20233年1月の映画、中島みゆき賛歌(1月25日)

 新年になって劇場でみた映画のうち、惹かれた作品は、順不同で①『非常宣言』(ハン・ジェリム、韓国)、②中島みゆき 劇場版ライヴ・ヒストリー2』、③ペルシャン・レッスン 戦場の教室』(ヴァディム・パールマン、ロシア・ドイツほか)、④『She Said その名を暴け』(マリア・シュライダー、US)の4本だった。
 ①は、ウィルス・自爆テロリストの侵入による、文句なしに終始おもしろい韓国の航空パニックもの。③は、ナチスの強制収容所で、ペルシャ人と偽って、ペルシャ贔屓のヒューマンなナチ将校にでたらめのペルシャ語を教えることで生き延びるユダヤ青年のサスペンスに満ちた物語。彼は終戦直後アメリカ軍の調べの際、収容者の名簿記録が焼却されているいるにもかかわらず、ペルシャ語をでっちあげるために用いて記憶し暗記している収容者4000人もの名前を次々に挙げる。そこが感動的だ。信じられないけれど事実にもとづくという。また④は、ハリウッドの大物プロデューサーの女優やスタッフへのあくなきセクハラを、口ごもる被害者の心をついに開いて実名証言の記事にする、NYタイムズのふたりの女性記者ミーガンとジョディの困難な取材を描く佳作。この不屈の行動が、グローバルな Me too運動の先駆けになったという。ミーガンを演じるキャリー・マリガンの疲労と心労、決意と気概こもごもの表情の豊かさが実に印象的である。
 中島みゆきの2004年、07年、12年、15年、そして最後2020年の「ラストツアー」の4コンサートでの15曲の歌唱を映像化する②には、やはりもっとも魅せられた。『銀の龍の背に乗って』や『命の別名』の凛としたメッセージの力強さ。『with』『ホームにて』『蕎麦屋』などに流れる比類ない優しさ。『化粧』に聴く自虐の底からなんとか立ち上がろうとする気力。そして、孤立と絶望のなかにあっても生まれてきたことへの人びとの祝福を思い起こせとよびかける『誕生』。阪神大震災のあと、通勤途上の瓦礫の間を歩きながら、私はいつもウォークマンでこの名曲を聴いていたものだ。
 中島みゆきは、切望や落ち込みや気力喪失を「けれども」で大きく転轍して、玲瓏たる歌唱のサビの展開のうちに、明るさ、勇気、希望のよびかけにつないでゆく。彼女の歌詞がしばしば命令形とるのも、この前半の暗くリアルの認識ゆえに実に自然なのだ。この映画では、こうしたみゆきの美質がもっとも明瞭にみてとれる、私の原点ともいうべき『ファイト!』がなかったことだけが心残りだった。
 一見してなお少女風の中島みゆきも首筋や目尻にわずかに老いがほのみえる。そして最後近くに例外的にはさまれるリハーサル風景での素顔のみゆきは、もう優しいお婆さんのようだ。1952年生まれの彼女は2020年にはすでに70歳近いということに突然気づかされる。それでも「ラストツアー」では、むしろ少女風の衣装で『誕生』を絶唱する。これが最後のコンサート映像なのだろうか。文字通り半世紀近く彼女の数え切れないほどの歌に励まされてきた私はそこになぜか、老いてもあえて若きを演じる、世阿弥のいう「華」を感じて胸がいっぱいになる。ありがとう、中島みゆき、なお命長かれ。