その8 「社会的労働運動」としての連帯労組・関西地区生コン支部


 「社会的労働運動」とはなにか
 現代日本における格差社会の深化と貧困の累積に対してあまりに無力であるゆえ労働組合というものの存在意義すら問われているいま、いくつかの労働組合はようやく、特定企業の正社員≒組合員の既得権の擁護だけに汲々とするわけではない、いわゆる「社会的労働運動」論を掲げはじめている。そのこと自体は歓迎すべきことだ。だが、そのスタンスはどこまでほんものだろうか。
 皮肉な言い方ながら、ナショナルセンターや単産や個別組合が組合としてのサバイバルと復権を願って、労働組合も社会全体のことを考えていますよと世間にアピールするために、闘いのプランも、身銭を切り身体を張った実践の用意もろくにないのに、広く国民生活に関わる政治・経済・社会福祉などへの革新的な取組みを組合のアジェンダに加える、そのことをもって「社会的労働運動」を標榜することもままあるように思われる。しかし「ほんもの」もある。全日本建設運輸連帯労働組合関西地区生コン支部(以下、通称「関西生コン」と略)の営みがそのひとつである。
 本来、まずもって組合員が痛感するニーズに固執するほかない労働組合の営みが国民多数の生活向上と権利擁護に寄与する、すなわち偽りなき「社会的労働運動」になるには、労働組合に固有の、労働組合にしか辿れないルートというものがある。それは、労働組合が労働条件を標準化しようとする範囲を、個別企業の正社員だけではなく、競争企業・関連企業・下請企業の労働者や多様な非正規労働者たちに、執拗に広げてゆくことだ。それゆえ、例えば、みずからの傍らで働く非正規雇用者への差別や関連企業の労働者の労働条件格差を放置したままの企業別組合が、憲法9条改正や秘密保護法や原発再稼働や社会福祉の切り下げなどの反対を掲げることは、辛辣にいえば掲げないよりはましという程度の意義しかないだろう。よく誤解されることだが、本当の「社会的労働運動」の性格は、「支払能力」格差のうちに閉ざされない本来の労働組合主義の強靱な展開の延長上にこそ獲得されるのである。この前提に立って、ここに、私が「ほんもの」とみなす、関西生コンのユニークですぐれた営みを紹介したい。  

 関西生コン労組の独自的な組織と運動
 関西生コンが「社会的労働運動」を展開できるには、もちろんそれなりの背景がある。以下に、そのいくつかをピックアップしてみよう。
 世間一般にはなお未知のことかもしれないが、この組合にはまず、日本の多くの労組にはみられない組織上の特徴がある。関西生コンは、発注先のセメント会社と受注先の建設ゼネコンの中間に群生する中小企業、生コン会社で働く労働者およそ1700人を、個人加盟ではあれ、企業横断的に組織する欧米型の産業別組合である。
 よくある企業別組合の連合体としての「単産」ではない。関西生コンは、建設連帯労組の「支部」ではあれ、ここでは支部が「単位組合」なのだ。それゆえ、交渉権、争議権、妥結権は企業ごとにある「分会」ではなく、支部=単組に集約されている。賃金も、80年代はじめ頃から、セメント・ローリー運転手、生コン工場の製造工、「圧送」の運転手と機械工など数種の職種別に交渉・決定されている(この職種別賃金は基本的に企業横断的ながら、最近ではいくらか企業間格差も生まれているという)。
 特徴的なのは組織形態ばかりではない。関西生コンは、この点でも現在の労働界ではすでに稀なことながら、本当にストライキのできる労働組合である。一般に限界投資単位の小さい中小企業が集中する産業分野で労働組合がストライキをするのはかなりむつかしい。それができるのは、ひとつには、関西生コンが上述のような企業横断の単組という組織であり、労使関係にストはありうるというまっとうな認識をもって、収入途絶のストライカーには月30万円の生活費を保障できるような闘争積立資金の用意を怠っていないからだが、より注目すべきことに今ひとつには、この組合が労使交渉の枠組の構築にすぐれた創意を発揮してきたからにほかならない。
 生コン中小企業のビジネス上の取引先は、上流がセメント会社、下流が建設ゼネコンという、いずれも価格交渉力のつよい大手企業である。この環境のもと生コン業界での企業間の価格競争が放置されれば、多くの企業の収益性は危うく、その危うさはかならずこの業界で働く労働者の労働条件へのしわよせを招く。そのビジネス環境を直視して、関西生コン労組は、業界が「構造改善事業」に指定された70年代半ば以降、上流および下流の独占大企業による関連中小企業への圧迫を抑制すべく、生コン業界がセメント会社に共同発注、ゼネコンに共同受注のできるような事業の協同組合づくりを促進したのだ。これは労働条件の直接の交渉相手である生コン会社に、賃金相場を守ることのできる「支払能力」をつけさせるという、一種の中小企業との共闘であった。その上で組合は、その協同事業体との間で、かねてから進めていた集団・統一交渉を展開して標準的な労働条件を獲得するとともに、組合の推薦する人を優先雇用させるという協定を結ぶのである。
 もちろんその場合、協同事業体に属さず、ぬけがけで相場を割る低価格取引と労働条件切り下げで対応しようとする「アウト企業」が一定かならず現れるだろう。そこで組合の力量が問われる。関西生コンは、実際「アウト企業」に対して、ピケをふくむストライキやボイコットをもって報いる。その実践によって、組合組織率は約30%に留まるのに、この集団交渉の結果は、この業界の労働条件の規範となりえているのだ。日本ではほとんど例のない、ヨーロッパ型の労働協約の拡張適用がここにある。
 このような営みはとはいえ、業界の製品価格設定への組合の介入を必然的にするだろう。とくにビジネスの下流、大手ゼネコンに事業協同体が供給する生コン価格を一定水準から下落しないようにさせることが、賃上げとともに当然の組合要求となる。それをめぐる大手ゼネコンとの確執が、2010年の139日に及ぶ地域(大阪、神戸)ゼネストの背景であった。数値が状況を明瞭にする。当時、生コン1立方メートルの価格は、アウト企業で8000~9000円、組合規制がさほどではない東京都内で12900円、大阪市内では、従来の協定で14800円、実勢では13200円ほどであった。この年、協同事業体と組合は18000円を要求している。そして長期闘争の結果、妥結の水準は16300円(新契約は16800円)となる。この組合は、労働条件の標準化を追求する帰結として、中小企業製品の価格維持をも闘いの視野に収めたのである。
 関西生コンのこのような労働運動が、総じて高度経済成長期このかた、とくに70年代半ば以降の民間労使関係のありように高い満足を表明してきた政財界にとって許すべからざるものであったことはいうまでもない。かつて生コン業界には、労使関係のなんたるかをわきまえない無頼の経営者も少なくなかった。組合組織化の運動に対する暴力的な対応の波頭として、74年と82年には組合員が会社に雇われた暴力団の手で殺害されてもいる。一方、81年には、ヤクザならぬ日経連会長の大槻文平氏も、要旨およそ、関西生コンの運動は資本主義の根幹に関わる、こんなのは「箱根の山を越えさせない」と述べたものだ。司法の対応も偏っていた。代表的には、関西生コンの闘いにどうしても随伴するアウト企業に対するピケに対して、司法はビジネスを妨げる「威力業務妨害」適用を攻撃をかけ、ときにアウト企業からの損害賠償請求を認めさえした。正当な組合行動に対する刑事弾圧も頻繁であり、この組合はこれまで延100人以上の逮捕者を出している。
 これらは先進国ではもう通用しない労働運動への文字どおりの弾圧にほかならないけれど、この日本では、横断組合による個別企業の「経営権」への介入を異常(違法!?)とすることさえまかり通っている。権力にとっては、企業横断的な産業別組合が実力をかけて中小企業の存続も視野に入れた産業政策を追求することは、二重の意味で「反社会的」なのだ。ほんらい企業の専権事項とみなされる製品価格への介入など、彼らにはもってのほかであろう。だが、現代日本の権力の側が「反社会的」とみなす労働運動こそ、まさに労働者が誇るべき「社会的労働運動」ということができる。

 関西生コン労組の社会的な意義
 この地点で、あらためて関西生コン労組の運動の社会的な意義を確認しておこう。 その1。ビジネス上の競争にしのぎを削る多くの中小企業と、どの企業でもその技能が通用する労働者たちが相対する分野では、労働者がひとつの横断組合に結集して企業側と労使関係を結ぶことなしには、競争に勝ちぬこうとする個別企業の労働条件の継続的なダンピングに対抗できない。その場合、団交の相手側は、それが関連企業や親企業のしめつけの下にある弱小の中小企業である場合には、組織された業界団体でなければ成功は覚束ない。それゆえ、関西生コンが協同事業体の形成に尽力して、その協同体との間の集団交渉を慣行化していることの意義はきわめて大きい。
 港湾労働者は、どの先進国においても伝統的に、これと類似の労働組合と労使関係の形態を選んでいる。日本の全港湾もそうだ。関西生コン型の営みは、だから考えてみれば、実に広汎な産業の労働者に適用されるべき必要性と可能性を孕んでいる。トラック運転手、タクシードライバー、観光バス運転手など、いまは組織率も低く、中小企業間の競争の圧力が総じて過酷な労働条件に転嫁されている広義の運輸労働者には、関西生コンの労働運動はとくに大きな示唆を与えるはずである。
 また例えば、もし福島の原発労働者が、いくつかの単産やナショナルセンターの働きかけで単一労組を結成でき、業界団体の結成はいまだしとしても、東電、元請・下請企業と団体交渉ができるようになれば、ものいえぬ彼らのやりきれなさはどれほど軽減されることだろう。要するに日本のユニオンリーダーはなべて、組合といえば企業別組合しかないという迷妄から脱したいものである。
 その2。関西生コンの事業協同体との交渉が、製品の「適正価格」の維持に踏みこみ、ゼネコンにそれを認めさせるストライキを実行することの意義も、広く日本の労働者とってきわめて深い。その意義をさらに二点にわけて考えてみよう。
 そのひとつ。現代日本では多くの下請労働者が、親企業からの受注価格の切り下げをなんとかやりすごそうとする雇用主、すなわち下請企業の、ある意味ではやむおえない労務管理によって劣悪な労働条件にあえいでいる。さしあたり下請企業の労働者もたいてい、親企業系列ごとの企業別組合しかもたないか、または未組織のままであるゆえに、ここにメスを入れるのは容易でない。だが、それゆえにこそ、中小企業の雇主が親企業に対する価格交渉力、ひいては一定の支払能力をもてるように労働組合が支援する、この関西生コン型の組合運動が模索されるべきであろう。その模索こそは、深刻な業規模間賃金格差の根因である下請構造への労働組合のもっとも真摯な鍬入れなのである。
 対比させる意味でひとつの代表的な企業別組合のスタンスの紹介を試みよう。2016年春闘でトヨタ労連は「ベア3000円以上・関連企業労働者にも大幅賃上げで格差是正」を要求に掲げる。一方、会社側は14年度下期から1年ほど続けた部品メーカーに賃上げを促すための部品の仕入れ価格を据え置く対応を16年度はやめ、例年どおりの値下げ要請を再開するという。労連はこの部品単価の見直し・値下げ再開になにもいわない。勘ぐれば本体企業の業績が悪化すれば業績連動の賞与が減らされるからだ。労連関係者は言う、「部品単価は経営が考えることで、組合の範囲を超える」(朝日新聞2016.1.16)。トヨタ界隈での企業規模間格差の是正は今年も絶望的であろう。だが、これがふつうの姿なのだ。関ナマ労組の営みの際立った質の高さが知られよう。

 今ひとつ。労働組合が中小企業の「適正価格」の維持に協力することの意義は、現代日本においては、下請問題を超えて、より広汎である。
 「脱却」が唱えられる「デフレ」とはひっきょう、中小企業の提供する安価な製品・サービス価格と、そこで働く人びとの長時間労働や低賃金との相互補強関係を意味している。そのことを真摯に顧みれば、ともかく低価格を歓迎する消費者としての一般国民の願いは見直されるべきであろう。消費者のだれもがどこかでは働いているからだ。それゆえ、さしあたり「反国民的」とみなされようとも、労働組合運動は劣悪な労働条件と直結する低価格に奔る企業ビヘイビアを見過ごしてはならない。関西生コンの生コン適正価格維持の闘いを多くのマスコミは「逸脱」と批判したけれども、アウト企業へのピケは、労働条件の劣悪な、例えばブラック企業の製品の市民ボイコットと同じ行為であり正当なのだ。私たちは今日、低価格と劣悪な労働条件の結合が、どれほど不可欠なサービス分野からの激しい離職、観光交通や食品の安全危機を招いているか、すなわち、どれほど社会の質の劣化をもたらしているかを顧みるべきであろう。

 私の印象では、雇用保障については、関西生コンの営みは、ここでも全港湾と類似のものながら、雇用安定基金による共同雇用、登録労働者の就業斡旋、収入保障を組み合わせた伝統ある全港湾の制度とくらべると、なおシステム化は遅れ、不安定なように見受けられる。この点の充実が今後の課題であるように思われる。とはいえ、全体として、これほどのなかま意識と創意をもって、ともすれば使い捨てられかねない中小企業のブルーカラー労働者の界隈に、定着できる居場所としての労働組合を構築しえたことに、私は深い感銘を禁じえない。関西生コンの実在は、長らく労働研究を続けてきた私には、日本の労働組合運動への絶望を見直させるたしかな希望である。

 注:『関西地区生コン支部 労働運動50年──その闘いの軌跡』(社会評論社、
    2015年)所収。HPへの転載にあたってわずかに加筆・修正した。