孤独死・覚え書き

(1) 孤独死――重なり合う要因 

 現役世代の受難の極北が過労死・過労自殺とすれば、高齢者の悲劇の極北は、誰にも看取られずに死に、遺体の匂いによって後日はじめて隣人に気づかれる孤独死である。
 警察庁によれば、2024年1月~3月にひとり暮らしで亡くなった人は2万1716人であったが、うち65歳以上は78%の1万7034人。年換算では約6万8000人になるという。
孤独死の事例はむろん高齢者に限られない。今では孤独死者の約23.7%は、たいていは無職・独身の15~64歳層なのだ。しかしやはり、その比率は、60代後半で10%、70代前半で15.1%、70代後半で15.9%、80代前半で14.9%、そして85歳以上で20.1%になる(朝日新聞25..2.23)。それはすぐれて後期高齢者の悲劇である。
 孤独死は、現時点の日本のくらい状況が複雑に多様に絡み合った枢要の社会問題のひとつにほかならないと私は感じる。以下は、その原因の連関などを考えてゆくときの、多くは数値的なデータを省略した素人のおおまかなメモにすぎない。

 個々の孤独死の原因は実にさまざまに異なり、安易な一般化を許さない。それでも、多様のなかの共通因をあえて求めるなら、その主要因は、重層的で相互補強的な次の三つということができよう。
 その1は、なによりもまず、孤立、人間関係の徹底的な稀薄化である。
 周知のように現在の世帯構成では単身世帯が最大多数を占める。仮にそう呼ぶなら「孤独死者」は、配偶者と離死別、次世代との別居、相互の音信不通の状態にあるのが一般的だ。まずもって弱者を抱擁する家族との紐帯がない。そのうえ、地域との社会関係もほとんどもたない。困っている人には手をさしのべたいと思う隣人や地域包括支援センターの職員や役所の担当者は少なくないけれど、ひとつには、「困っていることを知られたくない」という当人のプライド(Help Me!と言いたくない自意識)、もうひとつには、それでもあえてそこに踏み込んで声をかけることを隣人や役所スタッフにためらわせるある種のプライヴァシー尊重意識があって、見守りには限界がある。結局、孤独死者はおよそアドバイザーなきままなのである。
 その2。孤独死の臨界にいたるころ、彼ら、彼女らはほぼ確実に体力も気力も喪失している。おそらく、持病の悪化、感染症の罹患、栄養失調、極度の倦怠感に苛まれていたのではないか。それなのに、いくつかの報道によれば、孤独死者は近くの医院に赴かず、猛暑にも厳寒にもエアコンをつけず(あるいはエアコンは壊れたままで)、ほとんど寝たきりで死を迎える。
 その3。このような生活の佇まいには、かなり以前からの貧窮が深く関わっている。無職の後期高齢者の年金額や金融資産の程度はもちろん千差万別であろうが、孤独死者の多くの収入は、職歴が就職氷河期このかた激増した非正規雇用やささやかな自営業であれば、厚生年金・共済年金ではなくわずかな国民年金のみであり、生活費の不足を補填する貯蓄も底をついている。その貧窮が、例えば食事をカップラーメンだけにし、電気代が心配でエアコン使用を控え、医者にかかることを控えさせる。脚や膝が悪くてあまり歩けず、交通費支出もためらわれるからだ。もちろん身の周りの世話をする家政婦を雇うことなど論外なのである。死者の傍らの財布には150円の現金しかのこされていなかったという報道もある。
 その4。現代日本における公的支援の現状にも注目しよう。まず公的扶助としての生活保護では、「本当に働けない」ことや家族援助の不可能性の証明が容易ではない。地域の役所の職員には受給者減らしのノルマさえあって、窓口規制が厳しい。国際比較すれば捕捉率(受給すべき生活水準の人に対する実際の受給者の比率)が極端に低いのである。
 各市町村の「地域包括支援センター」はむろん、孤独死者の「潜在的予備軍」の訴えを聴きとることはできる。介護保険サービスの受給を可能にする要介護認定基準について私の知見は乏しいけれど、確かなことには特別養護老人ホーム、老人病院、グループホームなどの数は僅少で、入居・入院はとてもむつかしい。それに、体力と気力がひどく衰えた後期高齢者は、サービスを求めて公的機関にアクセスすること自体がふつう困難である。それゆえ、オンライン利用をふくむ申請書類の作成を助け、諸機関に同行して申請を手伝う、ノウハウに疎い後期高齢者に寄り添うグループが絶対に必要なのである。フードセンター、貧困対策の「もやい」、地域ボランティアグループ、労働相談に応じる公式労働組合組織、コミュニティユニオンなどに期待されるところは大きい。
 ここで「孤独・孤立担当大臣」を任命し、孤立化対策において先進的なイギリスの場合を瞥見すれば、この国では、「孤独対応戦略」のなかに、現役職業人それぞれの責務を位置づけている。最初に患者を診るかかりつけ医は、身体的病状の背後にある孤独、貧困、借金苦などの社会的要因をつきとめ、担当行政機関や地域の支援グループや法律関係者に連絡・紹介するよう求められる。郵便配達員は配達区域での孤立の見守りを通常業務の一環としなければならない。学校の教師は、人間関係を学ぶ教育の中に孤独問題を取りこまねばならない・・(インターネット情報2021年8月、明治安田総合研究所「調査レポート」)。それはもうひとりの「ダニエル・ブレイク」を生むまいとする努力ということができる。 
 私たちの国の孤立死者の「予備軍」においては、家族の紐帯の喪失、地域内での孤立、体力と気力の著しい衰え、際立った貧窮、とじこもり――それらが相互に連関・補強しあっている。「誰の世話にもならない」プライドはあっても、広義の社会に関わって生きてゆく力はない。こうして1年に6万8000人が、病死、衰弱死、あるいは餓死を迎え、長く気づかれることなく腐敗してゆく。それは自棄的な緩慢な自殺だ。また、あえていえば社会的な殺人ということさえできる。人口高齢化と格差拡大のなかおそらく確実に増えてゆく孤独死をもう放置できない。  
 ちなみに最近では、ひとりの孤独死のみではなく、老夫婦または片親と子の「同居孤独死」も頻発しているという。ここでは、その要因はひとり孤独死の場合と多くは共通するとはいえ、また別の問題も潜んでいる。(2)では、この領域に立ち入ってみよう。

(2)「同居孤独死」の光景

 最近になって増加しつつあるという「同居孤独死」とは、高齢の老親が死亡していたのに、なんらかの事情で、何日か何ヶ月もの間、同居人がその死に気づかなかった、またはその死を知りながら関係各方面に伝えなかった事例である。その報道は衝撃的であり、まことに寒々とした印象をひきおこす。
 もっとも、老夫婦ふたりが相次いで人知れず亡くなる場合もある。その多くはいわゆる「老老介護」の不幸な結末であろう。介護する妻(夫)のほうが先に死に、認知症や重篤で寝たきりの被介護者がなすすべなく後を追うこともある。しかし、被介護者の配偶者の命がつきたあと、パートナーもまた生きてゆくいっさいの気力を失って、死者の傍らに寄り添って死を待つこともあるだろう。長年のパートナーの懸命の介護のみがひとり残された者の唯一の生きるよすがだったからだ。病死であれ餓死であれ、それは生きる力を喪失し、生きる努力を放念した人の従容たる自死のごときものである。それは悲劇ではあれ、まだしもわずかに救いのある選択であることを、私は十分に肯うことができる。
 もちろん、ひとり孤独死の場合と同じく、ここにも、自分たちの生活が精一杯の子どもたちや親族との疎遠な関係、地域社会での孤立、介護ゆえ重なっていた心身の衰え、きびしい貧窮、それでも国や他人の世話にはならないというある種のプライド、そしてふたりの記憶の世界への閉じこもり・・・という、相互に連関・補強しあう要因が背景にある。社会的には、ふたりながら孤立していたのだ。にもかかわらず、福祉行政がともすれば、「要介護者」でもなく同居なのだから「まだ大丈夫」とみなしていた事情も否定できない。

 息子や娘などと同居しているのに不幸な死を遂げるケースもある。私はかつて、48歳の息子と同居していたさいたま市のもと大工・佐藤孝夫(76歳、仮名)が、2010年8月、熱中症で死亡した事件を記述したことがある(『私の労働研究』堀之内出版、2015年所収)。彼らは、収入は月に7~8万円の孝夫の年金のみ、家賃5.5万円でぎりぎりの食費、電気もガスも電話も解約、自転車でまとめ買いした食品のカセットコンロでの煮炊き、エアコンも冷蔵庫も稼働なし・・・という貧窮のなかにあった。生活保護申請も門前払いだった。そうした深刻な状況を、高齢者の貧困や格差に関する一般資料の数値も参照しながら、かなりくわしく分析したものである。
 私がとりわけ注目したのは、15年来、失業または無業だった同居の息子・満夫のことだ。彼は前職の運送会社ではトラック運転手であり、その過重労働ゆえにひどく腰を痛めたが、企業内での職種転換はなく、95年頃に30代前半で退職せざるをえなかった。その後は雇用情勢の悪化のなか、腰痛症を抱えた40代の満夫は、非正規雇用でも再就職の機会に恵まれなかった。こうして彼は、空しい求職活動をくりかえしたあと、気力を失って無業者になり、父の乏しい年金にパラサイトするに到っている。
 佐藤孝夫は満夫に看取られて死に遺体も放置されなかった。その意味では、このケースは同居孤独死ではない。しかし私がもう15年も前の佐藤親子の体験を再現したのは、こうした事件はとても過去のこととは思われないからだ。それどころか、佐藤親子の軌跡は、その後、広く普及してメディアに注目されるようになったいわゆる<80・50問題>の先駆であり、その最も暗い側面の現れにほかならない。しばしば同居孤独死の前提となる<80-50問題>に、ここでしばらく立ち入ってみよう。

 <80・50>という世帯の類型のひとつは、配偶者と離死別した70代~80代の親と、シングルで無職の50代前後になる息子や娘との同居である。息子や娘は仕事を失っているか、または老親の介護のため「介護離職」している。親に潤沢な資産がある例外的な場合を別にすれば、唯一の収入源は老親の年金であり、たいていはひどく貧しく、外出や文化の享受にみる生活範囲はきわめて狭い。老親の身体の自由がきかない場合はいっそうそうだ。上述の佐藤親子のように、それはふたりながらのひきこもりに近いのである。
 その背景には、就職氷河期以来、団塊世代のかなりの部分が体験した不遇の職歴がある。例えば非正規雇用であれば「介護休業」の取得もむつかしく、ブラック企業の社員であれば過重労働からくる心身の疲弊が稼げる仕事への再挑戦の気力を奪っている。ともあれ、当面の老親の介護は、あるいは職業生活よりも生きがいのある、愛を感じる日々かもしれない。とはいえ、ふたたび佐藤親子を顧みてみよう、父・孝夫を死に到るまで看取ったあと、息子の満夫は立ち直ってまた社会に復帰できるだろうか? 孤独死の予備軍になってしまうことはないだろうか? 介護した老親の死後、息子や娘の一定部分が、求職活動なき無業者、「ミッシング・ワーカー」にうずくまってしまうという。その数およそ103万人という勢いである(NHKスペシャル取材班『ミッシングワーカーの衝撃――働くことを諦めた100万人の中高年』NHK出版新書、2018年)。

 <80・.50>のもうひとつの類型は、配偶者と離死別した老親と、たいていは有職でそれなりに独自の生活を営む息子との同居である。この類型では、経済的な貧窮はさほどではなく、介護の負担もなく、親と子は別室で、日々の密接なコミュニケーションなく暮らしていることが多いようだ。息子は中年層に限られない。しかし、ここにこそ、同居孤独死のもっとも荒涼たる風景が展開する。 
 2017年から2019年の3年間、東京23区、大阪市、神戸市では、高齢者550人の死が4日以上知られなかったという(日本経済新聞2021年6月13日)。なんというふれあいの断絶だろうか。息子は老親が死んだことを知らなかったのだ。いや、おそらくより多くのケースでは、息子は立ちこめる腐臭によって老親の死を知りながら、知らせなかったのだ。
 小林政弘の監督・脚本の映画『日本の悲劇』(2013年)にみるように、親の年金支給の途絶を怖れて息子がその死を隠していたということもある。けれども、親の遺体放置の事件は、このように短絡的ながらもある「実利的な」判断によるものばかりではあるまい。 完全には理解し納得することができないけれど、報道を参考にすれば、私はこのように推測する――同居の息子(娘の場合は少ないように思われる)は、老親の死という取り返しのつかない事態に遭遇して、まもな判断ができない心理状態に陥り、うろうろするばかりなのではないか。彼は呆然として、すぐにどうしていいかわからず、帰宅を避けたり、娯楽施設に入り浸ったりして、親の死なんて(本当はあり得るのに)あり得なかったことのように心を装い、判断を中止して数日を彷徨するのではないか。犯罪者の「心の闇」と言われるけれど、こうしたビヘイビアに奔らせるのはむしろ非情の「心の空白」である。
 ともあれ、一時的にせよ、このように意識的に親の死を念頭から去らせることができるのは、もともと老親は何者でもない、ただ自分とは無関係の厄介な存在とみなしていたからであろう。現代日本の家庭の崩壊の極北では、親子の絆はここまで無化していたのだ。その荒涼たる光景にあらためて慄然とする。しんしんと心が痛む。いま86歳の私にはそして、この日本の空気のなかで生きている限り、孤独死・同居孤独死の悲劇さえも、自分にはまったく無縁のこととは思われない。