その13 サフラジェット賛歌――『未来を花束にして』

 およそ1908年から13年にかけて、イギリスでは女性参政権を求める「サフラジェット」とよばれる女たちの果敢な、ある意味では「過激な」闘いが展開されていた。映画『未来を花束にして』(2015年)は、学校教育ではほとんど無視されてきたというこの運動のと息吹きを今こそふりかえりたいという女たちの熱い思いが実を結んだ作品である。主要な俳優はもとより、監督(サラ・ガヴロン)も脚本(アビ・モーガン)も製作(フェイ・ウォード、アリソン・オーウェン)もすべて女性だ。これは女たち連帯の映画づくりということができる。
 その頃イギリスでは、自由党アスキス政権の下で男性には選挙権の制限を取り払う法制化が進められていたとはいえ、女の居場所は家庭であり、「外」の社会や政治の問題に発言することは女には不必要であり有害ですらあるという、ヴィクトリア時代以来のジェンダー規範・ジェンダー差別がなお根強く生き残っており、女性参政権の要求などは男たちの支配する世界では顧みられることがなかった。だが、女性たちがあらゆる公的な界隈で、そして実際に労働力として需要されていた職場でもまったく不平等に扱われる、その鬱屈からくる怒りは、まずは中流階級の自覚的な女性たちの間で沸点に達していた。1903年の女性社会政治同盟(WSPU)の結成は、その「沸点」の指標であった。しかし、共稼ぎが普通であった労働者階級の女性たちはといえば、総じて職場では被差別的な労働条件の苦汗労働を、家庭ではすべての家事・育児を担って、状況を改善する思想も方途も欠いたまま、袋小路の貧しい生活の日々に黙々と耐え続けていた。『未来を花束にして』は、ロンドン東部の貧民街イーストエンドに住む労働者階級のひとり、洗濯工のモードを主人公とし、WSPUの人びと、サフラジェットとのふれあいを通じての彼女の覚醒と、勇気に満ちた行動の軌跡を描いている。

 1912年のある日、同じ職場で働く夫サニーと幼い息子ジョージと暮らしていたモード(キャリー・マリガン)は、洗濯物を届ける仕事の途中、一群の女たちが洋品店のショーウィンドウに石を投げ込む現場に遭遇する。この窓ガラス破りはWSPUの典型的な「戦闘」(ミリタンシー)であった。これを目撃した衝撃は、日々の苦汗職場と家事専担の体験を反芻し、同僚のサフラジェット、バイオレット(アンヌ=マリー・ダフ)の怯えのない自由な行動を知るうちにゆっくりと行動の納得に導かれ、モードはためらいながらもそうした闘いをともにするようになる。そんな折、女性参政権の訴えを聴く議会の公聴会が行われ、モードは夫のDVで傷ついたバイオレットの代わりに、思いがけず証言を求められることになった。モードがその場で語ったのは、「7歳でパート入職、12歳で職工、17歳で班長、20歳で職場主任、今24歳・・・」という経歴、洗濯女を短命にするあらゆる点で劣悪な労働環境、「賃金は週13シリング、男性は労働時間が3割短いのに週19シリング」という性差別の労働条件であった。聴き手のロイド・ジョージは問う、「あなたにとって選挙権の意味は?」。モードは「・・・ないと思っていたので意見もありません」と答える。重ねての問い、「ではなぜこの場に?」。「もしかしたら他の生き方があるのではと……」、モードはそう返したのだ。その言葉にこめられた思いは私にまっすぐに届く。
 けれども、政府は女性参政権の要求を棚上げする一方、アイルランドでのテロ対策の経験ある辣腕のスティード警部(ブレンダン・グリーソン)を赴任させ、激化するミリタンシーに対する弾圧を強めた。街頭の監視カメラが導入されるのはここからである。デモに参加した女性たちはときに警官隊に殴打され収監された。歴史的事実としては1910年11月18日の「黒い金曜日」のこと。この容赦ない弾圧が映画に再現されている。事態はいっそう緊迫し、公共施設の窓ガラス破壊や放火、郵便ポスト爆破など、人身攻撃は避けた上での多様な破壊活動が敢行され、逮捕者も激増した。今や「戦闘」に加わるモードも例外ではなかった。不屈の逮捕者は「政治犯」として扱われることを要求し、ハンストも辞さない。すると内務省は縛りつけた女の口に液状の食物を流し込む「食餌強制」を試みるのだ(社会的な非難を浴びたこの措置はほどなく撤回されている)。
 モードは、世間からつまはじきされると怯える夫に離縁され、生きがいだった息子も養子に出されてしまう。そのうえ、モードの顔写真が新聞に載ったことを口実に、工場長は「目をかけてやってたのに……」とつぶやきながら躰をまさぐってくる。この工場長はすでに解雇されていたバイオレットの幼い娘にもいたずらしていた。モードは、その好色な手にアイロンを押し当てて工場を飛び出す。一方、スティード警部は、再度逮捕されたモードを、中流階級のWSPUの走狗として利用された者とみなして優しく接し、運動内部の情報を流せば罪を見逃そうと持ちかけてくる。もとより、すでにパンクハースト夫人(メリル・ストリープ)の訴えを受けとめ、遭遇する苦しみの基礎にジェンダー差別があることを内面化して心の自立を遂げていたモードは、やがて「私は参政権を求めます。……私は歩兵、私は裏切らない。あなたもでしょ。手なづけられると思わないで」とスティードに書き送る。
 1913年6月4日、ダービー競馬場でアピールしようと赴いたモードの目前で、なかまのエミリー・ワイルディング・デーヴィソン(ナタリー・プレス)が疾走する国王の馬の前に身を投げる。尾行してそれを目撃したスティードの悲しみと悔恨の入り交じった表情が実に印象的だ。女たちの心の中に醸成されつつあるなにかを、彼はわかりはじめたのだ。映画のラストシーンは、白や紫のドレスに身を包み花束をたずさえた女たち数千人もが参加したという、デーヴィソン追悼デモの実際の(黒白)映像である。

 実際のところ、参政権運動のリーダーはいくらかゆとりのある中流階級の夫人たちや、多様な「表現」を専門とするアート系の女性たちであった。この映画の関心はしかし、工場労働者にすえられ、蒸気の立ちこめる職場での労役、狭い住居、粗末な服装、全体として貧しい生活のようすなどを沈んだ色調でリアルに描いている。私などにはそこが興味深く、洗濯物が小路を横切るイーストエンドの界隈が映像化されるだけで惹かれる。とはいえ、ゆとりもなく言挙げも不得手なそうした女性労働者にとって、「参政権」は確かにさしあたり間遠い要求であっただろう。この否定しがたい距離を、映画をつくるグループは、生活の全体をジェンダー差別の網に閉じ込められていたモードが口ごもりながら語る、「もしかしたら、他の生き方があるのでは……」という言葉に賭けて跳び超えようとしたのだ。普通の労働者もついにはこの「跳び超え」ができるという期待は美しく、またモードの軌跡は決して不自然ではない。私の好きな女優キャリー・マリガンの演じる、もう俯くことなく試練にすっくと立ち向かうモードは凜々しい。同僚バイオレット役のアンヌ=マリー・ダフの勇躍と不安の交錯する表情もすてきである。
 差別された弱者のミリタンシーはたいてい、既存の強固な差別と抑圧の構造を反映するものにほかならない。この頃サフラジェットは、女性参政権の獲得には社会に衝撃を与える思い切った「戦闘」が不可欠だと感じていた。この映画はためらわずこの認識を共有し、メンバー数は遙かに多かった良識の穏健派・女性参政権協会(NSWS)の運動ではなく、WSPUのミリタンシーを歴史の闇から救い出そうとしたのである。現在では、大衆が眉をひそめる窓ガラスの破壊や公共施設の放火は、政治的効果という点で評価されることはあるまい。「一人も逮捕者を出さない」ような秩序を守る運動ではないからだ。実際、1907年から14年にかけて、延人数でWSPUメンバーの1069人が収監、830人が逮捕され、241人がハンストを遂行し、130人が食餌強制されている。過激で愚かな行動だろうか? しかしサフラジェットは、「戦闘」は、「過激」な投企をもう必要としない次世代を生きる娘たちの明日に捧げられた花束だと確信していたのだ。彼女らにはやがて後に続くだろう何万という女たちの足音が聞こえていたのである。

 1918年、成立した国民代表法は、30歳以上の女性の戸主または戸主の妻に選挙権を与えた。画期となったのは、第一次世界大戦時に多くの女性たちが兵役につく男たちに替わって軍需工場などに動員され、「女は家庭」という規範がおのずから空語となったことであった。その時、パンクハースト夫人らWSPU幹部は参政権運動を「休戦」とし、「戦闘」を停止している。女性の戦争協力を鼓舞・促進する「戦争事業デモ」さえ行われた。政府はそれに呼応して、それまでの収監者すべてを釈放している。そして戦後の1928年には、成人女性のすべてに年齢制限なく参政権が認められた。
 ある階層への差別撤廃はしばしば国家への平等な貢献を経て達成されるという歴史の皮肉を、ここにもみることができる。もっとも女性差別は、a. 政治の場(Political)のみでなく、より実質的にはb.家庭や市民社会(Civil)にも、そしてc.職場(Industrial)にも執拗に生き残る。民主主義国のイギリスでも、b、cの領域ではそれからも長らく平等を求める闘いが続けられなければならなかった。2010年の映画『ファクトリー・ウーマン』(ナイジェル・コール監督)が、1966年に職場の性差別撤廃のためにストライキに入った女性労働者、フォード自動車工場の縫製工の姿を鮮やかに映像化している。

*参考文献:佐藤繭香『イギリス女性参政権運動とプロパガンダ』
      (彩流社、2017年)
    (『KOKKO』22号:2017年6月)