さくら花幾春かけて老いゆかん・・・(2024年4月)

 敬愛する大野夫妻に誘われて富田の十四川堤での観桜が4月5日。翌6日には、名古屋は鶴舞公園の満開の濃密な桜を満喫した。すさまじい数のグループがさんざめき、人々は花見さえあれば幸せという感じ。私たちもほっこりした気持になる。そこから伏見へ回ってミリオン座で、『アイアンクロー』という映画を観賞。栄光のレスラー一家の息子たちの名声を求めての相次ぐ悲劇を描く、なかなか切ない佳作だ。そこから名古屋駅まで歩き、高島屋の「ビューレ・ノアゼット」でリーゾナブルなフレンチのコース(いつものように別々の料理でシェア)を楽しむ。とくに仔羊がおいしかった。結局、休み休みだったが、この日は1万歩以上歩いている。まだこうした外出ができるということを確認したかった。
 そして4月8日、桑名医療センターでの妻・滋子の心臓診察に付き添った。18日間の投薬の経過観察の後である。血液、尿、エコー、食事指導のあと循環器内科の診察を受ける。医師は、腎臓機能はOK、肝機能数値は少し改善したが、4年前より不整脈を伴う心臓弁膜症は悪くなっていて「中程度」とのこと。エコー検査結果には、「壁運動評価」はnormalだが、僧帽弁は「石灰化:後尖」、大動脈弁は「石灰化:三尖とも。開放制限(+)」診断は「中程度AS?疑い」、明かなasynergy(-)と書かれている。少し落ち込んだ。ただ急を要する症状ではなく、減塩の食事療法とともに、前と同じ利尿剤アゾセミド錠、スピノロラフトン錠を服用して、さらに50日の経過を見る。それでよくならなければ半年~1年のうちに、可能なら約2週間の入院を要するカテーテル施術も考える。それが担当医の結論だった。その他、特段の生活指導はない。
 妻の心臓弁膜症がどの程度深刻なのか、この医師の処置が適切なのか、本当のところわからないけれど、まだまだ大丈夫と信じたい。前の投稿に記したように、滋子を疲れさせないように心がけて、ゆるやかに生きてゆきたいと思う。それでいい。
 昨9日は、妻に指導・監督されながら昼食に炒飯を、夕食にハンバーグ、味噌汁、にんじんのグラッセなどをつくった。近隣の桜堤を散歩し、DVDで『ア・ヒュー・グッドメン』というアメリカの軍事法廷ものを観た。まぁ、ふたりの生活のありようは、専門研究の仕事がなくなった早春以来の常態とあまり変わらないだろう。
 馬場あき子の名唱「さくら花幾春かけて老いゆかん・・・」の後段は「・・・身に水流の音ひびくなり」と続く。80代後半はまさに「余生」である。それでもなお「身に水流の音」は聴きつづけたい。

春立つ日の結婚記念日に (2024年3月25日)

 3月17日~18日、伊勢志摩に遊ぶ。国指定重要無形民俗文化財となっている安乗の人形芝居(浄瑠璃)観賞と、安乗ふぐ、的矢牡蠣のコース、賢島宝生苑での伊勢エビやアワビの懐石コースの味覚を中心にした実にゆったりしたツアーだった。神社の境内で上演される人形芝居は、ヒロインたちの微妙な表情も微細な手指の動きもみごとに表現して、八百屋お七が恋のため御法度の火の見櫓の半鐘をうつ狂乱(伊達娘恋緋鹿子)も、実の娘と知りながら巡礼おつるを突き放すほかない母・お弓の嫋嫋たる悲しみの悶え(傾城阿波の鳴門)も、心に沁みる。本当に得がたい体験だった。
 しかしそれはともかく、神社から登って半キロの、「喜びも悲しみも幾年月」で有名な安乗灯台に妻・滋子は疲れて同行できなかった。3月20日にも、名古屋の労働会館で行われた「関西生コン労働組合つぶしの弾圧を許さない東海の会」主催の「学習と交流のつどい」にも、妻ははじめて同行せず休息をとった。なぜこんなことをわざわざ書くかというと、私たちはこれまで、ひとりで行くといぶかしがられるほど、どこへ行くのも一緒だったからだ。
 この2月から、妻は不整脈・心房細動が続き、肝臓機能指標の数値が上昇するなど体調が不良だった。息切れ、めまい、むくみなど目立った症状はないけれど、疲れやすく、長距離や早足の歩きができなくなった。私につかまってゆっくり歩く。海鮮グルメはともかく総じて食欲不振もある。3月21日には、ふたりして電動アシスト自転車でかかりつけの医院の紹介状を受けとり、そのまま桑名の医療センター(KMC)の循環器内科に赴いた。午前9時に受付け、血液採取、レントゲン、心電図の検査を経て診察を受ける。KMCは組織的な手続きの効率性にすぐれた大病院だが、家族に付き添われた高齢の患者がとても多く、今日の診察には予約がなかったためもあって、待ちに待ち、すべてが終わったのは実に午後3時すぎだった。外来診療の予定は正午まで。しかし丁寧な対応である。勤務医という仕事はこうして過重になるのだと痛感したものである。ちなみに薬代をふくむすべての軽費は、2割負担で6000円弱だった。
 診察結果は、心房細動は続いており、心不全や心臓弁膜症の可能性もあり、肝機能の衰えもある、(予想外だったが)利尿剤を投与して(肝臓と関わる?)心臓の負担の軽減を図り、三週間ほど様子見して、よくならなければ、高齢であることも考慮しながら手術も視野に入れる――というものである。私たちが正確に理解した自信はないが、信頼できそうな医師だった。次の予約診察は4月8日である。
 事態がどれほど憂慮すべきものかよくわからないけれど、私たちがこれから安静の生活に入るほかないことは疑いを容れない。心臓が大丈夫でないのは怖い。私の当面の最大の、いや唯一の関心事は妻・滋子の心臓である。ふたりして緊張のない相互ケア中心の生活に入っていくことになる。妻に任せっきりだった家事もできるだけ担っていきたい。対処すべきことに対処した3月21日はが私たちの62年目の結婚記念日であったことに気づいて苦笑する。
 幸いというべきか、著書の刊行はもとより、研究論文や書評の執筆も、講演も、その記録の修正・校閲も、おそらくこの早春をもって、私には最後の機会になるだろう。朝日新聞3.15掲載の、日本の人事考課を語るインタビューに多くの働く人びとから共感のメッセージが相次いだことは、そんな私にとって最後の光芒であるように思われる。 
 *写真は上記、安乗の人形浄瑠璃。簡易カメラの望遠でときにピントが甘い。

賀状にかえて 2024年、明けましておめでとうございます

 昨年度は、紆余曲折のあと『イギリス炭鉱ストライキの群像――新自由主義と闘う労働運動のレジェンド』(旬報社 1870円)を刊行することができました。1980年代、地域コミュニティに支えられた炭坑夫の1年にわたる大ストライキの実像とその敗北の軌跡を掬い、ぎりぎりまで追求された産業民主主義・産業内行動の意義と遭遇した課題を考察する、それは、現代日本では「反時代的」?ともみなされかねないとはいえ、私の問題意識が集約された小著です。
 FBやHPを別にすれば、この新著は、8回ほどはあった講演・講義とともに、私の最後の社会的発言となるでしょう。86歳を迎える24年は、この分野ではなんの抱負も野心もない、労働研究者としては引退の画期になります。目標といえば、妻・滋子ともども体力や記憶力が衰え、広義の新技術への適応力が乏しいふたりで、いたわりあいケアしあって、体力と経済力の可能な範囲で文化の享受を楽しみながら、老後を静かに生きてゆくことです。本当に二人三脚です。ちなみに毎年の賀状に引用してきた俳句は、24年は
 ひぐれの枯野 もう誰の来るあてもなし(楸邨)
 かつては「チンドン屋 枯れ野に出ても足おどる」(楸邨)としたものですから、少し淋しすぎますね。
 ただ、心安らかに過ごしてゆけるかは疑わしいです。強国が「人倫の奈落」を顧みないウクライナやガザ、腐臭を漂わせながら戦争のできる国に驀進する自民党政権、公式労働組合のまったき自立の喪失、そしてあまりにも乏しい大衆的抵抗運動の欠如・・・。鬱屈と焦慮に苛まれます。
 軍国の冬 狂院は唱に充つ(草田男 1938年)
 新しい戦前といわれる今日この頃、私たちもそれに抗う陣営には加わりたいものです。
                 2024年1月1日 熊沢誠/滋子

2023年冬の断想(2023年11月28日)

 ひと日わが心の郊外にささやかなる祭りありき(マラルメの詩句)。先日、「職場の人権」以来の旧友である3人の京都の女性が、四日市に宿泊し、2日間にわたって、拙宅を訪問してくださった。近著『イギリス炭鉱ストライキの群像』の「そう読まれたい」と思うような温かい感想、『福田村事件』をはじめとするいくつかの映画語り、今日この頃の社会のありかた、彼女らの日常のあれこれなど話題はつきず、歓談に時間を忘れた。四日市の中華料理店でのちょっと贅沢なディナーを楽しみ、2日目には、快作『プロッフェショナル』を一緒にみてはしゃいだ。遠くから来てくれてありがとう。私たちにとって久しぶりの祭りのような二日間だった。写真はその折のスナップである。
 
 とはいえ、こうした「ハレ」の日と裏腹に、私たち老夫婦の「ケ」の日常は、なにかと気苦労が多くなっていて、ともすれば憂鬱にもなる。結局のところは80代半ばの体力・気力の衰えと急激な時代の変化への不適応に起因する不可避のことなのだが、「憂鬱」要因の棚卸しをまとめ、まだできること・もうできないことを思い定めることで、いくらか元気になるかもしれない。以下はそんなことをとりとめなく綴る、社会的な意味はほとんどない駄文である。
 (1)毎朝、起床すると、私と妻の身体のどこかに未体験の痛みや不具合はないか、毎日使うパソコンがさくさくと動くかどうかが不安になる。たいていは私の乱暴なつかいかたに起因するパソコンの不調は、幸せにも大学在職時代の旧友のこの上ない指導と「往診」で解消されるのだが、1時的にせよパソコンが動かないと、日誌やエッセイの入力もメールも、もう乏しい社会的交流の手段であるFBの送受信もできない。書斎ではなにもできなくなる。
 身体のほうは昼寝が欠かせない。なによりもふたりとも記憶力が衰え、なにかいつも必要なものを見失って探している。この時間が馬鹿にならない。二人とも内臓関係は疾患をまぬかれていて、休みながらなら1万歩くらいは歩けるように4日に一度は外出するが、バランス感覚が鈍くなって、凹凸のある土地などではよくよろめく。はしごに登って庭木の剪定をするなどは、バランスも筋力も心もとない。
 (2)高額の補聴器はやむをえないとしても、ほぼ20年以上も前からのエアコン、テレビ、雨戸のサッシ、シェーバーなどの寿命がきて、買い換えが必要になり、万円単位の出費が続く。年金以外の収入はまず望めない経済生活なので、いきおい心ならずも節約志向にとらわれる。かなり頻繁だった海外旅行は、体力の不安も棹さして、コロナ禍以前の2019年をもって終わりとした。外出日によく外食はするが、ハレの日以外はふたりで数千円の出費に留めようとする。ちなみに地方行政はリーズナブルな価格で耐久消費財の修理・修繕・メインテナンス、または良心的な業者の斡旋をするサービスを提供してほしい。悪徳業者が甘言をもって高齢者世帯にたかる事例もよく耳にするからである。
 (3)それと関係して近年のインフレが痛い。食品はもちろんであるが、私たちにはとくに、各種の社会保険料、電車運賃、映画料金・拝観料、レストランなどの値上げが響く。衣類はもうほとんど買わない。ズボンの裾が広いのには閉口するが眼をつむる。それにしても、最近は消費の階層分化が著しいと感じる。私のような生活スタイルでも贅沢と感じる人たちもずいぶん多い一方、信じられないほど高価なツアーや身の回り品やレストランメニューも、結構、人気が高いようである。
 (4)スマホの十分なつかいこなしを前提とした風潮についてゆけない。 少し敷衍すれば、かつては、背後に効率的な情報処理システムをもつにせよ、顧客・利用者の多様な要求にそのつど個別に応える窓口労働者が多かった。今は広義サービス業の対人折衝が激減し、町役場を別にすれば、総てが自動販売で、大組織への電話の問い合わせには総てが機械音のたらい回し、人の応接に到るにはずいぶん時間がかかる。研究会の参加にもたいていパスワードの必要な登録がいる。「ダニエル・ブレイク」の困惑と疎外感はまさに私たちのものだ。仕方なく最近、スマホ教室に通い始めたが、「らくらくホン」1台で、それもめったに使わない私たちは、スマホがあればなんでもできる、しかし私たちはなにもできないとため息をつくばかりである。最近あるツアーに参加したが、その感想アンケートはなんと、配られるバーコードをスマホに写して、旅行社のHPに現れるアンケートの項目に記入して送信せよという次第だった。誰がこんなアンケートに答えるものか。エッセンシャルワークがそんなに人不足なら、外国人労働者の流入と定着がもっと容易になるよう国をひらけばいいのだ。
 スマホ社会は、コロナ禍に加速されもして、ほかの人びとへの関心とふれあいをきわめて稀薄にしている。電車に乗れば10人中9人はスマホだけを見ている。他の乗客の喜怒哀楽を気にすることは決してない。そういえば新聞をよんでいる人もいなくなった。スマホによって広がる世界を知らない者の繰り言かもしれないが、これほどぐるりのことに無関心なひとびとの多い社会では、リアルな会話や討論になじんできた私たちは、疎隔されている。

 万事が「時代おくれ」の感覚は、数年前から私が労働問題・社会問題について発言の機会を失っていったころから自覚していた。著書の刊行、講演などはおそらく2023年をもって最後だろう。2024年からはもっぱら、私と妻の心身の相互ケアと断捨離の日々になる。それはもう覚悟している。けれども、いよいよ日常的に押し寄せてきた気苦労や疎外感については、まだ工夫と努力で憂鬱をまぬかれうる余地はあるかもしれない。温かい友人たちのアドヴァイスに恵まれたいと思う。  

誕生日によせて(2023年9月21日)

 9月21日、85歳の誕生日を迎えた。
 「後期高齢者」の仲間入りした2013年、同年齢の妻・滋子が「硬膜下出血」で手術・入院するという「5月の10日間」の危機があったとはいえ、総じてその頃は万事エネルギッシュで、その後10年の間に、『労働組合運動とはなにか』(岩波書店)、『私の労働研究』(堀之内出版)、『過労死・過労自殺の現代史』(岩波現代文庫)、『スクリーンに息づく愛しき人びと』(耕文社)の4冊の著書を刊行し、行楽・国内旅行はもとより、海外旅行もコロナ禍寸前の19年までにふたりで15回も出かけている。そして今回の誕生日の頃、まぁ遺言めいた著書、『イギリス炭鉱ストライキの群像――新自由主義と闘う労働運動のレジェンド』(旬報社)が大手書店の店頭に並んだ。とても恵まれた後期高齢者だった。
 私はちょうど10年ほど前に、ホームページを再編し、FBを開設している。主としてその場を通じて、これまで精神的に、あるいはいくつかの生活技術の面で、私たちを支えてくれた息子たちや友人たちに感謝したい気持でいっぱいである。
 とはいえ、さまざまの制約が重なって、私たちはこれからは本当の老後である。例えば客観的には、10年前よりも日本の状況はより暗転し、生涯の関心であった社会運動によびかける手がかりを見いだせない。AIやスマホを通じて社会に関わる技能がない。いきおい社会からの仕事の要請はほとんどなくなってゆくだろう。主体的には、二人三脚だった私も妻も、体力や記憶力や認知能力が衰え、感性のアンテナが錆びはじめている。関心の巾が狭隘になった。これからは、「まだできること」をまさぐりながら、相互ケア中心の地味な生活になってゆく。それはしかし、大本では淋しい日々だ。私はいま、早朝に起きて新聞を読んでも、社会的には、さしあたってしなければならいないことがないときがあるという、かつて感じたことのない繁忙不足の感覚に戸惑っている。
 それでも、断捨離と整理、家事手伝いには注力したい。それに、パートの「勉強」としては、不安定雇用のロスジェネ世代、Z世代の貧困と鬱屈、80-50問題、70-40問題については調べたい思いがある。また、これまでの「業績」の紹介・解説を試みるというエッセイもHPで連載してはいるけれど、いくらかは「自己満足的」かもしれず、その意義に自信はない。  
 スナップは、2013年、病気回復後の妻と当時のツーショット、
2023年現在の私(北海道と名古屋)の2枚と最近の奈良でのツーショット。いつもツーショットなのはいつも2人だからである。

最終校正を終えて
After Last Work(ALW)以降の生活
(20323年8月18日)

 8月14日、旬報社に、新著にしておそらく最後の著書『イギリス炭鉱ストライキの群像――新自由主義と闘う労働運動のレジェンド』の最終校正を送った。
 小著ながら三回の校正は1ヵ月以上かかった。幸か不幸か、その間、異常な猛暑でもあって、エアコンの書斎に閉じこもった。もう以前のように週5日~6日・フルタイムの作業はできなかったが、外出がほとんどなかったせいもあって、新書とか小説の読みや、保存するDVDの数多い名画観賞は楽しむことはできた。それでも、くりかえし読めば、ボンミスの伏兵はかならず潜み、またもっと意に沿う表現はないか探して、いつもくよくよする心労の日々だった。ちなみにゲラは老妻もチェックする。虚心に逐語的に読む滋子は、私よりも重大なミスを発見してくれるのが常だった。
 しかしもうあきらめた。およそ1年半にわたるイギリス炭鉱ストの仕事は終わった。この年齢で新著を刊行できること、そして歯の力が著しく弱まったくらいで、基本的に健康を損なわずに「離職」できたことをしあわせとせねばならない。刊行する以上、読者に気づかれるだろう著作の不十分さについて弁解すべきではないだろう。9月23日刊行予定の新著の意義をひたすら言い募って、おおかたの購読を乞う次第である。
 それにしても、ここ1年半ほど、昔のような研究生活に戻った私は、すべきことを基本的に先送りしてきた。なんだか構造的に疲れがたまっていて、もろもろのささいな整理以外の家事をほとんど分担しなかった。サルスベリは咲き誇っているが、庭の雑草は伸び放題である。校正終了の翌日、私は「最後の専門仕事以後」(After last work ALW)の、在宅日スケジュールをつくった、そんなものをつくるのが仕事人間の癖とみずから苦笑するけれど、そこでは、午前中は、新聞精読、諸記録、メール交信、読書、HPエッセイ執筆・・・などとして、午後は、近頃、早起きの替わりに絶対必要になっているシェスタのあとは、整理・断捨離(とくに書物)、清掃、できる限りの家財の修理、庭作業、ショッピング同行、夕食調理の援助などをすることにした。ストレッチ体操も欠かさず、猛暑に負けない体力をもちたいと思う。前からの習慣だが、滋子ともどもまだ1万歩くらいは歩けるので、3日~4日に一度は外出したい。
 ところがこの間、悩ましいのは全般的な物価高騰である。基本的に収入は年金のみなのに、社会保険料や電気代など公共料金が上がり、病院の窓口負担、交通費、外食費、映画館・博物館の入場料、スーパーの食材などがすべて値上がりしている。だから、必然的にこれまで以上の節約志向にとらわれ、どちらかといえばグルメ気味だったのに、この頃は高額消費の抑制を余儀なくされている。
 ちなみに最近痛感するのは、消費の階層分化の進行だ。一方ではツアー、レストラン、時計などの身の回り品などで誰が買うのかと思うほど高額の商品が売れているというのに、この時期エアコン使用を控えざるをえない人はそう多くないにせよ、庶民の消費はスーパーでのショッピングにしてもとてもつましいという印象である。思えば、4万円の高級レストランでの外食の経済効果は家族で4000円のファミレス団欒の10倍に匹敵するのだから、資本主義の「経済」が奢侈品の売れ行きや富裕な中国人の「爆買い」に期待するのも当然かもしれない。まぁ「中流」だった私たちの生活は「庶民化」している。とはいえ、節約できないものもある。最近、医師の診断と三重県補聴器センターのくわしい診断を経て、私たちは残念ながら中度の難聴で補聴器が必要ということになった。こればかりは、単なる集音器ではなく、それぞれの両耳の<なにが聞こえるか>の精査に応じてまさに調合される、デジタル補聴器でなければならない。2人で84万円という。朝日町から若干の補助はあるはずだが、各2万ほどにすぎない。その他、寿命の来ている電化製品の買換えや、体力的にもうできない庭仕事などのサービス供与に対する出費も予想されるので、ALWの生活には乏しい貯蓄の削減が不可避になって憂鬱である。
 けれども、かつて『私の労働研究』(堀之内出版、2015年)のいくつかのエッセイ欄に書いたことだが、貧富の差は健康格差(典型的な歯の状態)として現れること、2015年の終戦の日、失業中の息子の傍らで、70代の年金生活者がエアコンをつけないで熱中症で死んだこと。そんな事例は、2023年盛夏の今も頻発しているのではないか。ALWの日々にも、少なくともこの格差と貧困、ひいては50・80問題には無関心でいられない。  
 スナップは、毎日見ている庭のサルスベリの他は、この間の稀な外出であった7月30日の「関西生コン労組つぶしの弾圧を許さない東海の会」総会・討論集会の模様。それぞれに魅力的だった講師、湯川裕司委員長、久掘文弁護士と一緒に/「まとめ」の発言をする私/京都からご参加の笠井弘子さんとの会食。

身辺雑記―2023年の梅雨空
(2023年6月24日)

 6.22のFB投稿で紹介したように、今年の晩夏か初秋、旬報社から新著『イギリス炭鉱ストライキの群像――新自由主義と闘う労働運動・1980年代のレジェンド』が刊行されることになった。あと本に転載したい写真へのイギリスの許諾という問題は残っているが、6月下旬、私の当面なすべき作業は総て終えた。
 このテーマを書き残そうと思い立って内外の文献の再精読とノートづくりをはじめたのは昨年の5月、構想をまとめたうえで執筆したのは84歳の誕生日の9月21日から年末まで。今年に入ってからは出版依頼の働きかけの難航。敬愛する拙著担当の元編集者のアドヴァイスを容れた改稿。4月末に刊行が決まってからは旬報社のしかるべき指摘に従う小修正や略年表づくりその他の作業で例外的な繁忙が続いた。
 この1年あまり、2010年代までのように週に6日ほどパソコンやデスクにへばりつく「労働」は体力的にもうできなかった。FBにたびたび紹介したように、間遠な講演、時折の研究会や市民運動への参加、行楽、新書や小説の読み、そしてとくに夜の映画観賞などは欠かすことなく、週4日~5日ほど、フルタイム(午前と午後)とパートタイム(午前のみ)を組あわせて働くだけだった。とはいえ、それはイギリスの坑夫たちの実像を掬おうとすることでいつも頭がいっぱいの心労の日々だったことは間違いない。早朝覚醒がつづき、それゆえのシェスタは毎日のこと。 20分ほどのストレッチ体操や散歩は日常のこととしたが、少しやり始めていた家事手伝いもしなくなり、庭の花木の手入れもしなくなった。そしていちおう「任務完了」になった今、疲労の蓄積のゆえか著しく体力が衰えていることに突然気づく。さあ、遊びに出かけよう、迫られている本格的な断捨離をしよう、家事も手伝おうという気力が涌いてこないのである。例えば6月30日午前、私は同志社大学に招かれて2コマの講義をする予定であるが、以前ならば、前泊の29日と30日の講義の後に古刹などを訪れる予定を立てるのが常であったが、交通の便や今の脚力などを考えると今は億劫なのである。こんなことは他人の知ったことではないが、この時期の備忘録として仕事後の体調を書いておこう。
 要するに身体がだるい。わずかの時間、歩いたり庭木の枝を刈り込んだりしただけでひどく疲れ、日に何度も昼寝したくなる。前に座骨神経痛の診断を受けてそのあと忘れていた左膝の痛みが再発した。もっとも憂鬱なのは歯の不具合だ。かんたんな経過として、上の5枚の差歯が緩んだので行きつけの歯科医の勧めで取り外し、いったん仮付けしたのだが、その後1週間ほどは激痛でまともに食事ができなかった。約1ヵ月後、痛みはなくなったが、その後に崩落、その後何度つけなおしても2日後くらいにはころりと落ちる。最近、医者は方針を変えて下部と同じく入歯にすることに決め、それが取り付けられる27日まで前歯なしの状態なのだ。なんかとても老けた感じと妻は言う。それは仕方ないが、長いもの、硬いものが噛めず、意気阻喪して食欲がない。さらに不愉快なのは、体調とは無関係ながら、窓口負担が2割になって、何回もの「治療」に、これも値上げになった交通費に加えて1回3000~4000円はかかることである。この頃、諸物価高騰で私たち年金生活者はとかく節約志向になっている。万事、加齢が進むとなにかとみじめ感に誘われる。
 程度の違いはあれ、同年齢の妻と同様、物忘れや難聴も進んでいる。しかし思えば、これまで少なくとも役場の検診では内臓疾患を免れてきた私たちは、まだ恵まれているのかもしれない。頻繁に休みながらだが、まだ1万歩くらいは歩ける。もともと猛暑酷寒に相対的につよい私は、少しゆっくりすればまた元気なると信じたい。しかしいずれにせよ、今年後半は人生の転機となるだろう。手入れなく荒れた庭に咲く紫陽花やノウゼンカツラが心に和む。

23年春のある日(2023年4月24日)

 4月22日(土)は3日~4日に一度はと決めている妻とのありふれた外出、映画とウォーキングの日だった。むろん他人にはなんの関心もないことだが、やがてもっと老衰して外出もできない日も来ようかと思われるので、この頃の私たちの典型的な遊びの些事をいちど書いてみたくなった。
 この日も、午前遅くに近鉄で名古屋へ、地下鉄で伏見へ赴く。近鉄の運賃値上げがいたい。ついでながら名古屋の地下鉄では、よほどお年寄りにみえるのか、よく親切な若者に席を譲られる。しかし、服装はといえば、少なくとも私は15年も前と同じチェック厚手のシャツにベスト、色あせたジーンズという気軽さである。もうほとんど服というものを買わない。買うとすれば近隣の中古品販売で有名なモノマニアである。
 伏見ではよく、カレー煮込みうどんを昼食とする。伏見通りと錦通りの角にある「鯱市」という店。この軽食には飽きることがない。さて、もっとも頻繁に訪れるミリオン座で、この日はまず、アリ・アッバシ監督・脚本の『聖地には蜘蛛が巣を張る』という興味ぶかい作品を見た。
 イランの宗教都市マシュハドで、狂信者の建築工が、貧窮で多くは麻薬中毒の街娼たちを次々に殺している。「聖地の浄化」のためだ。テヘランから来た不屈の女性ジャーナリスト(メフディ・バジェスタニ)が、「浄化」を黙認する宗教権力と警察の非協力のなか、ひとり危険を賭してこの「聖戦」の戦士を追いつめ、ついに彼を処刑させる。こうした緊迫のサスペンスも、ここまではさしてめずらしくない物語だが、この作品の際立ったユニークさは、民衆が汚らしい蜘蛛とさげすむ娼婦たちを抹殺する男をむしろヒーローとみなす描写である。大衆は侮蔑に値すると、ふと思ってしまうのはこんなときである。死刑後に男の息子は「聖戦」の後継者になるよう人びとに勧められていると語り、殺しの手口を得々と再現してみせるのである。そのおぞましさに慄然とする。

 伏見ミリオン座は総じて見たい作品を複数上映している。会員証があってシニア入場料1100円のこの映画館では、私たちはたいてい2本をみる。2本をうまく選ぶには、鉄道のスジ屋のような経験的「熟練」が必要だ。この日は、しばらくロビーで休んでから、中国のリー・ルイジュン監督・脚本の『小さき麦の花』を観賞する。まことに地味ながら、これはいぶし銀のように光る名作だった。
 中国西北地方の農村、双方の家族から厄介者として差別されてきたヨウテイ(ウ・レンリン)とクイイン(ハイ・チン)が両家の都合で見合い結婚させられ、地主の有力者の空き地で小屋を建てて農業をはじめる。虐待されてきたクイインは片脚と左手が不自由で、ときに失禁する病まで抱えている。それはしかし奇跡的な出会いだった。物語は、二人がどこまでも慈しみあい協力し合って、移ろう四季のなか、一匹のロバに助けられて、間断なき一切の農業労働に携わり、家畜や鶏たちを育ててゆく日々を淡々と描く。はじめはほとんど何も語らなかったクイインが、生まれてはじめて恵まれた愛に心を開き、不器用にしあわせを伝えるようになる過程がとても美しい。病気の息子のため何度もヨウテイに献血させながら、クイインに安物のコートを与えるだけの地主は、深圳でのビジネスに必要な土地売却の補償金を得ようと、二人のつくった小屋を二度も追い立てるほど酷薄である。それでも二人の労苦は、小麦や野菜の豊富な作物を生み出し、自力でまともな家をつくるまでに実るのである。
 収穫が終わり作物が売れたら「街」に出て、病院で診察を受けテレビも買おうと二人は語り合う。ああ、もう誰もこの二人の邪魔をするな、愛の言葉はなくともまぎれもない愛と慈しみの生活を二人に続けさせよと、祈る気持がこみ上げてくる。だが、クイインは、トウモロコシの販売に街へ出かけたヨウテイを迎えに出て、用水路にはまって死んでしまうのだ、彼らの鶏が産んだたくさんの卵を早くヨウテイに見せようとその袋を握ったまま。
 残されたヨウテイはあんなに打ち込んだ農業を捨て、終始冷たかった周囲の者たちに律義に借財の義理を果たした後、失踪する。もしかすれば、最後に取り壊されるふたりの家のなかクイインの遺影の前でみずから命を絶ったのだろうか。なんという喪失の悲しみの深さだろうか。涙がにじんだ。2011年のことという。中国の現代化と発展は、極貧のうえ差別されたこの篤実で寡黙な二人にとって、どれほど残酷だったことだろう。 
 文学もそうだが、映画は、時空を超えた人びとの哀歓に共感する感性を持続させる。

 映画館を出て、名古屋駅までゆっくり歩く。高島屋上の「越塚」というレストランで、ビフテキ、ハンバーグ、タンシチューをシェアして夕食をとる。なんか豪華なようだが、この頃、物価高が怖くて私たちは節約ムードである。比較的に機会の多い外食も二人で数千円ほどに収めることが多い。東京に店舗が多いというこの肉料理店は、行きつけの「トキワ寿司」と同様、コスパがいい。この日のウォーキングは7000歩ほど。まぁ1万歩以下ぐらいなら、かけがえのないパートナーの膝も痛まないのである。
 映画ばかりではない。陽春のこの季節、白子の伊勢街道、一向一揆殉教の碑のある願証寺を尋ねて長島の遊歩道なども散策した。このところ同世代の友人たちの、その配偶者の訃報が多い。音信不通になった友人も少なくない。私たちも、もの忘れや判断力の衰えを痛感し、近く聴力検査を受け補聴器を用意しなければならない。それでも、まだ歩ける間は出かけよう、生き延びよう、そうつぶやきながら歩き続ける。

春の訪れ(23年3月16日)

 このところ2人の読み巧者のアドヴァイスにしたがって、80年代イギリス炭鉱ストの物語を描く原稿の細部に手を入れる心労がしばらく続いたけれど、再生した大阪での「職場の人権」や名古屋の労働文献研究会のお別れ会食(天然フグのコース)にいそいそと出かけ、また春の日差しに誘われてぶらりと名古屋の大須や桑名の七里の渡しあたりのウォーキングを楽しんだ。その折のスナップをいくつか。

桑名の六華苑(諸戸邸)。大正期の洋館(重文)

散歩道で(23年2月22日)

 厳冬の2月はなにかと憂鬱な日々だった。今年の賀状にもう社会的な発言の「期待や野心」から自由でありたいと記したものの、なまじっか健康であるだけに、なお世界と日本の状況に無関心でありえない。
 欺瞞のプロパガンダを弄しながらウクライナの人びとを殺戮し続ける傲慢で無慈悲なプーチンのロシアがいやだ。閣議決定だけで「敵基地攻撃」のできる国に突き進む岸田内閣がいやだ。労働組合の闘いなしに「人への投資」、つまり「経済」のために賃上げを語る芳野友子の連合がいやだ。個人的にも重い鬱屈がある。私は昨年後半、そうした日本の労働状況ゆえにこそ、残存エネルギーのすべてを注いでイギリス炭坑大ストライキ(1984-85年)の物語――新自由主義に抗う労働運動のレジェンド――を執筆した。その刊行が私の最後の「期待と野心」にほかならないが、その出版の見通しが立たない。日本の「空気」を読めばなぜこの内容の作品の刊行が難しいかは自分でもよくわかる。それでも、空しいかもしれないが、これから少なくとも半年は出版依頼にあがくことにしたい。
 憂鬱を抱えながら近隣を散歩する。写真はその折の、私たちの隠れ里・梅園などのスナップである。風はなお冷たいが、春の訪れは近い。私にできることはもうほとんどないけれど、元気を出そう。
 勇気こそ地の塩なれや梅真白 草田男