数日に一度の「電車外出」のほかは、私の在宅の日々はほとんど時間どうりに進む。
5時半から6時には起床。雨戸を開ける。朝日新聞を読む。長文の有益な記事の多いこの新聞、スタンスはまず納得できるが、社会運動の記事がほとんどないのが気にいらない。TV番組のいくつか(映画やドキュメントや注目の連ドラなど)を録画する。それにしても危険な時代になった。「世の中難儀なことばかり」、「そんなのダメだと怒ったり」だ。6時半ごろ起きてくる妻の滋子とパンやハム、スープなどの朝食をとる。滋子が「ばけばけ」を見た後、散歩に出かける。東海道や野道、員弁川の橋や脇道を平均して40分、実にゆっくり歩く。唯一の運動であるウォーキングは毎日の課業だ。およそ9時から11時過ぎまで、私はパソコンを開く。かなりくわしい日記をつける。メールをチェックし(この頃ほとんどはセールスだが)、FBで諸兄姉の消息や意見を読み、ときに自分もエッセイを投稿する。このような身辺雑記、素人論議ながら「状況」への批判、読書と映画の感想などである。それからは人文・社会科学、歴史など一般書の読書。もうほとんど「勉強」はパートタイムになった。11時すぎ、滋子の昼食準備を手伝う。炒飯、チキンライス、レトルトカレー、味噌うどん、焼きそば、餅などのローテーションとなる。洗い物をする。食器の収納のほか後片付けは主として私の仕事である。
昼食後、12時45分になるとともにシェスタ。およそ1時半ごろからは、気ままにさまざまの雑事。ガラスふき、庭の枝切り、再生ゴミの荷づくり、すぐに累積する台所の食品や郵便物の整理、スーパーへの買物・・・。ところが意外な伏兵は、ふたりとももの忘れがひどくなって見当たらなくなった物や書類が多くなり、その捜しものに時間がかかることである。しかし、そんなことがなければ、それから夕方までは本当に自由で、小説を読むか、少なくとも3日に1回ほどは、TV録画、所有DVDの映画を観る。たいていは再見なのだが、名作、少なくとも佳作揃いだ。またいつか記したいと思うけれど、昨年などは、大好きで、生涯ベスト20くらいには入るずいぶん多くの作品に没頭している。
18時頃には、昼食時と同じように、滋子の相談に応じて、冷蔵庫の肉や魚の在庫を調べ、煮物、焼物、炒め物、味付けなどを手伝う。できるだけ旨いものを心がける。私が調理の主役をしたとき、滋子がおいしい!と完食してくれればうれしい。それから手早く後片付けをすませて、20時頃からは1.5時間ほど、録画しているTV番組を観る。日本、外国のすぐれたドキュメントふたつくらい。または「刑事コロンボ」や横山秀夫のドラマなど、再見に耐える作品を楽しむ。その後、入浴して就床し、どうにも眠くなるまで小説を読む。楽しい時間だ。今は亀山郁夫訳『カラマーゾフの兄弟』と、中山義秀訳『平家物語』少しづつ読み進んでいる。23時頃消灯する。
昨年の酷暑のころふたりに課せられた健康上の試練を乗り超えて、私たちはとりあえず健康である。とはいえ、やはり87歳の体力の衰えは著しい。いつも「ものさがし」の記憶力減退はすでに記したが、私はといえば、バランスが悪くなって、転びそうで、凹凸ばかりの庭をサンダルでは歩けない。手指の力が弱くなり、よくものを取り落とす。瓶の硬いキャップを外せず、滋子に開けてもらう。滋子は生体人工弁の装着ゆえに身体障害者、私は「介添え人」なのだが、ときにその逆ではないかと思うこともある。ちなみに滋子が元気になって主婦の仕事を全うしそのぶん私はまた家事から撤退しつつあることはいいことなのだろうか? ともあれ、このような日々の終わり、滋子はアナグマのように布団にくるまってもう眠入っている。よく眠れ。私はこの人とともに生きる。
もう春だ。写真は庭に咲いたボケ、モクレン、黄スイセン、ボケ、犬山でからくり館、犬山城


















































































