4月22日(土)は3日~4日に一度はと決めている妻とのありふれた外出、映画とウォーキングの日だった。むろん他人にはなんの関心もないことだが、やがてもっと老衰して外出もできない日も来ようかと思われるので、この頃の私たちの典型的な遊びの些事をいちど書いてみたくなった。
この日も、午前遅くに近鉄で名古屋へ、地下鉄で伏見へ赴く。近鉄の運賃値上げがいたい。ついでながら名古屋の地下鉄では、よほどお年寄りにみえるのか、よく親切な若者に席を譲られる。しかし、服装はといえば、少なくとも私は15年も前と同じチェック厚手のシャツにベスト、色あせたジーンズという気軽さである。もうほとんど服というものを買わない。買うとすれば近隣の中古品販売で有名なモノマニアである。
伏見ではよく、カレー煮込みうどんを昼食とする。伏見通りと錦通りの角にある「鯱市」という店。この軽食には飽きることがない。さて、もっとも頻繁に訪れるミリオン座で、この日はまず、アリ・アッバシ監督・脚本の『聖地には蜘蛛が巣を張る』という興味ぶかい作品を見た。
イランの宗教都市マシュハドで、狂信者の建築工が、貧窮で多くは麻薬中毒の街娼たちを次々に殺している。「聖地の浄化」のためだ。テヘランから来た不屈の女性ジャーナリスト(メフディ・バジェスタニ)が、「浄化」を黙認する宗教権力と警察の非協力のなか、ひとり危険を賭してこの「聖戦」の戦士を追いつめ、ついに彼を処刑させる。こうした緊迫のサスペンスも、ここまではさしてめずらしくない物語だが、この作品の際立ったユニークさは、民衆が汚らしい蜘蛛とさげすむ娼婦たちを抹殺する男をむしろヒーローとみなす描写である。大衆は侮蔑に値すると、ふと思ってしまうのはこんなときである。死刑後に男の息子は「聖戦」の後継者になるよう人びとに勧められていると語り、殺しの手口を得々と再現してみせるのである。そのおぞましさに慄然とする。
伏見ミリオン座は総じて見たい作品を複数上映している。会員証があってシニア入場料1100円のこの映画館では、私たちはたいてい2本をみる。2本をうまく選ぶには、鉄道のスジ屋のような経験的「熟練」が必要だ。この日は、しばらくロビーで休んでから、中国のリー・ルイジュン監督・脚本の『小さき麦の花』を観賞する。まことに地味ながら、これはいぶし銀のように光る名作だった。
中国西北地方の農村、双方の家族から厄介者として差別されてきたヨウテイ(ウ・レンリン)とクイイン(ハイ・チン)が両家の都合で見合い結婚させられ、地主の有力者の空き地で小屋を建てて農業をはじめる。虐待されてきたクイインは片脚と左手が不自由で、ときに失禁する病まで抱えている。それはしかし奇跡的な出会いだった。物語は、二人がどこまでも慈しみあい協力し合って、移ろう四季のなか、一匹のロバに助けられて、間断なき一切の農業労働に携わり、家畜や鶏たちを育ててゆく日々を淡々と描く。はじめはほとんど何も語らなかったクイインが、生まれてはじめて恵まれた愛に心を開き、不器用にしあわせを伝えるようになる過程がとても美しい。病気の息子のため何度もヨウテイに献血させながら、クイインに安物のコートを与えるだけの地主は、深圳でのビジネスに必要な土地売却の補償金を得ようと、二人のつくった小屋を二度も追い立てるほど酷薄である。それでも二人の労苦は、小麦や野菜の豊富な作物を生み出し、自力でまともな家をつくるまでに実るのである。
収穫が終わり作物が売れたら「街」に出て、病院で診察を受けテレビも買おうと二人は語り合う。ああ、もう誰もこの二人の邪魔をするな、愛の言葉はなくともまぎれもない愛と慈しみの生活を二人に続けさせよと、祈る気持がこみ上げてくる。だが、クイインは、トウモロコシの販売に街へ出かけたヨウテイを迎えに出て、用水路にはまって死んでしまうのだ、彼らの鶏が産んだたくさんの卵を早くヨウテイに見せようとその袋を握ったまま。
残されたヨウテイはあんなに打ち込んだ農業を捨て、終始冷たかった周囲の者たちに律義に借財の義理を果たした後、失踪する。もしかすれば、最後に取り壊されるふたりの家のなかクイインの遺影の前でみずから命を絶ったのだろうか。なんという喪失の悲しみの深さだろうか。涙がにじんだ。2011年のことという。中国の現代化と発展は、極貧のうえ差別されたこの篤実で寡黙な二人にとって、どれほど残酷だったことだろう。
文学もそうだが、映画は、時空を超えた人びとの哀歓に共感する感性を持続させる。
映画館を出て、名古屋駅までゆっくり歩く。高島屋上の「越塚」というレストランで、ビフテキ、ハンバーグ、タンシチューをシェアして夕食をとる。なんか豪華なようだが、この頃、物価高が怖くて私たちは節約ムードである。比較的に機会の多い外食も二人で数千円ほどに収めることが多い。東京に店舗が多いというこの肉料理店は、行きつけの「トキワ寿司」と同様、コスパがいい。この日のウォーキングは7000歩ほど。まぁ1万歩以下ぐらいなら、かけがえのないパートナーの膝も痛まないのである。
映画ばかりではない。陽春のこの季節、白子の伊勢街道、一向一揆殉教の碑のある願証寺を尋ねて長島の遊歩道なども散策した。このところ同世代の友人たちの、その配偶者の訃報が多い。音信不通になった友人も少なくない。私たちも、もの忘れや判断力の衰えを痛感し、近く聴力検査を受け補聴器を用意しなければならない。それでも、まだ歩ける間は出かけよう、生き延びよう、そうつぶやきながら歩き続ける。