その12 関西電力課長の過労自殺をめぐって

 2016年4月20日、関西電力の技術畑の課長、40代のAさんが出張先の東京のホテルで自殺を遂げた。どの方面からの申請だったのかわからないが、この事件について敦賀労働基準監督署はおよそ半年後、これを過労自殺と労災認定している。Aさんの死がマスメディアに報道されるのは、この労災認定後のことである。

 Aさんは関電高浜原発1,2号機の再稼働に関する原子力規制委員会の審査対応の業務に携わっていた。この審査は3項の流れからなる。
a、2015年3月17日申請の「新規制基準にかかる審査」⇒16年4月20日に「合格」
b、15年7月3日申請の「工事計画の審査」⇒16年6月10日に「認可」
c、15年4月30日申請の「老朽原発に特化した審査」⇒16年6月20日に「認可」
 すべての審査期限は16年7月7日である。この期限までに合格・認可が果たされなければ、とくに審査のきびしい40年以上の老朽原発1,2号機は、廃炉の可能性がきわめて高かった。
 1,2号機の再稼働は関電の「社運に関わる」悲願であった。それゆえ規制委員会との折衝にあたる担当者には、なんとしても期限までに認可をとれという、本店・事業本部からのきわめてつよいプレッシャーがかかっていたことは想像に難くない。Aさんの仕事の細部については総じて具体的な情報が伏せられていて、なおわからないことも多いけれど、工事関係の課長であるAさんは、主として上のb、設備の詳細設計をまとめる工事計画認可申請を担当していた。規制委員会に提出した資料はあわせて数万ページ(読売新聞2016.10.21によれば8万7000ページともいう)におよび、しかも提出するたびに規制委から膨大な質問や手直しの要請が出される。コピーなどの補助作業には事務担当者が配置されているとはいえ、技術に関わる処理は結局、専門知識のあるAさんに集中していた。社内の調整の会議も数多く、Aさん一人のことではないにせよ、15年3月の安全審査申請から16年6月の認可まで事務レベルの会合は233回に及んだという。16年1月から4月まででも100回を超えた。Aさんは3月から東京に出張して資料作成や規制委員会との折衝に携わったが、むろん東京と大阪、福井との行き来も頻繁であった。
 過酷な業務である。労働時間はとくに16年1月から急増した。推定するところ2月の残業は約200時間、3月~4月の残業は約100時間前後になる。当然「もちかえり残業」も普通であった。ここにさらに2つの事情が重なる。課長のAさんは管理職とみなされ、三六協定は適用されない。そのうえ、厚労省労働基準局長は2013年、原発再稼働に向けた審査対応業務にかぎっては労基法上の残業時間制限の適用を外すという通達を発していた。これは2013年時点の九州電力の求めに応じ九電の原発再稼働審査対応に適用されるものだったが、いつしか「ほかにもあてはまる」として他社をふくむ14基についてもOKとされていたのである。
 Aさんが自死したのは、「新規制基準にかかる審査」に「合格」したその日、16年4月20日である。労災と認定されたのはあまりにも当然であろう。 そして彼の死後1ヶ月の5月末、関電は工事計画の補正書類を規制委に提出し、6月20日、再稼働・老朽原発の運転延長の認可を受けている。1号機は34年11月まで、2号機は35年11月までの稼働認可であった。

 この過労自殺について注目すべきことは、関西電力という企業が徹底して具体的な説明を拒んできたことであろう。労災認定以前からこの事件に関心を寄せてきた福井新聞の最初のまとまった記事(2016.10.20)などによれば、関電はAさんの自殺について「ご遺族やご家族への影響などを考慮し、回答を差し控え」た。また岩根茂樹社長は、10月28日の決算会見で、この件については(Aさんの業務に)忙しいという状況があったのは事実だが、「遺族に配慮し、(労災の被害者が)当社社員であるかどうかもふくめて(以前から)回答を控えている」と「説明」した。そして、当時の職場環境に関しては、他部署からの応援や産業医による指導など「状況に応じて適宜適切な対策を踏まえ、持続可能な環境をつくってきたつもりだ・・・」と無意味な弁解をつけくわえる。Aさんの忙しさはわかっていながら「遺族に配慮し」「社員であるかどうかもふくめて回答を控えている」だって? それはほとんど了解を超える、滑稽で混乱した「説明」である。
 審査の過密スケジュールに一半の責任ある原子力規制委員会はといえば、この件について「詳細な事実関係を把握していない」。規制委員会の問い合わせに関電が「社内のことなので何も答えない」と開き直ったからだ。その後も、関電広報室は朝日新聞の記者の質問に答えて、(Aさんの自殺については)「プライヴァシーの問題もあるので回答を控えている」という。Aさん個人の労働体験、遺族の方々のありようなど、この事件では周辺の事情はいっさい明らかにならないけれど、遺族は、労災補償があれば、Aさんが関電社員だったことも、過重労働の果ての死だったこともすべて忘れ去られることを本当に望んでいるのだろうか? 「プライヴァシーを尊重」して、というのはときに、重い責任を逃れ、社会化すべき問題を隠蔽しようとする者の言いぐさにほかならない。
 関電は地域社会でも、少なくとも暗黙の箝口令を敷いているかにみえる。『しんぶん赤旗』の記者が、関電の従業員約500人が自宅や社宅を構えて住むという福井県最西端の高浜町を尋ね、インタビューを試みている。たとえ『しんぶん赤旗』でなくても同じであろう--平均的な反応は、Aさんの過労自殺について、「この件は話せない」であった。しかし人によっては「みんなはよから(4月20日の死の頃から)知っている。黙っているのは関電の夫や子の昇進に影響するから、誰が話をしていたかは会社に伝わる・・・」と語気を荒げたりもする。また、関電は、これまでは全社員が社内ウェブサイトで在職死亡を閲覧できたけれど、いまは役職者や一部管理職のサイトでしかこれを見られないという。「これまでは葬儀も一緒で職場の大勢で手伝いました。それがいま、自殺した人は社員であるかも明らかにしなくなった」とつぶやく労働者もいた。
 従業員はもとより、原発再稼働に生活を託す住民も数多いであろうこの町の、これが自然な空気であろう。Aさんの死はこうして、やがて語られることもなく埋もれてゆくのだろうか。
 関電の若狭地域の原発に関しては、福井地裁(樋口英明裁判長)が、大飯原発3,4号機について1014年5月に、さらに高浜3,4号機について2015年4月に、いずれも再稼働差し止め禁止の判決を下している。これらの画期的な司法判断は、一部「識者」の批判はまぬかれなかったとはいえ、福島の事故に衝撃を受けた広範な人びとから熱い支持が寄せられた。いずれにせよ原発再稼働は、意見の対立を避けられない深刻な問題である。そんななか「社運をかけて」再稼働に突き進む関電は、原子力規制委員会の審査対応の激務に斃れた社員の過労自殺が、この経営選択にとってわずかでもマイナスになりかねないと案じ、事件の隠蔽をはかったということができる。

 Aさんの過労自殺が労災認定された同じ2016年10月、電通の女性社員、24歳の高橋まつりさんの、前年12月クリスマスの日の自死が労災認定されている。この過労自殺には遺族の母と弁護士がはじめから主体的に関わっており、労災認定も記者会見で明らかにされたものであった。その告発の主体性、91年に続いてまた過労自殺を出した電通の過酷な働かせかたへの社会的批判、それにおそらくは安倍政権が「働き方改革」の真摯さの証拠を示そうとするポーズが相まって、その後の政府の対応は電通にきびしく、またスピーディであった。電通は労働局の立ち入り調査、責任者の刑事告発、社長の引責辞任に追い込まれた。さらに電通は17年1月には、遺族への謝罪と慰謝料などの支払いのほか「再発防止措置」をふくむ合意書を、遺族・弁護士側と交わすことを余儀なくされている。その「措置」には、きわめて具体的な「長時間労働・深夜労働の改革」、「健康管理体制の強化」、「社員教育・啓発」が盛りこまれた。再発防止措置の実施状況について会社は毎年12月に遺族側に報告しなければならない。労働時間などに関する労務管理に遺族側が関与する、それは異例の画期的な対策であった。
 このような政治と社会の動向は、隠蔽体質の関電にもさすがにある影響を及ぼしたかにみえる。2017年1月15日、福井労働局敦賀労働基準監督署は、関電の岩根社長を出頭させ、すべての管理職の労働時間を適切に把握するよう求める指導票を交付した。これも異例のこととされる。関電は今や過去2年間の全管理者の残業時間や持ち帰り残業時間を調べ、労基署に報告しなければならない。労基署にはAさんについて持ち帰り残業の時間は把握できなかったことへの反省があったものと推測される。
 これを受けて関電は1月17日、「働き方改革・健康経営委員会」なるものを立ち上げる。「適正な労働時間の管理に努め、会社と従業員のさらなる成長につなげる取り組み」をするという。関電は、16年12月20日に天満労基署から本店の従業員6人への残業割増賃金未払いの是正勧告を受けていたことも明らかにした。17年1月20日には、上の委員会の初会合が開かれた。委員長は岩根社長である。労働時間の適正な把握と長時間労働の削減を幹部に指示した。1月中に再発防止策をつくり、労基署に報告するという。
 電通と違ってこの委員会は非公開であった。会社の内外で社員の過労自殺を社会問題化しないという関電の隠蔽体質はそのままである。情報は乏しく、Aさんの過労自殺を語るこの文章の内容も報道のかぎりを超えていない。だが、過労死防止にとって大きな成果を残した高橋まつりさんの受難にくらべて、原発再稼働への審査対応という社会的な意味をもつ仕事に斃れた中年男性Aさんの自死はあまりにひっそりとしすぎている。もっと多くを知りたいという思いに駆られる--たとえば、Aさんはどのような経歴と人柄だったのか? Aさんの自死は「工事計画」の「認可」以前のことであるが、彼が主に担当していたという規制委への対応業務はどの程度終わっていたのか? これからが本番だったのか? その仕事での最大の心労はなんだったのか? 沈黙する遺族たちは本当のところAさんの死を、そして関電の対応をどのように受け止めているのか? そして技術者としてのAさんが、そもそも高浜原発1,2号機の再稼働という経営政策にある疑問をもつことはなかったのだろうか?
 過剰な推測は避けたいけれども、Aさんはおそらく、原発再稼働の社会的な当否を問うゆとりもなく、多分エリート技術者の矜持をもって、会社と社員の期待を背負う困難な激務と格闘し、その途上、あまりの心身の疲弊に斃れたのだ。哀悼の思いを表したい。 (2017年2月16日)

【資料とした報道一覧】
・福井新聞2016.10.20/10.21/10.29/11.3/2017.1.16/1.18/1.21 
・朝日新聞2016.10.8/10.14/10.15/10.19/10.20/10.26/10.27-28/11.7/11.8/
     12.25/12.28 /2017.1.16/1.30 
・読売新聞2016.10.21
・しんぶん赤旗2016.10.22/11.20
*関電関係は福井新聞、電通関係は朝日新聞を主資料としている。

 

その11 賀状の心象風景

 老化現象のひとつだろうか、この頃なにかにつけて、これまでの軌跡をふりかえるようになった。まず思い立ったのは、1987年以来の慣行としてきた賀状に引用する俳句の再現である。多くの友人たちにとってとくに関心を引くことではあるまいが、それらは私なりの心象風景はよく表す。80年代半ば以降の日本社会の情況を総じて「寒い」、北風が吹く・・・などと感じながら、そのなかでなお、自分はどのようにありたいか、なにを願うかを問う、そんな心象が仮託されている。加藤楸邨、中村草田男、西東三鬼、富安風生、橋本多佳子、細見綾子などの句が多い。俳句という日本文化の可能性に目を拓かれる、いずれも味読に値する作品だと思う。

賀状に引用した俳句

1987 きびきびと万物寒に入りにけり    富安風生
1988 凍土行く生きものの耳我も立て   むらこしかせき
1989 くれないの色をみている寒さかな   細見綾子
1990 冬霧ゆく船笛やわが在るところ   橋本多佳子
1991 (年賀欠礼)
1992 四囲の音聴きすますとき冬深く   加藤楸邨
1993 北風に牛角を低くして進む       西東三鬼
1994 枯野行き橋渡りまた枯野行く      富安風生
1995 明日ありやあり外套のボロちぎる  秋元不死男
1996 焚火かなし消えんとすれば育てられ   高浜虚子
1997 北風に言葉うばはれ麦踏めり     加藤楸邨
1998 道の上冬の日向へ出るところ     中村草田男
1999 雪の下短かき歌をくり返す       細見綾子
2000 赤きもの甘きもの恋ひ枯野行く   中村草田男
2001 チンドン屋枯野といへど足をどる   加藤楸邨
2002 いまありし日を風花の中に探す     橋本多佳子
2003 冬草のむらさき極む耐ゆるさま   前田青邨
2004 大艦をうつかもめあり冬の海    飯田蛇忽
2005 世のさむさいひ昂りつ言吃る    加藤楸邨
2006 吹雪すら木の沈黙をうばふなし   加藤楸邨
2007 孤児の独楽立つ大寒の硬き地に   西東三鬼
2008 息白く妻が問うよく寐ねしやと     日野草城
2009 元日やゆくへもしらぬ風の音    渡邉水巴
2010 枯蔓に引かれじとする力かな      富安風生
2011 わが歩む落葉の音のあるばかり    杉田久女
2012 寒波急日本は細くなりしまま     阿波野青畝
2013 しんしんと寒さが楽し歩みゆく      星野立子
2014 大寒の街に無数の拳ゆく       西東三鬼
2015 いくさよあるな麦生に銀貨天降るとも  中村草田男
2016 人が焚く火の色や野の隅々に     西東三鬼

 90年の多佳子、96年の虚子、99年の綾子、07年の三鬼--これは退職後、友人の多い関西を離れ、故郷の三重県に移った翌年のものだ--など、とくに好きな俳句だが、あえて一つを選ぶなら、2001年の楸邨作が秀逸である。
  チンドン屋枯れ野といへど足をどる
 寄りつく人が少なくても職人として懸命に働く、その孤独と矜持が痛いほど伝わってくる。では、2017年には、なにを選ぶべきか。仮決定しているのは、能楽師の家に生まれた病弱の俳人、松本たかしの
  夢に舞う能美しや冬籠
である。 多分、来年からは私も冬籠りみたいなものという思いから傾いた選択ながら、研究生活終期の私には少しオーバーな感じのうえ、美しすぎていくらか気恥ずかしくためらいもする。ちなみにここ2年ほど選ぼうかと迷っているのは、中村草田男1938年のすさまじい作品
  軍国の冬狂院は唱に満つ
であるけれど、現時点ではまだ早すぎるかなぁとも思う。しかしそう言えるだろうか。この句がぴったりとくるような時代、ふたたびなからんことを!

その10 2016年秋の憂鬱

 今月21日、私は78歳の誕生日を迎える。このところのメランコリーな気分もひとしおである。
 今年になってからとくに、体力や気力や記憶力の衰えを痛感している。幸せにもどこといって内臓や足腰の不具合があるわけではないけれど、例えば長時間、睡眠や勉強や歩行を続けることができなくなった。同年齢の、なんであれ行動をともにしてきた妻もまた、物忘れが多い、速く歩けないなど、衰えを訴える。これまでのような「行動する老カップル」のありようをいつまで続けられることだろう。恥ずかしながらこのごろは駅の階段など手を携えて降りる。どちらかが転んでどこかを痛めて寝込んだりすれば、と心配だからである。
 恒常的な憂鬱の原因は体力の衰えばかりではない。もっと根本的な要因は、大学退職後も10年ほど研究や分析や著作の執筆などを日常の営みとしてきた私に、社会的な発信を試みることはもうあきらめ、余暇が中心・「毎日が日曜日」の生活に徹する覚悟がまだできていないことかもしれない。
 今でも月に一度ほどは講演やシンポジウムの機会に恵まれ、労働組合運動、若者労働、パワーハラスメント、教師の労働状況、過労死・過労自殺の根因などについて語る。少しもお変わりなくお元気とは言われる。読書意欲はまだ旺盛である。しかし今ではテーマもさほど系統立っていないし、総じてアウトプットを予定しないインプットの勉強である。研究者としての私に社会的な発信の機会はもうあまりない。要するに社会から課せられる仕事が少ない。それだけに小説や映画を楽しみ、海外旅行に出かけ、反戦・憲法擁護・反原発の市民運動に参加する時間のゆとりは享受できる。けれども、仕事の充実もあって余暇も楽しいという、かつては生活全体をカバーしていた漲りは望めないのである。
 もちろん、世間の人びとには、私に依頼される仕事が少なくなったことなどどうでもいいことだろう。私の労働に関する発言のいわば「賞味期限切れ」にはしかるべき理由がある。そのことを嘆くのはある意味では傲慢かもしれない。おとなしく引退すればいいのだ。だが、私的なホームページではあっても、ここであえて憂鬱な気分を綴りたくなるのはほかでもない、上の「しかるべき理由」のうちには、おそらくおよそ60~70年代になにかを感じて思想を形成し、いま高齢化を迎えた多くの左派インテリゲンチャ(しばしば「オールズ」ともよばれる)が共有する、現代日本の趨勢についての暗い認識があるからである。それは安倍政治の下における、もともと日本の庶民の歴史意識の「古層」ともいうべき「つぎつぎに(おのづから)なりゆくいきほひ」(丸山真男『忠誠と反逆』所収論文)の顕在化だ。私個人の嘆きはどうあれ、そこから生まれる社会のなしくずしの右傾化だけは、批判的に検討され、対抗の契機が探られなければならない。

 一挙に卑近なレベルに降りて、ここで対抗の契機に関わる論点をひとつだけ述べよう。
 民進党の代表選挙を前にして3人の候補者は、ニュアンスの違いはあれ、競い合うかのように共産党との間に距離を保ち、参院選での「野党共闘」をこれからは見直すべきだと語っている。かねてから民進党の有力者のなかには、共産党のもつ政治行動における「足腰」、政財界に手痛い情報秘匿の暴露、党内一致の徹底性--それらの強さに対する密かな怖れがあって、例えば、共産党と協力すれば民進党は「シロアリに食われる」「軒を貸して母屋を取られる」・・・といった怯懦な発言がみられた。そして参院選挙後は早くも、一人区での野党共闘に一定の成果があったにもかかわらず、上のような危惧がこの党ほんらいの反共主義(反共産党主義)を再び目覚めさせているようである。「共産党とはもともと国家像が違う」、「協力すれば民進党の支持層が逃げる」・・・といった声もきかれる。 そうした、自信のない民進党を制度的に支えるのはほかならぬ労働組合の公認団体「連合」であろう。組合内部では反主流の組合活動家の言論をファッショ的に抑圧し、民進党の選挙演説会には動員手当つきで組合員を派遣する連合系組合は、民進党右派と同様に、共産党とは国家観が違うなどと口走る。嗤うべきだ。現在の連合、そして民進党右派のどこに、大企業と日本経済の成長、そのトリクルダウンとしての福祉の改善という路線をいくらかでも超える体制論・国家像があるだろうか? ちなみに 少なくとも発足時の連合の政治路線は、「ヨーロッパ型の社民勢力の結集」であった。
 憲法擁護・反戦平和の課題はしばらくおいて、青臭い政治談義を試みるなら、経済大国日本での現時点での基本的対立軸は、経済政策と職場の労使関係を縦貫して、新自由主義(競争によるやみくもの経済成長・アベノミクス)VS.社会民主主義(働きすぎと貧困に本格的に挑戦する格差是正の構造改革)にほかならない。そして認識すべきことに、現在の共産党は、「プロレタリア独裁」を放棄して議会主義・立憲主義と複数政党制を方針としているゆえ、基本的には、かつて共産党が敵視していた社会民主主義の党なのである。
 私は共産党に対しては、どのレベルの党人も政策表明や運動の総括の場合まったく同じ主張を表明する、つまり過度の統一性が見られる、という点が不満だ。学術と文化の受容についてもまじめすぎて、ユニークで異端的な表現者の登用がほとんどなく多様性を欠く。しかしながら、貧困や格差や職場に頻発する人権権抑圧などの摘発、市民運動や街頭キャンペインへの献身などをみれば、この党の具体的な主張のまっとうさと行動の真摯さは疑いを容れない。自民党政権が最大の敵を共産党とみなすのは当然であろう。そして民進党は、共産党との距離を言い立て、野党共闘を放棄することによって、すなわち社会民主主義から離れることによって、その程度に応じて自民党の協力者に堕するだろう。端的に言えば、ようやく芽生えた野党共闘を忌避することで、民進党は自民党との争点を喪い、国民はこの党を独自に支持しなければならない理由を見失う。
 もっと多方面からの考察、例えば「暮らしのなかの憲法の実在と不在」といった領域の凝視も不可欠であろう。けれども、以上の文脈に即して、とりあえず野党の喫緊の課題を語るとすれば、ひたすらのエコノミックアニマル志向をベースにして多くの国民が安倍政治の先導する「つぎつぎになりゆくいきほい」に巻き込まれつつあること、そのことへの警戒とチェックにほかならない。民進党による「反共主義」の克服はその第一歩である。すでに学校やマスコミや自治体では、体制批判の表現の禁止または自粛が進んでいる。杞憂だろうか、この先にさまざまの公共空間からの共産党の実質的な排除が来ないとはいえない。これは「いつか来た道」であるが、戦前、戦中とは異なり、その形態は、40年代~50年代、「赤狩り」のアメリカのようになるだろう。
 では、この「つぎつぎになりゆくいきほい」は、いつの頃から再び(60年代~70年代とは違って)現時点の日本に顕在化してきたのだろうか。私は日本の現代史における精神史、大衆意識の軌跡を探る勉強を、あてどないとはいえ、細々とはじめたいと思っている。
 (2016年9月15日)

その9  「同一労働同一賃金」
―その日本的なハードルを超えて

 安倍内閣はこのほど「一億総活躍社会」への政策の一環として、「わが国の雇用慣行には十分に留意しつつ」「同一労働同一賃金」の実現に踏み込むと表明した。日本で際立つ正社員と非正規労働者の巨大な賃金格差を国際相場の2割ほどまでに是正するため、労働契約法、パート労働法、労働者派遣法の改正にも「ちゅうちょなく」着手するという。
 この政策表明は、安倍晋三にしては上出来ながら、どこまで有効で、どこまでほんものだろうか?
 たとえばファミレスでは、ふつうA正社員の男性店長とB女性のパートやアルバイトが、普段の時間内ではフロアスタッフとして同じ接客業務に携わっている。しかしそのケースでも、企業側はおそらく次のように言い立てて、AとBの時給の均等化せよという要求を断固としてはねつけるだろう。
 理由1:両者の職務範囲は違う。Aの仕事には、接客のほか顧客の苦情処理、財務や在庫の管理、パート要員の変動調整などの人事管理・・・がある。多くは時間外の作業だ。
 理由2:だから普段の作業を遂行する「負荷(しんどさ)」はともかくとしても、AはBよりも仕事の「責任」が重く、求められる「技能・知識」も高い。
 理由3:残業や転勤の要請も、正社員A場合、非正規労働者とは違ってほとんど拒否できないまでにつよい。
 要するに企業側の賃金決定に関する評価では、一見「同じ仕事」でもA正社員とB非正規労働者とは「同一労働」ではないのだ。BとAの一部が組立工でAが班長の工場や、Bがデータ入力や受付作業でAがデータ出力と企画業務のオフィスでは、「職務範囲が違う」論理はより説得的だろう。その説得性は、言葉の素朴な意味で「同一労働同一賃金」を適用できる範囲を著しく狭める。だが、正規・非正規の賃金格差にまつわる問題の本当の深刻さは、そこにあるのだろうか?
 「同一労働同一賃金」の指針は、「同一価値労働同一賃金」(以下、ペイ・エクイティ=PEと略)へのあゆみを伴わないかぎり、Aに対するBの不当な賃金格差の正否または適否を問うことを棚上げにしてしまいかねない。現代日本における非正規労働者にとって枢要の要求は、それゆえ、「同一労働同一賃金」ではなく、賃金格差の「正否または適否」を問題にしうる賃金決定方式、すなわち、企業が安んじてBを被差別的低賃金にとどめうる慣行を撃つことのできるPEの思想と制度なのだ。ちなみに現存する所定内賃金格差を一瞥しておこう。男性正社員を100とすれば「正社員以外」の男性は63%、同じく女性は51%(賃金センサス、2012年)。すべての要素をこみにした非正規労働者の年収は正社員の36%にすぎない(国税庁所得調査、2012年)。

 70年代末以降の欧米諸国で普及したPE制度とは、さまざまに異なる仕事を、その担当者の属性を問わず、必要な技能・知識、精神的・肉体的負荷、課せられる責任、作業環境の4要素で職務評価し、秤量されたその評価点にもとづいて報酬の高低を決める賃金決定方式である。正社員と非正規労働者の仕事の評価点がたとえば100vs80であれば、ここでは両者の賃金格差が2割を超えることは許されない。こうした制度の導入が枢要の争点になる。実は安倍晋三も、「同一労働同一賃金」としながらも正規・非正規の賃金格差を100vs80ほどにと唱える以上、現行格差の程度の見直しを無視する経済界よりは、「仕事が異なる」とみなされる場合の賃金格差是正の必要性、つまりPE制導入の必要性をうすうす感じているのかもしれない。政府批判の側は、折角の「同一労働同一賃金」表明を偽りなきものにさせるためには、「同一価値労働同一賃金」・PEをどこまでも追求しなければならない。

 日本においてPEを制度化するに際しての難問は、実はこの先に待ち伏せしている。問題は複雑であるが、回避できない論点をできるだけわかりやすくまとめてみよう。
 非正規労働者の担当職務(個人に割り当てられる単位仕事)が総じて限定・特定されているのに対して、正社員はふつう、多段階の職能ランクのいずれかに属する複数の担当職務のいずれかを遂行している。しかもその担当職務の範囲や種類は業務の要請に応じてしばしば変動する。単純にいえば非正規労働者は職務給、正社員は職能給である。ファミレスの例に戻れば、非正規労働者の接客と同じようにみえる店長の接客とは、もともと異なる賃金処遇制度のもとにあって直裁に比較できない、店長の当面の担当職務に対する賃金は、非正規労働者のそれとは違って、昇格・昇給を予定される次のキャリアの職能ランクに属する担当職務ができるかどうかを判断する、「潜在能力」や経験的技能や業務態度などを総合的に評価して決められるべきだ--経営側はこのように主張する。
 端的にいえば、正社員の賃金は、そのときの担当職務に対する支払いではなく、類似の仕事も包括する職能ランクに対する支払いなのだ。非正規労働者の賃金を正社員の賃金と均等にするにせよ、納得しうる格差の線で均衡化をはかるにせよ、立ちはだかるハードルは、この担当職務を比較するフレームの欠如、少なくともその曖昧さにほかならない。もともと仕事別賃金システムの欧米では免れている、それはまことに日本的な困難である。

 この高いハードルを超えるなんらかの方途を、日本の労使関係はどこかに見いだせるだろうか。賃金システムは決して革命的に変革することはできない。私には、労働組合員に適用者が多い職能給を、職務評価制を取り入れた職務給的なかたちに漸次的に変えるほかないように思われる。
 まず非正規労働者にも昇格可能な1~3ほどの職能・技能ランクをもうけて、そのなかの担当職務を意識的に確定し、職務評価を試みる。ここではランクに属する仕事の種類が多くないゆえに、これはそれほど難しい作業ではあるまい。正社員の場合はいくらか厄介ではあれ、次のような手続きを踏みたい--既存の職能・技能ランクのそれぞれに属する担当職務(群)をここでも意識的に設定する、その複数の担当職務のそれぞれを職務評価して、その平均点をもってそのランクの担当職務の職務評価とする。そうすれば、正社員の初期の職能・技能ランクのいくつかは非正規労働者の職能・技能ランク1~3とはじめて比較可能となるだろう。さしあたり正社員のみが昇格可能な中期、後期(管理職段階)の職能・技能ランクの賃金は、以上の職務評価点を基準にして決められる・・・。
 職種別賃金の欧米でも、実はそれぞれの賃金ゾーンに、そこに属する具体的な職名をすべて列記した技能ランク別賃金協約を締結している産業が数多い。上に述べたような「改革された職能給は」、正社員のばあい、日本企業の「フレキシブルな働かせ方」の現実に妥協して、なお個々の担当職務に対する賃金ではなく職能・技能ランク別の賃金にとどまっている。けれども、人に対する支払いをできるだけ仕事に対する支払いに変えてゆく営みを続けるならば、日本の賃金決定も、正規vs非正規、男性vs.女性の不当な格差を是正しうる欧米の技能ランク別賃金や、昇格によって仕事が変わり昇給もする範囲職務給に近づくのである。

 以上に述べたところをまとめてみる。
 (1)欧米の水準を超える正社員と非正規労働者、ひいては男性と女性の大きな賃金格差を是正するためには、「仕事が違う」と門前ではねつけられることの多い「同一労働同一賃金」の空しい表明より、格差の程度の正否または適否を問うことのできる、職務評価を前提にした「同一価値労働同一賃金」・ペイエクイティの営みが追求されなばならない。
 (2)日本で正規雇用、非正規雇用の担当職務の比較そのものを難しくしている、前者は職能給、後者は職務給という異なる賃金決定方式への鍬入れが不可欠である。このハードルを超えるためには、たとえば職能ランク別に所属する複数職務の平均評価点の設定を使った職能給の職務給化をはかるほかはない・・・。
 ここではさしあたり、非正規労働者のキャリア展開、すなわち仕事もより充実する昇格の保障とか、すべてを根本的に変える、非正規雇用そのものの廃止を目指す雇用関係そのものの改革については論じていない。とはいえ、賃金決定の具体的な改革は結局、公務員の世界を別にすれば、政府の施策や法律によって果たされるものではない。だとすれば、雇用関係の差別的な枠組みのなかでも、労働者が現行の巨大な賃金格差を容認するものでないかぎり、労働組合の責務はとても大きい。
 日本の労働組合は、PEの思想をわがものとして、ともかく、正社員=組合員と非正規労働者の賃金を一括して、できれば両者の賃金決定方式を同一にする要求をこめて、交渉や労使協議にあたるべきである。スウェーデンやイギリスにおいて、従来の組織労働者の範囲を超え、なによりも政府の施策の直接的な影響が及ばない民間部門でも総じてPEを達成されていることには、労働組合が枢要の枠割りを果たしているのだ。この問題に対して政府がもっとも着手すべきは、「同一価値労働同一賃金」の理念法を成立させるとともに、正社員・非正規労働者を包括した賃金交渉を労使に義務づけることであろう。その後者ができるか否か。安倍政権の財界からの自立または従属の程度がそれでわかる。
                                2016.5.21記

その8 「社会的労働運動」としての連帯労組・関西地区生コン支部

 「社会的労働運動」とはなにか
 現代日本における格差社会の深化と貧困の累積に対してあまりに無力であるゆえ労働組合というものの存在意義すら問われているいま、いくつかの労働組合はようやく、特定企業の正社員≒組合員の既得権の擁護だけに汲々とするわけではない、いわゆる「社会的労働運動」論を掲げはじめている。そのこと自体は歓迎すべきことだ。だが、そのスタンスはどこまでほんものだろうか。
 皮肉な言い方ながら、ナショナルセンターや単産や個別組合が組合としてのサバイバルと復権を願って、労働組合も社会全体のことを考えていますよと世間にアピールするために、闘いのプランも、身銭を切り身体を張った実践の用意もろくにないのに、広く国民生活に関わる政治・経済・社会福祉などへの革新的な取組みを組合のアジェンダに加える、そのことをもって「社会的労働運動」を標榜することもままあるように思われる。しかし「ほんもの」もある。全日本建設運輸連帯労働組合関西地区生コン支部(以下、通称「関西生コン」と略)の営みがそのひとつである。
 本来、まずもって組合員が痛感するニーズに固執するほかない労働組合の営みが国民多数の生活向上と権利擁護に寄与する、すなわち偽りなき「社会的労働運動」になるには、労働組合に固有の、労働組合にしか辿れないルートというものがある。それは、労働組合が労働条件を標準化しようとする範囲を、個別企業の正社員だけではなく、競争企業・関連企業・下請企業の労働者や多様な非正規労働者たちに、執拗に広げてゆくことだ。それゆえ、例えば、みずからの傍らで働く非正規雇用者への差別や関連企業の労働者の労働条件格差を放置したままの企業別組合が、憲法9条改正や秘密保護法や原発再稼働や社会福祉の切り下げなどの反対を掲げることは、辛辣にいえば掲げないよりはましという程度の意義しかないだろう。よく誤解されることだが、本当の「社会的労働運動」の性格は、「支払能力」格差のうちに閉ざされない本来の労働組合主義の強靱な展開の延長上にこそ獲得されるのである。この前提に立って、ここに、私が「ほんもの」とみなす、関西生コンのユニークですぐれた営みを紹介したい。  

 関西生コン労組の独自的な組織と運動
 関西生コンが「社会的労働運動」を展開できるには、もちろんそれなりの背景がある。以下に、そのいくつかをピックアップしてみよう。
 世間一般にはなお未知のことかもしれないが、この組合にはまず、日本の多くの労組にはみられない組織上の特徴がある。関西生コンは、発注先のセメント会社と受注先の建設ゼネコンの中間に群生する中小企業、生コン会社で働く労働者およそ1700人を、個人加盟ではあれ、企業横断的に組織する欧米型の産業別組合である。
 よくある企業別組合の連合体としての「単産」ではない。関西生コンは、建設連帯労組の「支部」ではあれ、ここでは支部が「単位組合」なのだ。それゆえ、交渉権、争議権、妥結権は企業ごとにある「分会」ではなく、支部=単組に集約されている。賃金も、80年代はじめ頃から、セメント・ローリー運転手、生コン工場の製造工、「圧送」の運転手と機械工など数種の職種別に交渉・決定されている(この職種別賃金は基本的に企業横断的ながら、最近ではいくらか企業間格差も生まれているという)。
 特徴的なのは組織形態ばかりではない。関西生コンは、この点でも現在の労働界ではすでに稀なことながら、本当にストライキのできる労働組合である。一般に限界投資単位の小さい中小企業が集中する産業分野で労働組合がストライキをするのはかなりむつかしい。それができるのは、ひとつには、関西生コンが上述のような企業横断の単組という組織であり、労使関係にストはありうるというまっとうな認識をもって、収入途絶のストライカーには月30万円の生活費を保障できるような闘争積立資金の用意を怠っていないからだが、より注目すべきことに今ひとつには、この組合が労使交渉の枠組の構築にすぐれた創意を発揮してきたからにほかならない。
 生コン中小企業のビジネス上の取引先は、上流がセメント会社、下流が建設ゼネコンという、いずれも価格交渉力のつよい大手企業である。この環境のもと生コン業界での企業間の価格競争が放置されれば、多くの企業の収益性は危うく、その危うさはかならずこの業界で働く労働者の労働条件へのしわよせを招く。そのビジネス環境を直視して、関西生コン労組は、業界が「構造改善事業」に指定された70年代半ば以降、上流および下流の独占大企業による関連中小企業への圧迫を抑制すべく、生コン業界がセメント会社に共同発注、ゼネコンに共同受注のできるような事業の協同組合づくりを促進したのだ。これは労働条件の直接の交渉相手である生コン会社に、賃金相場を守ることのできる「支払能力」をつけさせるという、一種の中小企業との共闘であった。その上で組合は、その協同事業体との間で、かねてから進めていた集団・統一交渉を展開して標準的な労働条件を獲得するとともに、組合の推薦する人を優先雇用させるという協定を結ぶのである。
 もちろんその場合、協同事業体に属さず、ぬけがけで相場を割る低価格取引と労働条件切り下げで対応しようとする「アウト企業」が一定かならず現れるだろう。そこで組合の力量が問われる。関西生コンは、実際「アウト企業」に対して、ピケをふくむストライキやボイコットをもって報いる。その実践によって、組合組織率は約30%に留まるのに、この集団交渉の結果は、この業界の労働条件の規範となりえているのだ。日本ではほとんど例のない、ヨーロッパ型の労働協約の拡張適用がここにある。
 このような営みはとはいえ、業界の製品価格設定への組合の介入を必然的にするだろう。とくにビジネスの下流、大手ゼネコンに事業協同体が供給する生コン価格を一定水準から下落しないようにさせることが、賃上げとともに当然の組合要求となる。それをめぐる大手ゼネコンとの確執が、2010年の139日に及ぶ地域(大阪、神戸)ゼネストの背景であった。数値が状況を明瞭にする。当時、生コン1立方メートルの価格は、アウト企業で8000~9000円、組合規制がさほどではない東京都内で12900円、大阪市内では、従来の協定で14800円、実勢では13200円ほどであった。この年、協同事業体と組合は18000円を要求している。そして長期闘争の結果、妥結の水準は16300円(新契約は16800円)となる。この組合は、労働条件の標準化を追求する帰結として、中小企業製品の価格維持をも闘いの視野に収めたのである。
 関西生コンのこのような労働運動が、総じて高度経済成長期このかた、とくに70年代半ば以降の民間労使関係のありように高い満足を表明してきた政財界にとって許すべからざるものであったことはいうまでもない。かつて生コン業界には、労使関係のなんたるかをわきまえない無頼の経営者も少なくなかった。組合組織化の運動に対する暴力的な対応の波頭として、74年と82年には組合員が会社に雇われた暴力団の手で殺害されてもいる。一方、81年には、ヤクザならぬ日経連会長の大槻文平氏も、要旨およそ、関西生コンの運動は資本主義の根幹に関わる、こんなのは「箱根の山を越えさせない」と述べたものだ。司法の対応も偏っていた。代表的には、関西生コンの闘いにどうしても随伴するアウト企業に対するピケに対して、司法はビジネスを妨げる「威力業務妨害」適用を攻撃をかけ、ときにアウト企業からの損害賠償請求を認めさえした。正当な組合行動に対する刑事弾圧も頻繁であり、この組合はこれまで延100人以上の逮捕者を出している。
 これらは先進国ではもう通用しない労働運動への文字どおりの弾圧にほかならないけれど、この日本では、横断組合による個別企業の「経営権」への介入を異常(違法!?)とすることさえまかり通っている。権力にとっては、企業横断的な産業別組合が実力をかけて中小企業の存続も視野に入れた産業政策を追求することは、二重の意味で「反社会的」なのだ。ほんらい企業の専権事項とみなされる製品価格への介入など、彼らにはもってのほかであろう。だが、現代日本の権力の側が「反社会的」とみなす労働運動こそ、まさに労働者が誇るべき「社会的労働運動」ということができる。

 関西生コン労組の社会的な意義
 この地点で、あらためて関西生コン労組の運動の社会的な意義を確認しておこう。 その1。ビジネス上の競争にしのぎを削る多くの中小企業と、どの企業でもその技能が通用する労働者たちが相対する分野では、労働者がひとつの横断組合に結集して企業側と労使関係を結ぶことなしには、競争に勝ちぬこうとする個別企業の労働条件の継続的なダンピングに対抗できない。その場合、団交の相手側は、それが関連企業や親企業のしめつけの下にある弱小の中小企業である場合には、組織された業界団体でなければ成功は覚束ない。それゆえ、関西生コンが協同事業体の形成に尽力して、その協同体との間の集団交渉を慣行化していることの意義はきわめて大きい。
 港湾労働者は、どの先進国においても伝統的に、これと類似の労働組合と労使関係の形態を選んでいる。日本の全港湾もそうだ。関西生コン型の営みは、だから考えてみれば、実に広汎な産業の労働者に適用されるべき必要性と可能性を孕んでいる。トラック運転手、タクシードライバー、観光バス運転手など、いまは組織率も低く、中小企業間の競争の圧力が総じて過酷な労働条件に転嫁されている広義の運輸労働者には、関西生コンの労働運動はとくに大きな示唆を与えるはずである。
 また例えば、もし福島の原発労働者が、いくつかの単産やナショナルセンターの働きかけで単一労組を結成でき、業界団体の結成はいまだしとしても、東電、元請・下請企業と団体交渉ができるようになれば、ものいえぬ彼らのやりきれなさはどれほど軽減されることだろう。要するに日本のユニオンリーダーはなべて、組合といえば企業別組合しかないという迷妄から脱したいものである。
 その2。関西生コンの事業協同体との交渉が、製品の「適正価格」の維持に踏みこみ、ゼネコンにそれを認めさせるストライキを実行することの意義も、広く日本の労働者とってきわめて深い。その意義をさらに二点にわけて考えてみよう。
 そのひとつ。現代日本では多くの下請労働者が、親企業からの受注価格の切り下げをなんとかやりすごそうとする雇用主、すなわち下請企業の、ある意味ではやむおえない労務管理によって劣悪な労働条件にあえいでいる。さしあたり下請企業の労働者もたいてい、親企業系列ごとの企業別組合しかもたないか、または未組織のままであるゆえに、ここにメスを入れるのは容易でない。だが、それゆえにこそ、中小企業の雇主が親企業に対する価格交渉力、ひいては一定の支払能力をもてるように労働組合が支援する、この関西生コン型の組合運動が模索されるべきであろう。その模索こそは、深刻な業規模間賃金格差の根因である下請構造への労働組合のもっとも真摯な鍬入れなのである。
 対比させる意味でひとつの代表的な企業別組合のスタンスの紹介を試みよう。2016年春闘でトヨタ労連は「ベア3000円以上・関連企業労働者にも大幅賃上げで格差是正」を要求に掲げる。一方、会社側は14年度下期から1年ほど続けた部品メーカーに賃上げを促すための部品の仕入れ価格を据え置く対応を16年度はやめ、例年どおりの値下げ要請を再開するという。労連はこの部品単価の見直し・値下げ再開になにもいわない。勘ぐれば本体企業の業績が悪化すれば業績連動の賞与が減らされるからだ。労連関係者は言う、「部品単価は経営が考えることで、組合の範囲を超える」(朝日新聞2016.1.16)。トヨタ界隈での企業規模間格差の是正は今年も絶望的であろう。だが、これがふつうの姿なのだ。関ナマ労組の営みの際立った質の高さが知られよう。

 今ひとつ。労働組合が中小企業の「適正価格」の維持に協力することの意義は、現代日本においては、下請問題を超えて、より広汎である。
 「脱却」が唱えられる「デフレ」とはひっきょう、中小企業の提供する安価な製品・サービス価格と、そこで働く人びとの長時間労働や低賃金との相互補強関係を意味している。そのことを真摯に顧みれば、ともかく低価格を歓迎する消費者としての一般国民の願いは見直されるべきであろう。消費者のだれもがどこかでは働いているからだ。それゆえ、さしあたり「反国民的」とみなされようとも、労働組合運動は劣悪な労働条件と直結する低価格に奔る企業ビヘイビアを見過ごしてはならない。関西生コンの生コン適正価格維持の闘いを多くのマスコミは「逸脱」と批判したけれども、アウト企業へのピケは、労働条件の劣悪な、例えばブラック企業の製品の市民ボイコットと同じ行為であり正当なのだ。私たちは今日、低価格と劣悪な労働条件の結合が、どれほど不可欠なサービス分野からの激しい離職、観光交通や食品の安全危機を招いているか、すなわち、どれほど社会の質の劣化をもたらしているかを顧みるべきであろう。

 私の印象では、雇用保障については、関西生コンの営みは、ここでも全港湾と類似のものながら、雇用安定基金による共同雇用、登録労働者の就業斡旋、収入保障を組み合わせた伝統ある全港湾の制度とくらべると、なおシステム化は遅れ、不安定なように見受けられる。この点の充実が今後の課題であるように思われる。とはいえ、全体として、これほどのなかま意識と創意をもって、ともすれば使い捨てられかねない中小企業のブルーカラー労働者の界隈に、定着できる居場所としての労働組合を構築しえたことに、私は深い感銘を禁じえない。関西生コンの実在は、長らく労働研究を続けてきた私には、日本の労働組合運動への絶望を見直させるたしかな希望である。

 注:『関西地区生コン支部 労働運動50年──その闘いの軌跡』(社会評論社、
    2015年)所収。HPへの転載にあたってわずかに加筆・修正した。 

その7 去年今年、「ザッツ、ニッポン!」それでもなお

 恒例の「紅白」は毎年見ることにしている。総じてつまらなく見終わればいつも後悔する。それでも、「政治ぬき」で楽しませる主旨のこの大イヴェントは、その都度、NHKが国民意識をおよそどんな方向にまとめようとしているかを透視させる。日本社会のありように無関心でありえない寄せる者としては、そこから目を背けたくなかったのだ。だからまたうかうかと見てしまった。だが、とくに「ザッツ、ニッポン!」と銘打つ2015年末の「紅白」に感じた違和感は、なまなかのものではなかった。
 空疎な歌の内容をダンスで糊塗する若者たち。聴きあきた名歌を厚化粧のように誇張して歌うベテランたち。新曲が少なく「メドレー」が多かったのも今回の特徴と思われた。そして間合いをびっしりと埋める信じられないほどのおふざけとNHK人気番組の自己宣伝・・・。現代日本の歌謡文化の質の、なんという低劣さだろう。
 そればかりではない。今回の紅白「ザッツ、ニッポン!」は、みんな集まれ、格差や貧困の苦しみなんか忘れよ、日本の明日にひそむ危機なんか気にするな、この人情豊かな大国日本に誇りと希望をもとう、やがて有力なアスリートたちが勇気をくれるオリンピックも近づく・・・と謳う。舞台や審査員席の有名人が、津波被災地──原発事故の福島は別である──に駆けつけたというエピソードを紹介するにも、ぬかりはない。テレビの前の、テレビしか楽しみのないしんどい生活の人びとが、カメラがその表情をとらえることのない会場の視聴者が、こんな紅白を心から楽しみ、明日に希望をもてるとは私には思えない。本当に「盛り上がっている」のは、まぎれもない成功者である舞台上の人だけではないだろうか? もうおことわりだ。

 たかが紅白、目くじらを立てるほどのことではないかもしれない。されど紅白である。客観的にはこれは、体制メディアNHKの仕掛ける、2015年夏秋の政治的危機の峠を越えた安倍政権の「一億総活躍社会」に国民一丸となって協力しようという、すぐれて政治的なメッセージであるかにみえる。そして、そこは個人的な心象風景にすぎないけれど、この紅白にふれることで、この紅白にふれることで私の昨年以来の憂鬱がいっそう深まってゆく。この「ザッツ、ニッポン!」のどこに私は着地すればいいのだろう。これからなにを学び、なにを発信できるのだろう。それがわからない鬱屈と焦慮が、まずは新年の所感なのである。
 私はおよそここ3年ほど、自分が大切だと思うことと、社会的に発言を求められることとの大きな懸隔を感じてきた。例えばそれは、およそ労働問題を考えるにあたっての産業民主主義の不可欠性、労使関係の営みや労働組合運動の復権の枢要性である。このあたりは、日本の民主主義擁立論のなかでもなお関心は低く、2016年には、社会的な発言の機会の著しい縮小が見通される。率直にいって、労働研究者としてはもう「賞味期限切れ」のようだ。引退して、寡黙な余生に入るべきなのかもしれない。 それもいい。今のささやかな願いとしては、私のこれまでの著作が後続の研究者、労働運動の実践者、市民の方々によく読まれることだけである。まだ広く読者を得ていない二著がとりわけそうだ。過労死等防止法なった今にこそふさわしい職場生活の軌跡の叙述『働きすぎに斃れて──過労死・過労自殺の語る労働史』(岩波書店、2010年)と、研究史の自伝的回顧と現時点の労働分析やエッセイを収めた『私の労働研究』(堀之内出版、2015年)である。ちなみに後者について、若い世代3人の立ち入った評論と充実したフロア討論を収めた『職場の人権』誌93号が昨年末に刊行されたことは、現在の私にとってはこの上ない贈りものであった。

 けれども、やはり心にわだかまるのは、こんな「ザッツ、ニッポン」でいいのかという思いである。労働研究者としては一線を退くとはいえ、なおあがきたい気持がある。その文脈でこれからも学びたいことのラフ・プランを書きとめるなら、その問題意識の契機は、前回、前々回のエッセイに書いた私なりの2015年夏秋の総括、「情勢論(1)(2)」にある。ごく簡単に再論しよう。
 2015年9月27日の安倍政権による戦争法の強行、立憲主義の蹂躙に対する広汎な諸階層の抗議行動は、組織の動員ではなくすぐれて個人の自発的な参加によるものであった。私はしかし、そのことのまぎれもない光に伴う影の領域にも注目する。その影とは、人びとが非日常的な国会前の結集から帰るところ、日常的な界隈に働く強力な同調圧力、その「空気」に抗う者のKYとみるという現実である。「日常的な界隈」とは、例えば、家庭、学校、友だちとの親密圏、公園やレストランのママ友グループ、そしてなによりも企業社会の内なる職場にほかならない。そして、ここに言う「同調圧力」の空気に濃くただようものは、次のような粒子である。 
 ・社会運動なんかで支配構造が変わるものかというシニシズム
 ・「政治的中立」とよばれる政治的無関心、ひいては支配権力への客観的な追随
 ・エコノミックアニマルの実利主義。就職や会社人生での成功へのひたすらな願い
 ・スポーツやオリンピックで醸成されつつある美しくつよいニッポンへの愛国主義
 ヘイトスピーチや「自虐史観」非難をあえてする極右はなお庶民のものではあるまい。しかし、上の「常識」に抗う者は「サヨク」=KYとして、界隈のボスの主導のもとに公然と、または暗黙裡に排除する思潮は、確実に高まっているように思われる。
 
 こうして庶民の住む日常的な界隈を支配する保守的な同調ゆえに、安倍政治はなお安定的である。だが、なぜ現代日本では、界隈の民主主義──排除の怖れなき成員の自由な発言権、多様な存在・多様な意見の許容──が弱いのだろう。もともと戦後このかたそうなのか。最近とみに弱くなったのか。いずれにせよ、そんなことを考えてゆきたい。私はそう思い定めて、人びとの生活の近現代史、意識と思想の軌跡、なにかを感じとった人びとの挑戦と挫折の評伝などをあらためて学ぼうとしている。この領域はしかし、私にとって新奇なものではない。思えば私のこれまでの労働研究も、労働問題の事象の背後にひそむ、生活実態を凝視してやまない労働者の主体意識というものを把握しようと、つねに努めてきたからである。
 最後に、すでにはじめているこの系統の読書のうち、2015年、とくに感銘を受けた作品のいくつかを紹介しておきたい。例えば、近世日本における最大規模の民衆蜂起としてかねてから関心を寄せてきた天草・島原の乱を考察する玉野井隆史『島原の乱とキリシタン』(吉川弘文館、2014年)。強靱な自由な精神をもって戦前・戦中・戦後の逆境を生きた女たちの評伝集、澤地久枝『完本 昭和史のおんな』(文藝春秋、2003年)。細井和喜蔵の内妻だった人の不屈の生涯を伝える自伝、高井としを『私の「女工哀史」』(岩波文庫、2015年)。また私にとって最大の収穫だったのは、加藤典洋『戦後入門』である。広汎な文献渉猟と精密な考察の満たされたこの作品は簡単な紹介になじまないけれど、加藤本によって、私はアメリカの原爆投下と無条件降伏論の意義、安保条約と軍事基地の意味するもの、日本人が保革を問わずなぜ対米従属からの離脱を本格的に追求できなかったかなどをしたたかに教えられた。結論として加藤は、レーニンの「平和に関する布告」以来のひとすじの理想主義を受け継ぐ国連への協力を断固として選択する、いわゆる「左折の改憲論」をとる。国連への信頼についてもちろん留保はありうるけれど、それは、安倍の復古路線はもちろん九条擁護論者さえも免れない対米関係についてのあるジレンマを突くものであり、加藤説は護憲の陣営においても十分に検討されなければならない。
 もうひとつ、岩波書店が『人びとの精神史』なる9巻のシリーズ刊行をはじめている。戦後を九期にわけ、意義ぶかい営みを紡いだ人びと、有名、無名あわせてほぼ100人の思想の軌跡を、分析者・執筆者も約100人を擁して辿る大きな試みである。私が昨年読んだのは、1巻から3巻、栗原彬/吉見俊哉編『敗戦と占領 1940年代』、テッサ・モーリス・スズキ編『朝鮮の戦争 1950年代』、栗原彬編『六〇年安保 1960年前後』の三册である。書き手の現代的な問題意識と、対象者との距離の微妙さによって、感銘の程度はさまざまではあれ、総じてとてもおもしろい寄稿が多く、きわめて有意義な企画であると感じた。今年の読書はこの続刊からはじめるだろう。ちなみに私は近刊の第6巻、『列島改造 1970年代』に、「小野木祥之──労働のありかたを問う労働組合運動の模索」という文章を寄せている。とはいえ、全体として労働問題という視点への関心の希薄さは、戦後民主主義の言説を代表するこの出版社の企画においても典型的にうかがわれる。

その6 情勢論(2) 日常の界隈に働く強力な同調圧力

 SEALDsの若者たちは「私の思い」を伝えるいくつかのユニークな語りとともに、「民主主義ってなんだ、なんだ」、「これだ!」とシュプレヒコールで訴える。では、「これ」とはなにか。それはこの集会・デモという、とりあえずは非日常的な空間であろう。
 こうした「組織でなく個人の参加」に新鮮な感銘を受けながらも、私にはある危惧が残る。ふつうの人びとが集会やデモを終えて帰る日常の界隈は、教室、友人との親密圏、家庭、地域、そして職場であろう。それらの場ではふつう、政府批判的な発言などをあえてして傍らのなかまを行動に誘うことをKYとみなす、強力な同調圧力が働いている。実際SEALDsの若者がこう語ることもある──友人の間では私の意見はなかなかわかってもらえず孤独を感じていたけれど、ここに来てこんなに沢山のなかまがいることがわかって本当にうれしい、と。
 日常の界隈を支配する「常識」への同調圧力が、私は怖い。その常識の大前提は、知的な合理主義ではなく、庶民が支配権力に抗うことの成果を絶望視する徹底した現実主義であろう。いくらか内容を問えば、それは、深刻な格差の正否を問うことを彼岸視したエコノミックアニマルの志向であり、「政治的中立」を僭称する政治的無関心である。反戦・平和・防衛については、といえば、それはせいぜい、想定される侵略者=「強盗」に対する「戸締まり論」、あるいは米軍に協力するバランス・オブ・パワー論となる。備えあれば憂いなしというわけだ。社会構造と歴史に関する知的営為のないこうした卑近な現実主義に立って、日常の界隈の小ボス、オピニオンリーダーは若者たちに、「共産党みたいなこと」を言っていては、有利な進学もまともな就職もできないよ、友だちといてもしらけるよ、みんなの関心は安保や憲法なんかじゃなく、コミックやおしゃれやアスリートや彼/彼女と行くレストラン情報だろ・・・と説教するだろう。

 もっともこうした若者サブカルチャーへの没入は、しかしまだ、「戦争が怖くてふるえる」気づきによって相対化できるかもしれない。しかし、学校や家庭やメール友だち以上に永続的で避けがたい「界隈」である企業社会・職場では、KYを許さない同調圧力の強さはさらに圧倒的である。ここでは、サラリーマンや労働者は、まず頻繁な残業や心身を消耗させる過重労働によって政治参加のゆとりを奪われており、その労働意識は、景気上昇、企業の発展、職場の生産性向上の範囲に閉じ込められていて、とても戦争反対や立憲主義擁護のため国会前に集まる気分になれない。また、およそ70年代末までとは違って今では、労働者が職場で、たとえば兵器生産や原発推進を語ることは、不利益処分を覚悟せずには不可能であろう。安定した保障が危なくなりかねない。
 この文脈では、今回の安保法制に反対する集会・デモの参加者はたしかに「職業、世代を問わず」ではあったけれど、無愛想にいえば、企業社会の論理から身を遠ざけうる程度に応じて参加できたということができる。参加者のなかで現役のサラリーマン・労働者は決して相対的に多くなかったように思う。とくに初期には、集会に労働組合の旗がないことを、組織動員の参加ではないとしてなにか肯定的に語る人もあったけれど、私は評価を異にする。誤解してはならない、60年安保での組合の参加でも、労働者は組合の動員でいやいや集まったわけではない。いま組合の参加が少ないのは、組合員、すなわちふつうのサラリーマン、労働者の参加が少ないということであり、彼ら/彼女らをそこへ送り出す企業社会が政治討論の場としてすでに不毛の地になっていることを物語る。もっとも連合などはさすがに、夏には大規模な集会・デモを組織するようにはなった。しかしこれは、たいてい日曜日の午前中に限られており、率直にいって、支持政党の民主党を励ます、形式的な動員の性格がつよかったように見受けられる。

 平和主義・立憲主義の危機に「じっとしていられなくなって」「個」として国会前にきた人びとは、日常の界隈に戻ると、もうKYはやめるようにという、硬軟さまざまの圧力のなかしんどい思いに苦しむ。やむなくその「空気」に靡く人も多いことだろう。こうして「政治的に中立」の国民に遠巻きにされ、復古的な強権は安定する。
 この10月25日、研究者とSEALDsのシンポジウムで、立命館大学2年の大澤茉実は、「空気を読んでいては、空気は変わらないのです」と発言した(朝日新聞2015年10月26日)。それは燦めくような言葉だ、やはりそれを出発点としたい。日常の界隈の空気は傾向として重くなり、支配権力に対する抵抗を難しくするだろう。だが、主張の宣伝力や政策行使の資源において、市民と権力(具体的には政府・地方自治体、ときに大手メディアなど)の間に明らかな非対称性があるかぎり、「政治的中立」とは権力を支持することと同じだ──そう認識する人びとが、日常の界隈に波紋をもたらし、そこから溢れ出すかたちでレジスタンスを執拗に続けるならば、空気は変わってゆく。
 政治の場はむろん国会だけではない。だから闘いは多様なかたちを取りうるだろう。私の危機感を示す「情勢論(1)」の文脈では、さしあたり「政治的中立」のなかで政治問題の討論をすることを許さない役所、教育委員会、学校当局、政府批判を忌避するマスコミなどには、市民グループの抗議行動が鋭く突き出されねばならない。
 もちろん、国政選挙では、戦争法廃案と立憲主義・憲法擁護の線で有力野党が協力体制を組むべきである。私見では、このたびの反安保法制の運動でもっとも評価すべきだったのは民主党と共産党が対立しないことだった。これ以上、政党について語れば「生臭い」議論になるけれども、あえて言いたい。これまでは長年、民主党・連合の共産党排除と共産党の全選挙区での候補者擁立とが、悪しき相互補強関係にあった。どちらが反省すべきだったかの議論は不毛だ。第二党の民主党は、伝統の反共主義を払拭し、いま第三党の共産党のこのたびの協力提案を、少なくとも選挙の候補者調整については支持に踏み切るのがまっとうな選択であろう。過去のしがらみにとらわれないSEALDs TOKAIも、最近の集会に野党4党を招いて、正しくも「垣根を越え」た協力を訴えている(朝日新聞2015年11月15日)。
 民主党のなかには、とはいえ、共産党とはめざすところが違う、共産党と組めば、かえって得票を減らす、シロアリのように民主党の基盤を崩される・・・として、協力を拒む有力議員が存在する。では、民主党の路線は、もう「共産主義」とはいえない共産党のそれとどう異なるのか、維新のそれとどう共通するのかと問いたい。だが、それはともかく、もっぱら共産党の勢いへの怯えが印象ぶかいこれら細野、前原らの発言には苦笑するほかはない。9.19からなにも学んでいない、こんな古びた反共主義に凝り固まった考えで、どうして民主党が伸びるだろうか。

 最後に、私はやはりこだわりたい、日本産業社会の深奥の岩盤をなす企業社会での「堅気の」サラリーマン・組織労働者の抵抗は、なお絶望的なままだろうか。
 朝鮮戦争やベトナム戦争の折には、軍需産業を扱う機械産業労働者のなかに散発的なサボタージュが、60年安保の折には、国鉄労働組合などの時限ストがみられた。時代は大きく保守化しており、そんな行動はもう難しいかもしれない。けれども、2015年初夏から秋においても、今後の戦争法体制の要請にもとづく、国策に沿った労働のゆがんだ方向づけを警戒して、印刷・出版、医療などの諸組合が反安保の運動に参加している。大規模でないにせよ、それはみずからの労働の意義を確認する貴重な営みであった。
 ここに学ぶならば、このエッセイに述べてきた地方自治体や教育委員会の動向に注目して、地方公務員の組合はもっと、市民運動の自由を制限する行政体の統制を内部から突き崩す営みができるはずだ。また、教員組合はもっと、むしろ若者の政治的無関心を育てるような「毒にも薬にもならない」社会科や歴史の授業を拒むことができるはずだ。それに多様なマスコミ従事者の組合はもっと、進行する批判的ジャーナリズムの窒息死に抗うことができるはずなのだ。踏み出されるべきはいずれも、狭義の労働条件を超えて、自分たちはなんのために働いているかを問い直す労働運動の新たな地平なのである。
 ある意味では市民運動に協力するこうした営みが、もっとも困難な運動領域であることを、私ははよく承知している。しかし労働組合は少なくとも、「個」としてデモに参加して帰ってきた労働者を孤立させないように、職場でなにができるかの政治討論に入るべきだろう。そこに進むことを、来るべき容易ならぬ時代は労働組合に要請している。

その5 情勢論(1) 15年秋の闘い、統制と自粛の季節へ

 私は性格としては明るいほうだが、このところの日本社会のゆくえの判断ではどうしても暗くなる。例えば2015年10月20の朝日新聞掲載の世論調査の結果をみると、まことに憂鬱である。安保法制については、賛成が36%で前回(9月19~20日)の30%よりも増え、安倍内閣の支持率はなんと35%から40%に増えている。
 9月19日、安倍内閣は、憲法を恣意的に解釈し、矛盾、撞着、ごまかしの「答弁」に終始し、曖昧なところは俺に任せろと開き直って、参議院でほとんど暴力的に安保法制を「可決?」した。およそまともな議会制民主主義の了解を超えるこのような一連の暴挙に、国会前でも全国各都市でも、何千、何万というあらゆる世代と階層の人びとがくりかえし抗議の集会やデモをくり広げた。それから1ヶ月後の世論がこのありさまなのだ。今回の行動は、組織の動員ではなく一人ひとりの自主的な参加によるもの、ここに定着した民主主義の噴出があり、ここに明日の希望がある──その思いには縋りたい。それでもやはり、明るい明日を展望することはできないのである。

 四日市という保守的な地方都市で、脱原発とともに<戦争する国はいや!>と叫ぶ、「オールズ」に偏りがちな市民運動の展開に携わりながら、私もこの間、長らくあきらめかけていた若者たちの異議申し立てを見て、いくたびも胸を熱くしたものだ。
 例えば、6月26日の札幌では、「戦争したくなくてふるえる」若者たち700人のデモのなか、19歳のフリーターという女性は、「私馬鹿そうですか? ギャルは政治を考えてはいけないんですか? いま必要なのは知識じゃなく声をあげることです!」と叫んだという。なんという軽やかな、それでいて心をうつ発言だろう。彼女らにとって、デモはもう「おじさんやおばさんだけ」がする自己満足の行動ではなかった。
 また例えば、安保法案反対のデモに参加したある女子学生の発言が感銘ぶかい。彼女は中学時代、式典で「君が代・日の丸」を拒んで処分を受けた一教師の、校門での訴えに心を動かされた。だが、長らく政治行動には参加できなかった。「彼氏の手前」もあって、みんなにKY(空気が読めない)とみなされるのがいやだったからだ。けれどもやがて、この日本で「KYでない」とは自分の意志を表明しないことなのだと気付かされる。そんなのいやだ、だから、私はいま行動する・・・。それは鋭い感性が可能にした鮮やかな主体性の獲得であった。
 また例えば、もと予科練の生き残り、加藤敦美は、「私たちが生前できなかったこと」、SEALDsのデモに、美しいメッセージを寄せている。特攻で死んでいった先輩、同輩たちよ・・・今こそ俺たちは生き返ったぞ、若かったわれわれが生き返ってデモ隊となって立ち並んでいる、と。思えば伝統とは無念の死者たちにも発言権を認めることにほかならない。SEALDsの若者たちはこうして、もう決して戦争はしないという、死者たちに促された戦後日本の伝統を継承したのである。
 とはいえ、私の記憶に刻まれたこのようなエピソードに関わらず、1980年代以来の国民に定着したシニシズムの岩盤は容易に揺らぐことはないかにみえる。それは、祭りのような社会運動の盛り上がりで「現実」が変わるわけではない、日常生活はなおひっきょうわれわれが抗い続けることができない権力者の管理と支配のもとにある・・・という、世智によって支えられている。

 安倍晋三はいま上機嫌である。そして彼の上機嫌に正比例し私たちは不機嫌になる。今回の「エッセイその5」をはじめとして、これから折りにふれ、私なりの不機嫌な時代の考察と、では、なにが必要なのかについて、思いつくまま素人談義を試みよう。
 まずいえることに、対米協力もとで「戦争のできる大国」に戻すという険しい峠を越えた自民党政府は、60年安保の後のように、さしあたり経済の繁栄、つまり安倍の想定では国民「一億が活躍できる」機会の拡大に注力するだろう。実のところ、牽強付会の憲法解釈を通した政府にとっては、対立を招きかねない憲法9条の改正などはすでに喫緊の課題でないかもしれない。それにシリアは遠く、中国の進出がすぐに「存立危機事態」を招く可能性は低い。安倍は、岸退陣のあと経済成長で国民統合をはかろうとした池田にもなりたいというわけだ。安倍政権は、人びとの関心を安全保障や原発から遠ざけてきたエコノミックアニマル志向に、国民を再び引き寄せようとするだろう。
 アベノミクスはしかし、派遣雇用を活用できる職場領域をいくらでも拡大できるような今回の法改正に典型的に見るように、深化しつつある格差社会の底上げを図る政策ではない。それがめざすのは総じて、社会保障に頼らずともやってゆける一部の精鋭サラリーマンや総合職的な女性社員が、いっそう「活躍」でき子供を増やすことのできるように便宜を供与することであろう。貧困の連鎖にあえぐ非正規雇用の若者が、奨学資金の免除や大型免許などの無償の職業訓練などに惹かれて「経済的徴兵」に応じるならば、それはそれでいいのだ。ついでにいうと、労働組合運動がさらに衰退しても、安倍は経済成長のための賃上げを財界に頼んでくれもするだろう。もっとも政府の財界への働きかけが、企業規模別、雇用形態別、性別の賃金格差を自由に決める経営権を侵すことは決してないけれども。
「これからは経済発展です」と唱える一方、安倍政権は、アメリカと並んで戦争準備も怠りなく原発の稼働も輸出もできる日本を「大国」として誇れ、かつてのナショナリズムを取り戻せと、国民を強力に誘導してやまないだろう。すでに閣僚20名のうち11名は日本会議、17名は神道政治連盟のメンバーであることにも注目したい。周知のように「自主憲法制定」「皇室と日本文化の尊重」「国家儀礼の確立」「道徳教育の強化」などが両団体の主張にほかならないが、この超保守主義は、かつての侵略や植民地支配を直視する視点を「自虐史観」と難じるゆがんだナショナリズムの立場に直結している。さしあたり、沖縄タイムズ、琉球新報、朝日新聞などをつぶせとわめき、恥ずべきヘイトスピーチまであえてするファシスト的な言辞は、民間右翼や一部の政治家個人のものである。だが、例えば百田尚樹などの重用にみるように、こうしたウルトラ右翼は、安倍にとっては自分はまだ公然とは言えないことを言ってくれる先兵であり、ナチス台頭期の突撃隊のような存在である。そうしたウルトラ右翼の言説が最近はばかりなくなっていることは、挙例にいとまがない。
 ウルトラ右翼の言辞はまだ嗤っていられる。けれども市民生活にとってより問題なのは、いくつかの地方行政体が、多少とも政府批判的な市民行動に会場使用などの便宜供与を控えるようになりつつあることだ。政権の意を迎えるためか、あるいは右翼がねじ込んでくると困るという配慮のためか、いずれにせよ、およそ「政治的」なことにいっさい関わるまいとする、団子虫のような臆病さと事なかれ主義がそこに見られる。こうした動きに地方公務員の間から抗議の声が上がらないのはなぜなのか? 
 この傾向は教育行政においてとくに著しい。教育委員会は、教師たちが教育上の創意と工夫を開発してきた日教組の教研集会を学校で開くことを不許可にしたり、あるいは「安保法制」を授業で取り上げた教師のリストを報告させたりしている。政府は、18歳までの選挙権拡大を控えて高校生の政治活動を取り締まる措置を制度化するのに懸命であるが、すでにはじまっている統制をみれば、さなきだに査定の強化によって発言の自由を失っている教師はもとより、一方では政治に関心をもたねばならないと説教されもする生徒たちも、およそ政治に、ひいては社会そのものに関わらないことが偏らない「正しい態度」だと学ぶことになるだろう。言うまでもなく、考えない、関わらないことは支配権力を支持するということと同義だ。文科省が大学の人文・社会・教育系の学部を縮小・再編しようとする目論見ももちろん、政治や社会を分析する批判的知性の育成を阻むところにひそんでいる。
 憂鬱なことに、テレビを代表とするマスメディアにも、批判的ジャーナリズムの「芽むしり仔撃ち」が進んでいる。過度の自粛、自主規制が働くようになった。無頼の反動を会長にいただくNHKはもう政府の御用機関みたいだ。その報道が、くわしすぎる災害報道とアスリートの活躍(それも日本人だけの!)に偏り、政治・社会・労働などのテーマでは、デモやストライキなどおよそ社会運動というものをまったく軽視している。民間放送は、例えばこの間の安保法問題に見る限り、安倍晋三が好んで出演するフジテレビなどを別にすれば、総じてはるかにましだった。しかし、大学の世界でも、私立の立教大学が安保法への抗議をふりかえるシンポジウム(10月25日)が「政治的である」との理由で講堂を貸さなかったのと同じように、公共部門での統制が、「民間」の、それこそがまさに「政治的」な追随の自粛を招くことは十分にある。ここでも、例えば体制批判のコメンテーターが登場できる余地は確実に狭まるだろう。この間、俳優たちの政治的発言が乏しいのも、おそらくテレビドラマに出演できる機会が狭まる、つまり「干される」のを怖れてのことであろう。

 多くの友人たちとともに、私にとって誇るべき日本とは、人権と非戦の現憲法のもと決して戦争をしない国のことである。憲法九条こそは、例えばトヨタの車やパナソニックのテレビやイチロー以上に私たちの国の輝くブランドなのだ。しかし、このような私の日本は、安倍晋三のもたらそうとする日本とは真逆のものであるゆえ、私たちには窮屈で不自由な、焦慮と鬱屈をまぬかれない時代がやってくる。あえてファシズムの足音が聞こえるともいえよう。
 この流れに抵抗するという立場に立つとき、この晩春から晩夏にかけて示された、組織の動員ではない個人としての政治参加は、光にともなうどのような影をもつだろうか。そして結局、どのような営みが要請されるだろうか。次のエッセイでは、そのあたりを考えてみたい。

その4 過労死・過労自殺の重層的要因と労働者の主体性

──過労死防止学会発足記念シンポジウム(2015年5月23日)報告

 私の過労死研究はもともと、たくさんの労働者が職場史や生活史のなかで、どのように働きすぎに、どのように死に追い込まれていったかを、物語として再現することに関心を寄せてきました。私の過労死に関する著書『働きすぎに斃れて――過労死・過労自殺の語る労働史』(岩波書店、2010年)は、そういう内容です。だから、本来はきわめて具体的な労働者体験を語るのが好きなのですが、今日はもっぱら論理的な考察に絞ります。職場の状況に関する具体的な事実は省略して、広義の過労死の重層的な原因を把握し、その要因のなかでも、私が重視する日本の労働者が仕事に向き合うときのものの考え方、いわば日本的な「働く文化」についていくらか立ち入り、その上で、最後に時間の許す限り、過労死に対してどんな対策が考えられるか──そんな報告をしたいと思います。30分という時間限定はかなり厳しいですから、1分の無駄も許されないという感じ。早速入ることにします。

過労死の根因と媒介要因
 まず、過労死の原因は、きわめて重層的で、遠因や近因がさまざまな形で組合わされていることは、すでにご存じのとおりです。しかし、そのもっとも根底的な原因は、やはり日本企業特有の働かせ方にほかなりません。この点を抜きにしては、いかなる過労死論も成り立ちません。この、いわば働かせるフレームワークは、今日、私が重視して語りたいこと、日本の労働者の働く姿勢・志向性にあまりにも強く関係しておりますので、ここはもういちど振り返ることにして、さしあたり、この働かせる企業労務が過労死の根因であるという確認だけしておきたいと思います。
 けれども、もっともインテンシィヴに、あるいはできる限り長時間、労働者を働かせようという意向は、ある意味では世界共通のもので、世界の経営者はすべてその傾向にあります。では、なぜ日本で過労死という問題がこんなに特徴的に現れるのかといえば、そのように働かせる企業労務が過労死を導くような、あるいは過労死を可能にするような、日本的な媒介要因というものがあると思います。そこのところが実は、日本の産業社会を理解するとき枢要のことなのです。この文脈で私は二つほどの媒介要因を考えます。
 その1は、ずばり言えば、やはり労働組合の弱体化です。過労死元年は1988年といわれますが、そのおよそ5~10年ほど前から、労働組合の働き方に関する職場規制が徹底的に後退しておりました。非常につづめた言い方になりますが、そのころは日本的能力主義管理が浸透・定着しておりました。この日本的能力主義管理の具体的な現れ方はすぐれて「労働条件決定の個人処遇化」ということでした。すなわち、仕事のなかみやノルマ、職務の範囲、配属、そして求められる残業量・・・といった具体的な労働条件が、上司の命令にしたがって労働者が働いた努力と成果に対する査定によって、個人別に決まるようになってきたということ、それが大きな影響を与えました。つまり、広義の労働条件のうち、労働協約とか労働法が一律に規定する部分がきわけて小さくなったのです。
 私はこれを「労働条件決定の個人処遇化」と規定します。この個人処遇化は、労働者のしんどさが、「個人の受難」として現れるということです。この界隈では、過労死・過労自殺にしても、ハラスメントにしても、メンタルヘルス不全にしても、それは従業員の全員に及ぶというよりは、その職場の少数者の問題とみなされがちです。その事例を集計すれば社会的には大きな問題ですが、当該の職場では少数者のもので、企業内では「個人の受難」と扱われてきました。したがってそれは辛辣に言えば、「個人の責任」とされてしまう。<日本的能力主義の浸透⇒労働条件決定の個人処遇化⇒個人の受難=個人の責任>という流れがひとつの連関になっています。そして労働組合は、この連関に介入することを徹底的に回避してきました。組合は「個人の受難」に寄り添わないのです。例えば89年の労働戦線統一時の組合文書には、「過労死」の文字は見えません。過労死元年と労働戦線の統一と同じ時期というのは、皮肉にも象徴的なことと言っていいと思います。例えば、残業にかんする36協定の特別条項。特別条項の適用としてひどい残業があるわけですね。過労死というのはそういうところから起こる。しかし、この特別条項に労働組合はサインしているんです。その点から言えば、労働組合は過労死の頻発に責任がないとは言えない。それゆえ、私は組合の職場規制の後退を過労死の媒介要因の一つとしてあげたいのです。もっとも組合論は、今日はあまり論じません。
 媒介要因のその2は、厚生労働省の方もお話になりましたので言いづらいんですが、やはり労働保護立法も労働行政もダメだったということ。働きすぎを規制すべき政策が不備なのです。これも語ればきりがないんだけれど、たとえば残業時間のマキシマムの法的規制は、日本では基本的にないと言えます。今回、成立した過労死等防止対策法にしても、労働時間規制には踏み込んでいないというのが現状であります。
 また、ノルマとか、個人の残業割り当てとか、そういう具体的な働かせ方の経営権というものは、労働行政としてはある意味で当然の限界かもしれないけれど、「聖域」とされていて、そこには踏み込めないということもある。それから、今の労働法でも駆使すれば、労働基準法で過労死を防止するようなこともある程度できるかもしれないけれど、ご存知のように労働基準監督官は国際比較で見ても大変少ないのです。例えば労働省労働組合などの統計によれば、総じて日本は公務員は少ないのですが、わけても労働基準監督官の労働者数あたりの人数の僅少さには目をみはるほどでしょう。「ダンダリン」がいかにがんばろうと限度があります。こうした労働保護法・労働行政の弱さは否定できないのです。もっともこの媒介要因その2についても、今日はこれ以上立ち入りません。
 もうひとつ無視できないものに、労働を取り巻く日本的な「社会的システム」みたいなものがある。この点について私はこう考えます。日本では、職域を超える普遍的な福祉国家のシステムがなお基本的に貧弱です。そこにジェンダー規範のしがらみも加わって、日本では、男性の会社員人生が成功的であるかどうかが、自分ならびに家族の生活の安寧に実に大きな影響を与えるというところがある。だから結局、男性サラリーマンは会社員人生で成功しないと生活保障が危うい。それは働きすぎのとても大きな駆動因なのです。ここから来るのはどういう生きざまか。私はドイツの労働者の働く姿勢について日系企業の経営者の話を聞いて痛感したのですが、ドイツなんかとは違って、日本の労働者というのは、会社のために働いているということと、自分や家族のために働いているということとの、峻別ができなくなっているのです。自分や家族の人生よりも会社の発展のほうが大切だという考えで過労死するまでに働くのではない。自分や家族の生活のほうがはるかに大切だと思っている。思ってはいるけれども、一番大切なものを守るためには、会社に「精鋭」と認められなければならないと信じ、そのあげく無理に働きすぎてしまうのです。この両者の峻別が難しいというところに、日本の労働者が追い込まれているやりきれなさみたいなものがあります。この社会保障の事情についても、これも今日はここまでに留め、後に議論になりましたら、意見を追加します。
 以上は、先に紹介しました過労死・過労自殺の人びとのエピソードを綴る本で最後にまとめた理論部分の、上澄みみたいなことにすぎません。

働きすぎるノンエリートの主体性
 さて、今日、私がとくに語りたいことは、あえて言えば、過労死や過労自死を招くまでの働きすぎには、「強制された自発性」にもとづく、ある意味での労働者の主体的な働きかけがあるということです。企業や社会に強制された環境のもとで、とはいえ最後には自分が選んで働きすぎているという側面がある。そこを見なければならないのではないか。言い換えれば、過労死・過労自殺に導びかれるような働き方における、労働者のある主体的な適応の側面というものを、今こそ、労働者の思想・労働者の文化として振り返る必要があると痛感します。
 なぜかと申しますと、どんなに「長時間働かざるを得なかった」と言っても、日本の職場はやはり強制収容所の労働ではありません。日本の労働者は奴隷ではありません。最後には、ある自発的な選択があって、あれほどに働いてしまうんです。働いちゃうんです。ここが労働文化の問題として見逃せません。この点はふつうあまり議論されませんし、ある反発も引きおこします。しかし、反発や違和感を覚悟で、今後の闘いのためには、ふれないわけにはまいりません。では、くどいようですが、なぜ、過労死の重層的な原因のうち、最後にあげた労働者の主体的な適応の側面に注目するのか。
 ここを重視することはむろん、一種の危険性があります。なぜなら、たとえば過労死や過労自殺の損害賠償の裁判が行われると、会社側は総じて、先ほどの寺西笑子さんの話にもありましたね、「彼の働き方は会社が命令したものじゃない、寺西は自発的に働いたんだ」という。これは平岡悟さんの裁判以来、いつも繰り返される会社の言い分なんですね、命令したんじゃなく自発的に働いているんだから、と。私が働きすぎには自発的な側面があると主張することには、少し危険な側面があるというのはそこです。しかしながら、労働者の働く文化というものをわれらの側から問い直すことがなければ、今後、どのような法的規制も職場に活かすことはできません。労使関係や労働組合機能にかかわる労働者の働き方の文化についての変革なくしては、法律だけで過労死を防いだり、残業を規制したり、過度のノルマを規制したりすることは絶対にできません。そこをもういちど顧みたい。今後の働き方をめぐる労使関係の営みにこそ、労働者の思想性が問われるということです。今回の過労死等防止対策法を活かすも、形骸化を許すのも、結局は、現場の労働者の働く志向性、思想、文化・・・そういうところに帰着するからです。私が、「強制された自発性」という概念で、労働者のビヘイビアを強制一本で説明することを拒むのは、そのような現場の労使関係の営みへの期待をこめてのことなのです。
 もう少し考察を展開します。労働研究のなかで、私がいつも痛感することがひとつあります。それは、日本の労働状況の一大特徴は、地味な労働を担って労働生活を全うする普通の労働者、これをかりにノンエリート労働者とよびますと、働きすぎがノンエリート労働者にまで広がっていることにほかなりません。たとえばジル・A・フレイザー『窒息するオフィス』(森岡孝二監訳、岩波書店、2003年)なんかを見ると、働きすぎはアメリカのほうが酷いじゃないかと感じもします。しかし精読すると、登場人物たちは総じて上級ホワイトカラーか高度専門職なんですね。彼ら、彼女らは、新自由主義的な哲学と企業に認められて成功する上昇意欲が身についていて、極端にがんばりますので、日本の同じようなクラスの従業員よりも労働時間は長いようです。しかし日本の特徴は、地味な労働に終始するノンエリート労働者が長時間働いていることなのです。
 時間がありませんのでとても簡単な国際比較をしますが、日本の労働時間は、全体的な趨勢としては、突出して長いわけではない。しかし日本で注目すべきなのは、超長時間労働者の比率が高いということです。それは特に正社員男性についてそうなのですが、その比率は職務スティタス上のエリート層の比率を超えています。もうひとつ、週50時間以上働く労働者の比率。OECD諸国のなかでは日本はダントツの金メダルですね。これらについては、レジメの最後のページに、最小限の参考資料をあげておきました。男性正社員の20代後半から30代の後半ぐらいまでは、週60時間以上働く人の比率がおよそ20%弱ぐらいに及んでいること、それから週50時間以上働く男女労働者の比率が日本では30%と第一位であることなどがわかります。
 これはなにを意味するのか。長時間労働をする労働者の範囲が広いということですよ。そこでこの日本の特徴に関して、ひとつの仮説を立ててみます。地味な労働に携わるノンエリート労働者が長時間労働やハードワークを受容する、その熱意や意欲(社会学的にはアスピレーションと言います)の強弱になにが関わっているのか。将来、経営者のグループに入ることが予定されたエリートががんばるというのはわかる。しかし将来の大成功が見こまれるわけでないノンエリート従業員が、日本のようにこんなにがんばるのはなぜでしょう。それは企業内のエリートとノンエリートの間に、はじめからの断絶ではない連続の関係があるからではないかと考えます。
 もう少し説明すれば、ノンエリート労働者が勤続を経てエリート階層に、少なくとの「中間階級」的な存在に昇進していく、その可能性の広さまたは強さのごときものが、現実には結局、一生地味な労働を遂行するノンエリート労働者をも長時間労働・ハードワークの受容に赴かせるのだと思います。これが欧米と異なる日本の特徴です。日本では、長時間がんばって働くという意欲における職種や職位による格差は伝統的に希薄であったということができます。こうしてノンエリート労働者が働きすぎちゃうのです。エリート・ノンエリートという言い方は、ちょっと漠然としておりますから、これを職種に翻訳して考えてみると、境界はかならずしも明瞭ではないけれども、エリート層とは、管理職、高度の専門職、技術職、総合職的事務あるいは営業というような人たちですね。これに対してより広範に存在するノンエリート的な職業とは、工場労働一般、OLなどの一般事務や受付、それから販売職であっても取引営業というよりはルートセールスや店員だったりする、いわゆる裁量労働制の適用は不適な人びと。それから今では決して無視しえないサービス職の増えつつある労働者。サービス職というのは、まあ「マック仕事」みたいな接客関係、産業としては飲食店で働いていることが多いです。日本では、今あげましたようなノンエリート層も、彼ら、彼女らに命令するエリート層に牽引されて働きすぎになる傾向があります。
 この日本的特徴に深く関わってくるのは、先にペンディングいたしました日本企業の働かせるフレームワークです。この過労死の「根因」に戻りますと、日本の労働者の働くフレームワークを今後どのように変えていくかということが、大きな意味では過労死対策の大きなテーマになってくると私は思うのですが、とりあえず今の文脈では、ノンエリート層に及ぶ働きすぎに関わって、ひとつは年功制のもっている一種の平等性みたいなことがあります。この年功制では、上位職務、中位職務、下位職務が連続的な階梯としてつながっています。このことは、勤続を重ねて昇進を追求していく従業員の範囲の広さと、昇進を追求する期間の長さに深く関係しているのです。抽象的な言い方ですけど、日本企業ってそうなんだと、働いている方にはすぐにわかるのではないかと思います。ただ注意が必要です。企業内の上昇競争に参加する従業員の範囲が広いという平等主義には裏があります。ここのところは誤解されてはなりません。年功制はトコロテン・システムではありません。みんなが同じように順調に昇給し、定年まで雇用が保障されるのであれば、ノンエリートまでそんなにはがんばらないけれど、現実の年功制というものは、およそ1960年代後半ぐらいからはっきり、勤続プラス査定のシステムになっており、サラリーマンの昇給の程度や昇格や昇進を決めるのは最後には査定なのです。
 このような現実の(査定つき)年功制のなかに、日本特有の具体的な仕事の与え方が重なってきます。日本企業では、労働研究の定説ですが、職務区分が曖昧です。だいたい欧米では特定の職種や職務に応じてその能力をもつ人が雇われるのに対して、日本での正社員雇用とは従業員としてのメンバーシップの付与にすぎません。どんな質量の仕事をするかということは会社に入ってから与えられるのであり、就職というよりは就社だといわれてきました。仕事の範囲がフレキシブルなんです。フレキシブルということはよくいえば硬直的でないことですが、わるくいえば上司のいうがままということ、がんばるかがんばらないかということで処遇が違うということを意味します。このことの土壌に適合的なものとして、先ほど組合運動のところで言及しました「個人処遇化」が進んできたのです。仕事の範囲や配属、個人ノルマや残業に関する企業の要請を、フレキシブルにこなすという日本的な能力主義が、70年代後半には定着いたしました。過労死元年の80年代末ともなると、その状況はすでに爛熟期を迎えています。その上、日本的能力主義にはのちに成果主義も重なって、労働者に対する要請はいっそう厳しくなっています。どこの国でもそうなっているということはできません。新自由主義の浸透とともに、欧米の一部でもかつてのゆとりある働き方は難しくなっているということはいえましょうが、基本的には欧米は、もういちど申しますと、経営者もしくは経営者の候補者と、普通の労働者、なかんずく組織労働者の働く姿勢は、なおかなり違うんです。日本ではしかし、ノンエリート労働者も、企業内の上位オピニオンリーダーによって働き方を牽引されていて、ずるずるずるとつながっているような関係がある。ノンエリート労働者も「強制された自発性」に駆動されて、健康を損なうまでに働かなきゃならないという状況なのです。

「強制された自発性」の多様性と変化
 許される時間はわずかだと思います。最後の改善論・実践論にあまり独自性はありませんから、あとこれだけは付け加えておかなければ、ということを語りますと、あなたは「強制された自発性」と言うけれど、これはどういうことですかということだと思うんです。簡単に言いますと、どの労働者の働きすぎにも、強制と自発の両側面があります。しかしより具体的には、もちろん「強制と自発の混合比」には、時期的な変化と、階層別の多様性が認められます。階層別の多様性のほうを先に説明しますと、強制の側面というのはね、生活のため、過重ノルマや過度の残業をやむをえず呑み込んでがんばらなきゃならないということ。一方、自発的な側面の内容はよりさまざまです。会社から高い期待をかけられている、昇進の可能性も高いので期待に応えたい、また、しばしば仕事そのものの内容に面白さがある、自己表現性とか、顧客の喜びの実感とかがある──チャレンジしてみよう。そんなことから自発性が喚起されるわけです。この強制と自発は、まったくは二律背反でなく、どの仕事にも混じりあっているのですが、どちらの側面が強いかは職種とスティタスによって異なるでしょう。この区分は、予測可能性も含む、個々の過労死の要因の把握には役立つでしょう。一般に、先にあげましたエリート的な上位職務の担当者の過労死には自発の色彩がわりあい濃いようです。とくに仕事そのものが「おもしろい」専門職の場合はそういうところがあって、対人サービス専門職などは、労働条件がどんなに悪くても、「利用者さん」の喜ぶ顔さえ見られれば・・・と突き動かされるように働く若者も少なくありません。しかしながら、ノンエリート職とか、「しょもない仕事」とみずから言う非正規労働者の場合などは、強制の色彩が強いです。
 とはいえ、「混合比」の時期的な変化のほうがもっと大切かもしれません。「強制された自発性」という以上、その過労死には自発の側面がかなりあった、そんな時代も存在したと思います。それはやはり高度経済成長期、または、なおその余燼が残る時期です。その頃には、戦後初期の自動昇給的な年功制が後退したあと日本的能力主義の浸透がありました。その時代には、がんばれば「労働者も中産階級へ」ということが、かなり実態だったのです。その実態を見すえて、学歴の高くないノンエリート労働者も、いわば進んで長時間労働者やハードワークを受容してきました。初期の過労死のいくつかには、そういう性格もまとわりついております。例えば、経済成長があれば企業の発展があり、企業の発展があれば支店が増え、支店が増えれば支店長も増えるんです。支店長になるということは、些細なことかもしれませんが、とくに競争資源をもたないふつうのサラリーマンにとっては、やはり具体的にして大きな目標ですよ。そんなことでがんばってきたというところがある。
 しかし今はその後こそが問題です。低成長期の到来と平成不況の継続、そして企業社会の現時点を考えますと、説明を抜きに申しますと、ふつうの労働者の中産階級化は虚妄になっております。企業内の成功的サラリーマンの比率は低下し、労働者同士の競争の目的も、階層上昇というよりはせめてほどほどの昇給と雇用だけは確保したいというサバイバル的な競争になりました。競争のサバイバル化が際立ってきた90年代後半ぐらいからは、「強制された自発性」と言いましても、実際は「強制」の色濃い、しかしいくらかは「自発」の働きすぎが常態になっています。代表的な事例として、いわゆるブラック企業では、若者は自発的に働いているんだと、もう言えないところがあります。そして一方、増加の一途をたどる、はじめから年功制と企業別組合の外なる非正規労働者も激増しております。この非正規労働者も、親や配偶者に完全にパラサイトしている場合には、欧米ノンエリート的な、悠々たる働き方でいけるかもしれないけれども、それもたいていは幻想で、今では非正規雇用者が生活費の主要な担い手たらざるをえない状態がむしろふつうです。 中年近いシングルマザーなんかが代表的ですね。こういう場合には、なんといっても、稼ぐ必要に強制されて長時間労働を引き受けざるをえないことになります。そればかりか、非正規労働者の労働条件が劣悪であるということが、正社員の働きすぎの鞭になる関係もある。非正規労働者だけにはなりたくない、正社員にしてもらえるのであれば、どんなにしてもがんばって働くんだというわけ。最近の若者の過労自殺は、非正規雇用から正規雇用にされた人の衰弱死がすごく多いんですね。最近では、非正規から正規になって、すぐに責任の問われる店長になって、本当にすぐに過労死、過労自殺するというのは、決して誇張ではありません。
 全体として、階層上昇のための競争はサバイバル競争に変化しました。労働現場では、ノルマの過重化や、それを達成させるためのハラスメントが横行し、若者たちは、過労自殺(これはまぎれもなく多発しています)の直前には、もはや強制か自発か、自分では判断のできないまでの心の漂流に追い込まれています。彼ら、彼女らはいわば憑かれたように死に引き込まれてゆく。なぜあんなに働かされて死ぬのか、強制とか自発とかの区分そのものがむなしいようなところまできているように思うのです。
 しかしながら、そうであっても、くりかえしいえば職場は強制収容所ではなく、労働者は奴隷ではありません。強制の側面が強くなったとはいえ、働く姿勢にはなお自発性によって改変できる余地はあります。そう考えてこそ、過労死を生む労働環境は労働者が主体的に変えうるのです。その具体的な戦略については、時間の都合でここでは省略するほかありません。しかし、今日の私の議論の主題である働き方の主体性にふれてひとこと言えば、私たちの国・私たちの時代の労働者に認識してほしいことは、雇用形態を問わず、経営者に昇進することなく、たいていは一生、地味な仕事を続けることになるノンエリート労働者がふえてゆくことです。もう、企業内の新自由主義的な哲学を内面化した精鋭エリートに、牽引されたり、操作されたり、唆されたりして、なかま同士の競争に身を投じ、過労死の心配を封じ込めて働きすぎることがあってはなりません。そのような生きざまが「ものになった」時代は終わったのです。
 誤解されては困りますが、私は過労死・過労自殺の根因は労働者の主体的で自発的な労働意識だと言っているのではありません。それはわかっていただけるでしょう。自発性と言っても、それはなかなか抗いがたい強制の環境下で選ばれているからです。けれども、死に至るまでの働きすぎを受容してきた労働観を顧みることは、やはりこれからの私たちには不可欠なのです。もう一件の過労死・過労自殺も出さないと心を定めるならば、普通の労働者は、なんといっても、「命どぅ宝」というか、ワーク・アンド・ライフバランスを死守するんだというノンエリート的思想に自立を遂げていただきたいと思うのです。それなしにはいかなる法規制も組合規制も強靱たりえません。戦略論の最初が、労働時間のインターバル規制や残業規制であることはいうまでもありませんけれど。
 全体につづめすぎた語りになってしまって申しわけありませんでした。

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その3『家族という病』の耐えられない軽さ 

子離れができない親は見苦しい
大人にとってのいい子はろくな人間にならない/家族の期待は最悪のプレッシャー
家族のことしか話題のない人はつまらない/家族の話はしょせん自慢か愚痴
「子どものために離婚しない」は正義か
「結婚ぐらいストレスになるものはないわ」/家族ほどしんどいものはない
家族に捨てられて安寧を得ることもある/孤独死は不幸ではない
結婚はしなくても他人と暮らすことは大事
家族写真入りの年賀状は幸せの押し売り・・・

これは大ベストセラー、下重暁子『家族という病』(幻冬舎新書、2015年)の広告の惹句である。私には大ベストセラーは総じてくだらない本とみるひねくれたところがある。しかし、上の発言には「うん、たしかにそうだよな」と感じることもあり、私自身も成人した息子たちとの関係にはいまだに悩まないこともないわけではないので、つい買って読んでしまった。惹句は各節のタイトルでもあり、内容はほぼ節題につきる。なんという軽い本だろう。

地域や親族、それに働く場所として大切な企業のなかでかつての共同性を失いつつある現代の日本人は、家族の絆というものにいわば過剰な期待を寄せている。とくに多くの人びとがかけがえのない家族を失う痛切な悲哀を体験した大震災ののちは、政府やマスコミによる家族愛の鼓吹?もあって、家族の絆への心の依存はいっそうつよくなっているかにみえる。
けれども、本当は震災前から、家族があれば生きてゆけるという基盤は大きく揺らいでいた。くわしく述べるまでもあるまい。一方では人口高齢化が、他方では雇用不安定を主要因とする労働生活の劣化・ワーキングプアの累積が、老若男女を問わぬ単身世帯の不可逆的な増加、少なからぬ若者の半失業、非婚とパラサイトの傾向、「労労介護」を典型とする家族介護の無理な負担などをもたらしている。総じて家庭内の孤独と緊張は高まっており、家庭内暴力やDVが頻発する。下重のいうように今日、犯罪のかなりの部分は家庭内で起きたものだ。そうした現実を見すえるならば、どんな家庭に育つにせよ、成人した者たちはなによりも自分という個人を大切にして、家族主義を相対化すること、心の上でも、できれば経済生活の上でも、家族離れすることが必要であろう。上の下重の諸発言は、その点で納得できるのである。

とはいえ、私にはまた、家族への愛執、いつまでも捨てられない恋々とした執着は、事実として、普通の人、とくに社会的に「要人」でない庶民にとってみずからのアイデンティとわかちがたいという思いに、どこまでもとらわれている。とくに子どもが未成年のときには、人はすぐれて家族とともに生きる幸せに溺れる。子どもの写真を「見て見て!」というのは、子のない友人をふくむ他人がなにを見たいかの配慮に欠ける一種の「排他主義」かもしれないけれど、幸せそうな家族のようすが唯一自分にとって誇らしいものとする意識を嗤うことはできない。どこの国、いつの時代にも、庶民は家族愛に執着し、その日常意識は家庭の範囲内でぐるぐるまわるのである。
さらに敷衍すれば、人が家族のために、ある負担を背負うばかりか、他人からみれば「犠牲になる」ことさえ、かならずしも不幸せとはいえないだろう。そもそも庶民は、つらい仕事でも、家族を中心とした「傍ら」の誰かが「楽」をするために耐えて働いてきた、つまり「傍楽」労働観のなかに生きてきたのだ。家族のために働くのは、エリート層がよく言う「企業、国民経済、国家のために働く」のにくらべて、決して人としてコンプレックスを感じなければならない営みではない。そしてまた「愛執」に戻るならば、人はその捨てがたさゆえに、社会的・経済的に「一家団欒」の条件が失われようとするときにいっそう、あえて過剰に家族の愛を求め、その絆に期待してしまうのだ。思えば家庭内犯罪も、この否定できない愛執の惰力の産物であろう。愛着なければ激しい憎しみも生じようがない。それゆえにこそ、家庭内犯罪は悲劇的なのである。

NHKのトップアナウンサーであり、エッセイスト・「作家」として成功した下重暁子にも、むろん出身家庭にかかわる葛藤があって、それが彼女の個人尊重の家族論に繋がっているのだろう。彼女は仕事のために子育てをあきらめ、いまマスコミ関係職にあった理解ある夫とのDINKSの「個性的な」生活を満喫する。他人が忙しいときに海外旅行などができる条件があるゆえに、年末年始はたいてい執筆などの仕事、紅白歌合戦などは見ず、元日は夫とともに和服でおとそを祝い、ウィーンフィルのコンサートなどを楽しむ・・・。そんな下重暁子には、子どもたちも一緒にみてくれないかなぁとひそかに願いながら紅白歌合戦などを見ている「おとうさん」の所在なさはわからないだろう。目線が高すぎるのだ。普通の人が下重の発言どうりの距離をもった家族への接し方をするには、どれほど、例えば仕事は自慢できる状況になく、それゆえそれが「唯一のアイデンティティ」にさえなっている家族への愛執をあきらめねばならないか、そこへの目配りがない。お叱りにも聞こえる下重の発言には、不都合なやりきれない要素と対決しようとする迫力がまったくない。それでは評論にもならない。例えば私は、日本のサラリーマンが企業の能力主義的選別から我が身をもぎはなすべきことを年来の主張としてたけれども、そのためには、日本の労働者の日本型能力主義への帰依がどれほど根の深いものか、そこからの離反がどれほど心の緊張をもたらすものか、したがって、それができるためにはどのような組合運動が不可欠か・・・といった分析を迫られたのである。
そのことと関連して、下重暁子が、現在の多くの庶民の家族主義を危うくしている貧困、そしてその根因である労働問題に無関心なことも本書の大きな欠落点といえよう。下重は、自分と夫の職業上のステイタス、「恵まれた」存在が、みずからの家庭論の背景になっていることを、きちんと意識していないかにみえる。今日、家族・家庭について一本をまとめようとするなら、この文章の第4段落で素描したような諸要因に最小限はふれなければ、平均的な家庭を論じたことにならないだろう。それがないお勧めはいきおい言葉だけのものになる。薄っぺらな本だ。このベストセラーには当然ながら酷評も多いという。反応の多くはしかし、「家族の否定は道徳、社会、国の否定につながる」という、論じるにも値しない伝統主義からの批判ではなく、「わかるけどそんなこと言われてもなぁ、うちじゃいろいろあるし・・・」といった不充足感であろう。その結果、発言は聞き流される。思えば、その「いろいろあるし・・・」こそ、物書きが凝視すべきものではないか。例えば角田光代、金原ひとみなどによるすぐれた「家庭小説」には、その凝視がある。
私が今後、下重暁子の著書を繙くことはないだろう。