プーチ・ダモイ!(2024年4月13日)

 ロシアの女性たちがウクライナの前戦に駆り出された夫や息子たちを返せという果敢な街頭キャンペーン、「プーチ・ダモイ」をはじめている。NHKの「クローズアップ現代」で昨夜、その報道に接して言いしれぬ感銘を受けた。
 彼女らは、動員は一定期間で交替するという当初の約束を容赦なく裏切られたのち、今やその要求を、民間人の動員の反対、ひいては軍事作戦をやめよという水準に高めている。このプーチ・ダモイに対しては、そして今のところ、権力も、従来の反戦運動に対するような過酷な暴力と逮捕の弾圧を控えているという。その理由は、権力側の政治アナリストによれば、前線の兵士たちは家族たちへの弾圧に憤り、戦線を離脱し、武器をもってロシアに帰ってくるかもしれないからだ。かつてのロアシア革命の勃発を連想させる、それは真に危機的な状況であろう。それに、もともと、家族の絆と国家への献身を結びつけて鼓吹してきたプーチンにとって、出征兵士の家族は敵視できないというジレンマがあるとも解釈される。
 とはいえ、プーチンはむろん、その要求がわかりやすく、潜在的には広汎な共感をよぶプーチ・ダモイの広がりを放置できない。その担い手にはじわじわと「沈黙せよ」との圧力がかかっている。それに、NET世界では、第2次大戦中に出征兵士たちをじっと待ち続けたロシア女性を讃える歌「カチューシャ」を高唱しながら戦争協力を訴える「カチューシャ」運動も始まっている。数的な勢力はさしあたりこちらのほうが多分大きいだろう。そうして迫り来る弾圧とプーチン万歳・非国民弾劾の空気のなか、プーチ・ダモイの中心的な担い手、小児科医で一人娘の母であるマリア・アンドレエワは「怖い」と言う。だが、彼女は言葉を継いで、この時代に私が何もしなっかったと思い出すこと、後に娘に「あのときお母さんは何もしなかったの」を聞かれることのほうが「もっと怖い」と語るのである。
 胸をつかれる。なんという勇気に支えられた平和と自由の希求だろう。ウクライナ防衛戦の暗澹たる風景のなか、プーチ・ダモイの広がりは、希望というもののささやかな発芽にほかならない。