物語』(63年)。水木洋子などすぐれた脚本家の寄与もあるとはいえ、これら今井作品はいずれも、状況の圧力も、そのなかで達成が難しく挫折を強いられる主人公たちの願いの切実さも、徹底してリアルに描き、強靱な説得性を備えている。多くは悲しみに満ちた「くらい」画面ではあれ、そこでは直截な憤激と抗議は沈められ、人間の悲しみを掬い、状況からわずかにでも踏み出すことを励ますヒューマニズムが、通奏低音のように流れている。バイプレイヤーのみごとな存在感も今井作品の魅力のひとつだ。例えば、『にごりえ』で、しがらみにとらわれた遊女(淡島千景)に狂う零落した職人(宮口精二)の口やかましい妻(杉村春子)、生活の破綻から心身をボロボロにしながらもあえて明るく軽口を叩く『ここに泉あり』のマネージャー(小林桂樹)。そんな人たちに会うだけでも人間というものへのいとおしさが胸をつく。要するに美しいのである。
 今井正は、黒澤明、小津安二郎、木下恵介、溝口健二らと、少なくとも同等に評価されるべき邦画史上の巨匠である。だが、今井は、ファンたちの変わらぬ高い評価のある独立プロでしか映画をつくれなくなった。おそらくは、戦中には獄中体験もあり戦後は共産党員でもあった今井の作品を、「左」に偏っているとみなす、偏見にとらわれた商業映画界が忌避したのだ。今井作品に政治的イデオロギーしか感じない立場にこそ偏りがある。今井を排除する過程は、社会全体における左翼の衰退に対応して、日本映画が、権力の加圧をリアルに凝視し、そのなかでの人間の生きがたさを描く今井的な美質を、例えればケン・ローチのそれにひとしい美質を喪ってゆく過程であった。その惰力として、例えば現在、NHKのBSプレミアムでは『青い山脈』(1949年)のような無難な佳作しか放映されない。舛田利雄の駄作『ああひめゆりの塔』が「明治百周年記念参加作品」として登場しても、今井の鋭利な『ひめゆりの塔』(53年)は毎年の8月にも放映されないのだ。私が今さらに今井正へのオマージュを綴るのも、彼の存在を若い世代の記憶から消去させる企みにさえみえる、巨匠・今井正を軽視する風潮に対する憤りゆえにほかならない。

 その2。八海事件そのもへの関心である。『真昼の暗黒』のラストシーンは、「おっかさん、まだ最高裁があるんだ!」という植村の絶叫であった。1953年、上告審の審議中であった最高裁は、係争中の事件を扱うのは不穏当として、この映画の制作を中止させる圧力をかけている。とはいえ、現実の八海事件では、最高裁はさすがに、しかるべき役割は果たしたといえよう。裁判史上異例の転変をとげた八海事件裁判の判決は次のような軌跡を描く――52年6月山口地裁判決(阿藤の死刑をふくむ全員有罪)⇒53年広島高裁(全員有罪。映画はここまでを扱う)⇒57年最高裁(4人の犯行は事実誤認として差戻し)⇒59年広島高裁(吉岡の単独犯と認定、4人は無罪)⇒検察の上告)⇒62年最高裁(再び破棄・差し戻し⇒65年広島高裁(全員有罪)⇒弁護側上告⇒68年10月最高裁(吉岡の単独犯、4人は無罪の判決)。
 この間、検察は無実を証言した阿藤の内縁の妻や4人の母たちを偽証罪で逮捕・起訴しさえしている。しかし、正木ひろしらの弁護の実証は手堅く、吉岡晃も、みずからの偽証を悔い裁判所にくりかえし4人の無罪を上申していた。こうして16年4ヵ月を経てようやく、事実は警察・検察の面目を粉砕し、4人は晴れて自由の身になったのだ。人権擁護史の領域でも、八海事件は記憶されるべき出来事といえよう。

 その3。ひるがえって、現時点でも残存する「真昼の暗黒」にも注意を促したい。
 2018年7月以来、関西4府県の警察と検察は、全日本建設運輸連帯労組傘下の業種別単組・関生支部を、「労働組合とはいえない反社会的集団」として、ストライキや説得ピケなどの争議行為に対して、恐喝、強要、威力業務妨害の刑事訴追を企て、委員長以下80人以上の組合員を逮捕、65人以上を起訴するという未曾有の弾圧を敢行した。関生支部の組織、政策、争議行動は国際基準に照らせばまぎれもなく「まとも」であり、警察・検察の認識はゆがみと偏見と視野狭窄に彩られている。刑事訴追は、労働組合論・労使関係論の定説にも憲法・労組法にも抵触する。しかしここでは、これまでの文脈上、とりあえず指摘したいのは、逮捕組合員の尋問の異様さである。
 刑事や検察官は、要するに、組合を脱退せよというのだ。関生支部のような「暴力団まがいの組合」に忠実で、ゆきすぎた行動の罪を認めないと、委員長と同じ重い刑事罰になる、起訴も避けられず、保釈もできない、今後まともな生活もできないなどと言い募り、奥さんや子どもも組合脱退を望んでいると偽の情報を伝える・・・。
 長時間の拘束の苦しみに乗じ、予断にもとずいて社会的に許されないとみなす組織・グループ所属からの離脱を執拗に求める。この圧迫は、「前科者の土工なかま」への裏切り証言をさせる八海事件での尋問と、いや、共産党員やそのシンパを拷問して「転向」を迫る、治安維持法下の特高の尋問と、論法まで同じではないか。肉体の痛めつけはないかもしれない。だが、今回の警察・検察の取調べは、理不尽に抹殺をめざす労働組合をつぶすためには、不当労働行為はもとより人権の蹂躙さえ辞さない。2010年代末の日本でも「真昼の暗黒」は決して過去の亡霊ではないのである。 
(『KOKKO』41号:2020年8月)