その14 小林多喜二をめぐって――『母 小林多喜二の母の物語』と『組曲虐殺』

 この連載では外国映画と日本映画を交互にとりあげたい。しかし私が観る映画はどうしても洋画が多くなる。なにかを論じたくなるようなテーマを扱う邦画が近頃とても少ないからだ。ここには数多の名画を〈労働研究〉の一つの駆動因としてきた私なりの「社会派」好みもある。もちろん、それでは映画の語り手としては偏っているように思われもするけれど、現代日本の若い世代が観客としておしかける、例えばコミックを原作とするような「ゆるい」邦画には、どうしても足が遠のくのである。
 そんなわけで今回も、あえて選んだのは『母 小林多喜二の母の物語』(三浦綾子原作・山田火砂子監督)という作品になった。だが、重いテーマでありながら、無愛想にいえば、この映画の内容は薄い。要するにあまりおもしろくなかったのである。
 あの『蟹工船』を代表作とするすぐれたプロレタリア作家、小林多喜二については、最小限の紹介が必要であろう。多喜二は秋田県の貧農の生まれ、幼少の頃に一家で北海道の小樽に移住し、パン工場の手伝いなどをしながら通学、伯父の援助で小樽高商を卒業し、北海道拓殖銀行に就職した。21歳の頃から小説を書く一方、貧窮のため「酌婦」になっていた田口タキに惹かれ、身請けして自宅に住まわせる。このタキという生涯の恋人との報われぬ愛に悩みながら、多喜二はマルクス主義を学び、台頭する小作争議や労働運動の息吹きにふれながら、社会の実相を鋭く抉る、それでいてみごとに複眼的な人間観照を秘めた作品を次々に生み出し、貧しい働く人びとの多くから熱い評価を受けている。天皇制ファッシズムと治安維持法の下、本来ヒューマンな多喜二が反体制組織に接近するのは自然だった。そして1933(昭和8)年2月22日、東京で非合法の共産党員として軍需工場の臨時作業員を組織するなどの地下活動に携わっていた多喜二は、逮捕され、三時間の拷問の末、虐殺されるのである。享年30歳。多喜二は文学にも音楽にも造詣深く、その人柄は温かくユーモアに満ち、誰からも好かれたという。壮絶で悲惨ながら後世に光芒を引く、それはあまりにも短い生涯だった。
 私が『母 小林多喜二の母の物語』に感じる最大の不満はまず、多喜二(塩谷瞬)その人の描写がきわめて手薄なことだ。映画の主人公「母」セキ(寺島しのぶ)は、貧困と労苦に苦しみながらも、気弱な父(渡辺いっけい)、多喜二、姉チマ(松本若菜)、弟三吾、妹たちの寄り添う家庭を、たくましく明るく支えている。小樽港の労役から脱走した朝鮮人労働者を官憲からかくまう正義感もある。セキは無学ながらも、まじめで親孝行な多喜二の言動を無条件に信じ、タキを赤飯を炊いて迎えもする。しかし上京してからは、身を隠してあまり会うこともできない多喜二をおろおろと案じるばかりである。
 母とはそんなものかもしれない。だが映画は、多喜二の人柄、作品の内容、反体制の思想、党活動についての描写などをほとんど捨象しており、「母もの」に純化しすぎている。実際、この映画(脚本は山田に加えて重森孝子、坂田俊子)には、「共産党」はもとより、多喜二が闘った対象としての貧困、搾取、天皇制などの要因は、「侵略戦争」のほかには言葉としても出てこない。不自然ではないだろうか。多喜二があの時代に危険を冒して体制の全体と闘ったことを「母」は誇りにする、「人びとへの献身ではないか、共産党でなぜ悪い?」という描き方ではない。強調されているのは「母の無限の愛」だけなのだ。それゆえ、虐殺された遺体を前にしてたセキが「それ、もう一度立たねか、みんなのためにもう一度立たねか」と叫ぶ、周知の事実の映像化もやや浮いた印象だ。そのほか、滝口タミ=田口タキ(趣里)も、地下活動時代に妻となった伊藤ふじ子もリアルな存在感を与えられていない。タミがどこまでも多喜二との結婚を拒んだ心根も、ふじ子との間に多分あっただろう確執にも、この映画は無関心なのである。
 セキはその後、チマの勧めでカトリックに入信し、多喜二の死を、人びとの苦しみを我が身に負ったキリストの十字架上の死と受けとめるようになったという。そうした理解がおそらくクリスチャン三浦綾子の立場であり、映画もセキのそのような心の着地点を描いている。この結末に疑問をさしはさむ資格は私にはない。とはいえ、以下は私の邪推かもしれないけれど、こう言いたくはなる――この映画を「母もの」に純化させたことには、製作者たちそれなりのある政治的な思惑があったのではないだろうか? 製作者たちはおそらく、共産党、搾取、天皇制……など現時点の「常識」にとってはいささか荷重な概念を突き出すことを避け、もっぱら戦争に反対した多喜二を信じぬいた母を顕彰するという、口あたりのよい「商品」にしようとしたのではないか。この「母もの政治主義」が結局、映画芸術のメッセージ性を大いに弱めている。

 さて、この映画にふれてすぐ想起したのは、井上ひさしが晩年2009年に世に送った戯曲『組曲虐殺』である。ある午後、自作DVDでもう一度みて、あらためて軽妙と重厚、ユーモアと切実さ、明日への希望と深刻な当面のリアルの認識がわかちがたく織り込まれている、このミュージカル仕立ての作品(演出:栗山民也、音楽・演奏:小曽根真)の卓越性に文句なしに心をうたれた。
 劇の展開としては、多喜二の小樽時代の生活、1930年の最初の逮捕と尋問、監獄、特高監視下の東京での下宿生活、いくらか平穏な執筆の日々、それに続くきびしい地下活動、レストランでの逮捕、そしてエピローグと続く8場面ほどの対話と歌唱が、多喜二の濃密な体験と真摯な思いをしっかりと伝える。どの場面にも多喜二(井上芳雄)、姉チマ(高畑淳子)(この作品ではセキではなくもっぱら資金面で運動に協力する姉が登場する)、田口タキ(石原さとみ)、伊藤ふじ子(神野三鈴)、それに特高刑事の古橋(山本龍二)と山崎(山崎一)が居合わせる。この居合わせ自体はむろん虚構であるけれど、これこそは井上演劇の特徴であって、私たちは笑いと涙を誘う闊達きわまる対話の内に、どの人物もそれなりに切ない体験を背負う、多喜二の誠実な人間性がそれぞれにその体験の原像をふりかえさせる、それゆえに、みんなはなぜこの歴史的な場面に居合わせるかの意味がわかるようになる――そんな構造の認識に導かれるのだ。誰しもが理不尽な現実を写す「カタカタと鳴る胸の映写機」を秘めている。そしてそれゆえに結局はわかりあえる、特高刑事すらも例外ではない……。なんという人民戦線的な理想主義だろう! また、ともにすばらしく魅力的に造型されているタキとふじ子の、お互いのねたましさを超えた思いやりもじーんとさせる。タキが、その状況下での多喜二とふじ子の同居についに納得して、「多喜二君、希望を捨てるな!」と肩に手を添えて叫び、秘密アジトを去って行く、その場面の切実な美しさは比類ない。
 思えば『母――小林多喜二の母の物語』への不満も、実は以前に観た『組曲虐殺』の記憶ゆえかもしれない。ついでにいうと、今井正に『小林多喜二』という1974年の作品があるという。『母』と比較すべきなのはこの映画だったかもしれない。しかしこれは一般に公開・上映されなかったのではないか。私はこれを観ていない。そういえば、列挙するいとまはないが、50~60年代の今井正の数多の秀作は、今もNHK・BSプレミアムなどの放映から不当に排除されているように思われる。

 最後に、今回のテーマからは外れるけれども、この機会に、沖縄のリアルを活写するすぐれたドキュメント作品にふれた深い感銘を伝えたい。『標的の島 風(かじ)かたか』(三上智恵監督)である。
 沖縄の平和と人権の危機は「今ここにある」。米軍属による女性暴行殺人、宮古島・石垣島への陸上自衛隊のミサイル部隊配備、辺野古での基地建設工事、高江でのヘリパッド建設……。この映画は、中国の海洋進出への備えを理由にしてふたたび沖縄を本土の捨て石としようとする、アメリカ追随の日本国に対する人びとの不屈の闘いを描いている。人びとの抗いを根底で支えているのは、かつての筆舌につくせぬ被差別的な受難の記憶と、豊かな自然のなかで代々伝えられてきたエイサー、バーントゥ、豊年祭など土着の文化への愛着と誇りだ。過酷な戦争を体験した世代だけではない。感銘ぶかいことに、そうした情念は若い世代にも共有され、本土の平和運動にはみられない規模の老若男女がスクラムを組んで、本土各県から所属章を剥ぎ取られて派遣されている機動隊の前に座り込み、ごぼう抜きに耐える。病身のリーダー山城博治の、闘いの局面のなかでのささやかな勝利にも、権力の暴行の犠牲を避けるためのやむをない撤退にも号泣する姿が胸を抉る。三線の弦の響きの絶えないように、ここにはなお本当の闘いが息づいている。
 「琉球列島弧」にミサイルの海峡封鎖線を築いて日本の安全を守る。なんという酷薄な、危険で無謀な国策だろう。「標的の島」とは、日本列島全体のことなのだ。ラストシーンで、高江の人びとは、必死で仮面の無表情を装う警官たち一人ひとりに対峙して語りかける。最後の若い女性はもう言葉もなく、若い警官の顔を凝視し続けている。このまなざしは、沖縄のことは深刻に考えまいととかく心を鎧う日本国の私たちを刺し通す。
          (『KOKKO』24号:2017年8月)