春闘はどこへいったのか? 非正規春闘に注目せよ(2024年4月20日)

 2024春闘はどうなったのか? 周知のように政府にも経団連にも言祝がれて大企業では満額回答、そればかりか組合要求以上の回答も相次いだ。4月18日の連合のまとめでは、3283企業の平均賃上げは定昇こみで5.20%、そのうちのベースアップ分はわかる企業の範囲では3.57%という。ストライキはもとよりなんらの紛争もないすんなりした収束であった。なんのことはない、大企業の「支払能力」は十分にあったのだ。もともと「5%以上」という連合の要求そのものが企業への配慮に満ちて低すぎたのである。
 賃上げは組合員300人以上の1160社での5.28%に対して300人未満の2123社では4.75%である(以上、朝日新聞24.4.19)。中小企業の賃上げこそは現下の枢要の問題だが、そのためには、中小企業が人件費や材料費の上昇を大企業との取引価格に転嫁できなければならない。だが、いかにその必要性を政府が語ろうとも、元請けの親企業も、卸売業界も、そしてあえていえば消費者も、その転嫁、つまり製品・サービスの価格上昇を忌避し拒否する。人不足が死活問題になるまでに深刻化しないかぎり、中小企業での大企業並みの賃上げが難しいことは否定できないだろう。結局、24春闘の結果、企業規模別賃金格差は確実に拡大すると思われる。
 では、労働者の4割近くを占め、累積する貧困者の中核をなす非正規労働者についてはどうか。大企業では、たとえ正社員組合であっても、今回は常用パートや嘱託職員はしかるべき賃上げを享受できよう。けれども、企業と直接の雇用関係がないとされる派遣労働者や臨時アルバイト、「自営」扱いのギグワーカーなどはその限りでない。それになによりも、未組織の非正規労働者の大群はさしあたり公式の春闘とは無縁のままなのである。

 首都圏を中心にいくつかのコミュニティユニオン(CU)が協同する非正規春闘にこそ、私たちは注目すべきである。総合サポートユニオン共同代表・青木耕太郎の丁寧なレポート(『POSSE』56号:24年3月)を紹介しよう。それによれば、23年冬に発足した「非正規春闘実行委員会」には、全国16の個人加盟ユニオンが参加し、約300名の労働者が勤務先の36社に対して1律10%の賃上げを求めて団体交渉を行った。各地の非正規労働者の相談に根ざした行動であり、経団連前の街頭行動やストライキも展開された。その結果、靴のABCマート(パート5000人)では6%、アマゾン倉庫の派遣労働者には約4.3%、トンカツのかつやの都内店舗では8.9%(時給100円増)。スシローでは都内店舗で17%(時給200円増)の賃上げが獲得されている。私たちになじみのこうした店舗や作業場において低賃金で劣悪な労働条件のなか汗ばんで働く膨大な非正規労働者たち。その実像をわずかながら知る私は、彼ら、彼女ら自身の切実な行動による、未曾有の、しかし一般的にはあまりにささやかにみえる達成のもつ意味を心に留める。
 そして今春、非正規春闘は、要求を①非正規労働者の10%以上の賃上げ、②正規・非正規雇用者の均等待遇(同一価値労働同一賃金)、③全国一律最低賃金1500円の実現と定めた。関西のいくつかCUや生協労連なども加わり、非正規春闘実行委員会の参加も23労組、約23万人に、交渉先企業も約120社、従業員総数で30万人ほどにまで増えた。宮城県では、みやぎ青年ユニオンが、仙台けやきユニオン、関西では、なかまユニオンなど4つのCUが実行委員会を形成し、関係企業への交渉をはじめ、街頭宣伝行動や地元経済界への申し入れを試みている。業種別共闘の動きもある。私学非正規教員たちは「私学非正規春闘」に着手し、広尾学園では8%の賃上げを達成した。介護労働者も「介護春闘」をはじめ、介護3法人に対して賃上げ要求を提出し、月7万円の賃上げが可能になる財政措置を求めて厚労省要請も試みている。
 大企業での集中回答日の3月15日、実行委員会は「非正規春闘集中ストライキ」を企画し、その日、学習塾の市進ホールディングス、総合スーパーのベイシア、あきんどスシロー、英会話教室のGabaの4社に対してストライキおよび社前行動を実施した(朝日新聞24.3.14)。3月末にかけては15社以上でストライキを実施し賃上げを迫るという・・・。
 こうした闘いの結果は、POSSE66号発刊の時点ではなお不明ではあれ、スムーズに大きな成果が得られると期待することはできないだろう。なお青木は、マスコミは首都圏や地元では非正規春闘に高い関心を寄せたと記しているが、多くの地方では労働運動によるスシローでの賃上げなどあまり報道されていない。ちなみに政財界は中小企業での賃上げを可能にする取引価格への転嫁の必要性を口にするけれど、生コンの標準価格を設定して中小生コン企業の支払を確保しようとした全国建設・運輸連帯労働組合・関西生コン支部を理不尽な刑事弾圧にさらしている。この未曾有の組合弾圧事件を関西以外の地域ではまったく報道しないマスメディアの労使関係のリアルに対する鈍感さは、非正規春闘の場合も同じである。ABCマートの非正規労働者――どれほど多くのなかまがいることだろう――の賃上げは、その意義においてトヨタ社員の賃上げと少なくとも等価なのである。 
 好個の文献、青木レポートは最後に、「25年春闘以降は、非正規労働者の賃上げ相場をつくること」をめざしたい、その際、「非正規公務員やケア労働者などがそのカギになるのではないか」と書いている。そのとおりである。青木も自覚しているように、非正規春闘の担い手たちの勢力もその影響力もなおきわめて限られたものに留まっている。それだけにいっそう大きな質量を秘めた結集を期待したい。
 このところ非正規労働者に焦点を据えたいくつかの書物の刊行が盛んである。精粗はさまざまであるが、労働現場の実態把握は統計数値で済ませ、改善策は法的・行政的方途の提唱で終わる叙述も少ないように感じられもする。労使関係の視点が稀薄なのだ。そんななか、これまで異議申し立てを忘れていた若者たち自身が、労働の日々の鬱屈を顧みて、ストライキやボイコットや街頭行動のような、直接行動をふくむ労働組合運動をはじめることの意義ははかりしれない。ここに私は、日本では長らく不毛のままであった産業内行動・産業民主主義の再生の芽生えをみる。

春立つ日の結婚記念日に (2024年3月25日)

 3月17日~18日、伊勢志摩に遊ぶ。国指定重要無形民俗文化財となっている安乗の人形芝居(浄瑠璃)観賞と、安乗ふぐ、的矢牡蠣のコース、賢島宝生苑での伊勢エビやアワビの懐石コースの味覚を中心にした実にゆったりしたツアーだった。神社の境内で上演される人形芝居は、ヒロインたちの微妙な表情も微細な手指の動きもみごとに表現して、八百屋お七が恋のため御法度の火の見櫓の半鐘をうつ狂乱(伊達娘恋緋鹿子)も、実の娘と知りながら巡礼おつるを突き放すほかない母・お弓の嫋嫋たる悲しみの悶え(傾城阿波の鳴門)も、心に沁みる。本当に得がたい体験だった。
 しかしそれはともかく、神社から登って半キロの、「喜びも悲しみも幾年月」で有名な安乗灯台に妻・滋子は疲れて同行できなかった。3月20日にも、名古屋の労働会館で行われた「関西生コン労働組合つぶしの弾圧を許さない東海の会」主催の「学習と交流のつどい」にも、妻ははじめて同行せず休息をとった。なぜこんなことをわざわざ書くかというと、私たちはこれまで、ひとりで行くといぶかしがられるほど、どこへ行くのも一緒だったからだ。
 この2月から、妻は不整脈・心房細動が続き、肝臓機能指標の数値が上昇するなど体調が不良だった。息切れ、めまい、むくみなど目立った症状はないけれど、疲れやすく、長距離や早足の歩きができなくなった。私につかまってゆっくり歩く。海鮮グルメはともかく総じて食欲不振もある。3月21日には、ふたりして電動アシスト自転車でかかりつけの医院の紹介状を受けとり、そのまま桑名の医療センター(KMC)の循環器内科に赴いた。午前9時に受付け、血液採取、レントゲン、心電図の検査を経て診察を受ける。KMCは組織的な手続きの効率性にすぐれた大病院だが、家族に付き添われた高齢の患者がとても多く、今日の診察には予約がなかったためもあって、待ちに待ち、すべてが終わったのは実に午後3時すぎだった。外来診療の予定は正午まで。しかし丁寧な対応である。勤務医という仕事はこうして過重になるのだと痛感したものである。ちなみに薬代をふくむすべての軽費は、2割負担で6000円弱だった。
 診察結果は、心房細動は続いており、心不全や心臓弁膜症の可能性もあり、肝機能の衰えもある、(予想外だったが)利尿剤を投与して(肝臓と関わる?)心臓の負担の軽減を図り、三週間ほど様子見して、よくならなければ、高齢であることも考慮しながら手術も視野に入れる――というものである。私たちが正確に理解した自信はないが、信頼できそうな医師だった。次の予約診察は4月8日である。
 事態がどれほど憂慮すべきものかよくわからないけれど、私たちがこれから安静の生活に入るほかないことは疑いを容れない。心臓が大丈夫でないのは怖い。私の当面の最大の、いや唯一の関心事は妻・滋子の心臓である。ふたりして緊張のない相互ケア中心の生活に入っていくことになる。妻に任せっきりだった家事もできるだけ担っていきたい。対処すべきことに対処した3月21日はが私たちの62年目の結婚記念日であったことに気づいて苦笑する。
 幸いというべきか、著書の刊行はもとより、研究論文や書評の執筆も、講演も、その記録の修正・校閲も、おそらくこの早春をもって、私には最後の機会になるだろう。朝日新聞3.15掲載の、日本の人事考課を語るインタビューに多くの働く人びとから共感のメッセージが相次いだことは、そんな私にとって最後の光芒であるように思われる。 
 *写真は上記、安乗の人形浄瑠璃。簡易カメラの望遠でときにピントが甘い。

 労働組合の性格把握(2)――労働のありかたをめぐる「蚕食」と「取引」                     (2024年1月24日)

 労働組合の機能は、労働市場での賃金決定の規制に留まらず、人間としての尊厳を踏みにじられない働き方を守るための経営管理への介入に及ぶ。
 この社会では労働力は商品ではあれ、一般的な商品とは異なって、人間としての労働者は、みずからの「商品」の使われ方、すなわち日々の働き、具体的には、職場での作業のスピードや要員に左右される仕事量、残業時間や休暇の程度、それに個々の職務への配置ルールなどについて切実なニーズをもつ。しかし使用者側は、働かせ方をとかく生産管理や労務管理の領域に属する経営の専権とみなすのがふつうだ。ここに「経営権」の範囲をめぐって使用者と労働組合がせめぎあう労使関係の歴史が展開するのである。
 私はもともと労働研究を始めた頃から労働そのもののありかたに深い関心を寄せていた。若い私がいくつかの職場見学を通じて衝撃を受けたのはなによりも、作業上の主体的な裁量権を剥奪され労働の意味を感じることのできない「単純労働」のあまりに広汎な普及であった。そこから仕事を遂行する上での労働者の裁量権の程度に深く関わる熟練というものの内容に考察を進める。そこからまた、初期マルクスの理論、いわゆる労働疎外論への傾倒が始まった。その当時、四つの産業における労働者の仕事遂行の裁量権の規定要因を実証し分析する、原著1964年のR・ブラウナー<佐藤慶幸監訳>『労働における疎外と自由』(新泉社)は、私にとって古典であった。そう、疎外と自由は労働の極と対極なのだ。
 こうした問題意識が胸にともってから、私は、1970年の二著、『産業史における労働組合機能――イギリス機械工業の場合』(ミネルヴァ書房)、『寡占体制と労働組合――アメリカ自動車工業の資本と労働』(新評論)として刊行される労働組合の史的研究に入っている。そして私はその研究過程のなかで、イギリスの合同機械工組合(ASE⇒AEU)と、アメリカ自動車産業労働組合(UAW)が、前者はクラフトマンの伝統的な作業自治の延長として、後者は非熟練労働を支配する経営者の職場専制へのしかるべき抵抗として、それぞれに労働そのものにおける一定の自由を確保するために、自治や団体交渉を通じて、労務管理・生産管理の経営権を蚕食してきたことを確認したのである。もっともUAWの場合、たとえば仕事量に関わるベルトコンベアのスピードそのものを団交事項とすることを経営側は断固として拒みとうし、歴史的なシットダウン・ストライキの帰結としての協約では、過重作業に対する苦情処理制度と、人員配置についての厳密なセニョリティを確保するという線で妥協せざるをえなかったけれども。
 こうして二つの組合史の総括として、組合主義の性格把握において、企業の支払い能力に「外在的」か「内在的」かという軸とともに、労働そのものありかたについて経営権の範囲を限定する「蚕食的」と、仕事のありかたは経営に委ねたうえでもっぱらその報酬を高くする「取引的」という、もうひとつの区分軸を設定したのである。

 そのうえでなお二点ほど語りたいことがある。
 その1。組合機能の「企業の支払い能力への外在的」と「内在的」の区分もそうだが、「蚕食的」と「取引的」の区分も時代によって可変的・流動的である。すべての労働組合が働き方をまったく経営管理の決定に委ね、賃金にのみ関心を限定することはありえないだろう。欧米労働組合は、テイラー・フォードシステムの導入を打ち込まれた後も、作業量や仕事範囲や配置ルールについての労働者のニーズを忘れず、執拗に経営管理の支配に抗ってきた。欧米のいわゆる「ジョブ・コントロール・ユニオニズム」は、高次の経営権の承認は前提とするゆえにとかく「体制容認」の労働組合運動とみなされるけれども、職務はわれわれのものというスタンスをもって、日々の働き方に直接かかわる生産管理・労務管理の下部領域を、執拗に自治や職場交渉の許される「労働条件」に変えさせてきたのだ。イギリスではショップスチュワード、ドイツではの経営評議会(レーテ)の従業員代表などがその担い手であった。1979年にイギリスで、右派組合と目されていた郵政労組の委員長N・スタッグにインタビューしたとき、彼は「ユニオニズムの歴史は経営権蚕食の歴史だ」と語って私は深く共感したが、次いで彼がたしかにジョークの口調でなく、「・・・だから私たちはチャールズ1世の首を切った」と言ってのけたのには驚かされたものである。 
 日本の企業別労働組合の歩みにおいても、例えば1950年代後半から60年末まで展開された「職場闘争」は、炭鉱、私鉄、印刷、国鉄や郵政などのいくつかの産業で、生産コントロール、要員確保、平等な配属(査定の規制)、安全保障などの慣行や協約を獲得していた。私たちはそこに、経過的ながら蚕食的組合主義の一定の浸透をみることができる。だが、その後の展開は一途そこからの後退であった。技術革新と日本的能力主義が浸透し三池闘争や国鉄の分割民営化闘争が敗北する過程で、企業別組合は作業量・ノルマ・要員策定、従業員の異動などに関する集団的な発言権・交渉権をことごとく失っていった。そして今、日本の主流派組合は、自動回転するPDCAシステムのなかにあって、労働者の働き方は経営側の一方的決定のもとにある。国際比較をまつまでもなく、そこには経営権蚕食の片鱗もない。現時点の企業別組合は、取引的組合主義の極北に位置するということができよう。

 その2。労働組合の経営権蚕食とは、現実的には、生産管理・労務管理の下部領域への自治権・団交権の拡大にほかならないが、左翼台頭期のヨーロッパでは、そのかなたに労働組合自身が産業を管理するWorkers’Control論が胚胎していた。1910~20年代イギリスでの公式組合から自立したショップスチュワード運動が生み出したこの思想は、1960~70年代の「管理社会」化の人間疎外を注視するイギリスやフランスのニューレフトに再評価され、そこからは自主管理社会主義の構想が生まれることになる。
 ASE・AEUの軌跡に示唆を受け、またその時期が思想形成期でもあった私は、1976年の論文集『労働者管理の草の根』(日本評論社)に示されているとおり、このワーカーズ・コントロール論に帰依していた。その勉強の過程では、ワーカーズコントロールの文献集ともいうべき大著Ken Coates/Anthony Topham:Industrial Democracy in Great Britain(Macgibbon&Kee、1968)に学ぶとことが多かった。しかし、思想系譜の点でとくに教えられたのは、1969年刊行のダニエル・ベル<岡田直之訳>『イデオロギーの終焉』(東京創元新社、原著1960年)所収の「マククスからのふたつの道」である。 この論文は、マルクスの搾取論と並ぶ疎外論および「労働者における労働者統制(管理)に焦点をすえて、革命ロシアにおける「労働組合反対派」がたどった運命、労働組合の国家管理に帰着する悲劇的な敗北(ソ連共産党による疎外論の搾取論へ上からの埋め込み)をみつめ、ひいてはイギリスやドイツにおけるサンディカリズム的な運動の挫折を冷静に描いている。それでもベルは、それらの軌跡のうちに「疎外を終わらせるためには、労働過程そのものを検討しなければならないという根本的洞察が・・・失われた」と総括し、「労働者の労働生活に直接の影響を与えることがら――労働のリズム・ペース、公正な賃金支払い基準を制定する際の発言権、労働者に対するヒエラルヒーの抑制――に対する職場におけるコントロール」になお「下からの労働者による管理」の決定的な意義を見いだている。そしてそのかけがえのなさの認識は、西欧ユニオニズムでは、人員配置についての経営者の査定を排した先任権、労働者間の正当な賃金格差、労働のぺース・テンポの規制・・・などのかたちでなお生きているという。産業の全体的な管理というアナルコ・サンディカリストの夢は失われた。けれども、 Workers’Controlの発想を受け継ぐ、日常の働きかたに関する労働組合の平等と発言権の要求、すなわち蚕食的ユニオニズムは、今なお私のものである。

民間委託の水道検針業務における労働協約拡張(2024年1月15日)

 福岡市が民間委託する水道検針業務について、委託先企業すべてでパート検針員の最低時給を同じ水準にすることが決まった。自治労傘下の「福岡市水道サービス従業員ユニオン」が、市の東部と中部の委託先企業2社と結んだ労働協約を、歩合給の切り下げがあった西部をふくめて全市に適用するよう県に申し立てた、いわゆる労働協約の地域的拡張運動の結果である。これにより全市規模で、検針員は、最低時給1082円、一定の業務実績という条件を満たせば1420円~1605円 になり、労働保険・社会保険の加入が保障されるという。
 これまでも地域的拡張の事例は11件みられたが、対象は正社員に限られ、民間委托の非正規労働者に適用されるのは今回がはじめてという(以上、朝日新聞24年1月6日)。 
官・民を問わず委託・下請企業の非正規労働者の労働条件を包括的に下支えする労働協約の拡張は、今日もっとも労働組合運動に求められるアジェンダである。今回の達成は、民間委託企業の労働条件を公務員のそれと均等にする西欧型ユニオニズムの水準にはなお到っていないとはいえ、日本の労働界では画期的な第一歩の営みだ。その意義ははかりしれない。私には、ほとんど絶望的にみえる労働組合運の現状のなか、それは久方ぶりの希望の兆しだった。自治労は、これを先駆として、広汎な正規職員以外の働き手の労働条件の規制に突き進んでほしいと願うものである。

賀状にかえて 2024年、明けましておめでとうございます

 昨年度は、紆余曲折のあと『イギリス炭鉱ストライキの群像――新自由主義と闘う労働運動のレジェンド』(旬報社 1870円)を刊行することができました。1980年代、地域コミュニティに支えられた炭坑夫の1年にわたる大ストライキの実像とその敗北の軌跡を掬い、ぎりぎりまで追求された産業民主主義・産業内行動の意義と遭遇した課題を考察する、それは、現代日本では「反時代的」?ともみなされかねないとはいえ、私の問題意識が集約された小著です。
 FBやHPを別にすれば、この新著は、8回ほどはあった講演・講義とともに、私の最後の社会的発言となるでしょう。86歳を迎える24年は、この分野ではなんの抱負も野心もない、労働研究者としては引退の画期になります。目標といえば、妻・滋子ともども体力や記憶力が衰え、広義の新技術への適応力が乏しいふたりで、いたわりあいケアしあって、体力と経済力の可能な範囲で文化の享受を楽しみながら、老後を静かに生きてゆくことです。本当に二人三脚です。ちなみに毎年の賀状に引用してきた俳句は、24年は
 ひぐれの枯野 もう誰の来るあてもなし(楸邨)
 かつては「チンドン屋 枯れ野に出ても足おどる」(楸邨)としたものですから、少し淋しすぎますね。
 ただ、心安らかに過ごしてゆけるかは疑わしいです。強国が「人倫の奈落」を顧みないウクライナやガザ、腐臭を漂わせながら戦争のできる国に驀進する自民党政権、公式労働組合のまったき自立の喪失、そしてあまりにも乏しい大衆的抵抗運動の欠如・・・。鬱屈と焦慮に苛まれます。
 軍国の冬 狂院は唱に充つ(草田男 1938年)
 新しい戦前といわれる今日この頃、私たちもそれに抗う陣営には加わりたいものです。
                 2024年1月1日 熊沢誠/滋子

2023年のマイベスト 映画と読書(2023年12月21日)

恒例の「今年の収穫」を記す。この年齢になるといっそう、なによりも、この一年間なにに心を動かされたかを確認しておきたい気にとらわれるからだ。もう私がふれた作品は限られているが、Ⅰ外国映画、Ⅱ日本映画、Ⅲ社会科学&一般書、Ⅳ文学・小説の順に紹介を進める。映画について「+S」とは「監督がシナリオも」の意味である。

Ⅰ【外国映画】
①小さき麦の花(23中国)リー・ルイジン(+S) 

舞台は現代中国の貧しい寒村。非情な親族によって厄介払いのように結婚させられた知恵遅れの青年と言語障害を負う娘は、寄り添って懸命の農作業で生きぬいていくが、土地活用の利権に奔る工都に住む地主が容赦なく二人の将来を閉ざす。不遇のふたりの愛のコッミュニケーションはあまりに美しく切実なゆえ、その悲劇的なゆくえに心が抉られる。

②エンパイア・オブ・ライト(22英)サム・メンデス(+S)
イギリスの80年代、海辺の古い映画館でスタッフとして働く心を病む孤独な中年女性と、人種差別にさらされる新任の優しい黒人青年との曲折に満ちた恋の物語。女性が失恋と精神の破綻を経て、同僚の抱擁によって職場に戻るプロセスが温かい。なんとも美しい作品。

③あしたの少女(22韓国)チョン・ジュリ(+S)
2017年の韓国で高校実習生のコールワーカーの少女ソヒが3ヵ月後に自殺するまでの過酷きわまる職場状況を、怒りをひそめた無愛想な表情で女性刑事が追及してゆく。後にソヒの名を冠した労働保護法を達成させた実話にもとづく。日本でもこんな作品が待たれる。よりくわしくはHPエッセイ(23年8月)参照。

④She Said その名を暴け(22US)マリア・シュライダー
あたかもジャーニーズ事件よろしく、ハリウッドの大物プロデユーーサー、ハーベイ・ワインスタインの幾多の女優志願者や女性スタッフに対する性的加害を、二人の女性記者が根気よく被害者をさぐりあて、彼女らに逡巡をこえてついに実名の証言をさせるまでを丹念に描いて感動的だ。この告発は後にグローバルな波となる#MeToo運動のきっかけになったという。

⑤トリとロキタ(22ベルギー、仏)ダルデンヌ兄弟(+S)
アフリカからベルギーに流れ着いた少女ロキタと少年トリが、姉弟のようにひたすら助け合いつつ、難民認定がかなわぬまま収容所を脱走して、生活のため危険な仕事に巻きこまれ、無残にもロキタが殺されてしまう。ダルデンヌ姉弟の演出と脚本は間然するところがない。  

⑥蟻の王(22伊)ジャンニ・アメリオ(+S)
同性愛が許されなかった60年代のイタリアでの、蟻研究者・劇作家・詩人として著名なアルド・ブランパンティと、彼を崇拝する青年エットレの受難の過程を描く。傑作のすくなくないゲイ映画のなかでも白眉の重厚な作品である。

ほか語りたい作品は枚挙に暇ないが、わけても⑦ペルシャン・レッスン――戦場の教室(20露、独)バディム・パールマンと、⑧それでも私は生きてゆく(22仏)ミア・ハンセン=ラブ(+S)が印象に残った。なお、これらのすぐれた作品では、監督がシナリオ執筆をかねる場合が多いことが近年とくに目立つように思う。また、紙数の関係上ふれなかったが、主演俳優たち魅力が忘れがたいことはいうまでもない。たとえば疲れや鬱屈をもみごとに表現する②のオリヴィア・コールマンや④のキャリー・マリガン。⑧でシングルマザーを演じるレア・セドウなどは、表情の豊かさだけで私を惹きつける。ちなみに私がアニメを好きになれないのは、アニメ顔ではやはり多様性や変化の表現に決定的な限界があると思うからである。

Ⅱ【日本映画】
①福田村事件(23)森達也 脚本:佐伯俊道、井上淳一、荒井晴彦
くわしくは、高知県の薬行商人たちは「朝鮮人と間違えられて惨殺されたのではない」と考察する評論(HPエッセイ2023年10月)にゆずりたい。日本映画ではまれにみる大きな構えでの日本人の負の心性に深く迫る秀作というほかない。

②怪物(23)是枝裕和 S:坂本裕二
二人の少年の失踪までの過程を複数のぐるりの人びとそれぞれの体験として辿る「藪の中」風の語り口のため、二人の行動の鍵となる(ありえないとされる)同性愛に、最後に教師(永山瑛太)が気づくまで真相がつかめないもどかしさが残る。とはいえ、問題を糊塗しようするふつうの大人たち(安藤サクラや田中裕子)の鈍感さや欺瞞がふたりを追いつめるシナリオや俳優たちの演技はすばらしく、こんなに「おもしろい」映画はめったにない。

③ヴィレッジ(23)藤井道太(+S)
巨大なゴミ処理所のある寒村。無気力だった作業員の若者(横浜流星)が帰村した幼なじみの聡明な女性(黒木華)に励まされてこうべをあげ、村おこしの宣伝係として大活躍する。ゴミ処理の不正を隠蔽するため彼を利用しようとする有力者(古田新太)、女性に横恋慕するその息子・・・などが絡み合い結局、青年は破滅的な犯罪にいたる。村共同体の濃い影を凝視するスリリングでグロテスクな傑作である。

④波紋 萩原直子(+S)
ある主婦(筒井真理子)が、重病で失踪から帰宅した身勝手な夫(三石研)、生活苦、おしつけられた老親の介護、息子(磯村勇斗)の恋人への障害者差別などの絶え間ないトラブルのなかで新興宗教に頼り、そこでまた搾取される。だが最後には自立を取り戻し、忘れていたフラメンコを踊リ狂う。経過は終始いらいらさせるけれど、結末は爽快である。

⑤キリエのうた 岩井俊二(+S)
過去の不遇の体験ゆえ今は街頭でうたうほかはなにも喋らない放浪のキリエ(アイナ・ジ・エンド)と、彼女にひたすら寄り添ってマネージャーになるやばい過去をもつ女性いつ(広瀬すず)との経年のシスターフッドを辿る。キリエの大成功の日、駆けつけようとして、いつは昔の男の凶弾にたおれてしまう。ぼろぼろながら切実な青春の音楽映画。理屈ぬきにある魅力がある。

このほか、相模原事件をモデルにした石井裕也(原作は辺見庸)の⑥月、幕末期江戸のスラムの汚物処理の若者ふたりと、寺子屋で「せかい」に眼を開くおきくの青春を描く坂本順治の⑦せかいのおきくが佳作と思われた。今年の邦画は、私好みの「社会派」作品においては豊作であった。 

付録:旧作瞥見
私は今年、以上のマイベストを含む88作を映画館で見ている。しかし私の映画生活はこれに留まらず、自作または購入のDVDストックから自宅で55作を楽しんでいる。総て秀作、名作、すくなくとも佳作であるが、いくつかをピックアップしてタイトルだけを紹介したい。機会があれば見てほしいと思う
■秀作・名作――万引き家族かぞくのくにそこのみにて光輝く/大地と自由/家族の庭/アンダーグラウンド/道/僕たちは希望という列車に乗った神々の深き欲望
■ともかくも大好きな作品――ベニスに死す/エルマ・ガントリー追憶草原の輝き/赤い風車/駅馬車/カサブランカ/豚と軍艦テルマ&ルイーズプロフェッショナル
こう書いてくると、秀作・名作と「大好きな作品」との区別はあまり意味がないように思われてくる。ちなみにゴチ体のものが邦画、アンダーラインのものがこれまで著書『スクリーンに息づく愛しき人びと』(耕文社)、あるいはFB投稿、HP.収録などで紹介したことのある映画である。ひとつひとつについてまたどこかに書きたくなるかもしれない。映画の楽しみはいくつになっても捨てられない。

Ⅲ【社会科学&一般書】
9月に旬報社から刊行された『イギリス炭鉱ストライキの群像――新自由主義と闘う労働運動』の修正・加筆と校正の繁忙で、この分野での私の読書量はまことに貧弱だった。要するにあまり勉強しなかった。それでもあえて多くを教えられた5点を紹介したい。。

①石田光男 仕事と賃金のルール――「働き方改革」の社会的対話に向けて(法律文化社
当代もっとも慧眼の労働研究者の泰斗が、長年の内外の踏査の成果にもとづいて、日本と英米の仕事と賃金のルールを、労使関係当事者の観念だけでなくその具体像にまで及んで比較検討し、彼我の懸隔を実にクリアーに提示する、小著にしてはあまりに内容豊富な労働研究者必読の文献。私は英米と日本それぞれの労使関係の実態の把握ではまったく石田に同意するが、その英米と日本それぞれの労使関係の価値判断では、労働者の自由と発言権という観点から対照的な関係に立つ。しかしこの点、石田にもおそらく揺らぎがあって、それがいつも石田の著作を魅力的にしている。

②マイケル・リンド<寺下滝郎訳> 新しい階級闘争――大都市エリートから民主主義  を守る(東洋経済社)
眼前の「階級対立」の構造を明示する好著。くわしくはHPエッセイ読書と映画欄(23年5月)に譲る

③ジョージ・オーウェル<土屋宏之、上野勇訳> ウィガン波止場への道(筑摩学芸文庫、原著1937年)
再読したすぐれた労働者ルポルタージュの古典。生粋の文人オーウェルが、貧しく重労働に耐えていた炭鉱労働者の職場内外の生活の光と陰を、センシティヴかつ徹底的にみつめ、そのやむない距離感もふくめて階級というものに対する知識人の自省を吐露している。

④菊池史彦 沖縄の岸辺へ――五十年の感情史 1972-2022(作品社)
沖縄の膨大な記憶と体験――「反復帰論」の相貌、豊かな文化の諸相、基地問題をめぐる内部の分断と本土との軋轢・・・。実に多角的な視点と事実の渉猟を特徴とする菊地がそうした沖縄の「岸辺に小舟を漕ぎ寄せる」。みずからを顧みて、総じて深い共感に誘われた。

⑤高階秀爾 名画を見る眼(カラー版)Ⅰ油彩画誕生からマネまで/Ⅱ印象派からピカソまで(岩波新書)  
美術館ファンながらほとんど「鑑賞力」をもたなかった私に、随所でなるほどそうだったのかと気づかせた。この分野の第一人者による最良のガイド。

Ⅳ【文学・小説】 
小説は、主として疲れている就寝前に読むため、以前よりはるかに読破のスピードは落ちたとはいえ、いつも手放すことがなかった。読了したのはおよそ50冊。うち現代小説として印象に残った3作品を順不同で紹介する。

①中村文則『逃亡者』(幻冬舎文庫)。不気味な反動の権力に追いつめられる青年の彷徨を辿りながら、キリシタン迫害、第二次大戦、現代を縦貫し、日本とベトナムを横断して日本人の精神史の深層にわけいる労作。

②山本文緒『自転しながら公転する』(新潮文庫)東京から茨城県牛久に帰り地元のモールで働く32歳の女性が、職場の問題、経済力が心配な青年との恋、母の介護・・・となにかとトラブル続きで悩み、くるくる自転しながらそれでもなんとか生きぬいて公転してゆく、そんな日常をみつめる。

③朝井リョウ『正欲』。「まとも」すぎて不登校の息子と意思疎通のできない検事の苦しみ、「ふつう」でなく世間の暗黙の差別に萎縮していた女性たちの、必死につながりを求めた試みの挫折。それらを通じて、自分が想像できる「多様性」だけに理解を示して秩序を整えようとするる社会の問題性を剔っている。
  
若い日に夢中で読んだ大江健三郎を60年を経て再読した。
①大江健三郎 個人的な体験(新潮文庫、原著1964年)
②万延元年のフットボール(講談社文芸文庫、1967年))
③短編:他人の足、飼育、人間の羊、不意の唖、闘いの今日(新潮文庫、原著1958年)

とくに惹かれかつて線を引きまくった作品ばかりである。今では、美しくはあれ形容句や副詞句の多い文章の長い文体に辟易することは稀にあったが、長編では、曲折ののちついに到達する精神の位相の高みと深みにやはり揺り動かされる。短編では登場する若者たちのある発見の昂揚、怯懦、逡巡、そして勇気の表現がすごいほどで他に類を見ない。なんという瑞々しい感性だろう。

若い日にやはり愛読したチェホフの中編・短編も、2冊の作品集(小笠原豊樹訳の新潮文庫、松下裕訳の岩波文庫)からとくに大好きなものを選んで再読した。①谷間、②いいなづけ、③箱に入った男、④すぐり、⑤恋について。わけても工業化の始まるある村での女たちの忍従と放埒を活写する1900年の①も、古い家を捨てて新しい世界に旅立つ若い女性に期待をこめる1903年(チェーホフの死の前年、ロシア革命の前夜)の②もすばらしい。しかし若い私に大きな影響を与えたのは、牢固たる慣習、庭にすぐりの木を植えるというちっぽけな生活目標、そして人妻という恋人の身分など、総じて人間が秩序のために自由を失う姿を痛切に悔いる、そんな連作③④⑤であった。なつかしい。「すぐり」の一節を私は1972年の著書『労働のなかの復権』の終章の扉に引用している。

今年はまた、長期間をかけてふたつの大長編小説に読みふけった。
①加賀乙彦 永遠の都【岐路・1988年、小ぐらい森・1991年、炎都・1993年】(新潮社)
昭和10年代から戦後の50年代にいたる4家族・3世代・登場人物およそ25人の波瀾万丈の軌跡を、二二六事件、太平洋戦争、東京大空襲、戦後初期を通して描く大河小説。日本版「戦争と平和」ともいわれる。核となるのは、貧しい家から身を起こして海軍軍医になり、やがて一代にして東京三田に大外科病院をつくりあげた、多方面に怪物的な能力を発揮する外科医時田利平である。その周辺に星座のように配された妻の菊江、孫たち(その一人は加賀自身である)、利平の愛人たちとその隠し子たち、二人の娘の夫と愛人、親戚の軍人・脇恵助と文化人・脇晋助の兄弟・・・などが、利平とともに体験の語り手となり、それぞれの運命に翻弄される。ときに煩雑にすぎると感じられもする近現代史のエポックメイキングな事件の詳細な記録も興味深く、ファシストとリベラル、機会便乗と反時代的、誠実と欺瞞など、それぞれの人物の多様な立ち位置も納得的である。ヴォリュームは文庫本にして7冊にもなるが、まずは昭和の事件史・精神史の金字塔のごとき労作ということができる。

②アレクサンドル・デュマ<山内義雄訳> モンテクリスト伯(1)~(7)(岩波文庫)
少年時代に古い改造社版の世界文学全集で「これほどおもしろいものはない」と感じた小説。アマゾンで買った文庫本の活字の小さいのに閉口しながら、年末、『モンテクリスト伯』を再読した。ロシアやフランスやアメリカの名作たちのリアリズムの洗礼を受けた今では、さすがに善人と悪人の峻別、主人公のあまりの超人性、変装の通用性、死者を甦がえらせる薬効などが「ほんとかな」と気になる。痛快なSF風の少年文学のようだと感じられもした。とはいえ、この読書がやはり巻おくあたわざるほどおもしろかったことには変わりない。 

2023年冬の断想(2023年11月28日)

 ひと日わが心の郊外にささやかなる祭りありき(マラルメの詩句)。先日、「職場の人権」以来の旧友である3人の京都の女性が、四日市に宿泊し、2日間にわたって、拙宅を訪問してくださった。近著『イギリス炭鉱ストライキの群像』の「そう読まれたい」と思うような温かい感想、『福田村事件』をはじめとするいくつかの映画語り、今日この頃の社会のありかた、彼女らの日常のあれこれなど話題はつきず、歓談に時間を忘れた。四日市の中華料理店でのちょっと贅沢なディナーを楽しみ、2日目には、快作『プロッフェショナル』を一緒にみてはしゃいだ。遠くから来てくれてありがとう。私たちにとって久しぶりの祭りのような二日間だった。写真はその折のスナップである。
 
 とはいえ、こうした「ハレ」の日と裏腹に、私たち老夫婦の「ケ」の日常は、なにかと気苦労が多くなっていて、ともすれば憂鬱にもなる。結局のところは80代半ばの体力・気力の衰えと急激な時代の変化への不適応に起因する不可避のことなのだが、「憂鬱」要因の棚卸しをまとめ、まだできること・もうできないことを思い定めることで、いくらか元気になるかもしれない。以下はそんなことをとりとめなく綴る、社会的な意味はほとんどない駄文である。
 (1)毎朝、起床すると、私と妻の身体のどこかに未体験の痛みや不具合はないか、毎日使うパソコンがさくさくと動くかどうかが不安になる。たいていは私の乱暴なつかいかたに起因するパソコンの不調は、幸せにも大学在職時代の旧友のこの上ない指導と「往診」で解消されるのだが、1時的にせよパソコンが動かないと、日誌やエッセイの入力もメールも、もう乏しい社会的交流の手段であるFBの送受信もできない。書斎ではなにもできなくなる。
 身体のほうは昼寝が欠かせない。なによりもふたりとも記憶力が衰え、なにかいつも必要なものを見失って探している。この時間が馬鹿にならない。二人とも内臓関係は疾患をまぬかれていて、休みながらなら1万歩くらいは歩けるように4日に一度は外出するが、バランス感覚が鈍くなって、凹凸のある土地などではよくよろめく。はしごに登って庭木の剪定をするなどは、バランスも筋力も心もとない。
 (2)高額の補聴器はやむをえないとしても、ほぼ20年以上も前からのエアコン、テレビ、雨戸のサッシ、シェーバーなどの寿命がきて、買い換えが必要になり、万円単位の出費が続く。年金以外の収入はまず望めない経済生活なので、いきおい心ならずも節約志向にとらわれる。かなり頻繁だった海外旅行は、体力の不安も棹さして、コロナ禍以前の2019年をもって終わりとした。外出日によく外食はするが、ハレの日以外はふたりで数千円の出費に留めようとする。ちなみに地方行政はリーズナブルな価格で耐久消費財の修理・修繕・メインテナンス、または良心的な業者の斡旋をするサービスを提供してほしい。悪徳業者が甘言をもって高齢者世帯にたかる事例もよく耳にするからである。
 (3)それと関係して近年のインフレが痛い。食品はもちろんであるが、私たちにはとくに、各種の社会保険料、電車運賃、映画料金・拝観料、レストランなどの値上げが響く。衣類はもうほとんど買わない。ズボンの裾が広いのには閉口するが眼をつむる。それにしても、最近は消費の階層分化が著しいと感じる。私のような生活スタイルでも贅沢と感じる人たちもずいぶん多い一方、信じられないほど高価なツアーや身の回り品やレストランメニューも、結構、人気が高いようである。
 (4)スマホの十分なつかいこなしを前提とした風潮についてゆけない。 少し敷衍すれば、かつては、背後に効率的な情報処理システムをもつにせよ、顧客・利用者の多様な要求にそのつど個別に応える窓口労働者が多かった。今は広義サービス業の対人折衝が激減し、町役場を別にすれば、総てが自動販売で、大組織への電話の問い合わせには総てが機械音のたらい回し、人の応接に到るにはずいぶん時間がかかる。研究会の参加にもたいていパスワードの必要な登録がいる。「ダニエル・ブレイク」の困惑と疎外感はまさに私たちのものだ。仕方なく最近、スマホ教室に通い始めたが、「らくらくホン」1台で、それもめったに使わない私たちは、スマホがあればなんでもできる、しかし私たちはなにもできないとため息をつくばかりである。最近あるツアーに参加したが、その感想アンケートはなんと、配られるバーコードをスマホに写して、旅行社のHPに現れるアンケートの項目に記入して送信せよという次第だった。誰がこんなアンケートに答えるものか。エッセンシャルワークがそんなに人不足なら、外国人労働者の流入と定着がもっと容易になるよう国をひらけばいいのだ。
 スマホ社会は、コロナ禍に加速されもして、ほかの人びとへの関心とふれあいをきわめて稀薄にしている。電車に乗れば10人中9人はスマホだけを見ている。他の乗客の喜怒哀楽を気にすることは決してない。そういえば新聞をよんでいる人もいなくなった。スマホによって広がる世界を知らない者の繰り言かもしれないが、これほどぐるりのことに無関心なひとびとの多い社会では、リアルな会話や討論になじんできた私たちは、疎隔されている。

 万事が「時代おくれ」の感覚は、数年前から私が労働問題・社会問題について発言の機会を失っていったころから自覚していた。著書の刊行、講演などはおそらく2023年をもって最後だろう。2024年からはもっぱら、私と妻の心身の相互ケアと断捨離の日々になる。それはもう覚悟している。けれども、いよいよ日常的に押し寄せてきた気苦労や疎外感については、まだ工夫と努力で憂鬱をまぬかれうる余地はあるかもしれない。温かい友人たちのアドヴァイスに恵まれたいと思う。  

その7 労働組合の性格把握(1)
――企業の「支払能力」への外在と内在
(2023年11月2日)

 連載もこれまでは主として研究史中期に意識した私の研究方法の視点・視角のいくつかを紹介してきたが、これからしばらくは初期からの研究内容に関わるキーワードの端的な説明を試みたい。やはり生涯のテーマとなった労働組合運動を理解する勉強からはじめよう。
 労働組合は、労働生活の必要性と可能性を共有する自然発生的なグループ、私のタームでは<労働社会>の組織化であり、その要求は、その<労働社会>のなかに芽生える競争制限的な黙契の意識化である。別項で扱う予定であるが、私はこのように労働組合の原点を構想する。もっとも、この<労働社会>論を定式化できたのは1976年の『労働社会管理の草の根』(日本評論社)であって、それまで研究者としてのごくはじめには、イギリスの合同機械工組合(ASE⇒AEUW)とアメリカの自動車労働組合(UAW)の軌跡を辿ることに専念していた。その際、分析の着眼点は、労働力の技能的性格(基幹職務の熟練の程度)と、b産業の製品市場のありかた(自由競争か寡占か)であった。一方、日本の労働組合の状況には院生時代から絶えず関心を寄せていたが、その際、この国の組合機能がまぬかれない個別企業の「支払能力」の軛というものがいつも念頭を去らなかった。 ふたつの組合の史的研究は、1970年の『産業史における労働組合機能――イギリス機械工業の場合』(ミネルヴァ書房)と、『寡占体制と労働組合――アメリカ自動車工業の資本と労働』(新評論)として刊行される。その結論的な命題として私は、労働組合の基本的課題として、次の二点を導き出している。
 ①個別企業の枠を超えて、その職種、その産業の労働者全体に、賃金や労働条件の標準(ウエッブ夫妻のいう「共通規則」)を獲得すること
 ②仕事のありかたに関する「経営の専権」を労働者自治や団体交渉および協約の範囲拡大によって蚕食してゆくこと
その上で私は、①②の達成の程度によって、労働組合機能の性格を、若書きの生硬な表現で、①A「製品市場外在的」と①B「製品市場内在的」、②A「蚕食的」と②B「取引的」に分類して把握したのである。先の「基本的課題」に照らせば、私が労働組合の理想型を①A、②Aに求めていることは自明であるけれど、組合運動の現実はつねに領域の①でも②でも、Bのありかたを求める資本と体制の働きかけに遭遇し、Aの曖昧化やBへの妥協を余儀なくされている。

 このふたつの評価軸のうち、今回は①軸についてのみ、もう少しコメントを加えよう。 ①A製品市場外在的ユニオニズムは、個別企業の支払能力の格差にかかわらず、職種別組合または産業別組合のストライキや団体交渉を通じて、基本的な労働条件を保障する統一的な労働協約にまとめあげる。ここでは組合機能は個別企業の支払能力に「外在」しており、労働条件は企業経営にとっていわば「与件」とされているのだ。総じて西欧では統一交渉・統一協約、アメリカの大企業界隈ではパターンバーゲニング(まず有力企業に交渉をしかける)・企業単位の協約(他社もほぼ追随する)――という違いはあれ、労働条件決定が雇用主の支払能力に左右されるべきではないという労使関係は、欧米ではノーマルな慣行であり当然のことなのである。
 それに対し、①B製品市場内在的ユニオニズムは、労働組合が組合員を雇用する企業の市場競争上の位置に配慮し、その「支払能力」に忖度して、結果として賃金などの企業間格差を容認する。ここでは個別企業を横断する職種別または産業別協約が欠如しているのが常態である。日本の企業別組合がまさに製品市場内在的組合主義の極北に位置することはいうまでもあるまい。
 とはいえ、このような分類を示して、①Aを推奨し、①Bを批判するだけに留まれば、現実の労働組合運動の分析としてはあまりに表面的にすぎよう。私も初期から意識していた留保点に加えて、その後の動向を瞥見してみよう。まず認識すべきは、どの国でも、資本が労働条件決定を支払能力の(与件ではなく)函数とさせようとする意思の強烈さである、もっとも経営側の唱える「支払能力」はたいてい、その余力を探るさまざまの経営施策を棚上げにした上でのことであるけれども。
 しかし例えば、西欧型の統一協約のばあい、共通規則としての賃金額は総じて最低規制に近いフロアになりがちである。そのとき、支払能力に余力のある企業では、生産性向上に報いようとする経営者と「余力」に応じた加給を求める組合下位組織との企業内交渉によってフロアに+αを加えがちである。ここにいわゆる「賃金ドリフト」が生まれる。また米国型のパターン交渉・パターン協約の場合には、しばしば不況期には、下請企業などでは、大企業でのパターンに従うことの雇用保障への影響などを心配して、パターンから下に乖離する賃金支払いに労使が合意することがありうる。西欧と米国いずれの場合にも、結果は一定の企業間労働条件格差の発生である。その分、現実には、①A・製品市場外在的ユニオニズムはいわば「不純化」するのである。
 そのうえ、新自由主義の台頭に伴う内外の企業間競争の激化と労働運動の一定の後退のなかで、資本側はいっそう企業の枠を超える統一的な労働条件協約の適用範囲を狭める攻勢を強めつつある。統一協約がとくに整然と整備されていたドイツでも、岩佐卓也の『現代ドイツの労働協約』(法律文化社、2015年)がくわしく分析するように、協約拘束範囲の縮小、協約規制の個別企化、協約賃金の低水準化への資本攻勢が強まって、従来型協約の改変がどの程度許されるかをめぐる労使紛争が展開されている。従来の協約形態を守り切ることはこの国の産業別組合の強靱な交渉力をもってしてもひっきょう難しいだろう。グローバルな流れとして、①B製品市場内在的、すなわち個別企業の支払能力を少なくとも一定程度は顧慮する組合機能への傾斜は、さしあたり避けがたいように思われる。

 では、日本の労働組合についてはどうか。
製品市場内在的ユニオニズムの代表格である日本の企業別組合にしても、高度経済成長で人不足の時期には、やはり企業横断的な協約は欠如していたとはいえ、春闘のベースアップ水準の高位平準化というかたちで、結果的に一定の製品市場外在性を示したということができる。60年代末代~70年代はじめにかけては、例えば機械金属産業での高率の賃上げは、ホワイトカラーを含むほとんど全産業の労働者に波及し、私鉄のストを経て公労協の仲裁裁定、はては公務員の人勧にまで影響を及ぼした。「国民春闘」の「相場」が成立していたのだ。この時期、企業の賃金決定要素のうち「支払能力」は著しく比重を低め、あらゆる基準での賃金格差はかなり縮小をみている。
 けれども、低成長時代が到来し、紆余曲折を経たうえでそれが常態化したとき、もともと欧米のような製品市場外在性を保証する協約の制度と慣行をもたなかった日本では、「里帰り」が当然であった。春闘相場は不確かになり、まったき支払能力の支配が復権を遂げた。企業間賃金格差の縮小も進まなくなった。そしておよそ80年代このかた、賃金ベースは支払い能力に代表される企業経営の都合で決まり、個人の賃金は社会的な規範から自由な査定によって決まる――それが疑いを容れない日本の常識となった。現時点では政財界はもとより、主流派組合のリーダーたちでさえ、製品市場外在性という組合機能のあり方なぞ思い及びもしない。
 だが、その徹底した製品市場内在性が多くの労働者階層にもたらす格差と差別の影はあまりに濃い。とはいえ、試練に晒されているにもかかわらず、それでもなおグローバルには、「共通規則」の確保を旨とする製品市場外在性というユニオニズムの原理は、その輝きを失ってはいない。企業規模、雇用形態、性や国籍を問わず、多様な労働者すべての階層についてかならず存在すべき労働条件の社会的規範というものが、経営側のいう「支払能力」によってずたずたにされている日本の労働状況は克服されなければならない。

学校と教師――問題領域間の関連について(2023年10月23日)

 

文部科学省は最近、学校の諸相について、たとえば次のよう調査報告を発表している。        

①2022年、小中学校の不登校は約22.9万人、いじめは約68.2万件、暴力行為は約9.5万件。いずれも過去最多であった(朝日新聞23.10.4)。不登校は子どもたちにとってかならずしも否定されるべき選択ではなく、いじめの増加は「認知」が網羅的になったことがその一因であるとはいえ、社会問題として浮上する「学校問題」が深刻化の一途を辿っていることは疑いない。
②教師は平日、小学校では11時間23分、中学校では11時間33分も働く。22年、残業時間は、小学校で月に82時間、中学校で100時間であった(NET情報)。教師の精神疾患の激増はすでに旧聞に属する。教職は現在、もっとも長時間労働の職業のひとつということができる。
③公立学校教師の労働組合組織率は、21年、30.4%、新規教員の加入は23.4%、日教組組織率は20.8%である。いずれも76年,77年このかた連続的な低下をみている(NET情報)。むろん組織率の動向は表層的な現象だ。明かなのは教師自身の発言力の著しい低下にほかならない。

 このエッセイは、いずれも重層的な原因のある①②③それぞれの状況を立ち入って考察するものではない。私がここで問いたいのは3者の関連であり、その関連についてのマスメディアと「世論」(国民、あるいは子どもの保護者)、そして教師自身の認識である。それらをかりに「世論」と総称しておこう。「世論」はむろん①を深刻な問題と意識し、②は「先生の志望者を減らしもする」劣悪な労働条件として憂慮する。けれども、教師の過重労働が生徒たちとの豊かなコミュニケーションの時間や、学校でのトラブルに対する教師たちの協同対処のゆとりを奪っていることにはなかなか思い及ばない。すなわち②の労働問題が①の学校問題=社会問題が棚上げされるひとつの有力な原因であるという理解は、なお稀薄なのである。
 だが、①②③の無視できない関連に関する「世論」について私がもっとも批判的に検討したいポイントは、現時点の日本における③教師の労働組合運動への徹底的な無関心にほかならない。今日では、「世論」のなかに、③ふつうの教員の発言権・決定参加権が②教師の労働問題のありようを左右するはずという認識すらすでにない。いや当の教師たち自身でさえ、「教師という労働者・職場としての学校」という観点をすでに失っているかにみえる。 

 およそ1980年代以降、もともと労働三権が剥奪されていたうえに、行政⇒教育委員会⇒校長と下降する管理体制が強化され、教員個人への人事考課が浸透するなかで、教師たちは教育実践と学校経営に関する連帯的な自治の慣行を次々に失っていった。「教育の荒廃」を日教組の「偏向教育」のゆえとする自民党右派の圧力もこれに棹さした。活発な討論の場であった職員会議はいまや管理者からの単なる伝達機構に堕している。教師間の助け合いの協同精神も風化し、教師たちは、個別の査定を怖れ、「私の教室に起こっている問題をむしろ同僚や校長に知られたくない」という気持から、社会のひずみの反映にほかならない学校問題に、誰に相談することもなく孤独に対処するようになった。教師の組合離れはそのひとつの結果である。要するにふつうの教師は今日、学校の労働についての主体的な発言権を失っているのだ。もし教師たちが学校においてみずから労働者としてのニーズや、日ごろ夢想する「教育の理想」の一端でも主体的な連帯行動に噴出させることができれば、それが②労働条件にも③学校問題=社会問題の改善にも大きな役割を果たすことができるのはいうまでもない。
 たとえばアメリカ・ロサンジェルスの公立学校の教師たちは2019年、学校の民営化に抗議し、担当生徒数の抑制、新しいカリキュラム創造、極貧家庭の子弟への支援などの要求も掲げて「合法」とはいえないストライキを敢行している。そのピケ(!)には、保護者や子どもたちも加わった。そんな投企もありうるのだ。私たちの「先生方」の発言と行動のあまりの萎縮を、アメリカやイギリスで頻発する教員ストはふと顧みさせる。そういえば、今の教師たちは、「政治的偏向」とみなされるのを極度に怖れて、社会の暗部について生徒たちにみずからの見解を決して語らず、権力と闘う姿の背中を次世代に見せることはまずないという。

 もういちどいえば、「世論」は、①の事象に現れる社会問題化した「学校問題」に危機感を抱き、②教員の過重労働を望ましくないと認識するけれど、ふたつは別個の問題であるかのように感じ、両者の関係には深く立ち入らない――日本の低賃金に関して労働組合の行動の不十分さ、たとえばストライキのまったき欠如を問うことがないのと同様に。そして③教育労働運動の衰退にみる教師の主体的な営みの萎縮については、いまや完全に関心の外にある。それは①にはもとより、②にさえも無関係であるとみなされている。
 そうした多数の常識の帰結は、①も②も、その克服や改善の期待はすべて行政や法律に委ねられることだ。今の広義の教育問題の現状を規定しているのは予算決定を采配する政権の政策である。それゆえ、現状の改革を望む勢力の戦略は結局、政権交代、その方途は選挙での勝利に収斂するのである。どんな政権のもとでも、労働運動が学校を含むおよそ労働現場での労働者の発言権・決定参加権を与件とさせる、そんな欧米ではふつうのありようへの絶望が、すでに私たちの国の「空気」だからである。

 いくらかふえんすれば、ことは教育・学校の問題ばかりではない。医療にせよ介護にせよ生活保護にせよ、事業体のサービスの質と量の不備・不足は、対人サービス職労働者の要員不足や低賃金や雇用の不安定や離職によって引き起こされている。その所以はそして確かに、予算、制度、法律など上部の利権関係や権力構造に求められる。それゆえ、今の日本に軍備拡張などのゆとりはない、広義の福祉に資金を回せという政治の場での追及はまぎれもなく正当であろう。だが、その政治的追及の熱量も、しかるべき労働条件とディーセントなサービスを求める現場の対人サービス担当者の連帯的な産業内行動(industrial action)、ときには叛乱によってこそ保証されるのだ。そうした労働運動は、利用者のニーズをみつめ続けることにおいて市民運動と連携することもできる。現時点の日本では総じて、この労働現場からの突き上げが欠けている。それゆえ、たとえば訪問介護ヘルパーが人権尊重的な介護のために一人の利用者にさきうる時間を延長する努力は、選挙のとき福祉を重視する政党に投票することに限局されるのである。
 エッセンシャル・ワーカーとしての対人サービス職の人びとがますます増えてゆく時代である。そうした労働者は、日常的に、直接的に、仕事を続けてゆける労働条件と、公共サービスの利用者・受給者のヒューマンなニーズを汲む仕事の遂行を求める。そのために
は組合づくりの営みが不可欠となるだろう。「世論」はさしあたり寒々としているけれど、そう願うのは、いつまでも、私のような産業民主主義の信奉者のみではあるまい。

『福田村事件』の達成 (2023年10月2日)

 1923(大正12)年、関東大震災直後、多数の朝鮮人が虐殺される異様な状況のなか、千葉県福田村で9月6日、在郷軍人会にあおられた村民たちが、香川県からきた被差別部落民の薬行商人9人を殺戮した。映画『福田村事件』は、この惨劇の史実にゆたかな想像性を加えて作劇されている。監督は森達也、脚本は佐伯俊道・井上淳一・荒井晴彦。日本近代史の暗部を語ろうとしない権力の歴史意識。今日ふたたび「ふつうの」市民のなかに根をはりつつある恵まれない少数者への差別と排除への同調圧力。この風潮を報じるはずのマスメディアの鈍感さ・・・。この映画の作り手たちは、おそらくそうした現時点の日本の思潮対する激しい嫌悪とつよい警戒心に突き動かされて、ここに100年前をふりかえる、2023年の私たちに必見の作品を贈ることができた。そのテーマとメッセージだけをみても、これは本年度邦画のベストワンをうかがう収穫ということができる。

 だが、この映画の美質はもちろんその社会的意義ばかりではない。すぐれた群像劇の条件ともいうべき登場人物の多様性とドラマ進行過程での変化が興味深く、いささかも137分の長尺を飽きさせない。私には短すぎるくらいだ。名うての脚本家たちが加害の村人、被害の行商メンバー双方にわたり個別の人間像をくっきりと際立たせている。
 たとえば、かつて朝鮮での教職時代に朝鮮人29人の虐殺(1919年提岩里協会事件)に通訳として加担させられて深く傷つき、いつも悩みながら「見ているだけ」の人として福田村に帰ってきた沢田智一(井浦新)。そんな夫にいらだつ自由で奔放なモガスタイルの妻・静子(田中麗奈)。大正デモクラシーの空気を求める良心的な田向村長(豊原功補)。沢田や田向の甘さを嗤い、大日本帝国の天皇崇拝・植民地主義・「鮮人」差別に狂奔する在郷軍人会長の長谷川(水道橋博士、怪演!)。「英霊」の未亡人として村に帰る島村咲江(コムアイ)と、そのひそかな愛人である戦争嫌い・軍人嫌いの渡しの船頭・倉蔵(東出昌大)。そして東京の震災避難者を迎えもてなしながらも、徹頭徹尾、お上の要請や朝鮮人が「井戸に毒を投げ入れている」という風聞に無批判に同調する多くの村人男女・・・。
 一方、薬行商のグループの描写も単純ではない。部落差別ゆえに土地を持てず、流浪の行商を続けるこの人びとは、もっと弱い人、ライ病患者たちを騙すのもやむなしとするしたたかさを備え、なかには「われらは朝鮮人より上」と言い募る者もいる。だが、リーダーの沼辺新助(永山瑛太)は、不屈で明るい性格であり、部落差別の体験ゆえにこそ朝鮮人差別も許されないとする思想の高みに達している。それにもうひとつ、この映画が、新聞の使命を心に深く刻み、朝鮮人飴売りの殺戮をまのあたりにもして、「野獣のごとき鮮人暴動 魔手帝都から地方へ」といった自社の「報道」に耐えられず、事なかれ主義の編集長と激しく対立する千葉日日新聞の女性記者・恩田楓(木竜麻生)を配していることの意義も見逃されてはならないだろう。
 これらの人びとの、歯に衣を着せない鋭く端的な発言が、それぞれの立ち位置を浮き彫りにするとともに、物語の重層性とサスペンスを保証している。終始、目を離せない。ドキュメンタリーの巨匠・森達也の演出も、なんども練り直されたというベテランたちのシナリオも、俳優たちの演技も間然するところがない。まことに秀作というほかはない。

 この映画には、とはいえ、いくらか曖昧で推論を求められるところはあるように思う。
 植民地朝鮮の過酷きわまる抑圧と支配、それに対する果敢な三・一独立運動、そこにみる朝鮮人たちの怒りの噴出への怯え、それらが大震災時に朝鮮人が「暴動」に奔るかもしれないという各レベル権力の過剰の警戒心を生み、それらが震災後の不安に増幅された荒唐無稽な「暴動」の風評を生み、ついには付和雷同の警察や庶民による自衛のための6000人もの殺戮になった・・・。この一般的な背景はよく描かれており、十分に理解できる。だが、私を考えこませるのは、香川から流れてきた被差別部落民の薬行商人たちが、朝鮮人でないのに、なぜ虐殺されたのかである。「日本人」である部落民、いわゆる「穢多」(エタ)は、あの環境下の権力も殺していいとは認めていないはずだったからである。
 薬売りたちは朝鮮人と間違われたというのがふつうの解釈であろう。興奮して取り囲んだ在郷軍人たちや村人の間には、彼らを朝鮮人とみなしたいという偏見の空気が漲っていた。だが、彼らから「湯の花」を買ったことのある沢田夫妻や倉蔵の口添えも、日本人としての常識や発語テストの文句ない「合格」も、行商鑑札の真偽調べを待てという村長の説得もあって、一時は「あの人たちが日本人だったらどうするんだよ・・・日本人殺すことになんだぞ」という倉蔵の総括的な判断がひとときはその場の雰囲気を鎮めたかにみえる。
 だが、そのとき、新助の発した「鮮人なら殺してええんか」という叫びが事態を急変させる。それは新助にしてはじめて発しえた、この非道を根底的に撃つことのできる思想の表明だった。しかしそのとき、子どもを負った農婦のトミが進み出て、鳶口で新助の頭蓋を一撃して倒す。トミの夫は東京の本所の飯場に出稼ぎに赴いていたが消息不明で、トミは東京からの避難民から朝鮮人の暴虐の数々(の噂)を聞いて、夫は朝鮮人に殺されたと信じていたのだ。このトミの一撃が引き金になって、おそるべき惰力が働き、結局、おそらく10人ほどの村人が9人の行商人を惨殺してしまうのである。
 トミにしても行商人たちを朝鮮人と信じていたわけではないだろう。トミも、おそらく他の殺戮者たちも、長谷川がいつも、逡巡する他人をそれぞれの負の経歴を引き合いに出してなじるように、なんらかの意味で朝鮮人を庇う者たち、朝鮮人を同等の人間とみなす人たちを「非国民」として許せなかったのだ。このおそるべき排外主義を媒介にして、「非国民」は、現実には「日本人」であっても朝鮮人にひとしい者、すなわち殺してよいものとみなされてしまう。朝鮮人とみなしたい人びとの抹殺がこうして正当化される。この映画は、思えば、この事件が「間違い殺人だった」という解釈を疑問視させるゆえに、いっそう「ふつうの」庶民の間の不気味な同調と付和雷同がもたらす人権蹂躙のとめどなさの危険性を突き出しているように思われる。

 この映画は内容豊富であり、このほかにも紹介は割愛したけれど考えてみたいエピソードがいくつもある。例えば、この映画の震災前の映像には、村に「押し売り、浮浪人、不正行商人に注意せよ」とうい貼紙があり、殺戮の直前には長谷川が「こいつらは行商の香具師だ、(日本人テストの模範解答を)口上で覚えているだけだ。」とわめいていることの意味、つまり定着農民が漂流民に抱く本来的な差別意識の問題も意識されている。また、惨劇を体験した人びと――村を逃れて死出の漂流に赴く(かにみえる)沢田夫妻、倉蔵と咲江の恋人たち、「この事件の総てを書きます」と宣言する恩田記者、難を逃れて香川に帰りガールフレンドのミヨの顔をみつめて言葉が出ない行商隊の少年など――が、その深い傷跡からどのような生の営みを紡いでゆくのかについて、憶測と希望を語りたい気にもなる。いずれにせよ、日本映画界がついにこのような本当に大きい作品をもつことができたことを、私たちは幸せとせねばならない。