2月5日、労働弁護士の第一人者、宮里邦雄さんが逝去された。享年83歳。ほぼ55年の長きにわたって差別や抑圧に苦しむ労働者に寄り添い、その救済に献身されたみごとな一生だった。またひとり、同世代のかけがえのない知己を失った。哀惜の念ひとしおである。
宮里さんは、戦後日本の労働史のうえで代表的な多くの労働事件を手がけ、日本企業の特有の思想・信条、組合活動の弾圧、企業の一方的な「能力」評価や雇用施策などによる労働者への差別的抑圧を打破することに、大きな足跡を残された。宮里さんの弁護で不当労働行為を逃れ、また元気に働けるようになった労働者は本当に数多いと思う。
1982年に始まり、93年の会社側の控訴取り下げによって勝訴が確定した「東芝府中人権裁判」。その支援に関わった私は、いま頻発するパワハラに対抗する先駆となったこの裁判闘争において、法廷の主役であった宮里さんの盟友であった。そこでの宮里さんの弁論と、原告上野仁と少数の仲間たちの営みが、その後の私の「職場の人権」への凝視を導いている。最近の全国建設一般連帯労組・関生支部への常軌を逸した弾圧の抗する運動でも、私は宮里さんと戦友になることができた。
どちらかといえば童顔の宮里さんは法廷での鋭い舌鋒を想像できないほど、柔らかく優しい表情と語調の方だった。東京の宮里さんとはそれほど個人的な交流はなかったものの、お会いすれば親友のように歓談することができた。当時「日本」でなかった沖縄から公費留学の秀才として東大で学ばれた宮里さんは、ある意味でその「恩義」を忘れず、生涯<For the People>に生きたのだと思う。
晩年の著書『労働弁護士「宮里邦雄」55年の軌跡』(論創社)を繙けば、宮里さんは私と同様に映画ファンで、青春期以降、感銘を受けた作品も多くが共通している。それゆえ昨年4月、私は映画評論の新著『スクリーンに息づく愛しき人びと』をお送りしたが、事務所の方の簡単な礼状を受けとっただけだった。今思えば、宮里さんは、死因となった大脳皮質基底核変成症という難病のさなかだったのだと思う。病苦は9ヵ月ほどは続いたと推測する。その間、好きだったDVDの映画やクラシック音楽にふれることはできただろうか。そうであればよかった。
宮里邦雄さん、長年本当にご苦労様でした。教えられました。あらためて深い敬意を表します。合掌。