労働組合の性格把握(2)――労働のありかたをめぐる「蚕食」と「取引」                     (2024年1月24日)

 労働組合の機能は、労働市場での賃金決定の規制に留まらず、人間としての尊厳を踏みにじられない働き方を守るための経営管理への介入に及ぶ。
 この社会では労働力は商品ではあれ、一般的な商品とは異なって、人間としての労働者は、みずからの「商品」の使われ方、すなわち日々の働き、具体的には、職場での作業のスピードや要員に左右される仕事量、残業時間や休暇の程度、それに個々の職務への配置ルールなどについて切実なニーズをもつ。しかし使用者側は、働かせ方をとかく生産管理や労務管理の領域に属する経営の専権とみなすのがふつうだ。ここに「経営権」の範囲をめぐって使用者と労働組合がせめぎあう労使関係の歴史が展開するのである。
 私はもともと労働研究を始めた頃から労働そのもののありかたに深い関心を寄せていた。若い私がいくつかの職場見学を通じて衝撃を受けたのはなによりも、作業上の主体的な裁量権を剥奪され労働の意味を感じることのできない「単純労働」のあまりに広汎な普及であった。そこから仕事を遂行する上での労働者の裁量権の程度に深く関わる熟練というものの内容に考察を進める。そこからまた、初期マルクスの理論、いわゆる労働疎外論への傾倒が始まった。その当時、四つの産業における労働者の仕事遂行の裁量権の規定要因を実証し分析する、原著1964年のR・ブラウナー<佐藤慶幸監訳>『労働における疎外と自由』(新泉社)は、私にとって古典であった。そう、疎外と自由は労働の極と対極なのだ。
 こうした問題意識が胸にともってから、私は、1970年の二著、『産業史における労働組合機能――イギリス機械工業の場合』(ミネルヴァ書房)、『寡占体制と労働組合――アメリカ自動車工業の資本と労働』(新評論)として刊行される労働組合の史的研究に入っている。そして私はその研究過程のなかで、イギリスの合同機械工組合(ASE⇒AEU)と、アメリカ自動車産業労働組合(UAW)が、前者はクラフトマンの伝統的な作業自治の延長として、後者は非熟練労働を支配する経営者の職場専制へのしかるべき抵抗として、それぞれに労働そのものにおける一定の自由を確保するために、自治や団体交渉を通じて、労務管理・生産管理の経営権を蚕食してきたことを確認したのである。もっともUAWの場合、たとえば仕事量に関わるベルトコンベアのスピードそのものを団交事項とすることを経営側は断固として拒みとうし、歴史的なシットダウン・ストライキの帰結としての協約では、過重作業に対する苦情処理制度と、人員配置についての厳密なセニョリティを確保するという線で妥協せざるをえなかったけれども。
 こうして二つの組合史の総括として、組合主義の性格把握において、企業の支払い能力に「外在的」か「内在的」かという軸とともに、労働そのものありかたについて経営権の範囲を限定する「蚕食的」と、仕事のありかたは経営に委ねたうえでもっぱらその報酬を高くする「取引的」という、もうひとつの区分軸を設定したのである。

 そのうえでなお二点ほど語りたいことがある。
 その1。組合機能の「企業の支払い能力への外在的」と「内在的」の区分もそうだが、「蚕食的」と「取引的」の区分も時代によって可変的・流動的である。すべての労働組合が働き方をまったく経営管理の決定に委ね、賃金にのみ関心を限定することはありえないだろう。欧米労働組合は、テイラー・フォードシステムの導入を打ち込まれた後も、作業量や仕事範囲や配置ルールについての労働者のニーズを忘れず、執拗に経営管理の支配に抗ってきた。欧米のいわゆる「ジョブ・コントロール・ユニオニズム」は、高次の経営権の承認は前提とするゆえにとかく「体制容認」の労働組合運動とみなされるけれども、職務はわれわれのものというスタンスをもって、日々の働き方に直接かかわる生産管理・労務管理の下部領域を、執拗に自治や職場交渉の許される「労働条件」に変えさせてきたのだ。イギリスではショップスチュワード、ドイツではの経営評議会(レーテ)の従業員代表などがその担い手であった。1979年にイギリスで、右派組合と目されていた郵政労組の委員長N・スタッグにインタビューしたとき、彼は「ユニオニズムの歴史は経営権蚕食の歴史だ」と語って私は深く共感したが、次いで彼がたしかにジョークの口調でなく、「・・・だから私たちはチャールズ1世の首を切った」と言ってのけたのには驚かされたものである。 
 日本の企業別労働組合の歩みにおいても、例えば1950年代後半から60年末まで展開された「職場闘争」は、炭鉱、私鉄、印刷、国鉄や郵政などのいくつかの産業で、生産コントロール、要員確保、平等な配属(査定の規制)、安全保障などの慣行や協約を獲得していた。私たちはそこに、経過的ながら蚕食的組合主義の一定の浸透をみることができる。だが、その後の展開は一途そこからの後退であった。技術革新と日本的能力主義が浸透し三池闘争や国鉄の分割民営化闘争が敗北する過程で、企業別組合は作業量・ノルマ・要員策定、従業員の異動などに関する集団的な発言権・交渉権をことごとく失っていった。そして今、日本の主流派組合は、自動回転するPDCAシステムのなかにあって、労働者の働き方は経営側の一方的決定のもとにある。国際比較をまつまでもなく、そこには経営権蚕食の片鱗もない。現時点の企業別組合は、取引的組合主義の極北に位置するということができよう。

 その2。労働組合の経営権蚕食とは、現実的には、生産管理・労務管理の下部領域への自治権・団交権の拡大にほかならないが、左翼台頭期のヨーロッパでは、そのかなたに労働組合自身が産業を管理するWorkers’Control論が胚胎していた。1910~20年代イギリスでの公式組合から自立したショップスチュワード運動が生み出したこの思想は、1960~70年代の「管理社会」化の人間疎外を注視するイギリスやフランスのニューレフトに再評価され、そこからは自主管理社会主義の構想が生まれることになる。
 ASE・AEUの軌跡に示唆を受け、またその時期が思想形成期でもあった私は、1976年の論文集『労働者管理の草の根』(日本評論社)に示されているとおり、このワーカーズ・コントロール論に帰依していた。その勉強の過程では、ワーカーズコントロールの文献集ともいうべき大著Ken Coates/Anthony Topham:Industrial Democracy in Great Britain(Macgibbon&Kee、1968)に学ぶとことが多かった。しかし、思想系譜の点でとくに教えられたのは、1969年刊行のダニエル・ベル<岡田直之訳>『イデオロギーの終焉』(東京創元新社、原著1960年)所収の「マククスからのふたつの道」である。 この論文は、マルクスの搾取論と並ぶ疎外論および「労働者における労働者統制(管理)に焦点をすえて、革命ロシアにおける「労働組合反対派」がたどった運命、労働組合の国家管理に帰着する悲劇的な敗北(ソ連共産党による疎外論の搾取論へ上からの埋め込み)をみつめ、ひいてはイギリスやドイツにおけるサンディカリズム的な運動の挫折を冷静に描いている。それでもベルは、それらの軌跡のうちに「疎外を終わらせるためには、労働過程そのものを検討しなければならないという根本的洞察が・・・失われた」と総括し、「労働者の労働生活に直接の影響を与えることがら――労働のリズム・ペース、公正な賃金支払い基準を制定する際の発言権、労働者に対するヒエラルヒーの抑制――に対する職場におけるコントロール」になお「下からの労働者による管理」の決定的な意義を見いだている。そしてそのかけがえのなさの認識は、西欧ユニオニズムでは、人員配置についての経営者の査定を排した先任権、労働者間の正当な賃金格差、労働のぺース・テンポの規制・・・などのかたちでなお生きているという。産業の全体的な管理というアナルコ・サンディカリストの夢は失われた。けれども、 Workers’Controlの発想を受け継ぐ、日常の働きかたに関する労働組合の平等と発言権の要求、すなわち蚕食的ユニオニズムは、今なお私のものである。