その22 2020年のマイベスト 映画と読書

 (1)日本映画
コロナウィルスが猛威をふるう2020年。映画ファンの私は新作・旧作、劇場・自宅をふくめて実に165本ほどの映画をみている。外出自粛期の最大の恵みは、アンゲロプロス、フェリーニ、ベルトリッチ、D・リーン、今井正などの名作をふくむ、まさに「生涯ベスト」に属するような作品群のDVD観賞であった。そのうち『ディア・ハンター』(マイケル・チミノ)、『真昼の暗黒』/『ここに泉あり』(今井正)などについては、国公労連の雑誌『KOKKO』連載の映画評論の場でくわしくその感銘を綴っている。しかしこのFB投稿では、劇場でみた新作に限ってベストを紹介することにしよう。 日本映画からはじめる。注目に値する佳作たちであるが、③以下はほとんど順不同である。

①スパイの妻(黒沢清)
②罪の声(土井裕彦)
③風の電話(諏訪敦彦)
④許された子どもたち(内藤瑛亮)
⑤糸(瀬々敬久)
⑥MOTHER マザー(大森立嗣)
⑦朝が来た(河瀬直美)

①は、戦時下の1940年、満州で目にした日本帝国の非道を知り、それを世界に公表しようと渡米を試みる貿易商(高橋一生)が、とまどいの末、彼に寄り添って生きようとする妻(蒼井優)ともどもスパイとみなされ、悲劇的な結末を迎える物語。歴史の闇をみつめる最近の邦画には稀にみる壮大な優品。女の心の変化を表現する蒼井優がすばらしい。②は子ども時代に犯罪に加担させられた人の生きてゆく苦しみを描いてかなしくも温かい。③は東北の津波であまりにも打ちのめされた少女が、人びととふれあうなかで成熟した女性として頭(こうべ)を上げるまでを描いて感動的。主演のモトーラ世里奈がとてもいい。④と⑥はともに、常軌を逸した「毒ママ」とママが大好きな息子との相互依存を描いて切実な佳作。⑥の長澤まさみは、評判の熱演ながら、なおいささか堅い感じ。⑥は高校時代に運命的に惹かれあった平成元年生まれの菅田将暉と小林菜奈が、時代の諸相に翻弄されて多くの失敗の体験を重ねた末ついに結ばれるというメロドラマながら、古今東西を通じたすぐれた恋愛映画が共有する、変化しながらも愛し続けるという特徴を備えている。

 (2)外国映画

①異端の鳥(バーツラス・マルホウル)――チェコ、ポーランド、ウクライナ 
②存在のない子供たち(ナディア・ラバキ)――レバノン
③パラサイト 半地下の家族(ポン・ジュノ)――韓国
④コリーニ事件(マルコ・クロイツパイントナー)――ドイツ
⑤オフィシアル・シークレット(ギャリン・フット)――イギリス
⑥カセットテープ・ダイアリーズ(グリンダ・チャーター)――イギリス
⑦レ・ミゼラブル(ラジ・リ)――フランス
⑧ジョジョ・ラビット(タイカ・ワイティティ)――アメリカ
⑨ジュデイ 虹の彼方に(ルパート・グールド)――イギリス
⑩スペシャルズ(エリック・トレダノ、オリヴィエ・ナカシュ)――フランス

ミクロな視点で小粒の佳作からなる邦画にくらべて、外国映画のベスト作品群は、それそれの地域での歴史的悲劇や社会の格差構造への深くマクロな洞察を背景に人間の歓びや悲しみを鋭く描き出す。例え短文でもこの場ですべてを紹介し解説することは難しいので、上位作にのみふれると、①は戦時下の東欧、②は現代のアラブ世界を舞台に、少年の過酷な受難を徹底的に抉るまれにみる秀作。映像の美しさと対照的に、リアルでグロテスクな圧迫者たちのすさまじさ、ふつうの庶民たちが重ねる差別と排除の酷薄さに打ちのめされる。③は『ジョーカー』や『家族を想うとき』にくらべればいくらかけばけばしいけれども、韓国格差社会の様相を「おもしろく」語って飽かせない。④は、ナチスの残酷さをもういいだろうと黙過しようとする現代ドイツの法曹界を告発する感動的な物語。⑤は事実にもとづく。アメリカのイラク戦争に関わる極秘通信を傍受したイギリスのNASA勤務の女性が、その反戦思想ゆえにあえてジャーナリズムに暴露する。そこに始まる周囲の非難、拘束、行為の意味を考慮した裁判の末、ついに無罪になるまでのプロセスが描かれる。毅然たるヒロイン、キーナ・ナイトレイがさわやかに美しい。現代イギリスのパキスタン人、フランス・パリのアラブ人の苦境や成長、屈しない抵抗の姿を描く⑥と⑦も注目に値する。ああ、もっと語りたいけれど。・・・。

 (3)読書――社会・人文・歴史
 
 建設運輸連帯労組関生支部への刑事訴追裁判の鑑定意見書の執筆のために、夏秋には、多くの裁判資料ほかの精読に忙殺されたとはいえ、私の2020年の読書体験は貧弱だった。小説以外の分野で読了した冊数こそ38だったものの、そのうち労働研究の専門書はごく少なく、多くはルポや新書である。しかしともかく、テーマが意義深く、視角が新鮮、情報が豊富で学ぶところ多かった良書を摘記してみよう。

①デヴィッド・グレーバー<酒井隆史、芳賀達彦。森田和樹訳>
 『ブルシット・ジョブ  クソどうでもいい仕事の理論』(岩波書店)
②森政稔『戦後「社会科学」の思想 丸山真男から新保守主義まで』(NHKブックス)
③片山夏子『福島原発作業員日誌 イチエフの眞実、9年間の記録』(朝日新聞出版)
④橋本健二『<格差>と<階級>の戦後史』(河出新書)
⑤山口慎太郎『「家族の幸せ」の経済学 データ分析でわかった結婚、出産、子育ての眞実』(光文社新書)
⑥本田由紀『教育は何を評価してきたのか』(岩波新書)
⑦藤野裕子『民衆暴力 一揆・暴動・虐殺の日本近代』(中公新書)

 ①は稀にみる収穫であった。ブルシット・ジョブ(BJ)とは、本田由紀の巧みな紹介によれば、イ誰かに媚びへつらうだけの仕事。ロ誰かを脅したり騙したりする仕事、ハ組織の欠陥を取り繕う仕事、ニ形式的な書類をつくるだけの仕事、ホ誰かに仕事を割り振るだけの仕事だ。本書は、不思議に増えてゆくBJのくだらなさを、自分でもうんざりしている担当者からの詳細な聞き取りを通じて徹底的に暴露し、その由来を尋ねる。BJよりも遙かに労働条件の悪い真に不可欠な仕事の担い手たちへの共感が調査・分析の根底にある。私たちの常識を根底から揺るがせる、これはすばらしく示唆的な必読の大著といえよう。②はとても役に立つ平易な研究史。私にも懐かしいいくつかの書物の示唆を再認識させた。③は原発作業員の実態を報告する数多い文献中の白眉である。④は橋本ワールドになれた人にはいささか新味を欠くけれど、なんといっても「このテーマにはこの人」。研究の蓄積がゆるぎない信頼性を保証する。同じことは⑥についても言える。⑤は、左派、フェミニズムとは立場を異にしながら、統計の駆使によってクールに、常識的な女性への提言を一蹴する好著。また、テーマに惹かれて繙いた⑦は、近代史における民衆暴力の光と、直視すべき破壊的な暴力や排除という陰を描いている。読後感は私にはいささか苦い。
 ほかに文芸評論の分野では、当の作家の作品を広く読んでいるわけではないゆえ短評も難しけれど、①水溜真由美『堀田善衛 乱世を生きる』(ナカニシヤ出版)、②清真人『高橋和巳論 宗教と文学の格闘的契り』(藤原書店)、佐藤秀明『三島由紀夫 悲劇への欲動』(岩波新書)の3点が労作と感じられた。私の好きなジャンルであり、いずれも興味深く読むことができた。

(4)読書――小説

 いつも手放すことのなかった小説の読みも少なくなって、2020年には34冊ほどだった。そのなかでとくに惹かれた作品をいくつか紹介し推薦する。 

①川上未映子『夏物語』(文藝春秋)
②ジョゼ・サマラーゴ<雨沢泰訳>『白の闇』(河出文庫)
③『セレクション戦争と文学1 ヒロシマ・ナガサキ』(集英社文庫)
④『セレクション戦争と文学8 オキナワ 終わらぬ戦争』(集英社文庫)
⑤桐野夏生『日没』(岩波書店)
⑥『平家物語』(上)(中)(下)<中山義秀現代語訳>(河出文庫

 ①はイチオシ。中年近くセックスはいや、東京でひとり住まい、冴えない作家の夏子が、いらいらさせるほどあれこれと逡巡したのち人工受精で赤ちゃんを産むまでの物語。こう書けば身も蓋もないが、そこにいたるまでの間、大阪でのどん底の貧乏をともにした寛容な姉、クールな編集者、辛辣ながら情愛ゆたかなシングルマザーの流行作家、人工受精で生まれ実父を求める心やさしい男性、厳しいフェミニストのその恋人――そんなそれぞれに個性的な人びととふれあうようすや、度しがたい男のエゴイズムに遭遇してきた彼女らのドストエフスキー的な語りの迫力がリアルでどうにもおもしろい。女が人生の過程で選択を迫られる諸課題がいかに重く複雑なものか、その思いがずっしりと心に残る。
 ②は、すでにHPエッセイ(20年6月)ですでにふれているが、感染のすさまじさ、人びとの受難の耐えがたさ、そこから這い上る希望の歩み・・・などの描写においてまさにパンデミック文学の白眉といえよう。③と④は、ヒロシマ、ナガサキ、そしてオキナワに関する数多い秀作の短編集。とくに私の心をうつ作品は、③では大田洋子、林京子、井上光晴、後藤みなこ、小田実、④では長堂栄吉、大立正裕、吉田スエ子、日取眞俊、桐山襲の作品であった。⑥についてもいつかHPエッセイでふれたように、私はいくつもの現代語訳になじんだ「平家」好きで、物語は細部までわかっているが、なお、生々流転のなかにあるすべて固有名詞のある男たち、女たちの折々の立ち居振舞いに惹かれる。歌舞伎十八番のように私の古典である。⑤は、体制の「良識」に背反する女性作家が一方的に拘束され、虐待され、転向を迫られ、精神病者にされ、破滅するというこわい物語だ。あまりの「人権無視」に、グロテスクなおもしろさを超えて心がふさがってくる。これは現在のリアルではなく近未来のSFではある。しかし果たして「今」とは違うだろうか? 桐野夏生のそんなメッセージが耳の奥にきこえてくる。