10月末、私たちはふたりとも発熱、診察を受けるとコロナに感染していた。自宅静養を余儀なくされる。微熱が続き、味覚と食欲がない。体がだるい。何を読んでも集中できず、秘蔵のDVDで大好きな映画をぼんやり観るばかりだった。しかし11月8日、食欲不振を訴えて漢方薬が変わった頃から、不思議にぐんぐん回復した。いつも平熱となり、食欲と味覚が戻った。早朝に30分から40分ほど散歩をするようになった。なにかしようとするする意欲が猛然と戻った。11月23日、はじめは欠席するつもりだった名古屋労働会館での<関生労組の弾圧を許さない東海の会>主催の、京都事件公判報告&パネルディスカッションにもパネラーのひとりとして参加した。もっとも準備不足と病み上がりで発言は持論に留まり精彩制裁を欠いたと思う。それでも、11月26日~27日には、ふたりして、長年の女友だちとともに紅葉を観る京都への旅を敢行した。
26日は、旧友KやS・I(敬称略)と、勧修寺、醍醐寺、永観堂、真如堂の4古刹をめぐり、会食・歓談することができた。午後は雨だったが、すばらしく充実した観光ができ本当に幸せな1日だった。それというのも、敬愛する労働運動家T・Iが、細かいコースと食事処と時間の周到な計画にもとづいて、レンタカーでご案内をしてくださったからだ。みごとな道選びと時間設定だった。煩雑な会計事務その他もすべて旧友たちに任せた。よぼよぼの老親みたいな私たちを歓待してくださったみなさんに、どれほどお礼を言ってもつくせない。その夜はまたYさんのご紹介で古民家風「自主管理」の民宿に宿泊した。
27日は、晴天に恵まれ、ふたりで夕方まで、休み休みしながら実にゆっくりと東山を散策した。京都市役所からバスで銀閣寺前⇒哲学の道⇒法然院⇒また哲学の道⇒永観堂(門前のみ)⇒「料庭」八千代での昼食⇒南禅寺という懐かしいコース。法然院のあたりから次第に紅葉が濃密になる。陽光に輝くその美しさに魅せられた。南禅寺では方丈を拝観し、紅葉が彩る庭園の続く長い回廊をめぐる。こんなことがまだできるのね!と妻がつぶやく。彼女は幸せと感じればそれでいい・・・。境内に出てまた夕陽に輝く紅葉を見納め、疲れた足を引きずって地下鉄蹴上を経て京都駅に至る。近鉄を乗り継いで帰宅したのは20時前だった。今日は16000歩ほども歩いている。
11月27日の二人の散策をくわしく書いたのは、もうこんな機会は、私たちのつましい余生にはもうないかもしれないと感じたからだ。この間の紹介したいスナップは、23日のイヴェント、26日のみんなとの観光・会合などいくらもあるけれど、きりもなくここでは27日の京都の紅葉などに限りたい。
写真の紅葉の背景は、順を追って、永観堂/哲学の道、川向こう/法然院の門/哲学の道、川向こう/永観堂/同上/同上/南禅寺下の料庭「八千代」で/南禅寺、正因庵白壁に被さる紅葉/南禅寺法堂前のふたり/南禅寺、方丈の庭/南禅寺境内ふたたび、法堂前/同上、背景は三門/蹴上への途上で
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誕生日を迎えて(2024年9月23日)
9月21日、86歳の誕生日を迎えた。このたびの「認知症基本法」によればこの日は「認知症の日」らしい。苦笑するほかはない。まぁ同じ年の妻とともにMCI(軽度認知傷害)の門口には来ているのかなぁと思うこの頃だからだ。FBではほぼ70人ほどの方から誕生日メッセージを頂いた。そのうち15人ほどの友人の言葉には、総じて「老いの一徹」みたいな私の発言にもまだなにがしかの意味はあるのかもと感ることができて、元気づけられる。
それでも、この1年ほどの間に、私の社会との公的な関わりはすべて終わったと思う。著書の刊行、論文や書評の執筆、マスメディアのインタビューなどの、おそらく最後の機会は、不思議にこの1年に集中した。もう社会的な発言が求められる可能性はほぼないだろう。今後はエッセイ「労働研究回顧」などをFBやHPに気ままに綴るだけである。ただ、この10月はいささか緊張して迎える。月初に懸案の妻の不整脈・心臓弁膜症の治療方針(検査入院、施術など)が決まるばかりか、中旬には社会政策学会書評分科会で最後の著書『イギリス炭鉱ストライキの群像』(旬報社)が取りあげられるのにかこつけて妻とささやかな観光を楽しむため、大分旅行を「敢行」する予定だからである。
そのために、当面は、ふたりの体力を維持するため、相互ケアのパンクチュアルな日々を送る。30分~1時間ほどの早朝ウォーキング、時間を限定した庭の草取り、食欲の出るような食事の用意、週にいちどほどの外出・・・といった、まことに地味な生活である。TVで見るのは1時間以内のドキュメントが多いけれど、かなり貯蔵しているDVDで2.5時間~4時間近い名画の大作を見るのは私たちの大きな楽しみだ。そういえば、21日、「誕生日記念」として深夜まで見たのは、愛着このうえない『ドクトル・ジバゴ』だった。その起伏に満ちた物語の魅力、その語りの完全な説得性、ラーラ(ジュリー・クリスティ)の優しさと心意気、美しい風景と音楽。なんというすばらしい作品か。今回あらためて注目したのは、D・リーン監督の細部の心配りとともに、ロバート・ボルトのシナリオの卓越であったが、思えば私は半世紀も、こんな映画に人間と社会の光を教えられて生きてきたのだ。ともあれ、雨戸をあけ雨戸を閉める間に、日記に何か特記できることをひとつはやりたいと思う。
最近のスナップ写真をいくつか。①9.15脱原発四日市行動でリレートークする私/② 名古屋の地下鉄で知り合ったネパール人家族/③大好きな喫茶店、名古屋芸文センターならびの倉式珈琲でのランチ/④矢場町のセンチュリー劇場で時間待ち/⑤書斎の日常。2011年ミャンマー旅行で買ったTシャツをまだ着ている。
この頃のこと(2024年8月10日)
私はもともと酷暑・酷寒にはつよいはずだったが、7月半ばからの異例の猛暑は、私たちの体力の衰えのせいか耐えがたく、この頃は元気なくクーラーの中へ引きこもりがちで、シェスタのあとは、秘蔵の名画のDVD、小説の読書、室内の断捨離、食欲の出そうな食事の工夫などで過ごす。雑草に覆われる庭の草取りや枝切りに外へ出るのもためらわれる。なにしろ桑名や名古屋は、連日40度近いのだ。まして心臓弁膜症で投薬・経過観察中の妻には無理をさせられない。
それでも本能的に、ときどきは外出したほうがいいと思う。以下、スナップは、ひとり気を吐く白のサルスベリ/7.4滋子86歳の誕生日・都ホテルの懐石レストラン/ 7.15四日市。韓国映画『密輸1970』をみた後、鰻丼の夕食までの時間を過ごした博物館でのツーショット/7.21、すでにFB投稿で紹介したが、四日市のシンポジウム「日常生活での憲法の空洞化を問う」で発言する私/ 7.28名古屋での「関生労働組合弾圧を許さない東海の会」で、早口ながら表情とゼスチャー豊かに魅力的な講演を聴かせた望月衣塑子さんと私(関西生労組関係者の写真は非公開とのこと)/8.3桑名の酷く蒸し暑い8.3の夜、あえて出かけたコンチキチンの石採祭り――である。
(写真はクリックすると拡大表示されます)
2024年夏、私たちの外出 (2024年7月6日)
7月4日、連日の猛暑のなか、妻・滋子は私より2ヵ月半ほど早く86歳になった。この頃、私たちは、体力的にも経済的にも「まだできること」を確かめながら日々を過ごしている。そんな私たちふたりの典型的な外出のなかみは、名古屋へ出て、季節に応じて公園の花々を楽しみ、かならず映画をみて、書店をのぞき、8000~10000歩ほどウォーキングして、リーズナブルな行きつけのレストランで夕食をとることだ。先月末には、名駅地下街の「廣寿司」で数量限定特価1000円の「にぎわい弁当」を昼食とし、伏見のミリオン座で『ホールドオーバーズ』と『あんのこと』(6.29のFB投稿参照)の二本を観て、伏見から名駅まで歩き、ミッドランドの「文化洋食」でオニオンスープとハヤシライスの夕食をとった。この日、歩いたのは7500歩、総経費は17000円ほどだった。
交通費、わけても近鉄の値上げが痛い。名古屋への往復だけで2400円ほどかかる。高齢者の外出を勧めるなら交通機関のシルバー料金制度をつくるべきだろう。しかし、心臓弁膜症で投薬・経過観察中の妻も、この日も、スピードは遅いが歩き通した。「典型的な外出」はまだできるようだ。とにかくふたりとも身体を動かしたほうがいい。
それにしても「もうできなくなった」ことはあまりに多い。2019年が最後だった海外旅行、ハイキング、筋力や耐久性やバランスの要る庭や屋内での作業はもうできない。ふたりとも認知能力や整理能力や記憶力が衰えて、いつももの探しをしている。小1時間ほどのシェスタは不可欠だ。幸い腰、膝、脊柱などの障害も重い内臓疾患もまぬかれていて、散歩や愛用の電動アシスト自転車でのショッピングはまだ可能だが、全体に行動はのそのそしている。外食は頻繁だが、年金以外の収入が皆無になった今は、後10年ほどのありうる大きな出費――このところ相次ぐ不可避の耐久材の買替え、できなくなった庭作業などの外注、必要になるかもしれない多額の医療費など――に備える貯蓄が心配で、2人で3万円ほどかかる懐石やフレンチのレストランには、よほどのハレの日でなければ脚が遠のく。その「ハレの日」が来る見通しはさしあたりない。
当面の私の最大にしてほとんど唯一の関心は、いつも二人三脚なのに、もう十分に元気とは言えない妻・滋子の心臓弁膜症のゆくえである。どうしても相互ケアの生活が続く。いま私は、午前中は日本の精神史などの書物を繙くけれど、午後からは、いまだ家事の担い手とは言えないまでも、家事修業、家事手伝いの日々である。それもいい。このところ、わが師、同世代の方々、信頼する若い友人たちの逝去、深刻な病苦、コミュニケーションのできないひきこもりなどの報にしきりに接する。私たちはまだ恵まれているのかもしれない。私たちは残存能力を探り当ててなお生き延び、この世がどこまで生きづらくなるかを見届けよう。私が担当する洗いものをしながら、そんな思いが胸に去来する。
さくら花幾春かけて老いゆかん・・・(2024年4月)
敬愛する大野夫妻に誘われて富田の十四川堤での観桜が4月5日。翌6日には、名古屋は鶴舞公園の満開の濃密な桜を満喫した。すさまじい数のグループがさんざめき、人々は花見さえあれば幸せという感じ。私たちもほっこりした気持になる。そこから伏見へ回ってミリオン座で、『アイアンクロー』という映画を観賞。栄光のレスラー一家の息子たちの名声を求めての相次ぐ悲劇を描く、なかなか切ない佳作だ。そこから名古屋駅まで歩き、高島屋の「ビューレ・ノアゼット」でリーゾナブルなフレンチのコース(いつものように別々の料理でシェア)を楽しむ。とくに仔羊がおいしかった。結局、休み休みだったが、この日は1万歩以上歩いている。まだこうした外出ができるということを確認したかった。
そして4月8日、桑名医療センターでの妻・滋子の心臓診察に付き添った。18日間の投薬の経過観察の後である。血液、尿、エコー、食事指導のあと循環器内科の診察を受ける。医師は、腎臓機能はOK、肝機能数値は少し改善したが、4年前より不整脈を伴う心臓弁膜症は悪くなっていて「中程度」とのこと。エコー検査結果には、「壁運動評価」はnormalだが、僧帽弁は「石灰化:後尖」、大動脈弁は「石灰化:三尖とも。開放制限(+)」診断は「中程度AS?疑い」、明かなasynergy(-)と書かれている。少し落ち込んだ。ただ急を要する症状ではなく、減塩の食事療法とともに、前と同じ利尿剤アゾセミド錠、スピノロラフトン錠を服用して、さらに50日の経過を見る。それでよくならなければ半年~1年のうちに、可能なら約2週間の入院を要するカテーテル施術も考える。それが担当医の結論だった。その他、特段の生活指導はない。
妻の心臓弁膜症がどの程度深刻なのか、この医師の処置が適切なのか、本当のところわからないけれど、まだまだ大丈夫と信じたい。前の投稿に記したように、滋子を疲れさせないように心がけて、ゆるやかに生きてゆきたいと思う。それでいい。
昨9日は、妻に指導・監督されながら昼食に炒飯を、夕食にハンバーグ、味噌汁、にんじんのグラッセなどをつくった。近隣の桜堤を散歩し、DVDで『ア・ヒュー・グッドメン』というアメリカの軍事法廷ものを観た。まぁ、ふたりの生活のありようは、専門研究の仕事がなくなった早春以来の常態とあまり変わらないだろう。
馬場あき子の名唱「さくら花幾春かけて老いゆかん・・・」の後段は「・・・身に水流の音ひびくなり」と続く。80代後半はまさに「余生」である。それでもなお「身に水流の音」は聴きつづけたい。
春立つ日の結婚記念日に (2024年3月25日)
3月17日~18日、伊勢志摩に遊ぶ。国指定重要無形民俗文化財となっている安乗の人形芝居(浄瑠璃)観賞と、安乗ふぐ、的矢牡蠣のコース、賢島宝生苑での伊勢エビやアワビの懐石コースの味覚を中心にした実にゆったりしたツアーだった。神社の境内で上演される人形芝居は、ヒロインたちの微妙な表情も微細な手指の動きもみごとに表現して、八百屋お七が恋のため御法度の火の見櫓の半鐘をうつ狂乱(伊達娘恋緋鹿子)も、実の娘と知りながら巡礼おつるを突き放すほかない母・お弓の嫋嫋たる悲しみの悶え(傾城阿波の鳴門)も、心に沁みる。本当に得がたい体験だった。
しかしそれはともかく、神社から登って半キロの、「喜びも悲しみも幾年月」で有名な安乗灯台に妻・滋子は疲れて同行できなかった。3月20日にも、名古屋の労働会館で行われた「関西生コン労働組合つぶしの弾圧を許さない東海の会」主催の「学習と交流のつどい」にも、妻ははじめて同行せず休息をとった。なぜこんなことをわざわざ書くかというと、私たちはこれまで、ひとりで行くといぶかしがられるほど、どこへ行くのも一緒だったからだ。
この2月から、妻は不整脈・心房細動が続き、肝臓機能指標の数値が上昇するなど体調が不良だった。息切れ、めまい、むくみなど目立った症状はないけれど、疲れやすく、長距離や早足の歩きができなくなった。私につかまってゆっくり歩く。海鮮グルメはともかく総じて食欲不振もある。3月21日には、ふたりして電動アシスト自転車でかかりつけの医院の紹介状を受けとり、そのまま桑名の医療センター(KMC)の循環器内科に赴いた。午前9時に受付け、血液採取、レントゲン、心電図の検査を経て診察を受ける。KMCは組織的な手続きの効率性にすぐれた大病院だが、家族に付き添われた高齢の患者がとても多く、今日の診察には予約がなかったためもあって、待ちに待ち、すべてが終わったのは実に午後3時すぎだった。外来診療の予定は正午まで。しかし丁寧な対応である。勤務医という仕事はこうして過重になるのだと痛感したものである。ちなみに薬代をふくむすべての軽費は、2割負担で6000円弱だった。
診察結果は、心房細動は続いており、心不全や心臓弁膜症の可能性もあり、肝機能の衰えもある、(予想外だったが)利尿剤を投与して(肝臓と関わる?)心臓の負担の軽減を図り、三週間ほど様子見して、よくならなければ、高齢であることも考慮しながら手術も視野に入れる――というものである。私たちが正確に理解した自信はないが、信頼できそうな医師だった。次の予約診察は4月8日である。
事態がどれほど憂慮すべきものかよくわからないけれど、私たちがこれから安静の生活に入るほかないことは疑いを容れない。心臓が大丈夫でないのは怖い。私の当面の最大の、いや唯一の関心事は妻・滋子の心臓である。ふたりして緊張のない相互ケア中心の生活に入っていくことになる。妻に任せっきりだった家事もできるだけ担っていきたい。対処すべきことに対処した3月21日はが私たちの62年目の結婚記念日であったことに気づいて苦笑する。
幸いというべきか、著書の刊行はもとより、研究論文や書評の執筆も、講演も、その記録の修正・校閲も、おそらくこの早春をもって、私には最後の機会になるだろう。朝日新聞3.15掲載の、日本の人事考課を語るインタビューに多くの働く人びとから共感のメッセージが相次いだことは、そんな私にとって最後の光芒であるように思われる。
*写真は上記、安乗の人形浄瑠璃。簡易カメラの望遠でときにピントが甘い。
賀状にかえて 2024年、明けましておめでとうございます
昨年度は、紆余曲折のあと『イギリス炭鉱ストライキの群像――新自由主義と闘う労働運動のレジェンド』(旬報社 1870円)を刊行することができました。1980年代、地域コミュニティに支えられた炭坑夫の1年にわたる大ストライキの実像とその敗北の軌跡を掬い、ぎりぎりまで追求された産業民主主義・産業内行動の意義と遭遇した課題を考察する、それは、現代日本では「反時代的」?ともみなされかねないとはいえ、私の問題意識が集約された小著です。
FBやHPを別にすれば、この新著は、8回ほどはあった講演・講義とともに、私の最後の社会的発言となるでしょう。86歳を迎える24年は、この分野ではなんの抱負も野心もない、労働研究者としては引退の画期になります。目標といえば、妻・滋子ともども体力や記憶力が衰え、広義の新技術への適応力が乏しいふたりで、いたわりあいケアしあって、体力と経済力の可能な範囲で文化の享受を楽しみながら、老後を静かに生きてゆくことです。本当に二人三脚です。ちなみに毎年の賀状に引用してきた俳句は、24年は
ひぐれの枯野 もう誰の来るあてもなし(楸邨)
かつては「チンドン屋 枯れ野に出ても足おどる」(楸邨)としたものですから、少し淋しすぎますね。
ただ、心安らかに過ごしてゆけるかは疑わしいです。強国が「人倫の奈落」を顧みないウクライナやガザ、腐臭を漂わせながら戦争のできる国に驀進する自民党政権、公式労働組合のまったき自立の喪失、そしてあまりにも乏しい大衆的抵抗運動の欠如・・・。鬱屈と焦慮に苛まれます。
軍国の冬 狂院は唱に充つ(草田男 1938年)
新しい戦前といわれる今日この頃、私たちもそれに抗う陣営には加わりたいものです。
2024年1月1日 熊沢誠/滋子
2023年冬の断想(2023年11月28日)
ひと日わが心の郊外にささやかなる祭りありき(マラルメの詩句)。先日、「職場の人権」以来の旧友である3人の京都の女性が、四日市に宿泊し、2日間にわたって、拙宅を訪問してくださった。近著『イギリス炭鉱ストライキの群像』の「そう読まれたい」と思うような温かい感想、『福田村事件』をはじめとするいくつかの映画語り、今日この頃の社会のありかた、彼女らの日常のあれこれなど話題はつきず、歓談に時間を忘れた。四日市の中華料理店でのちょっと贅沢なディナーを楽しみ、2日目には、快作『プロッフェショナル』を一緒にみてはしゃいだ。遠くから来てくれてありがとう。私たちにとって久しぶりの祭りのような二日間だった。写真はその折のスナップである。
とはいえ、こうした「ハレ」の日と裏腹に、私たち老夫婦の「ケ」の日常は、なにかと気苦労が多くなっていて、ともすれば憂鬱にもなる。結局のところは80代半ばの体力・気力の衰えと急激な時代の変化への不適応に起因する不可避のことなのだが、「憂鬱」要因の棚卸しをまとめ、まだできること・もうできないことを思い定めることで、いくらか元気になるかもしれない。以下はそんなことをとりとめなく綴る、社会的な意味はほとんどない駄文である。
(1)毎朝、起床すると、私と妻の身体のどこかに未体験の痛みや不具合はないか、毎日使うパソコンがさくさくと動くかどうかが不安になる。たいていは私の乱暴なつかいかたに起因するパソコンの不調は、幸せにも大学在職時代の旧友のこの上ない指導と「往診」で解消されるのだが、1時的にせよパソコンが動かないと、日誌やエッセイの入力もメールも、もう乏しい社会的交流の手段であるFBの送受信もできない。書斎ではなにもできなくなる。
身体のほうは昼寝が欠かせない。なによりもふたりとも記憶力が衰え、なにかいつも必要なものを見失って探している。この時間が馬鹿にならない。二人とも内臓関係は疾患をまぬかれていて、休みながらなら1万歩くらいは歩けるように4日に一度は外出するが、バランス感覚が鈍くなって、凹凸のある土地などではよくよろめく。はしごに登って庭木の剪定をするなどは、バランスも筋力も心もとない。
(2)高額の補聴器はやむをえないとしても、ほぼ20年以上も前からのエアコン、テレビ、雨戸のサッシ、シェーバーなどの寿命がきて、買い換えが必要になり、万円単位の出費が続く。年金以外の収入はまず望めない経済生活なので、いきおい心ならずも節約志向にとらわれる。かなり頻繁だった海外旅行は、体力の不安も棹さして、コロナ禍以前の2019年をもって終わりとした。外出日によく外食はするが、ハレの日以外はふたりで数千円の出費に留めようとする。ちなみに地方行政はリーズナブルな価格で耐久消費財の修理・修繕・メインテナンス、または良心的な業者の斡旋をするサービスを提供してほしい。悪徳業者が甘言をもって高齢者世帯にたかる事例もよく耳にするからである。
(3)それと関係して近年のインフレが痛い。食品はもちろんであるが、私たちにはとくに、各種の社会保険料、電車運賃、映画料金・拝観料、レストランなどの値上げが響く。衣類はもうほとんど買わない。ズボンの裾が広いのには閉口するが眼をつむる。それにしても、最近は消費の階層分化が著しいと感じる。私のような生活スタイルでも贅沢と感じる人たちもずいぶん多い一方、信じられないほど高価なツアーや身の回り品やレストランメニューも、結構、人気が高いようである。
(4)スマホの十分なつかいこなしを前提とした風潮についてゆけない。 少し敷衍すれば、かつては、背後に効率的な情報処理システムをもつにせよ、顧客・利用者の多様な要求にそのつど個別に応える窓口労働者が多かった。今は広義サービス業の対人折衝が激減し、町役場を別にすれば、総てが自動販売で、大組織への電話の問い合わせには総てが機械音のたらい回し、人の応接に到るにはずいぶん時間がかかる。研究会の参加にもたいていパスワードの必要な登録がいる。「ダニエル・ブレイク」の困惑と疎外感はまさに私たちのものだ。仕方なく最近、スマホ教室に通い始めたが、「らくらくホン」1台で、それもめったに使わない私たちは、スマホがあればなんでもできる、しかし私たちはなにもできないとため息をつくばかりである。最近あるツアーに参加したが、その感想アンケートはなんと、配られるバーコードをスマホに写して、旅行社のHPに現れるアンケートの項目に記入して送信せよという次第だった。誰がこんなアンケートに答えるものか。エッセンシャルワークがそんなに人不足なら、外国人労働者の流入と定着がもっと容易になるよう国をひらけばいいのだ。
スマホ社会は、コロナ禍に加速されもして、ほかの人びとへの関心とふれあいをきわめて稀薄にしている。電車に乗れば10人中9人はスマホだけを見ている。他の乗客の喜怒哀楽を気にすることは決してない。そういえば新聞をよんでいる人もいなくなった。スマホによって広がる世界を知らない者の繰り言かもしれないが、これほどぐるりのことに無関心なひとびとの多い社会では、リアルな会話や討論になじんできた私たちは、疎隔されている。
万事が「時代おくれ」の感覚は、数年前から私が労働問題・社会問題について発言の機会を失っていったころから自覚していた。著書の刊行、講演などはおそらく2023年をもって最後だろう。2024年からはもっぱら、私と妻の心身の相互ケアと断捨離の日々になる。それはもう覚悟している。けれども、いよいよ日常的に押し寄せてきた気苦労や疎外感については、まだ工夫と努力で憂鬱をまぬかれうる余地はあるかもしれない。温かい友人たちのアドヴァイスに恵まれたいと思う。
誕生日によせて(2023年9月21日)
9月21日、85歳の誕生日を迎えた。
「後期高齢者」の仲間入りした2013年、同年齢の妻・滋子が「硬膜下出血」で手術・入院するという「5月の10日間」の危機があったとはいえ、総じてその頃は万事エネルギッシュで、その後10年の間に、『労働組合運動とはなにか』(岩波書店)、『私の労働研究』(堀之内出版)、『過労死・過労自殺の現代史』(岩波現代文庫)、『スクリーンに息づく愛しき人びと』(耕文社)の4冊の著書を刊行し、行楽・国内旅行はもとより、海外旅行もコロナ禍寸前の19年までにふたりで15回も出かけている。そして今回の誕生日の頃、まぁ遺言めいた著書、『イギリス炭鉱ストライキの群像――新自由主義と闘う労働運動のレジェンド』(旬報社)が大手書店の店頭に並んだ。とても恵まれた後期高齢者だった。
私はちょうど10年ほど前に、ホームページを再編し、FBを開設している。主としてその場を通じて、これまで精神的に、あるいはいくつかの生活技術の面で、私たちを支えてくれた息子たちや友人たちに感謝したい気持でいっぱいである。
とはいえ、さまざまの制約が重なって、私たちはこれからは本当の老後である。例えば客観的には、10年前よりも日本の状況はより暗転し、生涯の関心であった社会運動によびかける手がかりを見いだせない。AIやスマホを通じて社会に関わる技能がない。いきおい社会からの仕事の要請はほとんどなくなってゆくだろう。主体的には、二人三脚だった私も妻も、体力や記憶力や認知能力が衰え、感性のアンテナが錆びはじめている。関心の巾が狭隘になった。これからは、「まだできること」をまさぐりながら、相互ケア中心の地味な生活になってゆく。それはしかし、大本では淋しい日々だ。私はいま、早朝に起きて新聞を読んでも、社会的には、さしあたってしなければならいないことがないときがあるという、かつて感じたことのない繁忙不足の感覚に戸惑っている。
それでも、断捨離と整理、家事手伝いには注力したい。それに、パートの「勉強」としては、不安定雇用のロスジェネ世代、Z世代の貧困と鬱屈、80-50問題、70-40問題については調べたい思いがある。また、これまでの「業績」の紹介・解説を試みるというエッセイもHPで連載してはいるけれど、いくらかは「自己満足的」かもしれず、その意義に自信はない。
スナップは、2013年、病気回復後の妻と当時のツーショット、
2023年現在の私(北海道と名古屋)の2枚と最近の奈良でのツーショット。いつもツーショットなのはいつも2人だからである。
最終校正を終えて
After Last Work(ALW)以降の生活
(20323年8月18日)
8月14日、旬報社に、新著にしておそらく最後の著書『イギリス炭鉱ストライキの群像――新自由主義と闘う労働運動のレジェンド』の最終校正を送った。
小著ながら三回の校正は1ヵ月以上かかった。幸か不幸か、その間、異常な猛暑でもあって、エアコンの書斎に閉じこもった。もう以前のように週5日~6日・フルタイムの作業はできなかったが、外出がほとんどなかったせいもあって、新書とか小説の読みや、保存するDVDの数多い名画観賞は楽しむことはできた。それでも、くりかえし読めば、ボンミスの伏兵はかならず潜み、またもっと意に沿う表現はないか探して、いつもくよくよする心労の日々だった。ちなみにゲラは老妻もチェックする。虚心に逐語的に読む滋子は、私よりも重大なミスを発見してくれるのが常だった。
しかしもうあきらめた。およそ1年半にわたるイギリス炭鉱ストの仕事は終わった。この年齢で新著を刊行できること、そして歯の力が著しく弱まったくらいで、基本的に健康を損なわずに「離職」できたことをしあわせとせねばならない。刊行する以上、読者に気づかれるだろう著作の不十分さについて弁解すべきではないだろう。9月23日刊行予定の新著の意義をひたすら言い募って、おおかたの購読を乞う次第である。
それにしても、ここ1年半ほど、昔のような研究生活に戻った私は、すべきことを基本的に先送りしてきた。なんだか構造的に疲れがたまっていて、もろもろのささいな整理以外の家事をほとんど分担しなかった。サルスベリは咲き誇っているが、庭の雑草は伸び放題である。校正終了の翌日、私は「最後の専門仕事以後」(After last work ALW)の、在宅日スケジュールをつくった、そんなものをつくるのが仕事人間の癖とみずから苦笑するけれど、そこでは、午前中は、新聞精読、諸記録、メール交信、読書、HPエッセイ執筆・・・などとして、午後は、近頃、早起きの替わりに絶対必要になっているシェスタのあとは、整理・断捨離(とくに書物)、清掃、できる限りの家財の修理、庭作業、ショッピング同行、夕食調理の援助などをすることにした。ストレッチ体操も欠かさず、猛暑に負けない体力をもちたいと思う。前からの習慣だが、滋子ともどもまだ1万歩くらいは歩けるので、3日~4日に一度は外出したい。
ところがこの間、悩ましいのは全般的な物価高騰である。基本的に収入は年金のみなのに、社会保険料や電気代など公共料金が上がり、病院の窓口負担、交通費、外食費、映画館・博物館の入場料、スーパーの食材などがすべて値上がりしている。だから、必然的にこれまで以上の節約志向にとらわれ、どちらかといえばグルメ気味だったのに、この頃は高額消費の抑制を余儀なくされている。
ちなみに最近痛感するのは、消費の階層分化の進行だ。一方ではツアー、レストラン、時計などの身の回り品などで誰が買うのかと思うほど高額の商品が売れているというのに、この時期エアコン使用を控えざるをえない人はそう多くないにせよ、庶民の消費はスーパーでのショッピングにしてもとてもつましいという印象である。思えば、4万円の高級レストランでの外食の経済効果は家族で4000円のファミレス団欒の10倍に匹敵するのだから、資本主義の「経済」が奢侈品の売れ行きや富裕な中国人の「爆買い」に期待するのも当然かもしれない。まぁ「中流」だった私たちの生活は「庶民化」している。とはいえ、節約できないものもある。最近、医師の診断と三重県補聴器センターのくわしい診断を経て、私たちは残念ながら中度の難聴で補聴器が必要ということになった。こればかりは、単なる集音器ではなく、それぞれの両耳の<なにが聞こえるか>の精査に応じてまさに調合される、デジタル補聴器でなければならない。2人で84万円という。朝日町から若干の補助はあるはずだが、各2万ほどにすぎない。その他、寿命の来ている電化製品の買換えや、体力的にもうできない庭仕事などのサービス供与に対する出費も予想されるので、ALWの生活には乏しい貯蓄の削減が不可避になって憂鬱である。
けれども、かつて『私の労働研究』(堀之内出版、2015年)のいくつかのエッセイ欄に書いたことだが、貧富の差は健康格差(典型的な歯の状態)として現れること、2015年の終戦の日、失業中の息子の傍らで、70代の年金生活者がエアコンをつけないで熱中症で死んだこと。そんな事例は、2023年盛夏の今も頻発しているのではないか。ALWの日々にも、少なくともこの格差と貧困、ひいては50・80問題には無関心でいられない。
スナップは、毎日見ている庭のサルスベリの他は、この間の稀な外出であった7月30日の「関西生コン労組つぶしの弾圧を許さない東海の会」総会・討論集会の模様。それぞれに魅力的だった講師、湯川裕司委員長、久掘文弁護士と一緒に/「まとめ」の発言をする私/京都からご参加の笠井弘子さんとの会食。