その1 日本映画
なんという映画好きなのか、われながら驚く。とくに21年は、コロナ禍で外出のイヴェントが少なくなったこともあって、劇場観賞(たいていは2本をみる)、自宅でのTV録画とDVD、そのすべてをあわせると実に200本の作品にふれている。映画というものの魅惑は語るにつきないが、例年の慣例に従い、そのうちの新作に限って「マイベスト」、をあげてみる。世評とはかなり異なる偏りは、もういたしかたない。
今年の邦画の新作では、昨年以上に収穫は乏しかった。わずかにあげれば、ほとんど順不同で次の4作である。いずれも映画の第一の魅力である「おもしろさ」にあふれている。
①護られなかった者たちへ(瀬々敬久+S)
②ヤクザと家族{藤井道人+S)
③空白(吉田恵輔+S)
④明日の食卓(瀬々敬久)
これらはなによりも、社会的な視野をもつストーリーが充実していており、納得のうちに感動に誘われる。①は大震災後、温かい老婆(倍賞美津子)に慈しまれて成人したかつての孤児ふたり(佐藤健、清原佳那)による、病んだ老婆の生活保護獲得をめぐる非情の役所との闘いと、その果ての凄惨な犯罪への軌跡を描く。②は、シブイ風格の組長、彼に愛されたヤクザ(綾乃剛)、その愛人(尾野真千子)、その息子相互の切実なかかわりを時代の経過のなかで辿る異色のヤクザもの。③は万引きした娘を交通事故死に追いやったまじめなスーパーの店長(松坂桃李)を理不尽に追いつめる、父親(古田新太)の再生への心の変化をみつめる。④は同じ名前の息子をもつ階層さまざまの3組の母(菅野美穂、高畑充希、尾野真千子)と子らとの複雑な関係を巧みに描いて飽かせない。
ほかには、敬愛する好きな作家の関わる2作品、坂元裕二シナリオの『花束みたいな恋をした』(土井裕泰)と、津村記久子原作の『君は永遠にそいつらより若い』(吉野竜平)に、やはり心惹かれるところがあった。いずれも現代日本の若い世代の愛と挫折、反発と順応の交錯がくっきりと切りとられている。
この後、「2021年の収穫」は、その1に次いで、外国映画、3分野に分けた読書という順序で綴ってゆく。アッピールや推薦というよりは、記憶をみずからに刻むためである。
その2 外国映画
2021年は、洋画についても、大きな社会的・歴史的な背景をもつ壮大な名作にはめぐりあわなかった。しかし次のような作品はやはり記憶に値する。ここでも3位以下は順不同であげる。国籍は物語の舞台、使用言語、主要出資国である。
①悪なき殺人(仏、ドミニク・モル)
②ファーザー(米、フロリアン・ゼレール監督・原作・脚本)
③モーリタニアン 黒塗りの記録(米・英、ケヴィン・マクドナルド)
④アンモナイトのめざめ(英、フランシス・リー)
⑤プロミッシング・ヤングウーマン(米、エメラルド・フェネル)
⑥アウシュヴィッツ・レポート(スロヴァキア、ペラル・ヘブヤク)
⑦金陵一三釵(中国、チャン・イーモウ)
⑧サムジン・カンパニー(韓国、イ・ジョンビル)
①は、アフリカからのネットを駆使した女性紹介詐欺がフランス中部の寒村の孤独な5人の男女を翻弄して、思いがけない謎の犯罪を引き起こす。悲惨でグロテスクながら傑出した物語。おもしろさは比類ないが、言いしれぬ寂寥の印象を残す。②は、現実と幻想の間を彷徨う認知症の老人(アンソニー・ホプキンス)が、現実と記憶、悲哀と安らぎの間を彷徨う姿を鋭くみつめる。この種の作品ではこれ以上は望めない名作といえよう。③では「人権派」弁護士(ジョディ・フォスター)と米軍の検察官(ベネディクト・カンパービッチ)が、テロリストとみなされたアフリカ人の冤罪をついに覆して感動的。④はイギリスの海岸で古生物の発掘に生きる孤独な女性(ケイト・ウィンスレット)とロンドンの中流の人妻(シャーシャ・ローナン)の愛と離反)のプロセスを辿る。なぜか心に沁みるものがある。⑤は医学生くずれの若い女性(キャリー・マリガン)が、友人の性暴力・自殺を契機に、男たちに捨て身の復讐をする、戦闘的フェミニズムの物語。カタルシスがある。⑥では、塗炭の困難を経てアウシュヴィッツから脱出し世界に地獄の状況を訴えた二人のスロヴァキアの青年の勇気の軌跡を追う。⑦は日本では劇場公開されなかった傑作。南京事件を背景に、アメリカ人の偽の牧師が日本軍に逮捕される女子学生たちを、同じ避難所にいた同数の娼婦たちの身代わりによって脱出させるという、心をうつ作品。 ⑧は、大企業の汚染水垂れ流しの公害を、3人の高卒OLが、それぞれの仕事の精通を武器に(ここがいい!)がみごとに告発しきる。サクセスストーリー的なエンディングが少し不満だが、なんといっても爽快である。
このほか今年は、総じて外出自粛でもあり、また今春に『スクリーンに息づく愛しき人びと――映画に教えられた社会のみかた』という、社会派的な、また自分の精神形成史的な映画評論の拙著が刊行されることもあって、シャワーを浴びるように、これまでのマイベストに属するような名作・佳作を見続けた。くわしく紹介することはできないが、ここに21年に再見した作品を厳選して、タイトルのみあげる。
邦画:野良犬/切腹/私が棄てた女/流れる/悪人
洋画:さらばわが愛 覇王別姫/ギルバート・グレイブ/ドクトル・ジバゴ/
愛を読む人/アパートの鍵貸します/旅芸人の記録/追憶/
テルマ&ルイーズ/ アルジェの戦い/カティンの森/蜘蛛女のキス
その3 小説・文芸評論
もともと小説は大好きで、毎日のように開いているが、映像エンタメに時間をとられすぎて、21年には35冊ほどしか読めなかった。それでも印象的だった作品を摘記してみる。
①山田詠美『つみびと』(中公文庫)――最近は家庭の悲劇的な崩壊、親子間の軋轢や児童虐待などをしかるべくみつめる佳作が少なくない。林真理子『小説 8050』、町田そのこ『52ヘルツのクジラたち』、湊かなえ『未来』などすべては、その凝視を経て新しい出会いによる再生を見いだす感動的な作品だ。しかし育児放棄してふたりの子を餓死させた事件を扱う山田作品は、その母、その子、その祖母の三視点で、それぞれの事情と内面を剔りぬいて、その深さのもたらす切実さの衝撃において他の追随を許さない。もう鈍感になった私も泣き出したいような気持に誘われた。
②ケイト・クイン<加藤洋子訳>『亡国のハントレス』(ハーパーBOOKS)――750ページを超える大作ながら、ほんとうにおもしろい。イギリスの戦場ジャーナリスト、社交的で数カ国語を操るアメリの元兵士、ソ連軍の爆撃手だった型破りの魅力的な女性という、いずれも愛する人を喪った三人が、逃亡してアメリカの中流家庭に潜り込んだナチの虐殺者の美女を追いつめる壮大な物語。それぞれの過酷な体験も克明に描かれてゆるみなく飽かせない。彼女の養女になるカメラマン志望の娘の勇気と英知もさわやかである。
③永田和宏『近代秀歌』/『現代秀歌』(いずれも岩波新書)――小説ではないが、俳句や短歌の好きな私には、日本を代表する歌人の永田が、近代と現代の秀歌を選び抜き、観賞のポイントを示唆するこの二著は、この上ない楽しい本だった。なじみの短歌に出会ってはうん、うんと頷き、未知の短歌に出会っては新しい宝石の発見にうれしくなる。
蛇足をつけくわえる。恥ずかしながら今年はじめて谷崎潤一郎『細雪』(上・中・下、新潮文庫)を読み通した。物語の骨子は三女・雪子の挫折をくりかえす縁談話であるが、率直に言ってあの姉妹はいずれも、いささか奔放な末娘・妙子をさておけば、およそ理想とか夢とかには無縁の徹底的に卑俗なもののみかたの持ち主であり、誰も好きになれなかった。彼女らの美学も共感にほど遠い。だが、それでいて、その卑俗な佇まいの、改行も句読点もあまりない延々たる描写が、なぜだろう、おもしろくて、やめられないのだ。ところで私は、この大作の最後の最後の一文が、やっとまとまった縁談で上京する雪子の下痢が、「とうとうその日も止まらず、汽車に乗ってからもまだ続いていた」――であることにとても興味をそそられる。この文豪はなぜ、こんな、呪詛の込められたようにさえみえるエンディングにしたのだろうか。
その4 一般書&専門書
読了した冊数としてはわずか36冊ほどにすぎないが、その分野は多岐にわたっている。紹介する方法に苦しむけれど、好著の多くも省略し、私の関心の深い分野ごとに、とくに示唆的だった良書10冊ほどを、ほとんど内容の検討や批判に到らない短い感想のみを加えて、順不同であげてみたいと思う。
(1)労働問題
①今野晴貴 賃労働の系譜学――フォーディズムからデジタル封建制へ(青土社 2021)②坂倉昇平 大人のいじめ(講談社現代新書 2021)
③竹信三恵子 賃金破壊――労働運動を「犯罪」にする国(旬報社 2021)
①は、「ブラック企業」論で知られる今野晴貴が、たゆまぬ労働相談活動の体験と内外の労働史研究の読みにもとづいて、日本の労働問題の「現在地」、企業別組合の外に生起するある新しいストライキの特徴、これからの労働組合の組織と戦略、「ポストキャピタリズムと労働の未来」までを一望に収める野心的な力作。読み応えがある。高い評価が予想されるだけに、ここでは労働研究の「先輩面をして」あえてもう少しつめてほしい疑問点を挙げる。a「底辺専門職」と雑業的手作業を「一般労働」として一括する把握。 b「ポスト資本主義」の諸概念の具体的なイメージ。cジョブ型ユニオニズムの「労働市場規制」と新しい社会をつくる「労働の質への介入」をつなぐ環は? この結合の期待にはいささか「力業の無理」がある、 ここはショップスチュワード運動・ワーカーズコントロ-ル論の史的な追跡が必要なのではないか。本書はとはいえ、過酷な現実を労働運動の理想につなぐ、久方ぶりに遭遇した雄勁な作品であった。
②は、現代日本のいじめを分析するまたとない好著。この書については、後の追記{2}を参照されたい。また③は、現代日本にあまりみられないまともな労働組合、全日建連帯労組・関生コン関生支部への、国家(警察・検察・裁判所)による常軌を逸した刑事弾圧の諸相を、現場観察、インタビュー、経過の回顧など通じ、具体的な事実に即して説得的に告発する。関生支部の活動の女性非正規労働者への恩恵を重視するのも、竹信の「関ナマ」論の特徴である。
(2)日本近代の思想史・精神史
①西成田豊 日本の近代化と民衆意識の変容――機械工の情念と行動(吉川弘文館 2021)
②大田英昭 日本社会主義思想史序説――明治国家への対抗思想(日本評論社、2021)
いずれも定評ある研究者による、方法意識が明示されたうえでの手堅く克明な史的実証の著作。今後このテーマに分け入るとき誰しも避けることのできない書物といえよう。①の筆致は硬質だが、目配りは「鉄工」の日常の些事に及んでおもしろい。②からはこれまで私があまり知らなかった堺利彦、木下尚江、田添鉄二らの「社会主義」論の意義を教えられた。ただ初出論文の再編であるため、若干のの内容の重複が気になる。
(3)日本の現代史が民衆に負わせた過酷な体験
いつも忘れずにいたいこの領域では、次の新旧二著が印象的だった。
①三上智恵 証言・ 沖縄スパイ戦史(集英社新書 2020)
②石牟礼道子 流民の都(大和書房、1973)/天の魚(筑摩書房 1974)
三上は、戦時中に沖縄の人心収攬のために陸軍中野学校から派遣された二人の将校の硬軟さまざまの働きかけの軌跡と沖縄人の対応を、視力鮮やかな複眼をもってみつめて、ふかい感銘に誘う。いのちの重みを抱えて近代「東京」の資本権力に裸身で抗う水俣病の人びとの心にも行動にも寄り添い続けた石牟礼のエッセイ集は、日本の産業社会が踏みにじってきたものを照射して、今なおそれを刺し通す力きを失っていない。
(4)そのほかの分野
①アリス・ゴッフマン<二文字屋脩、岸上卓史訳> 逃亡者の社会学――アメリカの都市 に生きる黒人たち(亜紀書房2021)
②斎藤幸平 人新世の「資本論」(集英社新書、2020)
欧米の社会学者によるFACTSのぎっしり詰まった叙述は、これまでも私の労働研究に
とって最大の恩師だった。①は労働研究ではないが、アメリカの都市貧民窟に息づく黒人たちの生態――とくに家族、友人、恋人、そして警察官との人間関係の光と陰を、参与観察の域を超え、若い白人の女性社会学者には困難なまでの生活体験の共有を通じて描きつくす。「犯罪」が彼らの生活にもつ決定的な意味などが鋭く抉り出されている。
世評高い②について。後期マルクスの読み方を論じる学史的な部分に私はほとんど関心がない。気候危機を(一定)考慮したサスティナブルな安定成長論とも言うべきSDGsを「大衆のアヘン」と切り捨てる立論にもなお戸惑うところがある。だが、コミュニズムを「コモンの奪還・その市民営」とする思想はまぎれもなく正当であろう。斎藤は、「脱成長コミュニズムの柱」は、使用価値経済への転換、労働時間の短縮とワークシェア、画一的な分業の廃止・作業負担の平等なローテーション、「アソシェーション」による生産手段の共同管理・労働者による生産の意思決定、そして労働集約型のエッセンシャルワーク・ケア労働の尊重――をめざすべきだという。ひそかに労働者管理・自主管理社会主義の夢を抱いてきた私は、このまっとうな理想主義にふかい共感を禁じえない。先に紹介した今野晴貴の議論にも影響を与えていると思う。
その5 追記(1)
ボリュームが大きくなりすぎて書物の紹介の部分には書かなかったけれど、実のところ、私が2021年にかなりの時間を費やしたのは、1984年~翌年にかけてのイギリスの炭鉱大ストライキ関係の英書4冊ほどの読みであった。この問題に関する唯一の邦文文献である早川征一郎『イギリスの炭鉱争議(1984~85年)』(お茶の水書房 2010)なども再読した。
イギリスの「炭鉱労働組合(NUM)のメンバーおよそ10万人は、国家の政治・警察・財政権力を動員したサッチャー政権の炭鉱閉鎖・人員削減の合理化プランに抗して、刑事弾圧と貧困に耐えて1年間のストライキを敢行している。エネルギー革命、政府側の弾圧の豊富な資源、それに内部の地域的分裂もあって、闘争は敗北する。それは80年代におけるグローバルな規模での新自由主義の支配、労働運動の後退の契機であった。この闘いは、とはいえ、坑夫たちの不屈の連帯ばかりでなく、他産業の労働者、家族やふつうの女たち、さらにはエコロジストや性的マイノリティに広がった共感と助け合いの心うつ記録を残したのだ。
1980年代は、世界的にも日本でも、現代史の転換点だったと思う。確かに炭鉱とともに坑夫の労働者としての典型性は昔日のものとなり、ストライキやピケを辞さない労働運動は少なくなった。だが、労働者の個人化、労働組合離れ、その結果としての格差と貧困が進行する今、この大ストライキの体験から、例えば日本の働く人びとが汲みとるべきものはもうないのだろうか? 伝統とは死者にも投票権を与えること、今に生きる思想とは敗者の眼を忘れないこと。そうつぶやきながら、論文執筆や刊行のあてもないのに、私は炭坑夫とその家族たち苦闘をたどたどしく読み続けた。新しい年には、イギリス1984-85年の意義について、できるならばせめて長編のエッセイなりとも記したい。それができる気力と残存能力に恵まれたい。
その6 追記(2) 坂倉昇平『大人のいじめ』(講談社現代新書)を推す
老いの傲慢というべきか、企業社会のひずみを批判的に考察する書物にはある既視感を覚えてしまうことが多かった。そんな私とって、POSSEや総合サポートユニオンでの相談活動の豊富な経験をもつ坂倉昇平の近著『大人のいじめ』は、いくつかの点で新鮮で、あらたに教えられるところも多い好著だった。
本書ではむろん、物流や情報、保育や介護など、さまざまな職場での凄惨なまでのいじめやハラスメントの実例がきわめて具体的に語られている。だが、立ち入った書評ではないこの小文では、本書の特徴的な美質と思われ、ふかく共感できる諸点についてのみ簡単に記すことにしたい。
①坂倉はなによりも、職位上の上役による「ハラスメント」とはいくらか異なる、職場のなかま・同僚による「いじめ」の激増を、最近の傾向として重視し、その内容と心情を考察する。私は、ふつうの人びとが日常的に属する「界隈」を支配する<同調圧力>を現代日本のもっとも危険な「静かなファッシズ」ム」的な兆候とみなすけれも、職場こそがその典型であることがここに確認される。
②それでも坂倉は、それゆえにこそ、ハラスメントやいじめの克服には、法律や行政や「遵法」の企業労務は限界があり、ひっきょう労働者自身・労働組合の役割が不可欠であるとする。労働政策論の忘れがちなポイントである。
③類書はよく、深刻な労働問題の解決は労使にとってWIN-WINであると説く。坂倉はしかし、中間管理職のハラスメントや同僚のいじめの暗黙の承認が、経営にとっていくつかの「効用」があることを指摘し、この種の説得に靡かない。それは、今ではいじめの対象が社会的な範疇の「弱者」に限られず、企業による従業員の「能力」選別や「生産性」の個別評価を前提にして、同僚が自分だけは生き延びるために「自分とは違う」と排除する「不適格者」にまで広がっていることへの洞察が可能にするものにほかならない。
現代日本の暗部に眼を背けないならば、坂倉昇平『大人のいじめ』を読まれたい。
(2022年1月4日編集)