その15 A・ワイダの遺したもの――『残像』『カティンの森』

 巨匠アンジェイ・ワイダの遺作『残像』(2016年)は、一人の前衛芸術家が、スターリン主義の色濃い社会主義国家、戦後ポーランドにおいて、仮借なく統制・抑圧され、孤立貧にきわまって惨めな死に到るまで4年ほどの(おそらく1949~52年)の呻吟と受難をリアルに描く、暗闇のなかに光る小粒のダイアモンドのような作品である。
 すぐれた抽象画家であり芸術大学で独自の現代絵画理論を講じてもいたヴワディスワフ・ストゥシェミンスキ(ボグスワフ・リンダ)は、人民を鼓舞する社会主義リアリズムに「そぐわない」あらゆる表現を統制・禁止する国家によって、じりじりと自由を奪われてゆく。アトリエの窓がビルの壁面を覆う巨大な赤旗で染まるシーンが印象的だ。大学の集会で臆することなく政府や党の表現規制を批判する彼は、やがて教授職を追われ、市民権を保障していた造形美術家協会からも追放される。美術館を飾っていた作品は撤去され、彼の指導を受けた学生たちの作品展も破壊されてしまうのだ。第一次大戦で片足と左手を失っていたストゥシェミンスキは、やむなく匿名で「社会主義的」看板を描いて糊口をしのぐけれど、その職も解雇になる。彼の表現理論の口述筆記に献身する女子学生ハンナ(ゾフィア・ヴィフワチ)の愛も、気力を失ったストゥシェミンスキはもう受け入れられない。そのハンナもまた拘束されてしまった・・・。
 そして、もっと直接的に生活苦が襲ってくる。彼は配給切符を受けられず、肉を買うこともできず、文字通りの飢えに苦しんで、持病の肺結核?を悪化させて路傍に行き倒れる。しかし彼はよろよろと病院を抜け出し、わずかに残されていたマネキンに布をまとわせる仕事をしようともがいて、マネキンのなまめく肢体ともつれあって息絶えるのである。その無残にも妖しく美しいシーンが忘れられない。
 やはり前衛彫刻家であった元妻の死をひとり看取った娘ニカ(ブロニスワヴァ・ザマホフスカ)の、父に対する反発と愛着の混じったふれあいが、この暗い物語のひとつの救いである。またワイダは、国家による人間の自由の抑圧に徹底的に抗う強靱な精神にオマージュを捧げ、体制に無批判になびく人物たちにはきびしいまなざしを注ぐけれども、彼をまったくは排除しない市民たちの点描を忘れてはいない。例えば、配給の長い列の傍らをよろよろと松葉杖をつくストゥシェミンスキに順番を譲る、行き倒れた彼のために救急車を呼び彼が運ばれるまで見守りそっと十字を切る、病院のナースが空になった父親の病床を「しばらく見ていたいの」と頼むニカの肩にそっと手を添える……特記するほどのこともないシーンであろうが、それら中年の女性たちの心ばえが、どうしてか私の心をうつ。
 ワイダはこうして、彼の長年の問題意識であった人間の自由、なかんずく表現の自由を抑圧する国家、なかんずくスターリン的社会主義国家に対する端的な告発を最後の発言としたのだ。その意義は、かつてのポーランドの批判的回顧にとどまらない。「東側」ストゥシェミンスキの受難は、「西側」アメリカのダルトン・トランボの受難(連載 その11)とまさに同時期なのである。このふたりの芸術家からの自由の剥奪はそして、今なお多くの国家にとって無縁ではない。

 『残像』が小粒のダイアモンドとすれば、ワイダはまた、ソ連支配下のポーランドの戦後体制における人間抑圧をあますところなく描ききって大粒のダイアモンドのように輝くいくつかの傑作を残している。例えば『大理石の男』(1977年)もそのひとつだ。戦後ポーランド政府の国策によって「労働英雄」に仕立てられたレンガ積み工が、模範作業中のなかまの些細なミスから反体制のスパイとみなされて転落の憂き目を見る。だが、苦しみながらもそれぞれの場でまっとうに生きた彼は、最後にたどりついたグダニスクの造船所、あの1980年の連帯労働運動が勃発した職場で働き、80年以前の「暴動」で命を落とすけれど、その軌跡が次世代の女性映画作家によってたどられてゆく……。私の労働研究にも大きな影響を与えた、それは衝撃の作品であった。
 しかし、ここでは、もうひとつの重厚この上ない近年の名作をふりかえっておきたい。『カティンの森』(2007年)である。もっともこの作品については、その複雑な背景をいくらかは説明する必要があるだろう。
 1939年9月の独ソ不可侵条約のもと、ポーランドをドイツと分割占領したソ連は、ソ連東部の三つの強制収容所に移送したポーランド軍将校の捕虜1万4500人を、40年4月はじめ、秘密警察・内部人民委員部の手で処刑する。現在のベラルーシ近辺のカティンの森では4400人が虐殺され埋められた。スターリンがこの蛮行を命じたのは、多くの知識人たちの処刑と同じ理由だ。それは軍将校という将来予想されるポーランドの抵抗と再興の人材を抹殺するためであった。
 大国のはざまの国ポーランドの悲劇を象徴するこのカティンの森事件は、43年春、不可侵条約を破棄してその地に侵攻したナチスが夥しい遺体を発見し、共産主義ソ連による虐殺と喧伝する。だが、そこを奪還したソ連は44年1月、これはナチスの典型的な残虐行為だと言い募る。このソ連の捏造はそして、戦後にソ連支配下に組み込まれたポーランド政府によっても長らく「公式見解」とされ、実に半世紀後、ゴルバチョフがソ連の行為と認めて謝罪を表明するまで、真相を語ることが許されなかったのだ。
 アンジェイ・ワイダ監督は長年にわたり、戦後にポーランドを支配したソ連の国策とそれに追随する「社会主義」政権のもとできびしい規制を受けながらも、それでも抵抗を放棄しなかった人びとの苦しみを鮮烈な映像としてきた。『大理石の男』(77年)のほかにも、『地下水道』(56年)、『灰とダイアモンド』(58年)など、映画史に記憶される名作のいくつかが直ちに想起されよう。そのワイダはまた、カティンの森で父親を喪った一人だった。映画『カティンの森』は、そのほかならぬワイダが81歳にしてようやく満を持して発表した必見の名作である。
 このような歴史的な事情やテーマの意義のみによって、私はこの作品を称揚するものではない。ストーリーは、時間的には1939~40年、戦争中の43年、戦後の45年の三時点を往還し、場所的には収容所、カティンの森、ドイツ占領下および戦後の古都クラクフに及ぶ。登場人物も、処刑された主人公の将校アンジェイ(アルトゥル・ジミイェフスキ)とその妻アンナ(マヤ・オスタシェフスカ)、その母(マヤ・コモロフスカ)、その娘、アンナの甥(アントニ・パヴリツキ)などを中心とするとはいえ、アンジェイと同様に処刑された「大将」とその妻(ダヌタ・ステンカ)や娘(アグニェシュカ・カヴョルスカ)、技師ピョトル(パヴェウ・マワシンスキ)と二人の妹、偶然に処刑をまぬかれて親ソ派の将校となるイェジ(アンジェイ・ヒラ)、そのほか点描される多くの関係者など実に多様性に満ちている。彼ら、彼女らの織りなすまことに重層的なストーリーのうちに虐殺の真相がついに明らかにされ、最後のシーンでは虐殺そのものも映像化されるけれども、この映画はなによりも、それら多様な人びとが戦中戦後の過酷な歴史のなかでどのように生きたかということへの、周到に目配りされた描写がすばらしいのである。身を賭してアンジェイの家族を救うソ連軍将校。ナチスにも戦後の政府にも求められた安易な証言を拒む毅然たる大将夫人。アンナに接し、真相解明の手がかりを彼女に残してみずからは死を選ぶイェジ。真相に眼を閉じ戦後の親ソ体制を面従腹背で生きのびようとするピョトルの上の妹イレナ(アグニェシュカ・グリンスカ)……。しかし、私をもっとも感動させたのはやはり、戦中はナチスの、戦後はソ連とその追随者による圧政と弾圧に、公然とまたは密かに抵抗を続けた若い世代がやがて自由なポーランドをつくる、そこに込められたワイダの期待と確信であった。
 ワルシャワ蜂起の生き残りであるピョトルの下の妹アグニェシュカ(マグダレナ・チェレツカ)は、どこまでも「(殺害者ではなく)犠牲者の傍らにいたいの」と、兄の記念碑をたてることにこだわり、従容として投獄される。反ナチ・レジスタンスに加わっていたアンナの甥タデウシュは、あの『灰とダイアモンド』の主人公のように、戦後はソ連の支配に抗い続けるけれど、逃亡する彼を偶然に助けた「大将」の娘エヴァと心が通いあい、「僕たちはまた会う運命だ」と翌日にも会う約束をしている。その直後、彼は官憲に追われて事故死してしまう。にもかかわらずこの幻のデートはやがてきっと実現するだろう――そんな思いがこみあげてくる。『カティンの森』は数多の映画を見てきた私にとっても、生涯ベストテンのひとつにほかならない。
    (『KOKKO』26号:2017年11月)