
今冬もっとも寒気厳しい日、予想以上に惨憺たる総選挙結果が報じられた。獲得議席は、高市早苗の自民:198⇒316、中道改革連合:167⇒49、維新:33⇒36、国民民主:27⇒28、参政2⇒15。一方、共産:8⇒4、れいわ:8⇒1、社民はゼロ、性格不明な「みらい」は0⇒15。自民党が空前の大勝利で3分の2を楽々と超え、「中道」は3分の1に凋落、左派諸党はほとんど壊滅である。
高市内閣は、当面の物価対策をふくむ来年度予算を成立させたあと、かねてから掲げていた維新合意の「国論を二分する」ようなウルトラ右派の政策の実施に歩を進めるだろう。あらためて列挙する。
*武器輸出を制限する「5類型」の撤廃。防衛力の抜本的強化。「持ち込ませず」を見直す「非核三原則」の曖昧化
*スパイ防止法制定、インテリジェンスの強化、日本型CIO・中央情報局の創設
*憲法九条改正(集団自衛権の確定、戦力不保持条項の削除、自衛隊の国軍認定)
*日本国国旗損壊罪。男系皇統を守る皇室典範改正。選択的夫婦別姓の否定=旧姓使用拡大の法制化
*外国人の不法滞在、入国審査、不動産取引などの規制強化。総流入数の制限・・
第二次安倍内閣このかた次第に危うくなっていたとはいえ、なお私たちのがなんとか守ってきた価値・倫理の基礎は蹂躙されようとしている。自民党右派が公言をためらってきた禁忌の軛が解かれたのだ。平和主義は軍国主義に、民主主義は国家主義に、すべての個人の人権を守るDEI(多様性、平等、包摂)の尊重は同調圧力のポピュリズムに、席を譲ろうとしている。私たちは本当に危機の淵に立っている。ちなみに朝日・東大共同調査によれば、今回の衆院当選者の93%は改憲に、80%は「自衛隊の明記」に賛成という。
実のところ「私たち」とは国民多数ではあるまい。国民の大多数、とくに若い世代は、上に書いたような危機も、高市発言に起因する中国との関係悪化も、政治とカネの問題も、生活苦を打破する経済構造の改革も忘れたかのようだった。人びとは「おっさん」ではない初の女性首相高市早苗の笑顔に、風貌に、真の争点を具体的に語らない内容空疎なきっぱりした発言に熱狂してしまった。高市の巧みな選挙戦術も気にならず、1万人もの規模で演説会場に集い、スマホを向け、宣伝動画を1億回も視聴し、「何が何でも高市さん」の雰囲気に身を投じた。それは大衆の知性にもとづく判断力の喪失が醸すファシズム前夜の空気にほかならなかった。私たちはなによりもこの空気・雰囲気に完敗したのだ。
だが、これほどの敗北のもう一つの要因は、急拵えの中道改革連合(立憲と公明の合同)であった。立憲は、本来の集団自衛権違憲、原発ゼロ、辺野古基地反対などの政策を放棄し、公明に大きくすり寄った。この合同は、なんとしてもウルトラ右派に対抗して中道――といっても旧自民党ハト派的な保守中道――の塊をつくる意図であった。そのため中道連合は公明の希望を容れて左派の翼をすっぱりと断ち切った。けれども、国民がそうした連合を支持するだろうという観測はまったくの誤算だった。自民党が食品消費税は一時的にせよゼロとする戦術をとってからはいっそう、中道は「政治とカネ」と夫婦別姓くらいでしか自民党との間に対抗の論点を見失った。高市人気にとらわれた国民が「中道」を歓迎する支持する空気はなかったのだ。その結果、公明は比例区の上位を譲られて従来の28議席をすべて確保したけれど、選挙区を担当した立憲は、「7人の侍」を除けばすべて自民に競り負け、有力議員をふくめて実に85%の議席を失ったのである。
以上は、結果を見て言うのではない。私は当初から、実体的に保守「中道」の新党は高市自民党に対峙できないと判断していた。しかし私のFBの友人たちの幾人かは、立憲の変質に疑問をもちながらも、今回は空しく死票になりやすい左派諸党に固執せず、中道改革連合に投票すべきだと論じた。そして今も、中道の再結集をはかり、自民・維新、そしておそらく高市の政策を支持するにいたる国民、参政に対抗すべきだとする見解は根づよいだろう。
けれども、小学2年生以来の憲法の子であり、かつオールドレフトの私はこの立場に与しない。ウルトラ右派に対抗できるのはやはり、歴史的にも左翼と自由主義の連携だと思う。2012年ごろから、とくに野田佳彦が「保守中道」路線を選んでからの持論を私はくり返す、今こそ左派・リベラルのイニシアティヴ・アライアンス(仮称LLIA)を樹立しなければならない。
では、私の言うLLIAとはどのような結集か。それは共産、社民、れいわ、立憲の政治家、市民運動と労働運動の担い手、文化人などのヴォランティア有志などが個人加盟する連携グループである。政党の連合ではない。個人加盟になるのは、それぞれに伝統と党規のしがらみを負っている左派諸党が立憲と公明のように連合する政党になることはさしあたり考えられないからだ。それゆえ、LLIAの目的は、次のようになるだろう。
(1)選挙運動や議会内活動にとどまらず、むしろ議会外の抗議・要求の行動の触発、支援、拡大を徹底的に重視することにイニシアティヴを発揮すること。ひとつは、原発回帰・基地拡大・人権抑圧・労働運動弾圧などに抗う市民運動・住民運動、労働運動の活性化に献身することである。国際比較しても、80年以降の日本の民主主義のもっとも脆弱なところは、議会外の社会運動、とりわけ社会的な意義をもつ社会的労働運動の脆弱さにほかならないからだ。
そして今ひとつは、憲法に保証された諸法の遵守を主たる論拠とする提訴、裁判闘争である。たとえば、全日本建設運輸連帯労組傘下の産業別組合単組・関西生コン支部への、およそユニオニズムを否認するような戦後未曾有の刑事訴追に対する7年の裁判闘争などは、もっと広く、いやしくも護憲を唱える人びすべてよって支援されなければならない。
(2)行動ばかりではない。理論的には、LLIAが「社会民主主義」とはどのような産業社会かを具体的に探求・構想すること。
たとえば格差と貧困が際立つアメリカではひところ、資本主義ではなく「社会主義」が多くの 若者の心を捉えているという。その内実はしかし、ソ連・東欧の自由なき共産主義ではなく、サンダース流の「民主社会主義」、つまり社会民主主義だった。
その社会構想は、民営・市場経済と公営・公的規制のバランスある共存、全国民対象の医療保険など広範な社会保障の充実、言論・結社の自由、自治的な社会運動と労働組合運動の完全な承認を軸とする。西欧の先進諸国で、近年台頭する排外主義、ファシズム、そして競争と自己責任論を哲学とする新自由主義に、まさに対峙しているのは、権力側からは「過激な共産主義」と指弾されもする、この種の社会民主主義なのだ。しかし私たちの国では、詳述すればきりのない不幸な経緯つによって、ここ40年ほど社会民主主義の具体像の探求は等閑視されてきた。その負の遺産は今こそ精算されなければならない。
「毎日難儀なことばかり・・・」ではじまる、朝ドラ「ばけばけ」の脱力的ながら印象的な主題歌が心に響く。もうなにもできない87歳の素人論議など無用だというわきまえは私にもある。それだけに、諦めて「これでもいいかと思ったり」もする。しかしやはり顧みて「そんなのダメだと怒ったり」する次第である。
