研究史の初期、1960~70年年代から、私は「3M」(男性、肉体労働、製造業)への関心限定という日本労働研究への批判はまぬかれていたと思う。
勉強をはじめたころ、私は訪問・見学したいくつかの労働現場、東芝の汎用モーター組立、繊維工場の精紡・粗紡、総理府統計局の電子計算操作、電電公社の電話交換、あるいは銀行窓口などで、膨大な数の女性たちが、まさに基幹労働としての単純労働、清掃などの補助労働の不可欠の担い手として、この産業社会を支えていることを心に刻んだ。そのときふと思ったのは、なぜ彼女らは、このようにつづけてゆくことがしんどい単純労働や補助労働を引き受けてくれるのか、ということだった。イギリス労働社会学のある文献で、単純労働を続ける中年女性が「こんな仕事は男にはさせられない、気が狂ってしまう」と語るのを読んだときの衝撃を、なぜか忘れられない。その優しさと矜持にうたれたのだろうか? 分業の位階序列それぞれに「ふさわしい」とされる人びとを安定的に配置することが体制の不可欠の要請である。そう考えるとき、すでに雇用者の30%以上になっていた女性労働者の存在は、私にははじめから黙過できない考察テーマだったのだ。1972年の『労働のなかの復権――企業社会と労働組合』(三一新書)がすでに、この分業とジェンダーの関係、支配層の仕事配分にとっての女性の不可欠性を明示している。
とはいえ、その後の私は、この連載「その5~その13」にうかがわれるように、やはり男性中心の労働組合論と労働者像の考察にしぼっている。けれども80年代半ば、企業社会における労働者の受難の具体的な記述を重ねるなかで私はあらためて、分業配置論の枠組みを超えて全体的に女性労働の諸相をはじめてきちんと描く必要性を痛感するにいたる。こうして執筆されたのが、1984年の『歴史学研究』誌を初出とする「女性労働者の戦後」(『職場史の修羅を生きて 再論 日本の労働者像』筑摩書房、のちに『新編 日本の労働者像』ちくま学芸文庫、1993年に収録)である。この論文の執筆時には、近代以降の女性の歴史、ドキュメント、裁判記録、そして女性を活写する数多の小説を精読・乱読した。あれほど「女性」について多様で広汎な読みに耽ったのは研究史の上でも稀である。
この論文は、経営者の<受容の論理>と労働者の<供給の適応>をかみ合わせるという方法論によって、職場内外の性別分業に深く規定された女性の仕事、職場、意識、それまでの性差別に対する抵抗の戦後史を辿っている。<単純労働-低賃金-短勤続>という私なりの女性労働「三位一体」の状況把握や、<男は上位職務へ・女は家庭へ>という単純労働からの性別脱出ルートを定式化したのも、この論文においてである。もっともこの時期、すでに資本は、主婦パートの「活用」をはじめており、女子雇用者の有配偶比率は60%近くにもなっていたけれども、女性の非正規雇用化という、次の時代の最大の課題についてはなお十分に考察は及んでいない。
特記すべきことに、この執筆時、私は遅ればせながら田中美津『いのちの女たちへ――取り乱しウーマン・リブ論』(田畑書店、1972年)の洗礼を受けている。田中はマルクス主義の女性解放論が認識を階級対立に収斂させる惰力として、労働者階級のなかにも厳存する男の女に対する支配に盲目になる傾きを鋭く指摘した。一方、一部のエリート女性も「よき妻、よき母」の自覚もまた、男に評価されることを誇りとする「女の歴史性」のなかにある。こうしてリブ派は、人間として生きがたいゆえにぶざまに「取り乱す」無名の「ドジな女たち」に寄り添い、男社会を駆動する効率と差別の論理を撃つ「おんな」性を確立しようとする。
田中美津が語っているのはすべて本当のことだ。感銘を受けた。この立場の正当性は、後の新自由主義に対する対抗性においてもなお輝きを保つだろう。とはいえ、私見では、その情念の豊かさにも関わらず、リブ派は「無名の女たち」が生涯、担うほかない仕事についてはなにも語らなかった。おんなの論理の視野は、労働と職場のありかたに関する根底からの批判、生産点における性別分業の克服論、男と女の新しい協同のイメージにはいたらなかたようである。リブ派はまじめなキャリアーウーマン、仕事に後ろ向きの事務OL、働き者の主婦パート、総じて単純・補助労働を「被差別者の自由」をもってやりすごす女性たちを、それぞれどのように評価し批判するのだろうか。正当にも無名の女たちに依拠することと、悲劇的にも労働のイメージを欠くことの矛盾に立ちすくむのは、どこまでも労働ということに執着する私のみだろうか?
それからおよそ15年後に刊行された『女性労働と企業社会』(岩波新書、2000年)は、この枢要のテーマをめぐる私の再度の挑戦の試みであった。
その15年ほどの間には、能力主義管理の進行に連動した男女雇用機会均等法とその改正、やがてその比率が50%を超えるまでの女性労働者の非正規雇用への集中、しかし他方では住友三社のヴェテランOLたちの仕事内容・昇格・昇給の性差別に抗う裁判闘争の展開などがあった。これまでの性別役割分業と企業内の性別職務分離の大枠はなお「健在」ではあれ、その変容は明かであった。
そんな変容を汲んで2000年の著書は、広く「企業社会のジェンダー状況」、「男の仕事・女の仕事」(性別職務分離の論理と実態)、「女性自身の適応と選択」、「ジェンダー差別に対抗する営み」を網羅している。それらの内容の詳細は省略するほかはないけれど、分析視角として、私が重視したのは、その1には、能力主義管理・改正雇均法のもとでの女性労働内部の階層分化であり、その2には、上の分化に応じた女性労働者の主体意識、労働観・生活意識の多様化であった。それぞれ一枚岩の<男VS女>の時代ではもうなくなったのである。
その1。企業は雇均法を梃子に、従来の性別待遇の非効率性を克服する能力主義管理を一挙に進めようとしていた。能力主義管理とは、「人材」として「だめな男とできる女の交換」にほかならない。こうして、「ぱっとしない」中高年男性がそれまでの優遇の特権を失うとともに、高学歴の意欲的な女性の一定層が総合職や専門職として台頭するようになった。「一定」というのは、新時代でも、住友三社の裁判の軌跡が明らかにしたように、総じて女性の能力発揮の機会や条件がよく整備されたとはなお言いがたいからだ。しかし女性はすべて単純労働や補助労働に閉じ込める企業の慣行は崩れた。仕事そのものにやりがいを感じる「エリート」女性が増えつつあったことは否定できない。
とはいえ、この新しい労務管理は、従来、「高望みすることなく」それなりに安定的に単純労働や補助労働を担ってきた正社員OL層を、派遣・契約などの非正規雇用者のグループに追い込む。この層に、家事・育児・ケアとともに家計補助の収入は確保する多数の主婦パートを加えて、しばしば貧困を強いられる下層女性労働者が、ここに累積することになる。もとより、上述のエリート層よりは、このノンエリート女性労働者層のほうが遙かに分厚い存在なのである。
その2。エリート層のうち、それほど仕事の効率性は問われない対人サービスの専門職の場合をさておけば、事務・企画・営業などの総合職に勇躍し進出した女性たちについては、その意識は能力主義的競争の肯定であり、「もう男だ、女だって言ってる時代じゃない」、性差別はすぐれて学歴や能力や「やる気」の違いから来ると考えがちだ。確かにこの時代の性差別は、基本的には性差そのものよりも能力主義的選別が生み出すものになったとは言えよう。女性エリート層はむろんジェンダー差別に批判的だ。だがその反差別は、上野千鶴子/江原由美子編の『挑戦するフェミニズム』(有斐閣、2024年)が、現時点の課題としてグローバリゼーションとともに批判の対象とする新自由主義的フェミニズム(リーンイン・フェミニズム)に傾斜する。また同書に寄稿する金井郁が、課題とするのは、「能力」の機会と内容の内実を問う日本企業の能力主義管理への批判にほかならない。
一方、多数派のノンエリート女性労働者層は、やはり、次のような「新性別分業」システムのうちに閉じ込められている。
【男性】①主に正社員/②長期雇用と昇給と相対的高賃金/③長時間労働/④主として総 合職・管理職/⑤仕事態様の柔軟性/⑥家事・育児・介護の免除】
【女性】①非正規用の高い比率/②短勤続・昇給の停滞または欠如・低賃金/③家庭の事 情で「選べる」労働時間/④主として単純労働または補助職/⑤雇用量の柔軟性(企業 都合の雇用調整)/⑥家事・育児・介護の義務――加えて家計補助の稼ぎ】
上の定式の「主として」という部分に旧体制のいささかの揺らぎは認められるかも知れないが、なおジェンダー差別の牢固たる厳存は疑いを容れない。あまりにも過酷な個人の体験は司法や行政によって救われることはあれ、非正規雇用者の比率が高い彼女らは、ジェンダー差別に挑戦する労使関係的または社会運動的な方途をもたず、可能なかぎり<被差別者の自由>を求めながら、総じて鬱屈の毎日を過ごしている。エリート層とは異なり、ノンエリ-ト女性にとっては「いつになっても男は男、女は女よ」というのが実感なのである。
くりかえせば、ノンエリート女性たちは、家庭では家事・育児・ケアの圧倒的割合を引き受け、ある「息抜き」にはなるという職場での底辺作業を担う。家庭と職場を貫くこの性差別がなお日本の企業社会にとって枢要のものであることを彼女らは覚っている。だが、さしあたりどうしようもないのだ。2000年までノンエリト女性の意識を探ってきたあげく私には結局、彼女らは家庭でも職場でも「私が今ここで耐えればとりあえずすべては収まる」という、いわば我慢を心ばえに生きているように思われる。その「我慢」はおそらく、なお「ガラスの天井」を痛感するエリート女性層にも共有されているはずである。
それからすでに四半世紀を経た現在まで、さらにいくつかの状況変化があった。その結果、プラス・マイナスを差し引きして、女性の生活はさらに厳しくなっているように思う。
家事や育児やケアを顧みない男性サラリーマン規範が揺らぎはじめたことはある。けれども、より決定的には、昇給停滞ばかりか非正規雇用化が、女性に留まらず、男たちの職業世界にも広く深く浸透し、女たちを差別するかわりにそれなりに保護し扶養してきた男たちの経済力が著しく減衰した。経済的な理由による未婚率の高まりや単身世帯の増加もその反映である。一方、男たちの貧困化にもとづく焦りと鬱屈は、核家族の内部にも新たな緊張を醸しだし、DVの激増や育児放棄や離婚の増加をもたらしている。
このような社会と家族の内部的な変化によって、女性の働く主たる目的が、従来の家計補助から家計支持に変わった。シングルマザーを典型例として、今や女性は自分の稼ぎで食ってゆかねばならなくなったのだ。だが、労働運動の衰退もあって、ひたすら非正規雇用の拡大に奔る企業が許す賃金は、そのような女性の生活ニーズに応えるものではなかった。結局、以上の総結果は、ノンエリートの女性労働者を代表とし、冴えない男たちの大群に取り囲まれる、貧窮に喘ぐ広汎なワーキングプアの累積であった。
上述の新性別役割分業における「我慢の心ばえ」も、もう限界に来ている。もう我慢することはないのだ。ペイエクイティ・同一価値労働同一賃金、非正規雇用の「入り口」の法的規制、ケアワーカー=エッセンシャル・ワーカーの労働条件保障、企業の枠を超えた非正規労働者の組合結成と団体交渉など、状況に憤り、頭(こうべ)をあげて要求すべき課題はもう出そろっている。 けれども、なによりも前提として不可欠な課題は、ノンエリ-ト女性と、今や企業社会の特権的な保障を失ったノンエリート男性とが、協同・共闘する思想と組織を構築することにほかならない。
注記:『女性労働と企業社会』は、小森陽一、成田龍一、本田由紀の三氏によって、戦後10年ごとに3冊の岩波新書を選んで評論する企画の「第6章 1995~2005年」に取りあげられ、その思想性や状況と個人の体験とを往還する筆致に及ぶ、懇切な「鼎談」に恵まれた(『岩波新書で「戦後」を読む』(岩波新書、2015年)。労働研究ではなく、文学史、近代史家、教育社会学を専門とする方々からまことにゆきとどいた理解をいただいたことは、「書評体験」のなかでもとりわけ心の躍るものであったゆえ、あえてここに紹介したい。