戦争の危機――問われるべき国民意識 (2023年6月16日)

 戦後の日本人にとって憲法9条こそはすべての人倫の基礎である。幼少の頃からそう信じてきた私は80歳代半ばになったいまはじめて、日本は本当に戦争に巻きこまれるかもしれない、あるいは戦争を始めるかもしれないという不安にとらわれている。2015年安倍内閣によるアメリカに対する集団自衛権行使の約束と、岸田内閣による敵基地攻撃能力整備・軍備倍増の安保三文書の閣議決定を併せ考えると、専守防衛の原則をふみにじって日本が海外においてさえ軍事行動を起こす可能性は明かだからだ。それは過剰の危機意識でもたんなる杞憂でもない。

 だが、いっそう不安なのは、ふつうの戦争のできる国への歩みに対する国民の危機意識の希薄さや欠如である。世論調査は時期や設問タームによって変動するとはいえ、2022年から23年初夏にかけて、敵基地攻撃能力保持については賛成が56%、反対が38%であり、しかも若い世代ほど支持率が高い(朝日新聞23.1.6)。「防衛力強化」に関する質問では賛成は68%、反対は23%(読売新聞22.11.6)。憲法9条を改正して自衛隊を軍隊と明記することについては、賛成51%、反対33%である。女性よりは男性のほうがはるかに賛成が多いことが印象的だ(朝日新聞22.7.4)。国民は増税に反対するけれども、軍事費大拡大には抵抗するわけではない。その背景にあるものは多分、実に80%の人が賛成するという、覇権主義的な動きを示す中国を「脅威」とみる(読売新聞22.11.6)おそらく過剰の警戒感であろう。

 それにしても、少なくとも20%強から40%弱の国民はなお、以上の戦争準備に反対の立場である。問題は、この少数とはいえない反対勢力が、選挙運動以外の反戦・憲法擁護の社会運動を、力強い質量をもって展開できないでいることであろう。ここから思うに、いま諸組織のリーダー層は、1970年~84年生まれの40歳から50歳代前半のいわゆるロスジェネ世代である。91年~2001年の就職氷河期に社会に出たこの世代は、それからの生活の明暗が階層的にくっきり分かれる存在であるが、成功者も不成功者も、それぞれにその生活条件は自己責任とみなされるゆえに、厳しい選別のなか競争に生きてきた。その惰力は、連帯の労働運動や社会運動によって体制の構造を批判し、自己責任論を乗り越えてゆく発想をもたなかったことである。ロスジェネ世代は、その思想形成期にそのような連帯の運動の営みを経験したことも、みたこともないのだ。その世代が、今や、人びとが日常的に属する界隈――職場や地域や学校の保護者会や地方行政における小ボスである。この小ボスの卑俗な現実主義に支えられる慣行が、総じて強力な同調圧力を瀰漫させる。個人の受難を見過ごさず社会の構造的矛盾を指摘しようとする少数者は、KY、空気が読めないものとみなされ孤立させられることを怖れて黙り込むのである。職場での、労働組合の会議での、ボスの提案に対する批判の完全な欠如は、その典型的な姿にほかならない。

 では、このロスジェネ世代の子どもたちである10代、20代の若者の意識状況はどうか。青年男女は一見、体制に逆らわず競争社会に順応するようにとの両親の説教を無視するかのようにみえる。だが、現時点の学校では、社会の構造的矛盾や日本近現代史の暗部については教えられ、学ぶことはもうほとんどない。そればかりか彼ら・彼女らが日常的に属する教室がすでに強力な同調圧力の界隈なのだ。社会や政治の深刻な問題を友だちに語りかける若者は変わり者の「そっち系」として疎外される。そんななか、若者の間では、およそ社会を批判すること自体が、自己責任や自分の努力不足を忘れて他を責めるはしたない行為と受け止められているかにみえる。「中立」の名目をひとつ覚えとする教師もまた、この傾向に棹さしている。学校では、街頭の市民団体のビラを決して受けとらないように「指導」しているという。

 各地にみることができる、非正規労働者たちの、さまざまの被差別当事者たちの社会運動に私は希望を見いだす。だが、他の主要国とくらべれば、その厚みの無さ、若者参加の乏しさは否定できない。こうして私の日本の国民意識の評価は絶望に近づく。そしてこれ以上、私は議論を進めることはできないのである。
 とはいえ、労働研究の眼から見れば、50代になっても非正規労働者のままであり、ひきこもりも増えているロスジェネの不成功者も、ブラック企業のいじめと収奪に翻弄される若者も、苦しみの根源は労働問題にほかならない。その根源への挑戦はひっきょう企業の枠を超えた地域別、産業別、職業別労働組合によってしか果たされないだろう。働く人びとが、自己責任論の虚妄性に気づき、多様な労働組合運動の営みをはじめる日がきっと来る。それが市民運動と連携して<非戦・当事者発言権・侵されない人権>を掲げる護憲運動の器にもなる。その確信を私はまだ捨てていない。 

*(図版はマルク・シャガール「戦争」)