その3 引き裂かれた妻と夫の再会──『妻への家路』『かくも長き不在』『心の旅路』

現代中国のある都市のこと、音を立てて閉じられる駅の階段に通じる巨大な鉄扉に粛然と向き合う、ともに年老いた車椅子の妻とその傍らの夫。大書された経済発展を謳うスローガンを背景にして、夫はみずからの名前「陸焉識」を書いたプラカードを掲げている……。この古典絵画のように美しく切実なラストシーンひとつをとっても、チャン・イーモウ『妻への家路』(2014年、ヅォウ・ジンジー脚本)は、2015年日本に公開された映画のうち、屈指の名作ということができる。
物語は、文化大革命の「下放」で地方に収容されていたインテリのルー・イエンシー(チェン・ダオミン)が、愛妻フォン・ワンイー(コン・リー)に会いたくて脱走するところからはじまる。しかし、バレエに夢中で「紅色娘子軍」の主演に選ばれたいために共産党に忠実を誓う娘のタンタン(チャン・ホエウェン)は、これを密告し、父親ルーは逮捕されてしまう。それから20年を経た90年代末、ルーはようやく釈放されて帰ってくる。だが、妻フォンは孤独の淋しさが薨じて心因性健忘症に陥っており、なんと夫を識別できなくなっているのだ。それでも夫への愛そのものはあまりにも深い。それゆえ、帰郷が許されたことを知った妻は、帰宅予定日の毎月5日には夫の名前を記すプラカードをもって駅頭に迎えに立つ。他人とみなされ同居を拒まれて隣に住むルーは、自分を空しく待つ妻にそのつど付き添いながら、友人として思い出のピアノを弾き、夥しい自分の手紙をフォンに読むなど、あらゆる工夫をして妻の記憶を取り戻す懸命の働きかけを続ける……。
「認知」を取り戻そうとする働きかけはひっきょうむなしい。そして何年も後の現在、老いた夫婦は今日もプラカードを掲げて駅にくる。カメラはその姿を真正面から撮る。どこまでも寄り添うとは、ときにこのようにもかなしいものだろうか。
チャン・イーモウは、最初の逮捕劇や若いタンタンの躍動するバレエシーンでは、さすがにすさまじい迫力を盛り上げる。後半ではしかし、近づいてはついに届かない、二人の微妙な緊張にたゆたう心を辿って、名優二人をみごとに息づかせている。静謐な本作は、ポピュリズム的政治の暴走が無数の人権抑圧を招いたあの文化大革命への批判の鋭利さと物語の躍動感では、同じ巨匠の手になる『活きる』(1994年)や『初恋のきた道』(1999年)に一歩を譲るかもしれない。とはいえ、文革批判の揺るぎない立ち位置と犠牲を負った人びとに対する鎮魂の思いから伝わるその感銘は、なまなかのものではない。

『妻への家路』は、映画ファンの誰しもに、同様のやりきれなさを扱う作品として1960年フランスの作品、アンリ・コルピ『かくも長き不在』を想起させるだろう。
第二次大戦直後、なお生々しい戦災の残るパリ郊外で庶民的なカフェを営む中年のテレーズ(アリダ・ヴァリ)は、しばしば店の前をさまよう屑屋のホームレス(ジョルジュ・ウィルソン)が夫のアルベールその人であることに気付く。レジスタンスの一員であった夫は、逮捕されてナチスの強制収容所に送られ、そこで脳に手術されて記憶を失っていた。今はトラック運転手の恋人もいるテレーズは、しかし心中ではアルベールをなお深く愛しており、夫の認知をなんとか取り戻そうと懸命になる。昔の思い出を語り、店のジュークボックスの音楽を彼がそれだけはくちずさむオペラのアリアに変え、ある夜には、食事に招いて、アルベールが大好きだったチーズ、故郷産「メーヌの青」などでもてなす。ダンスに誘い、頭の手術跡にふれて愕然とするけれど、それでも必死に語りかける――奥さんはいなかったの? それはもしかして私ではないかしら……と。ときに優しく、ときにいらだって激しく迫るアリダ・ヴァリの大きな瞳には生なましい情感が漲っている。著名な作家、マルグリット・デュラス脚本の寡黙な台詞は心憎いまでである。
それでも結局、その夜も辿り着けなかった。そして店を出た彼は、隣人たちに囲まれ、トラックのヘッドライトに怯え、「アルベール!」と大声でよび戻すテレーズの声に突然、(収容所でナチスに誰何されたことを思い出したのか)「降参」の双手をあげるのだ。そして、そのまま逃げ去ってしまう。戻ったと推測される記憶のあまりの過酷さに打ちのめされ、もうテレーズとの平穏な生活に戻ることもできないと感じたのだろうか。テレーズはそれでも、寒くなればまた暖かさがほしくなる、きっとまた帰ってくるとつぶやくのである。その余韻が忘れがたい。

大きな権力や過酷な暴力に痛めつけられ、「私」が誰かわからないまでに心を壊された最愛の人との本当の再会を、いつまでも求め続ける愛しい人びと。ルーは妻を、テレーズは夫を取り戻すことがついにできなかった。それでもここでは、やはり引き裂かれながらも最後には再び出遭うことのできたハッピーエンドの大作も紹介してみよう。戦後日本の若者たちの紅涙を絞ったあの『哀愁』(1940年)の監督、マーヴィン・ルロイの『心の旅路』(1942年)である。
1918年、イギリスのリバプールに近い港町メルベリーの精神病院から、第一次大戦のフランス戦線で重傷を負って記憶を失ったスミスとよばれる男(ロナルド・コールマン)が脱出し、終戦の報に沸き立つ工場前や繁華街にさまよい出る。彼はそこでボードビルの女優ポーラ(グリア・ガースン)にめぐりあった。ポーラは一目で男の品格に惚れ込み、スミスをかくまって、記憶喪失のままであっても彼の心を癒し、やがて二人は愛し合って近郊に小さな新居をもつにいたる。しあわせな日々は、しかし3年で終わった。ライターとして売れはじめたスミスは、新聞社との契約のためはじめてひとりでリヴァプ-ルに赴き、そこで車の事故に遭い、その衝撃で、今度は直近の「3年」を空白として、それ以前の記憶を取り戻してしまうのだ。実は富裕な工場主レイニア家の次男チャールズであった彼は、家族に思いがけない帰還を歓迎され、やがて有能な副社長として、実業家の道を歩むはじめる。
とはいえ、彼の心には空白の3年間がどうしてかかけがえのないものに思われ、小さな新居の鍵を肌身離さず大切にしている。一方、悲しみのどん底から立ち直ったポーラは、昼はウェイトレスとして働き夜は速記を学んでいたが、新聞の社交欄でチャールズの消息を知り、未亡人マーガレットとして、彼の会社の秘書に応募して採用される。チャールズはこの美しく有能な秘書になぜか心を惹かれ、16歳のときから彼を熱愛し、20歳にして婚約した義理の姪キティ(スーザン・ピーターズ)との交際でもどこか満たされない。「あなたには私には勝てない誰かがいる」と鋭く感じとって去ってゆく、キティの爽やかな知性が印象的である。
やがて財界の推薦を受けて自由党の議員にもなったチャールズは、友人として契約上・形式上の妻になってほしいとマーガレットに懇願し、彼から離れられないマーガレットは妻の座をあえて「仕事」とみなして応諾することになる。だが、マーガレットは、どのようにしても私があのポーラにほかならないことを思い出させることのできない鬱屈に耐えられず、傷心のまま一人でリバプールから南米旅行に発とうとして、その前に思い出のメルベリーを訪れる。その折も折、レイニアのメルベリー工場にストライキが起こった。そしてその収拾に呼ばれたチャールズは、街中で突然、たばこ屋の所在をなぜか知っていたことを契機にすべてを思い出すのだ。ここは伝説の名場面。二人は小さな新居の前、花の房が枝垂れ、クォーときしむ門扉の内で再びめぐりあい、スミティ! ポーラ! と呼びあってかたく抱きあうのである。
ときには理屈ぬきで、こんな良質の正統派メロドラマに浸るのもいい。もともと「上品な奥さま」の役柄であった美貌のグリア・ガースンが、ここでは心の広いボードビルのダンサー兼歌手、有能な秘書、(おそらくはアスキス)首相とダンスもする上院議員夫人まで、幅広く女の魅力を花開かせる。M・ルロイは、穏やかながらいくつかの社会的な要因にも目配りして、二人の長い旅路(原作ジェームズ・ヒルトン)を、過不足なく説得的に語っている。これは日本が泥沼の太平洋戦争のさなかにあった1942年の製作だ。アメリカ映画界のこのゆとりは、今思えば想像を超えている。戦後の貧しい日本に公開されたのは何年だっただろうか。未成年の私が映画というものの魅力に取り憑かれはじめた頃の懐かしい作品である。
ちなみに1950年代はじめくらいまでの作品ならば、『哀愁』や『心の旅路』にとどまらず、映画史に残るいくつかの名作のDVDが安価で入手できる。枚挙にいとまがないが、さしあたり思いつくままにあげれば、『風とともに去りぬ』(ヴィクター・フレミング、1939年)、『カサブランカ』(マイケル・カーティス、1942年)、『無防備都市』(ロベルト・ロッセリーニ、1945年)、『自転車泥棒』(ヴィットリオ・デ・シーカ、1948年)、そして『禁じられた遊び』(ルネ・クレマン、1951年)……。私だけだろうか、われら広義の左派「オールズ」のロマンティシズムと「侠気」と反戦思想は、若い眼に焼きつけられたこれらのスクリーンの残像と無関係ではない。
(『KOKKO』第3号:2015年11月)