ケン・ローチは、周知のように、長年にわたりイギリス労働者階級の生活の受難と体制に抗う困難な闘いを、透徹したまなざしで凝視してきた。『オールド・オーク』(2023年)は、この巨匠が87歳にして、このたびも脚本に携わる盟友ポール・ラヴァティとともに、分断と排斥の現世に贈る、静かなリアリズムに徹しながらもほのかな希望をこめる「最後」のメッセージである。
北東部イングランドは炭鉱閉山後の寂れたダーラム州の小都市。この街の住宅街に中央政府によってたくさんのシリア難民が送られてくる。貧しい住民たちの界隈にはしかし、この突然の隣人となったアラブ人たちを排斥するすさまじいヘイトの気運が漲る。そんな街で、ぼろぼろのパブ、「オールド・オーク」を営むもと坑夫のTJ・バランタイン(ディヴ・ターナー)は、なにかと生活に不如意で、家族もなく、サッカーチームを指導するなどのボランティア活動にももう気力をなくして、彼を自死から救ってくれた愛犬だけを溺愛する孤独な初老だった。しかし、それでも彼の心には人びとの連帯への究極の信頼が潜んでおり、なんとか難民たちを助けようとする。そこに彼の再生の兆しがあった。
その契機になったのは、難民キャンプで英語と人権思想を学び、シリアに留まって反アサド派で闘う父を敬慕するカメラ・ウーマンのヤラ(エブリ・マリ)との、ヘイト青年に壊されたカメラの修繕の手助けを通じてのふれあいだった。ヤラは、閉ざされたパブの二階広間に飾られた、落盤事故で死んだTJの父が撮ったというかつての坑夫たちの生活と、1984-85年の閉山に抗う大ストライキの写真を食い入るように見つめる。当時の坑夫たちの相互扶助や炊き出しの映像や、「共に食事し、共に持ちこたえ、共に闘う」というスローガン。ヤラは自分たちシリア人の塗炭の苦しみとイギリスの庶民のかつての受難との共通性に気づき、心にとどめたのだ。
闊達なヤラは美容院など市井の日常にカメラを向けて、徐々に人びととの間に親密な関係を築きはじめる。こだわらない人柄の地域慈善団体職員・ローラも駆けつけて、貧窮のシリア人家族に支援物資を届ける。少女が自転車を喜んで受け取ったとき、イギリスの少年たちが「僕もこれが欲しかったのに」と羨む姿が印象的だ。TJとヤラとローラは、閉ざされたパブの広間を改築してシリア人のための無料の食事会を開くまでになる。大聖堂をはじめさまざまの慈善団体から続々と食品給与がくる。だが、かねてから「オールド・オーク」にいつもたむろしていたやはりもと坑夫たち、TJの老いた旧友たち4人は、なお強烈なレイシストだった。彼らは自分たちが提案した移民排斥住民集会のためにTJが閉ざされた広間の使用を拒んだのにまさにそこでシリア人の食事会を開くのは、われわれの唯一くつろげる居場所を奪うことだと、TJを激しく非難する。そして変わってゆく界隈のなか疎外感に苛まれた彼らは、ついに電気工事を操作して、パブの2階の床を致命的に破壊する陰謀に手を染めることになる。資金ゼロで修復・再開のめどはなく、愛犬もすでに殺されている。絶望したTJは、かつて海底切羽のあった海に向う再度の自死に赴く。
けれども、その直前にヤラの父が拷問のあげく獄死したという報が入る。すると思いがけず、街の人たちが家族とともにひきもきらず訪れてヤラの家の前に花束を捧げたのだ。そのなかにはパブ破壊に加担したTJの旧友チャーリーと家族の姿もあった・・・。そしてエンディング。どのようなイヴェントなのか、シリア人を交えたイギリスの庶民たちの延々たるデモの隊列が街路を埋める。中央近くにTJとヤラ、そして写真展示会のあと、ヤラたちが贈った「みなさんの組合旗をまねた」大きな旗がある。「強靱さ、連帯、抵抗」の文字が英語とアラビア語で刺繍されている。後ろには「ダーラム地区パレスティナ連帯行動」の旗もみえる。参加者はまったくくつろいだ祭りのような印象だが、私には、炭鉱ストライキ当時の坑夫と家族たちのデモとどこか似ているように感じられる。
『オールド・オーク』は、炭鉱の衰退によって寂れた地方都市の貧困化した人びとが、押しつけられたシリア移民に対する、いわば自然に生まれたヘイト・排斥の言動を乗りこえて、新しい隣人への連帯に希望をつなぐヒューマンな物語である。それ自体としては、労働者思想とか労働運動のゆくえを問う作品ではない。とはいえここに、実質上の原作者であるポール・ラヴァティがこの映画にふれてこう語っていることに注目したい。
「過去」こそが私たちの映画登場人物であるべきだ・・・(中
略)。 炭鉱ストライキ時の炊き出しに象徴される共同体の連帯
は、どうして孤立と絶望へと形を変えてしまったのか?(中略)
・・・かつて組織化されていた労働者階級の人びとと、闘争的な労
働組合は、なぜ労働生活のあらゆる瞬間を計測するアプリに縛
られながらも、自由市場の物語を受け入れ、自らを運命を司る
主人公だと考えていた『家族を想うとき』の主人公リッキーの
ような世界へと追いやられたのか?『わたしは、ダニエル・ブ
レイク』の主人公・・・は、なぜ孤独に追い詰められ、最も弱い立
場にある人びとを標的にする国家官僚機構の組織的な残酷さの
犠牲になったのか?
この語りを掲載するパンフレットにみるどの評論も労働者思想や炭鉱労働組合の現況に言及してはいない。またケン・ローチもラヴァティも、かつての大ストライキやそこでのなかま相互の扶助の営みをそのものとしては描くことの空しさを、十分に知悉していたことだろう。だが、「過去」の連帯と闘いの喪失が現在の状況をもたらしたという把握が、そしてその喪失へのかぎりない哀惜が、ラヴァティの語りに明らかなように、物語の暗黙の背景であることは疑いを容れない。
では、格差と分断と孤立の2016年(物語の想定時点)の今、『わたしは、ダニエル・ブレイク』や『家族を想うとき』の絶望から脱する希望はどこに求められるだろうか。
それはやはり古くて新しい人びとの伝説、労働者の連帯にほかならない。とはいえ、それは競争と孤立ゆえに風解した「同じような人びと」・組織労働者たちのもとのままの団結ではなく、排他性を克服した「異質な人びと」の包摂でなければならない。ここに来て、現実を見つめ、ケン・ローチとポール・ラヴァティは、排斥されるシリア人との間の連帯の構築に希望を求めたのだ。「過去」の労働社会のレジェンドは、無料の食堂、組合旗を模したのぼり旗、大規模なデモ、そしてさまざまのシーンやなにげない会話にちりばめられている。
ヤラの父の死に際しての人びとの献花の連なりと最後の大デモの間になお避けられなかっただろう幾多の対立や困難については、描写はない。それゆえ、ラストシーンはふと希望の幻想かもしれないと思われもする。けれども、『イギリス炭鉱ストライキの群像』の著者としての私は、幻想をふくむものであっても、彼らの希望のメッセージを、深読みするまでに感得する。ああ、いい映画を観たと想う。
ちなみにTJとヤラは、かつて炭鉱祭りには坑夫たちが集い、今たくさんの食品カンパを寄せたダーラム大聖堂を訪れる。私もついに訪れることのなかった1135年創立のすばらしいノルマン様式の教会だ。ヤラはそこで「こんなに美しいものが残っているんだ。故国のパルミラ神殿はISに壊されてしまったのに!」と涙を流す。いくつかの忘れられないシーンのひとつである。
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2026年春から初夏、私たちの行楽 (2026年6月23日)
春から初夏にかけて、私たちふたりの、花園を散策する外出や古都の名刹を訪れる小旅行はかなり頻繁だった。
4月はじめには名城公園の藤やネモフィラ。月末には福山、鞆の浦、倉敷をめぐる自由旅行。5月はじめには桑名の諸戸邸・六華苑。中旬には伊豆・箱根の1泊旅行。これはCT社の衰退ぶりが明らかな、富士山の雄姿だけが印象的で内容控訴なツアーだった。月末には鶴舞公園の豊富な薔薇と花菖蒲。6月上旬には、京都の高山寺、西明寺、神護寺。仏教文化の濃密な雰囲気はやはりすばらしかったが、神護寺のあまりといえばあまりの石段の長さに私の脚力が及ばず、なんども這いつくばる始末、やはり無理だったのかなぁと反省させられたものだ。そして6月11日には、久居の郊外に「かざはやの里」を訪れ、絢爛たる紫陽花の丘の連なりと、個々の紫陽花の宝石のような色彩のモザイクを堪能した。
たまに四日市での、主として名古屋での映画観賞はもちろん続けている。公園散策の後だったり、映画だけなら2本を組み合わせる。よく通う伏見ミリオン座から名駅までは適度のウォーキングである。ふつう実にゆっくりと休み休みしながらではあれ、外出時には6000歩から1万5000歩ほどは歩く。ちなみに観光スポットではよくツーショットの撮影を依頼するが、苦笑するのは服装がふたりとも10年とほぼ同じであることだ。
なぜ、こんなに執拗に遠出するのか。「社会」や人びとへの好奇心をなくして閉じこもってしまえば、老い込んでしまうと感じるからでもある。しかしもっと大きな理由は、こんな行動が、こんな歩きがまだできるかを試そうとしているからだ。今年ともに88歳になる私たちは、最近とくに体力の衰えを痛感する。8月に大動脈弁狭窄症の術後1年の検診を受ける妻・滋子はは今は私以上に元気で、庭の草取りの持続時間など驚くほどだが、初期認知障害?みたいにもの忘れが著しく、万事ゆっくりとした所作である。私はといえば、行動の企画力、表現意欲、読書力、雑事遂行のの効率性などはまだ「健全」と思われるけれども、身体のバランス維持、安定した手指の力、聴力、即時の判断力などが危うい。そしてふたりとも全体に疲れやすく、昼食後の昼寝は欠かせない。
しかし、歩けるうちは死なない、「棺桶まで歩こう!」という。それに繁華街に出れば、老夫婦は肩で風切る若者に無視されてぶつからないようによろよろ歩いている感じであり、スマホ万能時代であらゆる場所での人的接遇が少なくなったことにも困惑することが多くなってもいる。都心は変に疲れる。だからこそ、私たちは、これで最後かも・・・と思いながら、ゆっくり歩けるところへ出かけるプランを今日も模索する次第である。
近況報告までに、最近の行楽・小旅行のスナップのごく一部を、最近の紫陽花観賞を中心に紹介したい。鞆の浦、倉敷旅行、桑名六花苑、神護寺、風早の里の紫陽花の順である。
こんなこと、私たちにもなお可能であれと祈りつつ。
























トランプ、ペルシャ人の従属を拒む矜持に敗れる! (2026年6月17日)
国際法を歯牙にもかけずイランに軍事攻撃を仕掛けたトランプは紛うかたなき敗北を喫した。ざまをみよ、小気味よい。イランは、多くの子どもたちをふくむ多大の人命を失いながらも、全面降伏しないなら「石器時代に戻す」大規模攻撃をと恫喝するトランプに対して、「人間の鎖」をつなぎ、ホルムズ海峡封鎖を死守して、それまでの国内対立を超えて徹底抗戦を貫いた。国際平和の良識を失わなかった西欧の国々はアメリカに協力しなかった。アメリカ国内では、さすがにいささかも大義ないイラン攻撃に対する立法、司法、シンクタンク、メディア、そして一般市民からの怒りの批判が沸き起こった。そう、それらの合力が、なびかぬイランに業を煮やすトランプに「石器時代」攻撃を断念させ、小刻みの妥協を重ねながらイランのわずかな譲歩をいらいらして待つほかない状態に、傲慢この上ない暴君を追い込んだのだ。最終合意の調印前の現時点では、結局トランプはなにも当初の目的を果たせなかった。なんのために戦争を始めたのか?アメリカと世界の人びとは問い続けるだろう。トランプは戦争だけではなく政治的にも敗北したのだ。願わくば、ウクライナを侵略するプーチンのロシアもトランプのアメリカと同じ運命に導かれよ!
残業削減・仕事ノルマ・裁量労働制 (2026年5月15日)
仕事ノルマの決定権の所在を問わなければ、労働時間短縮・残業削減の実効性は乏しく、裁量労働制拡大の適否も判断できない。FB投稿としては長すぎるが、この小文ではそのあたりの関係を考えてみたい。ノルマの考察からはじめよう。
【ノルマの軛】
企業が従業員に要請する仕事量・作業量のかたちのうち、経営側が一方的・強制的に与えるものを狭義の「ノルマ」とよび、目標面接などによって、その決定に従業員の意向が多少とも反映されるものを広義の「目標」とよぶ。ノルマや目標の適用範囲はまず工場、課、班などの集団であるが、多くの場合、その数値は労働者個人に分割された責務として割当てられる。だから、ノルマも目標も従業員個人にとってまこと強力なインパクトになる点では同じだ。その達成の成否は、人事考課の成績評価によって査定され、その結果はかならず、昇格、昇給、賞与、配置などに及び、サラリーマン人生の明暗を大きく左右するからである。それゆえ、ここでは個人に割当てられる仕事量をノルマと総称しておくことにする。ノルマの語源は、かつてソ連がシベリア抑留者に課した過重な仕事量・作業量を表すロシア語である。
ノルマには職域によってさまざまのかたちがある。例えばライン作業の組立工ならばタクトタイム(目標生産量÷ライン稼働時間)、すなわち一人の作業遂行の許容タイム。さまざまの配達員のアルゴリズムに支配された1日の郵便や荷物の個数。コールワーカーの1日の問い合わせ処理件数。各種営業スタッフの顧客訪問数、成約の件数や金額。前期より例えば12%増の金額ノルマ達成は、多くのホワイトカラー職場ではなじみの責務である。それに研究開発やシステム設計の「専門職」には厳しい納期がある。それら分刻みの処理作業、ゆとりのない訪問や接遇、迫り来る納期の重圧などは、査定結果への当然の忖度を通じて、労働者のサービス残業、休暇の権利放棄、総じて長時間労働を招き、悪くすれば過労、ストレス、メンタル危機、病休、さらに悪くすれば退職や過労死さえもたらす。ノルマこそ「職場の人権」の危機の源にほかならない。そればかりか社会的にも、よく報じられる会社組織あげての法的不正やコンプライアンス違反の背景は、決まって過重な収益ノルマなのである。
愛知県の作家・伊藤浩睦は、ある憲法記念日の翌日、朝日新聞「声」欄に次のような投書を寄せている。<私たちにとって、憲法はとても遠いものに思える。学校では、憲法上の権利を口にすれば、「憲法なんか生徒には関係ない。校則がすべてだ」と言われ、会社では、「社員である限り社則やノルマが最優先だ。憲法上の権利なんか関係ない」と言われた。庶民と憲法の関係なんてそんな遠いものだと思っていた>。
「社則やノルマ」が「社員」の憲法上の権利を空洞化させているという把握は、突飛でないばかりか卓見であろう。表面の過酷さにとらわれなければ、ソ連型の抑圧は現代日本の労働者にとってそう遠いわけではない。
労働者はそもそも仕事量・作業量を対抗的にチェックできないものだろうか?
欧米の労働組合、とくにブルーカラーのそれは、この分野にそれなりの実績を積み重ねてきた。職人的熟練工のクラフトユニオンはもともと仕事の仕方が自立的であって、作業量を含む自前の標準的な働きかたに固執してきた。大量生産で作業方法の裁量権が奪われてからも、彼らは、ジョブユニオニズムを体現するショップスチュワード運動によって、出来高賃金制度下で達成と稼ぎの競争をそそる単位作業時間の短縮を拒んだ。コンベアラインでは、コンベアスピードを団体交渉するまでにはいたらずとも、無理な作業については、本人とショップスチュワードと会社の担当者がその作業をストップウォッチで再計測して是正するという苦情処理制度を設けている。そしてなによりも、各職場での要員確保に力を尽くし、人員削減に抵抗する。彼らに比べれば、総じて「経営側」に属し、未組織従業員も(労働時間)エクゼンプション適用者も多いホワイトカラーの場合、確かに仕事量決定はもっと経営専制的であるかにみえる。アメリカではとくにそうだ。しかし、欧米では、雇用者の階層を超えて私生活重視の哲学が定着している。欧米の労働者文化は、日本よりはるかに多い休暇を完全に消化し残業を忌避して、長時間労働を受けつけない。過労死・過労自殺がなお日本固有の現象であるのもゆえなきことではない。
私たちの国では、もちろん労働組合は労働時間の短縮を求めてきた。けれども改めて精査すべきことながら、70年代後半以降に職場の労働運動が衰退する以前から、一部の公労協の職場を別にすれば、仕事量・作業量そのものは、労働組合の守備範囲とみなされていなかったようである。そして現在では、過重ノルマに耐えられなければ、退職が唯一の選択肢になっているとさえいえよう。
【裁量労働制拡大の攻防】
いま高市政権と経団連は、従来の残業時間制限を緩和して「もっと働こう」の改革を画策している。経済成長に必要な生産性向上のため、一部の労働者のなかにひそんでいるというこの方向を支持する意欲に応えるためという。この施策においてひとつの焦点となっている項目が裁量労働制の適用拡大である。
一定の「みなし労働時間」を前提にして日々・月々の労働時間管理をなくす裁量労働制には、法的な労働者保護を緩和または免除する「定額働かせ放題」制度にほかならないとして、労働側はむろん警戒的である。それゆえ、この制度の適用は、新技術の研究開発、情報処理システムの設計、新聞や放送の記者、編集者、制作ディレクターやプロデューサー、あるいは資格をもつ弁護士、税理士、建築士などの「専門業務」と、事業運営上の重要な決定を行う企画、立案、調査、分析などに携わる「企画業務」、そのふたつの雇用者グループに限定されてきた。すなわち、仕事の手順・方法、時間配分において上司の細かい指示を受けることなく労働者が裁量権をもつ仕事だ。そして裁量労働制の適用にはあくまで本人の同意と、企業による健康配慮が必要であった。
とはいえ、もともと職務区分の不明瞭な日本の企業社会には、専門業務や企画業務の周辺に、少なくともそれらの一部を遂行しうる、経験を積んだ意欲的なベテラン従業員がかなり存在する。そうした従業員層に企業が裁量労働制への移行を誘うことは許されよう。いまのところ労働組合の連合は裁量労働制の拡大には、過労死や長時間労働をまねくとして反対の立場である。確かに統計上も、裁量労働で働く雇用者は一般よりも長時間労働者の比率が高い。けれども、経験豊富な従業員を対象にした裁量労働制への企業の誘いに、現在の労働組合はどこまで抵抗できるだろうか? 労使関係の現状といまの企業社会の雰囲気を考慮すれば、少なくともふたつの危惧を指摘することができよう。
その1。裁量労働制が許容される業務の条件は、仕事の手順・方法や時間配分の労働者の裁量権である。だが、私が感心を寄せる仕事のノルマについての労働者の裁量権はどうなるのか。拡大論者は口をつぐみ、反対の組合側も、労使関係でノルマの規制などを試みたことがないためか、あるいははじめからそれは無理と悟っているためか、あえて問題としない。だが、作業ノルマや目標が過重であれば、仕事の手順・方法や時間配分についても、実質上、ゆとりある自由選択はできないのだ。忙しくて十分に生徒と語り合えない教師のことを想起するだけでよい。裁量労働制や長労働時間のインパクトを考えるならば、労働組合は古くて新しい課題として、仕事ノルマの規制や要員確保の政策を樹立すべきなのである。
その2。本人の承諾が不可欠であるゆえに、経営側の裁量労働制への誘いはかならず、個人面接の場で、あえていえば「褒め殺し」のように持ち上げる。あなたはもう命令されて働くだけの労働者ではなく、みずから主体的に企業経営に関わるビジネスマンの一員に加わるべきだ、われわれはそう期待している、と語りかける。企業社会の内部での「成長」に人生を託してきた当人は、舞い上がり、はじめは私にできるでしょうかとためらっても、説得がくりかえされるうちに、規制されないノルマの水準に不安はあれ、結局、やってみます、やらせてくださいと言ってしまうのである。日本特有の<強制された自発性>にもとづく、それは経営者への自己責任の「約束」にほかならない。
「就職氷河期」の成功者である大企業の正社員と、その有利さを引き継いだZ世代の若者たち。彼ら、彼女らはなお、そのアイデンティテイ形成を企業の価値との一致に頼る人びとであるかにみえる。その推定に大過なしとすれば、裁量労働制の拡大はやはり危険である。


『未明の砦』へのオマージュ (2026年5月26日)
太田愛の長編小説『未明の砦』(2026年角川文庫版)は、過酷な労働の現実に真正面から抗った若者たちを活写する、現代の日本ではテーマと思想性においてまことに独自的な達成ということができる。一読、その感銘は「社会派」の類書でもまず望みえない。
とりあえず物語をくわしく辿る。20代半ばから30歳の非正規労働者、派遣工の矢上達也と秋山宏典、期間工の脇隼人と泉原順平は、大手自動車企業ユシマの生方第3工場の部品備品組付けコンベアラインで働いている。エアコンなく夏期には40度にもなる環境で、汗を拭う暇もないタクトタイムの単純作業をくりかえす。週ごとに変わるシフト(1直6:00~15:15、2直16:15~1:09)の実働7時間。各45分の食事時間と3回の10分休憩があるとはいえ、しばしば残業もあって、仕事が終われば完全に消耗し、ホットドックにかぶりついて寮の部屋に倒れ込むだけだ。労働そのものが過酷なだけではない。ユシマは、5年勤続で正社員の資格を得る改正労働契約法が適用されないように、非正規労働者の雇用契約を2年11ヶ月としている。非雇用の期間が半年になれば過去の経験年数もクーリングオフされるというわけだ。勤怠管理も細部にわたり厳しい。非正規工はもとより、班長以下は同じラインで働き、頻発する過労死さえ隠蔽される正社員も、ユシマでは使い捨てられる素材にすぎなかった。従業員、とくに非正規労働者は、解雇を怖れ、人間として当然の不満や抗議の声を上げることをあきらめた、個々に孤立した群像であった。
そんななか、例外的にヒューマンな班長の玄羽昭一が、夏期休暇に家族の絆のない矢上ら4人を、海辺の笛ヶ浜にある亡妻の実家に滞在させ歓待する。彼らは海辺の共同生活のうちにうちとけ、父親の暴力、母の淫蕩と育児放棄、母の情夫の妹への手出しを避けるための家出、大卒後いくつもの正社員職での挫折と父の叱正など、それぞれ帰省できない事情をはじめて語り合う。「自分のことをこんなに人に話したのは・・・人が自分のことを話すのをこんなに聞いたのも、初めてだった。・・・胸の奥にずっとあった硬い塊が溶けていくような気がした」と矢上は感じた。
はじめてなかまを見出した歓び、それが彼らのそれからのすべての営みの起点だった。彼らはそれ以降、玄羽の示唆もあって、自分たちの労働生活の不当さ、惨めさを語り合い、次第にユシマへの怒りと抗う気持ちを育ててゆく。そして休暇の後半、批判的な知性をもつ玄波の義従姉・崇像朱鷺子の「文庫」に入り浸って、憲法、労働法の歴史と内容、日本の労働問題、外国の社会運動の歴史などの文献を懸命に学ぶ。こうした主体形成のあと工場に戻ってまもなく、彼らは、玄羽の過労死を知る。彼は親友の息子であり、少し前に脳動脈破裂で過労死した技術者・小杉圭太の未亡人の行政訴訟(労基署による労災不認定の取消しを求める提訴)の裁判で証人に立つ予定であり、そのため会社は玄羽を「監視」していた。それもあってか、虚血性心疾患(いわゆる心筋梗塞)で倒れた玄羽は休憩室に長く放置され、死後あわただしくユシマ病院に運ばれたのだ。むろん労災認定外の扱いだった。
衝撃を受けた矢上らは、慕っていた玄羽の死の非情な扱われ方の真相をつきとめる。その動きに会社大事で非正規差別にこりかたまった正社員・村上らはかねてからのいじめといやがらせを強めた。だが4人はもう屈従しない。ペットボトルで彼らをうちのめしもする。けれども、これからどうすればいいか?そのとき、いくらか独断先行ながら行動派の脇隼人が3人を企業外ユニオン「はるかぜユニオン」に案内する。そこで初老で歴戦の相談員・國木田莞慈に、過労死隠蔽などユシマの状況に対する闘い方を尋ね、國木田の示唆によって4人にはそれまで疎遠だった労働組合というものの可能性にはじめて気づくことになる。それでも、どんな組合をつくるのか?4人は諍いをともなう激論の末、当時に提案されていた新日本型賃金制度(一律の昇給を完全に撤廃する/個人評価によって賃金・賞与が大きく上下に変動する/要するに査定による賃金に統合する制度)への従業員たちの大きな不安も考慮して、正社員をふくむ、名付けて<ともに闘う人間の砦 労働組合>、略称<ともとり労組>を設立する決意を固めるのである。
従来のユシマの正社員労組は、工場長の五十畑を幹部とするような完全な御用組合であった。<ともとり労組>の設立準備はむろん極秘の内に進められたが、同志を装って接近したスパイ、非正規工・来栖の注進もあって、組合づくりは会社の知るところとなる。驚愕した会社のトップたちは、嗤いながらも背景の事情にも思い当たるゆえにそれなりに危機意識をもち、社内の警戒と監視を強化する一方、献金のコネをもつ与党の重鎮を通じて警察庁警備局、警視庁組織犯罪対策部との連携を準備する。一方、<ともとり労組>は最初の団体交渉を応諾させる。機略に富むやりかたで本社に現れ、新車展示に集まった市民たちのなかで自分たちの作業を再現して見せたあと、豪奢な貴賓室に乗り込み、人事部長と、以降指揮を執る副社長・板垣直之を相手に、組合活動の承認、新日本型賃金制度の撤廃、組合員の人事異動の協議・合意、労働契約法の趣旨に反する期間工の契約方式の廃止、小杉圭太、玄羽昭一の過労死の詳細の関係官庁への報告、一時間ごとの給水補給の可能なタクトの設定・・・などの要求を突きつける。
その準備の周到さに驚愕した会社側は、まだ正社員の組合員がいない、君たち非正規には従業員全体の労働条件に関わる権利がない・・・などと主張し、具体的な回答は2週間後のことになった。だが、ともとり労組は、パソコン技術にもデザイン感覚にも長けた美大卒の泉原を中心に、ホームページを立ち上げ、また泉原が巧みに撮影した貴賓室での団交写真も明示するビラをつくって、会社の妨害を切り抜けて従業員たちに届ける。天下のユシマの若者の労働運動の再生は全社に、社会に知られたのである。
会社が本当にユシマに代表される現体制に対する危機意識をもったのはここからだ。ビラ撒きを道路交通法違反として4人を一時拘留したばかりではない。会社の意向を汲んだ公安警察は、警視庁組織犯罪対策部を実行部隊として、こともあろうに、かねてから試用を目論んでいた共謀罪を、組織犯罪処罰法に新設された<テロ等準備罪>という形で適用しようとしたのだ。理由は、ユシマの4人の非正社員は、問題の國木田莞慈の指導の下に組合を組織しようとしたがうまくゆかず、業を煮やして工場に対する破壊工作を計画したというのである。4人は犯罪者として逮捕されることになる。
ここからは少し終幕を急ぐ。最初の逮捕を免れた4人は、笛ヶが浜の崇像朱鷺子のもとで休息し、いずれ逮捕されるだろうが最後にやると決めたことがあると彼女に伝えた。そしてすでに手配済みの警察の目をくぐって困難な山越えを経て、成田空港に近い佐倉の雑木林にやっとたどり着く。インド出張の柚島庸蔵社長がまもなく帰国する。やはり柚島へのテロ襲撃かと想像される。しかし、これは警察を欺く陽動作戦だった。彼らは翌朝、6時間も歩いてローカルな船橋法典駅から一挙に南下して、生方の工場へ来て自分たちの労働現場に侵入したのだ。短い休業時間。矢上は部品ケース上に立って呼びかける――
<ユシマは・・・俺たちが体験したこと、感じたことすべて、俺たちの記憶まで書き換え られると、ユシマの思い通りにできて当たり前だと考えている。それでも黙ってされるままになるのか>
<俺たちは心と感情を持った生きた人間なんだ。・・・ユシマが俺たちの求めるものを何 一つ与えないのであれば、俺たちもユシマが求めるものを与えない。・・・ユシマが労働者は人間だということを思い出すまで、俺たちは労働力を与えない>
<労働者が本気でなにかを求めるならば共謀罪を使って黙らせる。そんなやり方がいっ たん通用すれば、すぐにそれが当たり前の世の中になる。・・・そんな世の中になるなるかどうかは、今ここにいる人間たちにかかっているんだ。このラインで毎日数え切れないほどのボルトを締めて、車にドアやシートを取り付けてきた俺たちひとりひとりにだ
今ならまだ間に合う。ここにいる全員で声を上げてストライキを決行しよう>
非正規風情がなにを偉そうに言うか、取り替えのきく俺たちにはなにができるってんだ、家族もないものが世迷い言を言うな・・・といった反発もあった。だが、労働者多数は身じろぎもせずうつむいて聴いた。展望デッキの五十畑も無言で立ちすくんでいた。駆けつけた警備員が機械調節ボックス前の脇を引っ立て、稼働再開のスィッチを入れた。工員たちは本能的に位置について工具を手にする。だが、誰ひとり作業を始めようとはしなかった。作業を加えられない車体が空しく流れるベルトコンベアはほどなく止まるだろう。
『未明の砦』は、主人公たちのほか何人かの興味深い脇役が登場し、終わり近くの事態の推移に影響を及ぼす。3人に限って紹介しよう。例えば、板垣副社長のアドバイザーであるエリート課長の日夏康明。彼はある体験から異議申し立てすることを抑制してきたが、彼にすがってきた来栖の内通でとりとも労組の情報すべてを把握し、あの4人の行動によって「殺してしまった自分の一部」が息を吹き返したように感じる。日夏はその後、矢上に電話して逮捕予定の情報を伝えて最初の逮捕を妨ぎ、スト決行後は南多摩署の刑事たちとともに、ストライキを報道する週刊誌の取材に、なかったことにされようとしたとりとも労組の本当の実績を確認させる。それが結局、警察庁公安の萩原琢磨にみずからが指揮を執った共謀罪適用を取り消させるのである。
また南多摩署組織犯罪対策課の初老の刑事・藪下哲夫。警察用の公安が所轄署の頭ごなしに4人を共謀罪で捜査することに異様さを感じた藪下は、独自に4人の軌跡をたどり、笛ヶ浜の宗像「文庫」での彼らの懸命の学習内容を調べる。そのくだりで、小説としては異例ながら、日本の労働法と労働問題、世界の社会運動の現状が、彼の戦後民主主義への思い入れをまじえて詳しく紹介されるのだが、それはとりもなおさず、太田愛自身の労働問題の勉強内容でもあるだろう(本書はきわめて多くの労働研究の参考文献を添えている)。そして藪下は、日夏とともに週刊誌「真実」の報道にも助力し、最後には、4人の「ユシマの息を止める」真意を知って、彼らが工場へいたることを間接的に擁護するのだ。
それに警備室で働く派遣清掃員・仙波南美。若い彼女も過去の切実な体験からぼんやりと目的なく日を過ごしていたが、とりとも労組の4人の行動になぜか惹かれ、団交を見守り、その報告会にも参加して、私もゴミじゃないと感じるようになる。そして彼女は、とりともの活動をなかったことにすると決まって、団交に出席した板垣副社長が慌てて不十分にシュレッダーに投じた団交記録を、清掃時に引き抜いて密かに保存していた。それが優しい上司の派遣警備員・山崎を通して週刊誌の手にわたり、日夏情報と共に公安と会社の嘘を決定的に暴くことになる。
その仙波南美は、ストライキ翌日(?)の未明、日の出前30分、徹夜でつくった美しいプラカードを抱えて生方工場に向かっていた。工場前集会に参加するためだ。ユシマの労働者や「はるかぜユニオン」のスタッフだけではなく、一般市民をふくむ世代を超えたさまざまの人びとがすでに集いつつある・・・。
本書は労働者の状況や企業および警察権力の対応の論理をきわめて具体的に描くだけに、ときに生硬な筆致もある。また矢上以下4人のスピーチはあまりに情理をつくして雄弁にすぎるという気もする。とはいえ、階層の上下を網羅する人びとの多様性(バラエティ)と、彼ら、彼女の変化(チェンジ)との共存という物語の本質的な魅力を、『未明の砦』は備えている。とりわけ、4人以外にも、厳しい環境や執拗なトラウマに閉じこもっていた何人かの労働者が、ためらいながら人間らしさを取り戻してゆく変化はの軌跡は心をうつ。それに時点の倒叙による推理もの風の筆致も、登場人物のポリフォニー(多声)による頻繁な場面転換を用いた映画的な描写も、この小説を一気に読ませる要素になっている。。
『未明の砦』は、とりわけ現時点の日本社会にとって際だって思想的に意義ぶかい作品であるように思われる。最後に、その独自的な寄与について、私なりに気づいたことを2点あげたい。
その1.矢上らの学んだことのひとつに、イギリスの1920年代、はじめて女性参政権を求めて建物破壊や放火まで辞さなかった「女性社会政治同盟」、サフラジェットの活動がある。「女性が立法活動に参加できない以上、私たちはあなたたちの法律には従わない。・・・法律を作る権利を自分たちに与えるためにこそ、私たちは法を破るのだ」、それが破壊活動を肯定する彼女らの論理だった。そしてサフラジェットのように、4人も後に「ルールを守らないやり方で闘うこと。法律やルールを都合のよいようにつくったり変えたり無視したりできるユシマを相手に、こちらだけがルールを守って闘ういわれはない。またルールを守って勝てるわけがない・・・」と申し合わせている。企業内に張り巡らされている、合憲制も疑わしい「社則」や労務管理については本当にそのとおりである。
けれども、現在の日本では、ときに体制の秩序やルールを超えようとするスタンスは、度しがたい「過激派」のそれとみなされよう。それでも本書は、ひいては太田愛は、あえてこのようなラディカリズムの姿勢を突き出す。正当なピケが「威力業務妨害」とみなされるような今、このようなラディカリズムは、サフラジェットも否定した人身攻撃でないかぎり、捨てることのできない発想ということができる。
その2。労働研究書には、また社会派の文学には、非正規労働者の惨苦を凝視する作品もいくつか見受けられる。けれども、それらとくらべて『未完の砦』には類書と異なる特徴がある。ほかでもない、それは、深刻な労働問題を解決する手段として、行政への救済申請や提訴による司法判決ではなく、労働者自前の労働組合運動が、それも、労働現場でのストライキが決定的であるとされていることにほかならない。
日本の労働状況を多少とも知る者にとって、こうしたユニオニズムへの凝視と期待が、さしあたりどれほど「反時代的」であるか、とりあえず国民多数の「人気」を博したいならば、それがどれほど大胆な言説であるかは自明であろう。とはいえ、長年の私の持論をここでまたくりかえすまい、<ともとり労組>のような労働現場のユニオニズムなしには、労働者の日々の不安や鬱屈や心身の疲弊はひっきょう軽減されはしないのだ。そこを避けることなく直視した太田愛の勇気と、労働の現実を可視的に再現した力量に、私はオマージュを捧げることをためらわない。まだ「未明」ではあっても、この作品が「反時代的」とみなされない明日の陽光はかならず訪れる。
在宅の日々のこと (2026年3月16日)
数日に一度の「電車外出」のほかは、私の在宅の日々はほとんど時間どうりに進む。
5時半から6時には起床。雨戸を開ける。朝日新聞を読む。長文の有益な記事の多いこの新聞、スタンスはまず納得できるが、社会運動の記事がほとんどないのが気にいらない。TV番組のいくつか(映画やドキュメントや注目の連ドラなど)を録画する。それにしても危険な時代になった。「世の中難儀なことばかり」、「そんなのダメだと怒ったり」だ。6時半ごろ起きてくる妻の滋子とパンやハム、スープなどの朝食をとる。滋子が「ばけばけ」を見た後、散歩に出かける。東海道や野道、員弁川の橋や脇道を平均して40分、実にゆっくり歩く。唯一の運動であるウォーキングは毎日の課業だ。およそ9時から11時過ぎまで、私はパソコンを開く。かなりくわしい日記をつける。メールをチェックし(この頃ほとんどはセールスだが)、FBで諸兄姉の消息や意見を読み、ときに自分もエッセイを投稿する。このような身辺雑記、素人論議ながら「状況」への批判、読書と映画の感想などである。それからは人文・社会科学、歴史など一般書の読書。もうほとんど「勉強」はパートタイムになった。11時すぎ、滋子の昼食準備を手伝う。炒飯、チキンライス、レトルトカレー、味噌うどん、焼きそば、餅などのローテーションとなる。洗い物をする。食器の収納のほか後片付けは主として私の仕事である。
昼食後、12時45分になるとともにシェスタ。およそ1時半ごろからは、気ままにさまざまの雑事。ガラスふき、庭の枝切り、再生ゴミの荷づくり、すぐに累積する台所の食品や郵便物の整理、スーパーへの買物・・・。ところが意外な伏兵は、ふたりとももの忘れがひどくなって見当たらなくなった物や書類が多くなり、その捜しものに時間がかかることである。しかし、そんなことがなければ、それから夕方までは本当に自由で、小説を読むか、少なくとも3日に1回ほどは、TV録画、所有DVDの映画を観る。たいていは再見なのだが、名作、少なくとも佳作揃いだ。またいつか記したいと思うけれど、昨年などは、大好きで、生涯ベスト20くらいには入るずいぶん多くの作品に没頭している。
18時頃には、昼食時と同じように、滋子の相談に応じて、冷蔵庫の肉や魚の在庫を調べ、煮物、焼物、炒め物、味付けなどを手伝う。できるだけ旨いものを心がける。私が調理の主役をしたとき、滋子がおいしい!と完食してくれればうれしい。それから手早く後片付けをすませて、20時頃からは1.5時間ほど、録画しているTV番組を観る。日本、外国のすぐれたドキュメントふたつくらい。または「刑事コロンボ」や横山秀夫のドラマなど、再見に耐える作品を楽しむ。その後、入浴して就床し、どうにも眠くなるまで小説を読む。楽しい時間だ。今は亀山郁夫訳『カラマーゾフの兄弟』と、中山義秀訳『平家物語』少しづつ読み進んでいる。23時頃消灯する。
昨年の酷暑のころふたりに課せられた健康上の試練を乗り超えて、私たちはとりあえず健康である。とはいえ、やはり87歳の体力の衰えは著しい。いつも「ものさがし」の記憶力減退はすでに記したが、私はといえば、バランスが悪くなって、転びそうで、凹凸ばかりの庭をサンダルでは歩けない。手指の力が弱くなり、よくものを取り落とす。瓶の硬いキャップを外せず、滋子に開けてもらう。滋子は生体人工弁の装着ゆえに身体障害者、私は「介添え人」なのだが、ときにその逆ではないかと思うこともある。ちなみに滋子が元気になって主婦の仕事を全うしそのぶん私はまた家事から撤退しつつあることはいいことなのだろうか? ともあれ、このような日々の終わり、滋子はアナグマのように布団にくるまってもう眠入っている。よく眠れ。私はこの人とともに生きる。
もう春だ。写真は庭に咲いたボケ、モクレン、黄スイセン、ボケ、犬山でからくり館、犬山城






観梅、鈴鹿の森庭園 (2026年3月3日)
3月1日は観梅。「鈴鹿の森庭園」を訪れる。快晴の休日、予想通り大変な人出で、近鉄四日市往復の臨時バスに乗車するには往路も帰路も苦労したけれど、すばらしかった。あれほど多くの壮麗なしだれ梅はこれまで知らなかったし、これからも出逢うことはないだろう。私たちには今生の思い出の梅見という気がした。
四日市に帰って、喫茶・夕食・ショッピングのあと、夜の部の映画『木挽町の仇討ち』をみる。武家の建前の窮屈な法度を芝居小屋に漂着する心優しい人びとがみごとに無化してしまうからくり。永井紗耶子の小説にエピソード加えてエンタメ性を高めているが、人びとの体験の過酷さと人情の温かさは原作に及ばない。ともあれ、何枚もの梅の写真を。














2026年1月~3月のベスト作品――3月28日
読書と映画観賞は、私の現在の生活でもなお大きな比重をもつ。その享受のうち印象に残った「収穫」の作品3作ほどを、今年から四半期にわけて略記することにした。主として私自身の記憶確認のためだが、諸兄姉のなんらかの参考になれば望外の幸せである。
<社会・人文科学、歴史、一般書>
①ジョン・ダワー<三浦陽一、高島良一訳>
『増補版 敗北を抱きしめて―第二次大戦 後の日本人』岩波書店、2004年
②鈴木貴宇
『サラリーマンの文化史―あるいは「家族」と「安定」の近現代史』青弓社、2022年
③小泉悠
『現代戦争論―ロシア・ウクライナから考える世界の行方』筑摩新書、2026年
名著①への共感と感銘についてはすでに記した。HP(26.1.21)の参照を乞う。
②は、明治期から1950年代までのサラリーマンの心情と背景の社会状況を、写真、漫画、映画、文学など広範な文化表象を通して考察する。博引旁証、実におもしろく読める。しかし、階層として工場労働者と区別されるホワイトカラーの仕事、職場、階層意識、労使関係などの考察は手薄であり、そのかぎりでは私の期待した内容ではなかった。
③は、すぐれたロシアの専門研究者で自称「軍事オタク」によるロシアのウクライナ侵略の多方面からの徹底的な分析。この書の卓越性は、「どっちもどっち」の中立論を排し、ロシア側の論理と侵略の理不尽さ・非道さを、戦争継続のためのロシア国内での貧しい辺境への犠牲転嫁もふくめて詳細に論じ、プーチンの望むかたちでの即時停戦が領土奪取にとどまらないウクライナ人の人権抑圧の「構造的暴力」をむしろ増加させるという、明瞭なスタンスにある。この悲惨をロシアの勝利に終わらせてはならないのだ。異論もありうるだろうが、精緻な分析者が抑えがたい怒りに殉じてきっぱりと判断する姿勢に私は共感する。
番外としては、青木理『百年の挽歌 原発、戦争、美しい村(集英社)が心をうつ好著だった。美しい飯舘村で自然と共生し、勤勉で実直な農夫として生きてきた102歳の古老が、福島原発事故のため避難を求められた2011年3月に自死するまでの、国策に翻弄された軌跡を哀惜を込めて綴っている。
<小説 ①と②は再読>
①宮部みゆき『理由』朝日新聞社、1998年
②真藤順丈『宝島』講談社、2018年
③永井紗耶子『木挽町のあだ討ち』新潮文庫、2025年
東京の豪華マンションで6人の「家族」の死が確認される。ところがその死者たちはマンションの所有者でも仮の借家人でもなく、お互い家族でもなかった。①は、この不思議な事件にかかわる、いずれも住宅問題に悩み抜いた庶民たちのやむなき事情を懇切に優しくみつめてゆく。宮部ワールドの傑作である。
②は、最近の映画作品に触発された8年後の再読であるが、やはり映画以上にすばらしい。1952年~72年の沖縄、コザ。戦果アギャー(米軍基地や物資貯蔵所から盗み出した食品や衣料や薬品を沖縄住民に配る若者たち)の英雄オンちゃんが嘉手納基地侵入後に行方不明になる。それか30年にいたる、恋人ヤマコ、親友グスク、弟レイの三人、加えて孤児のウタの波瀾万丈の軌跡を色濃く描く。グスクは刑事になって頻発する米兵の性加害の解決に、ヤマコは教師として組合運動、祖国復帰運動、孤児たちのケアに、レイはアウトロウとして身を隠してテロを辞さない反米実力行使に奮闘するけれど、彼らの前には米国の巨大な権力や日本政府の追随や旧憲兵たちからなる隠密の思想統制グループによる弾圧、ヤクザや密貿易集団の暴力などが立ちはだかり、懸命の苦闘はなんども挫折する。しかし彼ら、彼女らはまたなんども立ち上がる。そんななか、基地撤廃という人びとの願いをあまりに踏みにじる祖国復帰の虚構性がついにコザ暴動を勃発させる・・・。その折、レイたちの基地爆破をめざす突入行動のゆくえが、結局、オンちゃんの失踪の真相と彼の残した希望のメッセージを明日に伝えることになる。さぁ、起きらんね、「また始めよう。そろそろ本当に生きるときがきた」と。沖縄の言語世界と文化の豊穣さ、庶民たちの絆、絶えることなき実力行動を辞さないタックルセ!(やっつけろ!)の叫びが全編を貫いて、愛と革命の色彩がまばゆく、響き渡るカチャーシーの歌舞音曲が心にしみる。
③の物語では、それぞれに厳しい不遇の体験を経ていま芝居小屋にたむろし、芝居づくりに不可欠なそれぞれの専門技能を発揮する者たちが協力して、若い武士に強いられる筋違いの不本意な仇討ちの掟をからくりで鮮やかに無化してしまう。愉快な人情ものだ。最近の映画作品ははらはらさせるエピソードを加えてエンタメ性を増しているが、それぞれ役割を果たす人びとの経歴の深みと人情の濃密さの点では小説の方がよい。
なお、3月に入ってからは、限られた時間ながら、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』(亀山郁夫訳、光文社5冊)と、『平家物語』(中山義秀現代語訳、河出文庫3冊)に読みふけっている。紹介・感想は次の機会に譲るけれど、いずれも壮大な物語の流れに入るのが毎日の楽しみである。
さて、映画はといえば、このところ、劇場での新作は、私が時代のセンスについてゆけなくなったためか、今ひとつなじめないものが多くなり、感銘は勢い大好きな名作・佳作の再観賞に偏っている昨年などは、私の生涯ベストクラスの作品を10本以上も堪能したが今年に入ってからも傾向は同じで、邦画はすべて、洋画はほとんど旧作である。私の好みは時代遅れかもしれないけれど、ともかく順不同で記すことにする。
<日本映画>
①流浪の月(2022年) 李相日(+脚本)、
主演:広瀬すず、松坂桃李、横浜流星
②フラガール(2006年) 李相日(+脚本)、
主演:青井優、松雪泰子、富司純子、岸部 一徳、豊川悦二
③赤ひげ(1965年) 黒澤明、脚本:小国英雄、菊島隆三、井手雅人
主演:三船敏郎、 加山雄三、仁木てるみ、土屋喬夫、杉村春子
凪良ゆうの小説を原作とする①は、従兄弟からの性加害をふくむ虐待に鬱屈していた11歳の家内更紗(長じては広瀬すず)と、「ロリコン」で孤独な学生・佐伯文(松坂桃李)との15年以上に及ぶ、世間からは理解されず犯罪とされて指弾されるような寄り添いの軌跡を描く。文の下宿への少女時代の寄寓、変質者の「誘拐」としての逮捕、15年後の再会、どうしようもなくまた惹かれあうふたり。そんなふたりを理解できず、更紗の恋人(横浜流星)は憤って暴力をふるい、彼の特異性は理解する文の許嫁(多部未華子)もいらだちが昂じて押しかける。そのうえ社会的には徹底的に非難され排除されて、結局、ふたりは流浪の生きざまを選ぶことになる。登場するすべての人間像のリアルな描写は説得的であるだけに哀しい。またそれだけにふたりの愛のあてどない道行きは、誰にも理解されないとはいえ、まぎれもなく実在する、性を超えた愛の真実を私たちに語りかける。
②は、1965年、衰退し縮小される常磐炭鉱において、地熱を利用したハワイアンセンターとフラダンスの興業をもって地域再生をめざす懸命の過程を描く周知の名作である。主要な登場人物は、フラダンスの踊り手に応募する紀美子(青井優)ほか小百合(山崎静代)ら炭鉱の娘たち。チームの指導にあたる、もとSKDの花形ダンサーまどか(松雪泰子)。事業の中心的なスタッフ(岸部一徳)。紀美子の家族、母千代(富司純子)と兄(豊川悦二)など。この映画のすばらしさは、伝統的にマッチョで、娘たちが肌をさらして踊るなどまともな仕事ではないと白眼視していた炭鉱界隈の男たちが、みずからも選炭婦だった千代が紀美子の懸命の練習にふれ、これもこれからの娘たちの立派な労働だと省みることを契機に、すべてのヤマの人びとがなにごとにも積極的に協力するにいたる、その変化の描写にある。はじめは娘たちの不器用を軽蔑していたアル中のまどかも、やがてみずからの責務と娘たちとの絆に意義と歓びを感じてゆく。これまでの炭鉱生活を維持する困難さをみすえて新しい生き方に挑戦しようとする庶民たちの姿を活写する、いくつかの名場面が感動の涙を誘う。そして実にさまざまのトラブルを乗り超えてフラダンスショウ開幕の日がくる。紀美子らのフラダンスは華やかで美しい。人びとは熱狂し、まどかは幕袖で涙ぐむ。本当にいい映画だった。
1965年公開の③は、思うにその後の大作群のいずれも及ばない、この巨匠の最後の傑作である。舞台は江戸期の小石川療養所。「赤ひげ」とよばれる名医・新出去定(三船敏郎)と、長崎で蘭学を学び高位の典医たらんとしていたのに、不本意に汚らしい庶民たちが押しかけて入院するこの療養所に送り込まれた青年・保本登(加山雄三)が相互の理解に辿りつく物語だ。はじめはなにかと不貞腐れていた登は、周囲の苦患者たちを凝視するなかで貧民を救う医術とはなにかに目覚めてゆく。そして無愛想で傲慢ながら、洞察力にとみ、医術、武術、富裕者からのふんだくりにも長けた赤ひげに傾倒するようになり、ついにはここを自分の生きる場所と心定めるにいたるのである。
黒澤の話法はやはり冴えている。ひとつだけ挙例しよう。女郎屋でこき使われ心身を病んでいた少女おとよ(仁木てるみ)が療養所に引き取られる。赤ひげから診療を託された登は、かたくなに診療を拒むおとよの病気に必死に取り組み、過労で倒れてしまう。だが、昏睡から目覚めれば、快癒したおとよが、かつて女郎屋でさせられていたのと同じ動作で(同じ動作であるところに演出の冴えがある)登の部屋を拭き掃除をしているのだ。懸命の介抱の過程で、おとよが悴んだ手で窓の雪を掬って登のおしぼりを冷やすシーンの美しさは比類ない。この場面ひとつだけでもこの映画はみるに値するのである。
<外国映画 順不同>
①声もなく(韓国、2020年)ホン・ウィジョン(+脚本)、
主演:ユ・アイン
②揺れる大地(イタリア、1948年)ルキノ・ヴィスコンティ(+脚本)
③ミシシッピー・バーニング(アメリカ、1988年)アラン・パクラ、
脚本:クリス・ジ ェロルモ、
主演:ジ-ン・ハックマン、ウィレム・デフォー、フランシス・マクドーマンド
④ナースコール(スイス/ドイツ、2025年)ペトラ・フォルベ (+脚本)、
主演: レオニー・ベネシュ
①:死体処理などヤクザの汚れ仕事をする、少し知恵遅れで言語障害の鈍重な感じの若者テイン(ユ・アイン)は、あるときボスから、誘拐したのに冷淡な親が身代金を払わないため処理に手こずっていた聡明な少女(ムン・スンア)を、ボロボロの自宅で面倒をみるように頼まれる。しかしそこではじめてテインは、妹をふくめて3人の「家族」らしい人間の絆の歓びを知ることになる。そしてやがて「処分」を命じられたとき、彼は少女を伴って逃亡し、小学校で彼女を教師に託すまで守りぬくのだ。小品ながらまことに心をうつ物語ということができる。
②:当時は左翼だった巨匠ヴィスコンティの初期1948年の作品。イタリアはシシリアの漁夫一家は、魚の仲買人に過酷に搾取され、反抗して追放されて鰯工場の労働者になるが、起死回生の鰯の缶詰づくりの事業にも失敗してすべてを失う。だが、浜辺で出合った少女に思いがけず励まされて、船主になった仲買人の嘲りに耐えて頭を下げ、彼の漁船で劣悪な賃金の漕ぎ手として再び働き始める。俳優はすべてシシリア人の素人、言語はシシリア方言という。すべての細部は社会構造の認識に裏打ちされてきちんと描かれ、総じて暗い物語ではあれ、明日の希望がほのみえる。戦後リアリズム映画の古典とみることができよう。
1964年ミシシピー州の小都市での公民権運動の活動家3人の隠蔽された殺人を捜査するFBI捜査官、高学歴の正義派アラン・ウォード(ウィレム・デフォー)と、もと南部人でヴェテラン刑事のルパート・アンダーソン(ジ-ン・ハックマン)。①はふたりが地域のあらゆる厚い壁と闘って、ついに真相を暴くまでのスリリングな物語である。厚い壁とは、町長、キュー・クラックス・クラン(KKK)の陰のリーダーたる実業家、保安官、副保安官(ブラッド・トゥリフ)らの有力者および体制順応の一般白人が行使する黒人に対する徹底した差別と偏見、放火・暴行であり、当の黒人自身のおびえである。捜査の過程では、まじめで非暴力主義のアランと、それを「きれいごと」として恫喝、暴力、策略も辞さないルパートの間に諍いが絶えない。だが結局、副保安官夫人で美容師のベル(フランシス・マクドーマンド)の心に潜む良心に気づいて彼女に接近し親密になるルパートこそが、ついに彼女から決定的な証言(副保安官のアリバイ、死体を埋めた場所)を引き出すのだ。殺人を実行した者、知りながら黙認し隠蔽した者たちすべてが逮捕される。アランがあえて目をつむる、逮捕過程でのルパートらの恫喝や暴力やKKKを装うまでの策略の具体的な行動は愉快このうえない。ラストシーン。悪の仲間を「裏切った」として激しい暴行を受けて傷つき、退院後に壊された自宅に立ちすくむベル夫人と、そこで別れを告げるルパート。このふたりの名優の顔芸とさりげない台詞がいい。でも私はこの町が好きでここにいる、いい人もたくさんいる、次の派遣地からのお便りはいらないから・・・とベルは言う。その自立心がすがすがしい。エンタメ性、サスペンス、「きれいごと」ではすまない悪を撃つ実力行使などすべてをふくめて、これは私の大好きな映画だ。数ある黒人差別告発ものの白眉ということもできる。
④はこの欄の唯一の新作。スイスの州立病院で、極端な人員不足のため文字通り寸暇を惜しんで働く看護師フロリア(レオニー・ベルシュ)の遅番勤務の1日を淡々と描いている。子持ちでおそらく40代のフロリアは、感謝とともに実にさまざまの苦情を訴える多くの患者の見廻り、病状のチェック、薬の調合、点滴や注射、救急患者の搬送などを熟練のスピードと正確さをもってまったく寸暇なくこなす。患者たちに過剰に媚びず、激さず、それでいて慰め励ます。その感情コントロールのみごとさ。これら驚異的な激務への没入をみているといつしかじーんとしてくる。だが、そんな彼女も、たまたま焦慮の理由が重なって、ジュースをもってくるのが遅いとなじる裕福な患者に思わずかっとなって彼の高価な腕時計を窓から投げ捨ててしまう。この不祥事は偶然に解決をみることになるが一方、あまりの人不足のため見廻りがゆきとどかず、患者のトルコ人の母親が死んでしまう事件がフロリアを打ちのめす。泣きながら彼女はトルコのスカーフで美しく死者を装う。ようやく退勤になり疲れ果て帰宅のバスに乗る。背後からの撮影だが、隣の席にあのスカーフの女性が座る。でもあなたはよくやってくださったと伝える死者の幻だろうか。いつも凜としていたフロリアはその女性にもたれかかる。ドキュメント風のこの映画の、それは唯一ファンタスティックな美しいラストシーンである。
4.19反戦デモに寄せて 2026年4月23日記
4月19日、国会周辺では実に3万6000人もの人びとが駆けつけて反戦を訴えた。20代~70代の老若男女、これまでよりも女性たち・若者たちの姿が際立つ。その映像が心をうつ。大阪でも札幌でも、環状線のターミナルでも、それ以前からの夜のペンライトデモにおいても、気づくのは長らく冬眠していた久方ぶりのデモの文化の復権にほかならない。各国でのリアルな戦争の惨禍、日本での現政権によるの戦争準備、それに伴う人権抑圧の危機感が、長らく政治から身を遠ざけていた人びとの心をようやく言挙げに誘ったのである。
人びとの多様なプラカードやゼッケンには、イランを「石器時代」に戻すぞと恫喝したトランプや、ウクライナでジェノサイドを続けるプーチンなどにNO!(退陣)を迫る表明もある。しかし現時点の日本でのデモの要求はなによりも、およそ平和主義を歯牙にもかけない大国・強国の戦争屋たちにむしろ協力するかのような高市政権へのきっぱりした拒否だ。高市早苗は、殺傷武器の輸出をすでに全面解禁したうえに、非核3原則を緩和し、憲法9条2項の廃止を目論む。そうした戦争ができる準備と呼応して、国民監視のインテリジェンス強化、スパイ防止法、国旗損壊罪制定など人権を抑圧する制度を本格的に制度化しつつある。自民一強のうえ、維新、国民民主、参政などの追随もある。国会内での少数野党のチェックに頼ることはできない。平和と民主主義は存亡の淵に立っている。ほのかな希望は「高市NO!」の声を上げる市民たちの継続的な議会外の抵抗運動にあるかにみえる。
これまでの大規模な反戦デモの体験をふり返ってみよう。1960年の安保闘争では、正式の指導部は社会党、共産党、総評からなる安保共闘会議であった。労働組合の抗議ストイキも組織された。文化人や一般市民からの多くの参加が運動の幅を広げた。一方、全学連の学生たちは機動隊の壁を突破して国会への「乱入」を慣行した。それに対比して、2015年の安保法制反対運動は、半世紀にわたる闘争の不在に鬱屈していた旧世代の人びとが学生グループ・シールズの呼びかけに応じて個人として参集し、秩序維持の枠組みのなか整然と行動した。労組の旗を掲げる動員も、警官隊との激突ももうみられなかった。労働組合の変質もふくめて「世の中」万事、60年代年よりもはるかに穏健化していたのである。
それからおよそ10年を経た現時点の反戦デモは、ある意味では2015年の特徴を引き継いでいるとはいえ、一部では「戦争させるな、憲法壊すな総がかり運動」などのとりくみはあれ、総じて政党や労組ナショナルセンターの関わりは希薄で、参加はもっと個人的、自発的なベースである。そのぶん穏健ながらアナーキーな印象である。各地でのリアルな戦争の悲劇、そして日本での憲法9条の危機が明らかに可視的になったいま、政治嫌いの人びとがいたたまれず声を上げ始めたものとはいえ、ある参加者の印象では、「まなじりを決して」という風ではない。祭りのような明るさもある。それぞれにユニークな手作りのプラカーやゼッケン、ペンライト、楽器演奏・・・。「まだ声を上げられるうちに」はじめてデモに来て、こんなにたくさん仲間がいるんだとと実感し、マイクを握って涙ぐみもする。そんな人びとが狭い歩道に犇めいている。すばらしい光景である。
私は、このような自発的な参加者たちの穏健な、より厳密には非暴力的なアナーキーな性格を、現時点の反戦・憲法擁護の運動は失ってはならないと感じる。そのためには、(もしはっきり存在するとすれば)デモのリーダーや呼びかけ人が、参加者たちが「過激」を嫌って、「弾圧が怖い」「もう来たくない」と離反するだろうことを忖度して、交通その他の秩序維持を第一義と考えて、時間や行動範囲を過度に統制することは避けるべきであろう。狭い歩道に閉じ込められて予定コースを一巡して帰る。それで十分だろうか? 怒りの熱量は、例えば、要所でのシットダウン(占拠)、街路に広がるフランスデモ、日常生活でのボイコット、そしてできるならば職場での抗議ストなどに噴出するかもしれないのだ。そうしたラディカルな「決壊」を政治的リーダーは敵視してはならない。「散乱放逸も捨てられず」(親鸞)。思えば、アメリカの99%オキュパイ運動、教師たちの学校ピケ、ヨーロッパの反ヘイト、香港や韓国の民主化運動などはすべて先端では「秩序」を超えたのだ。日本においてもいくつかの公害告発住民運動、沖縄の反基地闘争などでは、人びとはデモやスタンディングばかりでなく、必要とあらば現地に座り込んだのである。
さまざまの法規がますます自由の領域を狭めるようとしている。その法規が許す範囲内に抗議行動を限局することは、政治を変える方途を議会の決定のみに委ねることに等しい。
門寛子なる自民党議員は、4.8国会正門前の憲法守れ、戦争反対のデモにふれて、「国会に集まってペンライトを振るって、それで政権変わらないですよね」「厳しいことを言うようですけど『ごっこ遊び』にしか見えないんですよ」と冷笑したという。彼女の「冷笑」に対しては軽蔑と嫌悪をもって報い、人びとの真摯な願いを一顧だにしない政治家としての鈍感さを嗤うことはできる。だが、門寛子は、結局、すべては国会で決まるのよ、そんなに言うなら選挙で勝ってみなさいよと言いたいのだ。日本では結局、政権を揺るがすような議会外行動はできないだろうというクールな読みもうかがわれる。ある意味で彼女は正しい。私たちが徹頭徹尾、議会主義に忠実に、すべての街頭行動を過度に統制してその成果を選挙に収斂させるかぎり、彼女の放言を本当に撃つことはできない。
イラン攻撃・トランプ・高市早苗 2026年3月~4月
高市・トランプ会談に感じること――3月21日記、4月30日修正・加筆
予想はしていたが、高市早苗はよくもあれだけ暴君トランプに媚びへつらうことができるものだ。子どもたちをふくむ多くのイラン人と指導者が殺されるのも、イランの当然の報復としてホルムズ海峡が閉鎖され世界の石油価格が高騰するのも、国際法も議会手続きも無視したトランプの一方的な軍事侵略のゆえである。国際社会のまともな政治家たち、反戦を願う世界の人びと、いやアメリカ内部でも半数以上の人びとが、この理不尽な軍事侵略に反対し、求められる協力をしかるべく拒んでいる。強がりつつもトランプが実は孤独なのも自業自得なのだ。それなのにわが首相は、トランプの国際法違反を不問に付すばかりか、ドナルド、世界の平和と繁栄をもたらのはあなただけよと、アメリカの軍事行動に率先して指示を表明したのだ。よく言ってみじめ、悪くいって気持ち悪くむかつく。
11兆円もの対米投資、つまり経済援助というお土産は、ホルムズ海峡への自衛隊派遣がさしあたり要求されなかったことの代償であろう。政府・官僚の一部はこれをリアリズムに徹した外交上の成功と評価する。だが、アメリカはまだ自衛隊派遣への要求をまったく放棄しているわけではない。高市は「国際法違反のうえ交戦状態にあるところへは自衛隊は出せない」と明言していてはいない。推測の域を出ないが高市は、今は憲法九条があるから軍事協力はできないけれど、いずれ私は改憲するつもりよ、とひそかに囁いたのではないか。それに一応うなずいたトランプから、それでもあえて自衛隊派遣を求められることがあれば、それは日本の法律でも「できること」という理屈をなんとか捻出するかもしれない。
ともあれ日本政府は、トランプ・アメリカのイラン攻撃への支持の表明によって、お題目の「法と秩序」の理念を、国際社会の信頼を裏切り、この「平穏な日本」でもときに3万6千人にも及んだ抗議デモが行われるほどの世界の民衆の願いをふみにじった。こうした対米協調・対米従属は、しかし果たして、政治のリアリズムといえるだろうか?おそらくトランプは遅くとも11月には中間選挙に破れる。幾多の不法行為の重なりゆえに刑事上および民事上の訴追さえ受けるかもしれない。アメリカ人の多数はこの暴君にもううんざりしているのだ。アメリカ社会の深部になお潜む良識と知性がトランプをほどなく失脚させる。そのとき、高市・トランプ相思相愛の「バディ」のたどる運命はどうなるのか。高市早苗はハグの相手を失って立ちすくむ。
トランプNO!―― 4月7日記、4月30日修正・加筆
トランプは口汚い。演説やXでの空疎な発言をいちどでも聴いてみればよい。無定見で無責任。事実の検証なき独断。信じられないほどの自画自賛と承認要求。そしてなによりもイランという国が生き延びる権利とイランの人びといのちとくらしの完全な無視。これほど口汚いのも、そもそもトランプには、人間としての品性というものがないからだ。
世界の民衆がこの暴君にもう消えてほしいと切望している。アメリカ国内でも、一定数の政治家が、まともなシンクタンクが、彼の意を迎えるはずの司法界が、国際法の学界が、有力なマスメディアが、文化人・芸能人たちが公然と反トランプに転じている。800万人以上がこの「石器時代」の族長のような独裁に抗議するデモにくりかえし集う。
まるで軽視していたイランのしかるべき抵抗ゆえに、なお続くホルムズ海峡の閉鎖と石油価格の高騰にいらだって、トランプは、ひとたびは、イランを「石器時代に戻す」ような、すべての橋や発電所の攻撃とジェノサイドの実行をもって恫喝した。だが、イランの革命防衛隊を中心とした徹底抗戦の意思や、発電所を囲む女性や子どもをふくむ「人間の鎖」を、石器時代作戦の実行で粉砕する、それは政治的な死を意味することにトランプはようやく気づいたかにみえる。それはもうできない。トランプはいま小出しの譲歩をちらつかせながら、愚かに仕掛けた軍事攻撃の「成果」をアメリカ人に納得させるほどのイラン側の大きな譲歩をじりじりと待っている。だが、それもあまり期待できない。トランプが目論んだイランの反体制派も、「地獄」をもたらす米軍の軍事恫喝ゆえに、国民的な抵抗戦線に協同しているからである。総じて、明らかに戦況はアメリカに不利であり、問題解決の切り札はイラン側にある。トランプは困惑のきわみにあると思う。
くりかえし言えば、11月の中間選挙を待たずともトランプが失脚する可能性は十分にある。「張り子の虎」は実はトランプなのだ。世界平和と世界経済の苦境を打開するために、「平和主義」の日本が今こそトランプに完全撤兵を要求すべきことは自明であろう。
