その6『母と暮らせば』のものたりなさ──山田洋次が見失ったもの


 『母と暮らせば』は、巨匠・山田洋次が、戦後70年を期し「松竹120周年」を記念して世に問う映画としては、豊穣な実りというにはあまりにほど遠い作品であった。
 1948年8月9日の長崎、助産婦として暮らす伸子(吉永小百合)のもとに、原爆で跡形なく消えた息子・浩二(二宮和也)が立ち現れる。それ以来、浩二はしばしば訪れて、母をいたわり、また、「嫁」のようになにかと伸子を励ます浩二の恋人・町子(黒木華)との思い出にふけるという儚い幸せの時を過ごす。だが、町子がついに、傷ついて復員していた同僚の教師(浅野忠信)と結婚して再出発することを決心したとき、浩二は、消え入るように息絶える伸子と手を携えて雲の彼方に歩んでゆく。
 ちなみに、映画評論家たちの選ぶ「2015年キネマ旬報邦画ベストテン」の1位は橋口亮輔『恋人たち』、2位は塚本晋也『野火』。荒井晴彦『この国の空』、呉美保『きみはいい子』も入賞であった。これらの評価については満腔の賛意を表したい。しかし『母と暮らせば』も9位に選ばれているのはなぜか。私には、この映画がどうしようもなくものたりないのである。
 原爆の惨禍の映像化や声高な反戦のメッセージがこの映画にみられないことなどを難じているのではない。けれども、このやさしいファンタジーは、井上ひさしの名作『父と暮らせば』に追随するものとはいえ、構想があまりに貧弱なのではないか。物語を構成するエピソードの密度が薄い。しかもそのほとんどは母と子の会話で成り立っている。台詞(脚本:山田洋次、平松恵美子)にも、井上舞台劇を特徴づけるサスペンスと陰影がない。「町子が先生かあ!子どもたち、どんなにしあわせか・・・」といった浩二の台詞の素人っぽさなんか、とてもいただけない。
 山田洋次は、人が本当の気持ちを他人に伝えるのはどんなに難しいかということを見つめてきた映画作家だったと思う。それゆえ、あまり言葉に頼らず、表情やさりげない仕草で人間の温かさを、初期はときに「勝ち組」の冷ややかさをもみごとに表現してきたものだ。勝負所は映像だった。そのつよみを最近の山田作品は失っていると思う。『母と暮らせば』でも、さすがぁ!と感じ入るところは、町子の教え子が役所の復員事務係に消息不明の父の行方を尋ねに来る場面、町子が片脚の婚約者とともに伸子に別れを告げに来る場面に限られるのである。

 数多の山田作品のうち私なりにベストと数えるのは次の四つである。長崎は伊王島の炭鉱町から北海道の開拓村まで、5人の家族(井川比佐志、倍賞千恵、笠置衆ら)が大阪万博に湧く列島を横断して移住する姿を辿る『家族』(1970年)。瀬戸内海で艀の採石運搬に携わる夫婦(井川と倍賞)が時代の変化に抗えずついに造船所の社外工になる、その苦衷の決心を描く『故郷』(1972年)。北海道旅行中の不器用な若いカップル(武田鉄矢と桃井かおり)が、刑務所を出所したばかりのやはり不器用で寡黙なもと夕張の炭鉱夫(高倉健)の妻(倍賞千恵子)との再会を助ける『幸せの黄色いハンカチ』(1977年)。そして東北のもと出稼ぎ農民の老父(三国連太郎)が、東京の零細な伸線工場で働く「心配ばかりかけてきた」次男(永瀨正敏)の、聾唖者の恋人(和久井映見)とともに生きようとする真摯さにふれて心が通いあう『息子』(1991)。これらの作品にあふれる細部の描写やぼそりとつぶやかれる言葉に、私は言いしれぬ感銘を受けたものである。
 しばらく追憶に浸る。例えば、『家族』では、社宅に老父(笠置衆)を引き取るゆとりのない、福山の日本鋼管に勤務の弟(前田吟)は、駅頭で一行と別れ、小さなマイカーで巨大な製鉄所を右に見ながら帰途につくとき、いちどサングラスを外しぐいと目をぬぐう。また、末子の幼児が担ぎ込まれた東京の小さな医院で死んでしまった後、遙か長崎の離島の住所を聞かされて医者やナースが浮かべる凝然とした表情。『故郷』では、取れたてのハマチの刺身になじんでいた主人公が、次の職場になる呉の駅前レストランでハンバーグをはじめて口にして思わず「うまいなぁ!」ともらす、その嘆息の切実さ。『幸せの黄色いハンカチ』では、新幹線の車内販売という職場でのつらいことのほんの点描が、北海道での桃井かおりの武田鉄矢への大仰な警戒ぶりを一挙に納得させてしまう。また高倉健が若者たちに励まされて「俺を待っているはずはない」という心弱りを超えようやく妻のもとに向かうと決めたとき、万事のろまだった武田は勢いこんで、退職金をはたいて買った車のギアをびりりと入れる、その心の弾み。そして『息子』では、三国連太郎が正座して紹介された和久井映見に挨拶する、そのぎこちなさにあふれるよろこび・・・。
 例示したそれぞれワンカットの描写は、記すほどもない些事かもしれないけれども、いずれも私にとって忘れがたい燦めくシーンだった。山田洋次という「ユーモアとペーソス」の映画作家がどれほど市井の人びとの人間像を洞察し、どれほど心の温かさを掬ってきたかを、それらは如実に示している。その細部にわたる人間観察の卓越はそして、必然的にある階層性をはらむ日本社会の構造さえ透視させるものであった。

 とはいえ、顧みれば私のベストは、「久しぶりの社会派作品」とよばれた91年の『息子』を別にすれば、1970年代に集中している。95年まで48作もつくられたあの『男はつらいよ』にしても、69年の冴えた第1作をはじめ、後年、佳作と評価される作品は『・・・奮闘篇』(71年)、『・・・寅次郎忘れな草』(73年)、『・・・寅次郎相合傘』(75年)、『・・・夕焼け小焼け』(76年)、『・・・ハイビスカスの花』(80年)など、70年代に集中していることがわかる。むろんマドンナ女優の魅力も大きな役割を果たしているとはいえ、ここに私は、80年代以降のゆっくりとした、そして2010年代以降にはいっそう顕著な、山田洋次の演出迫力の衰えをみないわけにはゆかない。
 山田は90年代には一連の「学校もの」、2000年代には藤沢周平原作の「侍もの」、2010年代には新たな「家族もの」に手を染めている。山田洋次のこの長い軌跡をここできちんと追ういとまはなく、素人の映画ファンにすぎない私には立ち入った分析や評論の能力もない。けれども、上の系論として、私なりに山田作品がどのように変わったのか、どのようにその長所を失ったかを、忌憚なく書き留めておきたい気にはなる。
 まず、すでに述べたことだが、方法的には、状況の把握において、山田がすぐれていた映像の駆使──しばしば点描──が後退して、語りですませることが多くなったと思う。『母と暮らせば』がそうだ。また例えば『おとうと』(2010年)は、しっかり者の姉(吉永小百合)がぐうたらな弟(笑福亭鶴瓶)に最後まで寄り添う物語であるだけに、一種の社会的排除を余儀なくされた弟のなまの生活史が断片的にでも映像で示されるべきであったのに、そこは鶴瓶の饒舌ばかりなのである。思うにこうした方法の変化の始まりは、山田が15年の構想のあと取り組んだとされる『学校』(93年)であった。ここで山田は、登校拒否生徒、不良少女、下層労働者、在日朝鮮人などが学びの喜びを見出す夜間中学を舞台にして、これこそが学校なのだと謳っている。いじめや校内暴力やクラスカーストのある、現実の「普通の学校」のありようを凝視しなかったことが私には不満だ。だが、それ以上に、夜間中学に通う人びとをとりまく厳しい生活環境がそれとして映像化されず、生徒の報告と教師(西田敏之)の「幸福とは」の語りに終始しているところがつまらないのである。
 一方、ストーリーの内容においては、社会の階層性というものへの認識が希薄になったかにみえる。その認識は、東京の川向こう(隅田川東)に働く若者たちの尊厳を、そこからの脱出志向との緊張のうちに描いた『下町の太陽』(63年)では明瞭であり、佳作『懐かしき風来坊』(66年)、名作『家族』や『故郷』でも、そこに視野が及んでいた。詳細な検討をぬきにした印象にすぎないけれど、「男はつらいよ」の「マドンナ」たちにしても、初期には寅の思いが届くはずのない「高嶺の花」もままみられたが、次第に寅のありように共感と好意を寄せる庶民的または恵まれない女たちが多くなってきたように思う。浅丘ルリ子や太地喜和子の人間像もあって、それはそれで温かい佳作にはなる。しかしそれだけに、寅の失恋も、階層差を自覚させられる哀しみのない「敵前逃亡」の喜劇に純化してくる。私にはそれが淋しい。
 もともと山田洋次の関心は、口下手ながら善意の下積みの人びとが失うことのない温かさを掬うところにあった。その視座の光はどこまでも山田のものである。だが、山田における階層認識の後退は、70年代頃までの作品には垣間見られた、恵まれた成功者のもつ意識的または無意識的な酷薄さの点描を回避させている。そのことがかえって下積みの人びとの輝きを際立たせることにマイナスに作用しているように思われる。

 現代日本のリアルを本当に把握しようとするなら、ほどほどに恵まれている「中間層」、例えば大企業サラリーマンや専門職の労働実態と鬱屈にも、その鬱屈がつい無意識の「下層」蔑視になったりもする、つまり階層性による人間関係の多様性にも鍬入れしなければならない。『家族』の弟や『息子』の長男の切なくもクールな描写にもその片鱗はうかがわれた。だが、現在の山田洋次に、そこへの、あえていえば格差社会の土壌への鍬入れを期待することはもう望み薄である。重ねていえば、山田の80年代の『学校』が見つめたのは、多階層の子どもの集う平均的な学校ではなかったことが惜しまれる。
 階層性の認識を棚上げした最近の山田洋次は、「中間層」とよばれる多数者ノンエリートの深刻なリアルを映像化しないままに、「日本を代表する映画監督」としてのおそらくは過剰な自覚をもって、善人ばかりが登場する物語を紡ぎはじめ、この日本に希望を贈ろうとしている。
 小津安二郎の『東京物語』(1953年)をもとにした『東京家族』(2013年)が典型的だ。戦死した長男の優しい嫁(原節子)がいずれ去ってゆく予感の哀惜を残す小津作品に対し、山田作品は、舞台装置の仕事をする明朗な次男(妻夫木聡)と、震災被災者のボランティア活動で知り合った、いつも微笑みを絶やさない書店員のフィアンセ(蒼井優)を配し、一点のかげりもない明日を展望している。男女を問わずブラック企業の営業マン、非正規雇用のマック労働者といった不安に満ちた仕事状況の設定は、山田には想定外なのだろうか。長女(中島朋子)の造型も、小津作品での杉村春子の忘れがたく実利的な存在感にくらべればあまりにさらりとしすぎている。とどのつまり、「日本はなぜこうなってしまったのか」と老父(橋爪功)は東京のバーでつぶやくけれども、この問いに立ち向かう思想の契機は、この格差社会の構造と、そこで必死に生きる人びとの狡猾さや酷薄さをふくむ多様な意識の直視を避ける現在の山田洋次の映画からは見出せないのである。こうしたスタンスは、とはいえ、階層性や格差はあえて見まいとする80年代以降の国民の「空気」を正確に汲みとっているのかもしれない。
(『KOKKO』第8号:2016年4月)