恒例の「今年の収穫」を記す。この年齢になるといっそう、なによりも、この一年間なにに心を動かされたかを確認しておきたい気にとらわれるからだ。もう私がふれた作品は限られているが、Ⅰ外国映画、Ⅱ日本映画、Ⅲ社会科学&一般書、Ⅳ文学・小説の順に紹介を進める。映画について「+S」とは「監督がシナリオも」の意味である。
Ⅰ【外国映画】
①小さき麦の花(23中国)リー・ルイジン(+S)
舞台は現代中国の貧しい寒村。非情な親族によって厄介払いのように結婚させられた知恵遅れの青年と言語障害を負う娘は、寄り添って懸命の農作業で生きぬいていくが、土地活用の利権に奔る工都に住む地主が容赦なく二人の将来を閉ざす。不遇のふたりの愛のコッミュニケーションはあまりに美しく切実なゆえ、その悲劇的なゆくえに心が抉られる。
②エンパイア・オブ・ライト(22英)サム・メンデス(+S)
イギリスの80年代、海辺の古い映画館でスタッフとして働く心を病む孤独な中年女性と、人種差別にさらされる新任の優しい黒人青年との曲折に満ちた恋の物語。女性が失恋と精神の破綻を経て、同僚の抱擁によって職場に戻るプロセスが温かい。なんとも美しい作品。
③あしたの少女(22韓国)チョン・ジュリ(+S)
2017年の韓国で高校実習生のコールワーカーの少女ソヒが3ヵ月後に自殺するまでの過酷きわまる職場状況を、怒りをひそめた無愛想な表情で女性刑事が追及してゆく。後にソヒの名を冠した労働保護法を達成させた実話にもとづく。日本でもこんな作品が待たれる。よりくわしくはHPエッセイ(23年8月)参照。
④She Said その名を暴け(22US)マリア・シュライダー
あたかもジャーニーズ事件よろしく、ハリウッドの大物プロデユーーサー、ハーベイ・ワインスタインの幾多の女優志願者や女性スタッフに対する性的加害を、二人の女性記者が根気よく被害者をさぐりあて、彼女らに逡巡をこえてついに実名の証言をさせるまでを丹念に描いて感動的だ。この告発は後にグローバルな波となる#MeToo運動のきっかけになったという。
⑤トリとロキタ(22ベルギー、仏)ダルデンヌ兄弟(+S)
アフリカからベルギーに流れ着いた少女ロキタと少年トリが、姉弟のようにひたすら助け合いつつ、難民認定がかなわぬまま収容所を脱走して、生活のため危険な仕事に巻きこまれ、無残にもロキタが殺されてしまう。ダルデンヌ姉弟の演出と脚本は間然するところがない。
⑥蟻の王(22伊)ジャンニ・アメリオ(+S)
同性愛が許されなかった60年代のイタリアでの、蟻研究者・劇作家・詩人として著名なアルド・ブランパンティと、彼を崇拝する青年エットレの受難の過程を描く。傑作のすくなくないゲイ映画のなかでも白眉の重厚な作品である。
ほか語りたい作品は枚挙に暇ないが、わけても⑦ペルシャン・レッスン――戦場の教室(20露、独)バディム・パールマンと、⑧それでも私は生きてゆく(22仏)ミア・ハンセン=ラブ(+S)が印象に残った。なお、これらのすぐれた作品では、監督がシナリオ執筆をかねる場合が多いことが近年とくに目立つように思う。また、紙数の関係上ふれなかったが、主演俳優たち魅力が忘れがたいことはいうまでもない。たとえば疲れや鬱屈をもみごとに表現する②のオリヴィア・コールマンや④のキャリー・マリガン。⑧でシングルマザーを演じるレア・セドウなどは、表情の豊かさだけで私を惹きつける。ちなみに私がアニメを好きになれないのは、アニメ顔ではやはり多様性や変化の表現に決定的な限界があると思うからである。
Ⅱ【日本映画】
①福田村事件(23)森達也 脚本:佐伯俊道、井上淳一、荒井晴彦
くわしくは、高知県の薬行商人たちは「朝鮮人と間違えられて惨殺されたのではない」と考察する評論(HPエッセイ2023年10月)にゆずりたい。日本映画ではまれにみる大きな構えでの日本人の負の心性に深く迫る秀作というほかない。
②怪物(23)是枝裕和 S:坂本裕二
二人の少年の失踪までの過程を複数のぐるりの人びとそれぞれの体験として辿る「藪の中」風の語り口のため、二人の行動の鍵となる(ありえないとされる)同性愛に、最後に教師(永山瑛太)が気づくまで真相がつかめないもどかしさが残る。とはいえ、問題を糊塗しようするふつうの大人たち(安藤サクラや田中裕子)の鈍感さや欺瞞がふたりを追いつめるシナリオや俳優たちの演技はすばらしく、こんなに「おもしろい」映画はめったにない。
③ヴィレッジ(23)藤井道太(+S)
巨大なゴミ処理所のある寒村。無気力だった作業員の若者(横浜流星)が帰村した幼なじみの聡明な女性(黒木華)に励まされてこうべをあげ、村おこしの宣伝係として大活躍する。ゴミ処理の不正を隠蔽するため彼を利用しようとする有力者(古田新太)、女性に横恋慕するその息子・・・などが絡み合い結局、青年は破滅的な犯罪にいたる。村共同体の濃い影を凝視するスリリングでグロテスクな傑作である。
④波紋 萩原直子(+S)
ある主婦(筒井真理子)が、重病で失踪から帰宅した身勝手な夫(三石研)、生活苦、おしつけられた老親の介護、息子(磯村勇斗)の恋人への障害者差別などの絶え間ないトラブルのなかで新興宗教に頼り、そこでまた搾取される。だが最後には自立を取り戻し、忘れていたフラメンコを踊リ狂う。経過は終始いらいらさせるけれど、結末は爽快である。
⑤キリエのうた 岩井俊二(+S)
過去の不遇の体験ゆえ今は街頭でうたうほかはなにも喋らない放浪のキリエ(アイナ・ジ・エンド)と、彼女にひたすら寄り添ってマネージャーになるやばい過去をもつ女性いつ(広瀬すず)との経年のシスターフッドを辿る。キリエの大成功の日、駆けつけようとして、いつは昔の男の凶弾にたおれてしまう。ぼろぼろながら切実な青春の音楽映画。理屈ぬきにある魅力がある。
このほか、相模原事件をモデルにした石井裕也(原作は辺見庸)の⑥月、幕末期江戸のスラムの汚物処理の若者ふたりと、寺子屋で「せかい」に眼を開くおきくの青春を描く坂本順治の⑦せかいのおきくが佳作と思われた。今年の邦画は、私好みの「社会派」作品においては豊作であった。
付録:旧作瞥見
私は今年、以上のマイベストを含む88作を映画館で見ている。しかし私の映画生活はこれに留まらず、自作または購入のDVDストックから自宅で55作を楽しんでいる。総て秀作、名作、すくなくとも佳作であるが、いくつかをピックアップしてタイトルだけを紹介したい。機会があれば見てほしいと思う
■秀作・名作――万引き家族/かぞくのくに/そこのみにて光輝く/大地と自由/家族の庭/アンダーグラウンド/道/僕たちは希望という列車に乗った/神々の深き欲望
■ともかくも大好きな作品――ベニスに死す/エルマ・ガントリー/追憶/草原の輝き/赤い風車/駅馬車/カサブランカ/豚と軍艦/テルマ&ルイーズ/プロフェッショナル
こう書いてくると、秀作・名作と「大好きな作品」との区別はあまり意味がないように思われてくる。ちなみにゴチ体のものが邦画、アンダーラインのものがこれまで著書『スクリーンに息づく愛しき人びと』(耕文社)、あるいはFB投稿、HP.収録などで紹介したことのある映画である。ひとつひとつについてまたどこかに書きたくなるかもしれない。映画の楽しみはいくつになっても捨てられない。
Ⅲ【社会科学&一般書】
9月に旬報社から刊行された『イギリス炭鉱ストライキの群像――新自由主義と闘う労働運動』の修正・加筆と校正の繁忙で、この分野での私の読書量はまことに貧弱だった。要するにあまり勉強しなかった。それでもあえて多くを教えられた5点を紹介したい。。
①石田光男 仕事と賃金のルール――「働き方改革」の社会的対話に向けて(法律文化社)
当代もっとも慧眼の労働研究者の泰斗が、長年の内外の踏査の成果にもとづいて、日本と英米の仕事と賃金のルールを、労使関係当事者の観念だけでなくその具体像にまで及んで比較検討し、彼我の懸隔を実にクリアーに提示する、小著にしてはあまりに内容豊富な労働研究者必読の文献。私は英米と日本それぞれの労使関係の実態の把握ではまったく石田に同意するが、その英米と日本それぞれの労使関係の価値判断では、労働者の自由と発言権という観点から対照的な関係に立つ。しかしこの点、石田にもおそらく揺らぎがあって、それがいつも石田の著作を魅力的にしている。
②マイケル・リンド<寺下滝郎訳> 新しい階級闘争――大都市エリートから民主主義 を守る(東洋経済社)
眼前の「階級対立」の構造を明示する好著。くわしくはHPエッセイ読書と映画欄(23年5月)に譲る
③ジョージ・オーウェル<土屋宏之、上野勇訳> ウィガン波止場への道(筑摩学芸文庫、原著1937年)
再読したすぐれた労働者ルポルタージュの古典。生粋の文人オーウェルが、貧しく重労働に耐えていた炭鉱労働者の職場内外の生活の光と陰を、センシティヴかつ徹底的にみつめ、そのやむない距離感もふくめて階級というものに対する知識人の自省を吐露している。
④菊池史彦 沖縄の岸辺へ――五十年の感情史 1972-2022(作品社)
沖縄の膨大な記憶と体験――「反復帰論」の相貌、豊かな文化の諸相、基地問題をめぐる内部の分断と本土との軋轢・・・。実に多角的な視点と事実の渉猟を特徴とする菊地がそうした沖縄の「岸辺に小舟を漕ぎ寄せる」。みずからを顧みて、総じて深い共感に誘われた。
⑤高階秀爾 名画を見る眼(カラー版)Ⅰ油彩画誕生からマネまで/Ⅱ印象派からピカソまで(岩波新書)
美術館ファンながらほとんど「鑑賞力」をもたなかった私に、随所でなるほどそうだったのかと気づかせた。この分野の第一人者による最良のガイド。
Ⅳ【文学・小説】
小説は、主として疲れている就寝前に読むため、以前よりはるかに読破のスピードは落ちたとはいえ、いつも手放すことがなかった。読了したのはおよそ50冊。うち現代小説として印象に残った3作品を順不同で紹介する。
①中村文則『逃亡者』(幻冬舎文庫)。不気味な反動の権力に追いつめられる青年の彷徨を辿りながら、キリシタン迫害、第二次大戦、現代を縦貫し、日本とベトナムを横断して日本人の精神史の深層にわけいる労作。
②山本文緒『自転しながら公転する』(新潮文庫)東京から茨城県牛久に帰り地元のモールで働く32歳の女性が、職場の問題、経済力が心配な青年との恋、母の介護・・・となにかとトラブル続きで悩み、くるくる自転しながらそれでもなんとか生きぬいて公転してゆく、そんな日常をみつめる。
③朝井リョウ『正欲』。「まとも」すぎて不登校の息子と意思疎通のできない検事の苦しみ、「ふつう」でなく世間の暗黙の差別に萎縮していた女性たちの、必死につながりを求めた試みの挫折。それらを通じて、自分が想像できる「多様性」だけに理解を示して秩序を整えようとするる社会の問題性を剔っている。
若い日に夢中で読んだ大江健三郎を60年を経て再読した。
①大江健三郎 個人的な体験(新潮文庫、原著1964年)
②万延元年のフットボール(講談社文芸文庫、1967年))
③短編:他人の足、飼育、人間の羊、不意の唖、闘いの今日(新潮文庫、原著1958年)
とくに惹かれかつて線を引きまくった作品ばかりである。今では、美しくはあれ形容句や副詞句の多い文章の長い文体に辟易することは稀にあったが、長編では、曲折ののちついに到達する精神の位相の高みと深みにやはり揺り動かされる。短編では登場する若者たちのある発見の昂揚、怯懦、逡巡、そして勇気の表現がすごいほどで他に類を見ない。なんという瑞々しい感性だろう。
若い日にやはり愛読したチェホフの中編・短編も、2冊の作品集(小笠原豊樹訳の新潮文庫、松下裕訳の岩波文庫)からとくに大好きなものを選んで再読した。①谷間、②いいなづけ、③箱に入った男、④すぐり、⑤恋について。わけても工業化の始まるある村での女たちの忍従と放埒を活写する1900年の①も、古い家を捨てて新しい世界に旅立つ若い女性に期待をこめる1903年(チェーホフの死の前年、ロシア革命の前夜)の②もすばらしい。しかし若い私に大きな影響を与えたのは、牢固たる慣習、庭にすぐりの木を植えるというちっぽけな生活目標、そして人妻という恋人の身分など、総じて人間が秩序のために自由を失う姿を痛切に悔いる、そんな連作③④⑤であった。なつかしい。「すぐり」の一節を私は1972年の著書『労働のなかの復権』の終章の扉に引用している。
今年はまた、長期間をかけてふたつの大長編小説に読みふけった。
①加賀乙彦 永遠の都【岐路・1988年、小ぐらい森・1991年、炎都・1993年】(新潮社)
昭和10年代から戦後の50年代にいたる4家族・3世代・登場人物およそ25人の波瀾万丈の軌跡を、二二六事件、太平洋戦争、東京大空襲、戦後初期を通して描く大河小説。日本版「戦争と平和」ともいわれる。核となるのは、貧しい家から身を起こして海軍軍医になり、やがて一代にして東京三田に大外科病院をつくりあげた、多方面に怪物的な能力を発揮する外科医時田利平である。その周辺に星座のように配された妻の菊江、孫たち(その一人は加賀自身である)、利平の愛人たちとその隠し子たち、二人の娘の夫と愛人、親戚の軍人・脇恵助と文化人・脇晋助の兄弟・・・などが、利平とともに体験の語り手となり、それぞれの運命に翻弄される。ときに煩雑にすぎると感じられもする近現代史のエポックメイキングな事件の詳細な記録も興味深く、ファシストとリベラル、機会便乗と反時代的、誠実と欺瞞など、それぞれの人物の多様な立ち位置も納得的である。ヴォリュームは文庫本にして7冊にもなるが、まずは昭和の事件史・精神史の金字塔のごとき労作ということができる。
②アレクサンドル・デュマ<山内義雄訳> モンテクリスト伯(1)~(7)(岩波文庫)
少年時代に古い改造社版の世界文学全集で「これほどおもしろいものはない」と感じた小説。アマゾンで買った文庫本の活字の小さいのに閉口しながら、年末、『モンテクリスト伯』を再読した。ロシアやフランスやアメリカの名作たちのリアリズムの洗礼を受けた今では、さすがに善人と悪人の峻別、主人公のあまりの超人性、変装の通用性、死者を甦がえらせる薬効などが「ほんとかな」と気になる。痛快なSF風の少年文学のようだと感じられもした。とはいえ、この読書がやはり巻おくあたわざるほどおもしろかったことには変わりない。