前回の末尾、この連載は「その16」をもって幕を閉じると記した。しかしその後、狭義の労働問題研究ではないにせよ、ソ連崩壊の直後、さまざまの文献を集中的に精読し、懸命にまとめた私なりの「体制論」を、今ふりかえっておく必要があると思うようになった。そのころの私論が、最後の著書『イギリス炭鉱ストライキの群像――新自由主義と闘う労働運動のレジェンド』(旬報社、2023年)の最終章「思想的・体制論的な総括」の内容に直結していることに気づいたからでもある。
ソ連・東欧の社会主義諸国の崩壊のなか、左翼論壇は、ではこれからどのような経済体制を選択すべきかについて根本的に考え直すことを迫られていた。その頃、属していた大阪の研究者・労働運動実践家が協同する「社会主義理論センター」でも、その視点を定める目的で長時間の討論集会が開かれ、中岡哲郎、山口定の両氏とともに、私も主要報告者の一人になった。そのことが、それまでこのような「大状況」について論じることのなかった私が逡巡ののちこの大きなテーマに挑戦した契機である。『国家のなかの国家――労働党政権下の労働組合.――1964-70』(日本評論社、1976年)などそれまでのイギリス産業社会の研究をふまえて、労働問題の枠を超える広汎な分野の懸命の勉強を経て試みたこの講演は、労働研究者以外の方々の間でも予想外の好評だった。当時の社会党構造改革派のグループに招かれて語りもしている。そこで私は講演録を、徹底的に修正・加筆したうえで、1993年刊行の『働き者たち泣き笑顔――現代日本の労働・教育・経済システム』(有斐閣)に収めた。いまふりかえっておきたいのは、この本の最終章「よりヒューマンな経済社会システム――体制の選択・序説」の概要にすぎない。
私の特徴的な関心は、社会主義、社会民主主義(ソーシャル・デモクラット、以下SD)、新自由主義(ネオ・リベラリズム、以下NL)など、代表的な体制論の系譜とか定義(理想型としての「本来論」)ではなかった。どの体制も深刻な矛盾や問題点をはらんでいると感じていたからだ。私はもうユートピアはないという前提で、その頃10年~15年ほどの各国の体制変動のなかで浮かび上がってきた、否定できない、どれも蹂躙また無視することが許されない諸価値を摘出することから出発した。諸価値は次の「4指標」に具体化される。
①人びとの自由、とりわけ表現と結社の自由
②混合経済の不可避性。生産性向上とともに価格が下がりうる「普通材」を市場競争を通じて供給する民間部門と、供給が限られており、かつ誰であれその享受ができなければ人権を損なう、インフラやライフ・ラインのサービス(稀少財、人権材)を供する公共部門のと共存。わけても不可欠な公共部門の護持
③社会保障(公的補助や社会保険)の安定的な水準維持
④狭義の議会政治にとらわれない民衆運動、とりわけ労働組合運動(産業民主主義)の自由の承認
この確認から導かれる「よりヒューマンな体制」は、私見では戦後ヨーロッパの、とりわけ左派政党の政権担当時にみられた社会民主主義(SD)であった。これにくらべれば、既存または現存の社会主義国では、③はともかく、まず①において完全に失格である。実質上独裁の共産党の施策――例えばロシアのウクライナ侵略――に異議を申し立てる人びとやメディアは、無数の挙例を待つまでもなく徹底的に弾圧され、基本的に表現・結社の自由はない。④についても労働組合は国家機関と化し、民衆の街頭行動も暴力行使や逮捕の憂き目に遭い、しばしば政府・党から独立しているとはいえない司法によって有罪とされ投獄される。②に関しては私に正確な知見はないが、ピケティらの『世界不平等レポート2018』によれば、ロシアや中国で「上位10%の所得が国民所得に占める割合」は41~46%である(ちなみに北米は47%、ヨーロッパは37%)という。それはおそらく党員の高級官僚や「財閥」の特権が、まっとうな市場競争をゆがめるとともに格差と不平等を固定化させている社会なのである。
一方、80年代以降、欧米の福祉国家的な要素を後退させてイギリス、アメリカ、日本、など先進諸国の政権を奪取した新自由主義(NL)は、社会主義の崩壊によって90年代にはいわば「ひとり勝ち」であった。では、このNL席巻のもと、上の「4指標」はどのような扱いになっただろうか。
反全体主義の「民主主義」を謳う限り、NLも「4要素」を制度として公然と否定することはできない。しかしながら、国によっていくらかの違いはあれ、NLは「小さな政府」、企業間・個人間(労働者間)競争の開放と規制撤廃、成功・不成功の自己責任論・・・を核とする思想である。ここから②領域での公共部門の民営化、民間委託、③領域での「甘すぎる」支出制限は当然の帰結であった。そして④領域では、個人の能力や努力よりも「衆の力」つまりなかまとの連帯に頼る民衆運動は忌避せよという道徳律が鼓吹された。非暴力であっても「行きすぎた」デモの弾圧や、大規模なストライキの規制、 産業民主主義の制限が正当化されることになる。
NL浸透の深刻な帰結のひとつは、具体例を挙げるまでもなく80年代以降にどの国でも顕著になった(ジニ係数の高まりに代表されるような)所得と資産の格差拡大と、貧困者の累積であった。そしてもうひとつは、格差拡大と自己責任論による庶民の孤立化・アトム化であり、連帯行動への結集の緩みだった。成功者の支持するNLの道徳律は、それ不成功者をふくむ多くの人びとのやむおえない生きざまとなってゆく。こうして多くの先進国で組合組織率は低下し、ストやピケなどの産業内行動は衰退、少なくとも沈静化した。要するに、NLは、「4指標」を真っ向から否定したとは言えないまでも、それら諸価値のもつ役割を減殺し、それらを空洞化させたのである。
以上から、私はとりあえず結論する―― 否定しえぬ「4指標」のいずれをも蹂躙することなく、その意義や価値に固執しようと苦闘した「よりヒューマンな経済・社会体制」は、端的にいえば社会民主主義(SD)にほかならない。
講演録「よりヒューマンな経済社会システム」は、「4指標」の理想を描くのではなく、生起するさまざまの難問を指摘してもいる。そのひとつは、「4指標」それぞれが内部にはらむ幾多の意見対立である。現時点のこともふくめて考えれば、例えば、➀表現・結社の自由については、ある人びとの人権を損なう唾棄すべきヘイト発言やフェイクに満ちたSNS発信をどこまで禁止するかが論争点になるだろう。③社会保障にしても、医療や介護の保障の財源を国庫(税金)とするか社会保険料とするか、金銭またはサービスが支給される資格としてのナショナルミニマムをどの水準に設定するかについて、大きな選択の幅がある。こうして最低賃金額とか公的補助としての生活補助の基準や貧困層の補足率などは、「福祉国家」のなかでもかなり格差をもつわけである。
意見対立によってもっとも選択の幅が大きく変動を免れないのは③混合経済の領域である。社会民主主議(SD)の下でも、政府は財政逼迫のとき、市場経済への規制を嫌う経済界や可処分所得の増加を求めて増税に反対する中・上層国民の圧力に応えて、公共部門の圧縮に赴きもする。そもそも、サービス供給のどこを公共部門に、どこを民間企業にするかの議論についての論争は限りない。SD勢力のなかでも右派、左派の対立は否定できず、「保守中道」の右派が力を得ることがあれば、政府は、新自由主義(NL)に接近して、人権材の供給も、平等な安定的享受の危うい市場競争・利益志向の民間(委托)企業に委ねがちなのである。その結果は教育や医療や安寧の享受における階層間格差の拡大にほかならない。、
いまひとつの、より深刻な問題は、「4指標」のいずれも蹂躙しないとすれば、それゆえにこそ政府が逢着する「4指標」間の共存の困難である。例えば③社会保障の継続的な充実は、国家財政を逼迫させ、②領域で、公共部門の「人権材」供給の護持という原則を後退させ、それを民間(委託)企業に移行させる可能性がある。②と③の間に矛盾が生まれるわけだ。だが、もっとも共存がむつかしいのは、国民経済の健全さ、インフレなき成長をめざす政府と、産業内行動・産業民主主義に執着する強靱な労働組合との間であう。NLの先駆者たるイギリスのサッチャーと炭鉱労働組合との1年の闘いはこの共存の困難を象徴している。けれども、本来的に 草の根の産業民主主義を否定するNLのみではない。SDの政権にとっても、「つよすぎる労働組合」は国民経済の運営にとってまことに厄介なのだ。そこでたいていのSD政権は、労働三権は護持しながらも、労働組合を国民経済に配慮する、つまり 産業民主主義を万能視せずに産業内行動を慎重に抑制する組織に導こうとする。現在の日本はNLのなかまにほかならないが、労働組合運動がすでに他国に例を見ないほど労使協調に飼い慣らされているゆえ、政府は資本主義経済を運営する労苦を大いに免れているといえよう。
思えば「インフレは民主主義のコスト」(グンナー・ミュールダール)という見方はまことに真実をうがっている。国民の各層、労働者や貧困層や年金生活者などの強靱な要求行動に規制や禁止がなければ、政府は紛争を避けて譲歩せざるをえない。分権的圧力の合力の結果がインフレになるというわけだ。敷衍しよう。75年以降、戦後社会民主主(SD)の性格を帯びた先進ヨーロッパ諸国の「イギリス病」ともいわれるスタグフレーション(インフレ高進+失業増加」)の原因のひとつは、「4指標」、➀表現・結社の自由、②エッセンシャルな公共部門サービスの護持、③社会保障の充実、④自由な市民運動や労働運動の承認――そのいずれをも無視または蹂躙しなかったことにあるかにみえる。あわせてイギリスのように規制なき要求行動が「官民横断」であったことも見逃せない。「4指標」のすべてを尊重することが生産性向上や成長を鈍化させ、SD政権の国民経済の運営をもたもたさせたのだ。企業間・個人間の競争を至上とする新自由主義(NL)は、SDのこの資本主義経済のパフォーマンスの衰えをついて、支配の座を奪ったのである。そこで現出した産業社会が「4指標」のいくつかを空洞化させたシステムであることはすでに述た。
ヒューマンな諸価値に固執したSDの、それは栄光ある敗北であった。しかし私たちは、資本主義経済のパフォーマンスの優越をもって望ましい体制と評価することができるだろうか? その後NL支配下での格差拡大、貧困層の累積、自己責任論では救われないアトム化した庶民が連帯の要求行動を容易に見出せない鬱屈、産業民主主議の衰退などを体験するなか、すでに90年代半ばには、日本を例外とする先進諸国においてSD志向が再生しつつある。SDが再生しても経済運営はやはりもたもたするだろう。けれども、ヒューマンな諸価値・「4指標」すべてを、相互のコンフリクトや、妥協を余儀なくされる紛争なく満たしうる「大思想」を唱えることはもうできないのである。
「マルクスが構想した本来の社会主義は・・・」とユートピアを語ることは空しい。サッチャーにとって攻撃の的は「Socialist Britain」であり、トランプの放言?では統一的な医療保険の主張者は「過激な社会主義者」なのだ。それが今ここにある現実である。しかし、その現実の政治では、多くの人びとのニーズにもとづく社会運動や総選挙によっては、NLがSDの、SDがNLのある要素を取りこむことが十分にある。とはいえ、思想的にはやはり両者は峻別される。資本主義の経済運営がより効率的な新自由主義か、よりヒューマンな価値に固執する社会民主主義か。私たちはひっきょういずれかの選択を迫られている。