2015年頃、私はもう新しい労働研究はできないと覚っていた。それでも、表現意欲はなお執拗だったというべきか、その後2023年までに4冊の著書を刊行している。市場性はいまひとつながら、「老いてからの子」のように、最晩年の4冊への私の愛着はつよい。広く読まれたいという願いもあって、HPに17回まで連載した「労働研究回顧」の補論のかたちで、あらためてみずから紹介を試みたい。
1,『過労死・過労自殺の現代史――働きすぎに斃れる人たち』
(岩波現代文庫、2018年)
これは過労死・過労自殺という、企業社会に生きた人びとの極北の受難を、個人の職場体験の細部に及ぶ再現を通じて描いた2010年の『働きすぎに斃れて――過労死・過労自殺の語る労働史』に、あとがきとその後の事例検討を書き加えた文庫本である。この大著は、終章において、過労死・過労自殺の悲劇をもたらした重層的な要因を、ベースとしての日本企業の労務管理、行き届かない労働行政、そしてやむなく「強制された自発性」に殉じた労働者の孤独・・・という順序で多面的に考察している。とはいえ、総括の分析は帰納法的であって、この本の内容はまずは、克明な裁判資料(判決や公判記録)とか当事者の記録とかを主資料とした、約60人の労働者の死に到るまでの職場生活の軌跡を細部にわたって再現する物語にほかならない。彼、彼女はなにに苦しみ、どのようなはかない望みを.抱いたのか。また無念の遺族たちはどのような心の葛藤を経て告発に到ったのか。これは、この悲劇に責任を負うべき企業労務やシステムを告発する重層的な分析であるとともに、なんらかの事情でやむなく死の臨界に赴いた数多の労働者たちへの鎮魂の書ということができる。
私は2010年の原本をを研究史後期の代表作と位置づけており、それだけにこれが「現代の古典」とも称される岩波現代文庫に収められることはこの上ない喜びであった。今でも、死者たちひとりひとりのどうしようもない心身の疲弊の悶えや遺族たちのふかい悲しみを伝えるエピソードのあれこれを、メモなくしても語ることができる。もし著作1冊を自薦せよと言われるならば、それは文庫本『過労死・過労自殺の現代史――働きすぎに斃れる人たち』といえよう。
この書は、一章と終章において、時代の変化を反映し時期を追って展開した私の労働研究のテーマ、問題関心、方法意識、仕事を支えた個人生活の体験、学会・労働界との微妙な遠近関係などを語っている。中間の諸章には、2010年~13年にかけて雑誌「POSSE」に連載した現代日本に枢要の労働問題11項目についての凝縮的な筆致の小論文、これも長年の問題意識の一角にあった「公務員バッシング対抗論」が来る。そればかりか続いては、内容はかなりアカデミズムを離れ、ホームページ・エッセイ集「労働・社会・私の体験」、23冊の書物の紹介と批評、「スクリーンに輝く女性たち」と題する14本の映画評論がある。ふりかえれば、四日市での市民運動参加、研究会「職場の人権」との深い関わりの軌跡、時代の深刻な問題への発言、感銘を受け、なにかを教えられたた書物や映画の評論など、すべては語るに値するものとは思うけれど、それらはしょせん個人的な精神史に関わる体験であり、やはり気恥ずかしい思いはどこかにある。
著名人でもなく、波瀾万丈の人生でもなかった私という一介の研究者にフォーカスしたこのような著作がどれほど世に迎えられかは心配だった。しかし私は、ひとりの女性編集者の思い切った企画の提案に舞い上がってしまったのだ。体裁のユニークなこの本は、案の定、論壇ではほとんど注目されなかった。けれども、これまでの私の著作に親しんでくださった方々からは、アマゾン・レビューなどにおいて、心の踊るいくつかの感想・評価に恵まれた。舞い上がってよかった。今はこんな本を刊行することができた幸せをしみじみ思うことである。
以上の2冊は、それでも出版社・編集者の要請に応じた刊行である。しかし、以下の2冊は、友人たちの支援と協力があったとはいえ、誰よりも私自身が出版社を模索せざるをえなかった難航の刊行であった。
3,『スクリーンに息づく愛しき人びと――社会のみかたを映画に教えられて』
(耕文社、2022年)
2015年~21年にかけて、私は国公労連編集の『KOKKO』誌に、同じタイトルで映画評論を連載した。青春前期から長らくスクリーン上の人びとの佇まいを思想形成の一つの素材としてきた私にとって、それは楽しい仕事であった。
その連載で私が試みたのは、『万引き家族など』一作をくわしく論じた章もあるけれど、主として用いたのは、いま評判の新しい名作・佳作を、同じようなテーマを扱う、または別の国や別の映画作家の、あるいは同じ監督の旧作も紹介しながら、両者の違いやその背景になる時代の変化を論じ、そこから社会と思想の課題を導くように叙述する方法であった。例えば、章のタイトルでいえば、「山田洋次が見失ったもの」ではこの巨匠の1960年代の秀作に対する80年代以降の作品のものたりなさを、「引き裂かれた妻と夫の再会」では中国の『妻への家路』、フランスの『かくも長き不在』、アメリカ『心の旅路』を、「日本の女性の半生・淡彩と油彩」では、『この世界の片隅に』と『にっぽん昆虫記』を、「アンジェイ・ワイダの遺したもの」では、『残像』と『カティンの森』を、「兵士の帰還」では『ディア・ハンター』、『我等の生涯の最良の年』、『ハート・ロッカー』を、「ホワイトカラーの従属と自立」では、アメリカの『アパートの鍵貸します』と日本の『私が棄てた女』を、多方面から比較して観賞するというわけである。
社会科学の徒であり映像芸術論には疎い私の作品選択は、どちらかと言えば、社会派の物語、その視点をもつシナリオへの肩入れに偏しているかもしれない。けれども、映画は事実としての社会や歴史を教材として学ぶものではない。なによりも、すぐれたフィクションがつきつける真実としての、生身の人間の心の揺れを掬うものだ――そんな観賞態度は貫かれていと思う。たかが映画の絵空事! と一蹴できない興味ぶかい語りになってるはずである。
だが、そう自画自賛しても、映画評論の本は数知れない。映画評論家としては無名の私が書いた『スクリーンに息づく愛しき人びと』が刊行されるまでは、ことのほか難航であった。それでも友人たちの尽力があって、どうにか自費負担はまぬかれるかたちで、関西の耕文社からの出版にこぎつけることができた。そのうえ、いっそうたくさんの友人たちが、出版条件であった自己買取分100部ほどの販売促進にも協力してくださった。広報も乏しく販路はなお狭いようである。しかし、ある読者の感想では、これはおもしろく、「泣き笑いの向こうにみえるもの」を透視させる含蓄ある映画の本であった。
4,『イギリス炭鉱ストライキの群像――新自由主義と闘う労働運動のレジェンド』
(旬報社、2023年)
1984年~85年のイギリスにおいて力つきるまで新自由主義の旗手マーガレット・サッチャーの大規模な閉山・人員整理の強権行使に粘り強く抗った炭坑夫たちのことは、いつか書き残したいと長らく私は思い続けていた。83歳にもなってもう新しい研究の余力はないと見通した22年春、長年の負債を返すような気持で、私はこの大ストライキを記述する決心を固めたのだ。それ以降、甲南大学退職時以来15年以上死蔵していた何冊かの英文の関連文献を精読し、詳細なノートや年表をつくり、レジメの構想にもとづいてエピソードを配置するという心労多い作業に入る。もうかつてのように週6日、午前も午後も働くことはできなかったが、年末の執筆完了まで、いつもストライキの群像を正確に描いているだろうかが念頭をさらず、たびたびの早朝覚醒にも襲われた。いわば「残存能力」のすべてを注いだと思う。
なおこの間、もと筑摩書房の熟達の編集者・岸宣夫さんのアドヴァイスに従って、今なぜこのストライキを語るのかを明瞭に示す序章を書き加えている。また研究者の次男・透による、前著映画本に引き続く人名や地名の表記についての細かな校閲も、老いのボンミスも少なくなかっただけに、きわめて有益であった。出版の努力は、テーマや販路など諸般の事情ゆえにいくつかの出版社で実らなかったけれど、ついには労働関係の出版で伝統ある旬報社の英断に恵まれた。おそらくこれが私の最後の著書となる。
この本は、最後の2章ほどで、炭鉱労働組合のいわば必然的な敗北の理由を分析する。ついで体制論的・思想的な総括として、敗北は喫したとはいえ、坑夫たちの産業内行動(ストライキやピケ )への執着が競争至上を旨とする新自由主義に対抗することの決定的な意義を述べ、けれども一方、徹底した産業民主主義の追求が引き受けなければならない体制にとっての課題を考察している。そこは、『国家のなかの国家』(1976年)以来の私自身の労働運動思想の総括でもあった。
けれども、主内容である1章~6章は、1年にもわたるストライキの軌跡の物語だ。権力側では、炭鉱労働組合を完膚なきまでにたたきのめそうとするサッチャー政権の周到なスト対策と毅然たるアンチ・ユニオニズムの姿勢、石炭公社の硬軟織り交ぜたスト破り優遇措置と「復職運動」、裁判所による刑法上・民法上の懲罰、そしてくりかえす警察の暴力と逮捕・・・。これに対抗して労働側は、「非合法」を辞さずピケットラインを護持しようとする警官側のそれとは非対称的な貧弱な「武器」によるバトル、坑夫たちの体を張る強靱な連帯、家族たち・女たちの不屈の共闘、炭鉱コミュニティの身銭を切る助け合い、全英規模または国際的な支援の広がり、組合諸機関での炭鉱労働組合支持とそ逡巡に揺れる論争、迫り来るあまりにもきびしい困窮・・・。しかし最後にはついに、坑夫たちは、閉山の最終決定に関する労使共同決定の保障を獲得できないと見定めて、組合旗を戦闘に整然と職場に戻るのである。義理堅い坑夫たちの「ラディカルな保守主義」の人間像、逞しい女たちの炭鉱ムラ的フェミニズムの台頭にも、私は深い関心を寄せている。
「細部にこそ神は宿り給う」とか。闘いの軌跡の描写は細部に及び、多くは固有名詞をもつ無名の男たち、女たちのエピソードをもって綴られる。個人を凝視することこそ、私の伝統の分析作法なのだ。この本を読んだ人はしばしば、サッチャーのあくなき強面やピケ上のバトルの流血に驚き、炭鉱ムラの創意に満ちた助け合い、懸命のカンパ活動によって行われたクリスマスパーティでの子どもたちの弾ける笑い、涙をこらえて粛々と歩む最後の復職マーチなどに胸を熱くしたと感想を語ったが、そう、それら大ストライキのなかのリアルな労働者の具体的なありようこそ、私がもっとも読まれたかったところであった。
この本は、労働史研究としては文献も限られていて弱点も多いことだろう。また、合理的なリアリストからみれば、この「イエスタディ・バトル」を描く私の叙述のスタンスはいわば「時代遅れ」であり、産業民主主義への思い入れは過剰にすぎると感じられるだろう。そうかもしれない。だが、ひたすら政策の成否を重視する現実主義者たちは問うべきであろう――なかま同士の競争が熾烈化し格差が拡大する新自由主義が後退を見せず、インダストリアル・アクション(ストライキやピケ)に具現化される産業民主主義が徹底的に衰退している、例えば現代日本の現実をみるとき、私のような議論は本当に時代遅れだろうか?2025年の今、労働研究からほぼ完全に引退した私に、『イギリス炭鉱ストライキの群像――新自由主義と闘う労働運動のレジェンド』を最後の著作としたことに悔いはない。



