コロナウィルスが猛威をふるう今、賃金が保障されて在宅勤務のできる正社員や私のような退役の年金生活者は、多少の鬱屈はあれ、とりあえず安んじて外出を自粛できる。だが、続けられねばならない医療、介護、日用品小売りなど必要不可欠のサービス供給のために通勤して働く人びとの健康不安はどれほど大きいことだろう。この問題はあらためて考えるとして、もうひとつ、①人員削減で雇用契約を失った日給制の非正規労働者や派遣社員、②要請される休業で収入が激減した小規模事業者および個人事業者・フリーランサーなど、「日銭」を稼げなくなった人たちの生活危機という、まことに深刻な問題がある。
それら安んじて家にいることのできない人びとにとって、ようやく5月末に始まる(1回だけの)一律10万円給付(正確には税金の還付だ)は、あまりにも乏しい生活費の補填というほかはない。
もちろん、もう少し長期的な補償の制度や措置もあるにはある。融資・貸付の容易化を別にして主な給付に的をしぼれば、①に対しては、労基法に会社の判断による従業員の休業には、正規・非正規を問わず、直近3ヵ月の平均賃金の6割以上の休業手当を支払わねばならないという規定がある。そして企業に休業手当の支払いが出来るように今回、大企業は支払額の4分の3、中小企業は10分の9の助成を受けられる、雇用調整助成金制度を一時的に拡充する措置がとられる。売り上げが5%以上減っても従業員を一人も解雇しないことが条件である。しかしその実施の日はなお遠く、厚労省は近く(?!)その詳細を示すという。私の危惧するところ、手続き面倒なこの助成を受けるくらいなら非正規労働者の人員整理を選ぶ企業も少なくないだろう。
②に対して用意されているのは一種の営業支援であって、売上げが今年1~12月で前年同月にくらべ50%以上減った月があった中小企業に限度200万円、フリーランスをふくむ個人事業者に限度100万円を給付するという。50%以上減った月の売り上げが1年続いたと仮定し、前年の売り上げとの差を上の限度内で給付する。経産省はこれから事務局を設置して電子申請システムを整え、申請を受け付ける。給付は早くても5月後半からであろう。これも手続きには時間がかかりすぎる。その上、個人事業のフリーランサーには、それまでの収入水準が不安定で、その確定・立証が困難な場合も多いだろう。いうまでもなく企業が推進してきた「雇用者」の(労働法の適用を受けない)個人事業者への置きかえが、その結果としてのギグ的・ウーバー型の働き方の普及が、ここにきて、休業がフリーランサーの受難に直結する状況を生み出しているのだ。ちなみに、都道府県によっては休業要請に際して支払われるという50~100万円の「協力金」は、上記の国レベルの営業継続支援とどこまで併用できるのだろうか?
朝日新聞2020.4.20付によれば、カナダでは、コロナの影響で仕事を連続14日失えば、月2000カナダドル(約15.4万)を 最大限4ヵ月、一律に(フリーランスをふくめて)支給される。フランスは、外出禁止直後に、売り上げが前年同月より7割減少した個人事業主や小企業に、月1500ユーロ(約18万円)を支給する。この7割はほどなく5割になり、倒産の危機にあれば月2000ユーロの追加もあって、結局5000ユーロに引き上げられた。そしてイギリスでは、3月末、休業になった雇用者やフリーランスに当面3ヵ月、最大限、平均の賃金・収入の8割、月2500ポンド(約34万円)が支給されるという。これまで伝統的に賃金に減額補填をしてこなかった新自由主義の政府の、それは画期的な政策転換であった。
もっとくわしい国際比較が必要であるとはいえ、以上を概括して気づくことは、私たちの国の(端的に言って)「コロナ補償」は、諸外国と同様にもう無視できないフリーランサー、ウーバー型労働者をいちおう包括するものとはいえ、充実にほど遠いままである。第1に、緊急事態宣言から2週間後にようやく実施の手続きをはじめたという著しい遅れを否定できない。第2に、その支給水準は乏しく、しかもイギリスのような継続的な支給が確定していない。そして第3に、手続きの過程に企業の雇用区分による処遇格差の評価が入り込むことによって、正社員以外の労働者が満額の支給から排除する可能性をふくんでいる。
そしてつけくわえたい――暦年の公共部門と公務員の削減が、医療現場、介護現場だけではなく、官庁・役所にも保健所にも人員不足を招いており、そうでなくても遅れがちなさまざまの申請の処理を、やむなくいっそう滞らせつつあるかにみえる。いくつか難しいハードルはあれ、この際、仕事や収入を失った非正規労働者、派遣社員、アルバイト、フリーランサーらを、いま不可欠な公共部門の補助労働に臨時雇用することも考えられてよいと思われる。いずれにせよ、コロナ感染という試練は、世界的な規模で「小さな政府」論を見直させ、公共部門の意義を再確認させるはずである。