『福田村事件』の達成 (2023年10月2日)

 1923(大正12)年、関東大震災直後、多数の朝鮮人が虐殺される異様な状況のなか、千葉県福田村で9月6日、在郷軍人会にあおられた村民たちが、香川県からきた被差別部落民の薬行商人9人を殺戮した。映画『福田村事件』は、この惨劇の史実にゆたかな想像性を加えて作劇されている。監督は森達也、脚本は佐伯俊道・井上淳一・荒井晴彦。日本近代史の暗部を語ろうとしない権力の歴史意識。今日ふたたび「ふつうの」市民のなかに根をはりつつある恵まれない少数者への差別と排除への同調圧力。この風潮を報じるはずのマスメディアの鈍感さ・・・。この映画の作り手たちは、おそらくそうした現時点の日本の思潮対する激しい嫌悪とつよい警戒心に突き動かされて、ここに100年前をふりかえる、2023年の私たちに必見の作品を贈ることができた。そのテーマとメッセージだけをみても、これは本年度邦画のベストワンをうかがう収穫ということができる。

 だが、この映画の美質はもちろんその社会的意義ばかりではない。すぐれた群像劇の条件ともいうべき登場人物の多様性とドラマ進行過程での変化が興味深く、いささかも137分の長尺を飽きさせない。私には短すぎるくらいだ。名うての脚本家たちが加害の村人、被害の行商メンバー双方にわたり個別の人間像をくっきりと際立たせている。
 たとえば、かつて朝鮮での教職時代に朝鮮人29人の虐殺(1919年提岩里協会事件)に通訳として加担させられて深く傷つき、いつも悩みながら「見ているだけ」の人として福田村に帰ってきた沢田智一(井浦新)。そんな夫にいらだつ自由で奔放なモガスタイルの妻・静子(田中麗奈)。大正デモクラシーの空気を求める良心的な田向村長(豊原功補)。沢田や田向の甘さを嗤い、大日本帝国の天皇崇拝・植民地主義・「鮮人」差別に狂奔する在郷軍人会長の長谷川(水道橋博士、怪演!)。「英霊」の未亡人として村に帰る島村咲江(コムアイ)と、そのひそかな愛人である戦争嫌い・軍人嫌いの渡しの船頭・倉蔵(東出昌大)。そして東京の震災避難者を迎えもてなしながらも、徹頭徹尾、お上の要請や朝鮮人が「井戸に毒を投げ入れている」という風聞に無批判に同調する多くの村人男女・・・。
 一方、薬行商のグループの描写も単純ではない。部落差別ゆえに土地を持てず、流浪の行商を続けるこの人びとは、もっと弱い人、ライ病患者たちを騙すのもやむなしとするしたたかさを備え、なかには「われらは朝鮮人より上」と言い募る者もいる。だが、リーダーの沼辺新助(永山瑛太)は、不屈で明るい性格であり、部落差別の体験ゆえにこそ朝鮮人差別も許されないとする思想の高みに達している。それにもうひとつ、この映画が、新聞の使命を心に深く刻み、朝鮮人飴売りの殺戮をまのあたりにもして、「野獣のごとき鮮人暴動 魔手帝都から地方へ」といった自社の「報道」に耐えられず、事なかれ主義の編集長と激しく対立する千葉日日新聞の女性記者・恩田楓(木竜麻生)を配していることの意義も見逃されてはならないだろう。
 これらの人びとの、歯に衣を着せない鋭く端的な発言が、それぞれの立ち位置を浮き彫りにするとともに、物語の重層性とサスペンスを保証している。終始、目を離せない。ドキュメンタリーの巨匠・森達也の演出も、なんども練り直されたというベテランたちのシナリオも、俳優たちの演技も間然するところがない。まことに秀作というほかはない。

 この映画には、とはいえ、いくらか曖昧で推論を求められるところはあるように思う。
 植民地朝鮮の過酷きわまる抑圧と支配、それに対する果敢な三・一独立運動、そこにみる朝鮮人たちの怒りの噴出への怯え、それらが大震災時に朝鮮人が「暴動」に奔るかもしれないという各レベル権力の過剰の警戒心を生み、それらが震災後の不安に増幅された荒唐無稽な「暴動」の風評を生み、ついには付和雷同の警察や庶民による自衛のための6000人もの殺戮になった・・・。この一般的な背景はよく描かれており、十分に理解できる。だが、私を考えこませるのは、香川から流れてきた被差別部落民の薬行商人たちが、朝鮮人でないのに、なぜ虐殺されたのかである。「日本人」である部落民、いわゆる「穢多」(エタ)は、あの環境下の権力も殺していいとは認めていないはずだったからである。
 薬売りたちは朝鮮人と間違われたというのがふつうの解釈であろう。興奮して取り囲んだ在郷軍人たちや村人の間には、彼らを朝鮮人とみなしたいという偏見の空気が漲っていた。だが、彼らから「湯の花」を買ったことのある沢田夫妻や倉蔵の口添えも、日本人としての常識や発語テストの文句ない「合格」も、行商鑑札の真偽調べを待てという村長の説得もあって、一時は「あの人たちが日本人だったらどうするんだよ・・・日本人殺すことになんだぞ」という倉蔵の総括的な判断がひとときはその場の雰囲気を鎮めたかにみえる。
 だが、そのとき、新助の発した「鮮人なら殺してええんか」という叫びが事態を急変させる。それは新助にしてはじめて発しえた、この非道を根底的に撃つことのできる思想の表明だった。しかしそのとき、子どもを負った農婦のトミが進み出て、鳶口で新助の頭蓋を一撃して倒す。トミの夫は東京の本所の飯場に出稼ぎに赴いていたが消息不明で、トミは東京からの避難民から朝鮮人の暴虐の数々(の噂)を聞いて、夫は朝鮮人に殺されたと信じていたのだ。このトミの一撃が引き金になって、おそるべき惰力が働き、結局、おそらく10人ほどの村人が9人の行商人を惨殺してしまうのである。
 トミにしても行商人たちを朝鮮人と信じていたわけではないだろう。トミも、おそらく他の殺戮者たちも、長谷川がいつも、逡巡する他人をそれぞれの負の経歴を引き合いに出してなじるように、なんらかの意味で朝鮮人を庇う者たち、朝鮮人を同等の人間とみなす人たちを「非国民」として許せなかったのだ。このおそるべき排外主義を媒介にして、「非国民」は、現実には「日本人」であっても朝鮮人にひとしい者、すなわち殺してよいものとみなされてしまう。朝鮮人とみなしたい人びとの抹殺がこうして正当化される。この映画は、思えば、この事件が「間違い殺人だった」という解釈を疑問視させるゆえに、いっそう「ふつうの」庶民の間の不気味な同調と付和雷同がもたらす人権蹂躙のとめどなさの危険性を突き出しているように思われる。

 この映画は内容豊富であり、このほかにも紹介は割愛したけれど考えてみたいエピソードがいくつもある。例えば、この映画の震災前の映像には、村に「押し売り、浮浪人、不正行商人に注意せよ」とうい貼紙があり、殺戮の直前には長谷川が「こいつらは行商の香具師だ、(日本人テストの模範解答を)口上で覚えているだけだ。」とわめいていることの意味、つまり定着農民が漂流民に抱く本来的な差別意識の問題も意識されている。また、惨劇を体験した人びと――村を逃れて死出の漂流に赴く(かにみえる)沢田夫妻、倉蔵と咲江の恋人たち、「この事件の総てを書きます」と宣言する恩田記者、難を逃れて香川に帰りガールフレンドのミヨの顔をみつめて言葉が出ない行商隊の少年など――が、その深い傷跡からどのような生の営みを紡いでゆくのかについて、憶測と希望を語りたい気にもなる。いずれにせよ、日本映画界がついにこのような本当に大きい作品をもつことができたことを、私たちは幸せとせねばならない。