その16【市民塾<ひろば>in四日市】をふりかえって

 2020年2月8日、17年4月から隔月(偶数月)に開いてきたささやかな市民学習会【市民塾<ひろば>in四日市】(以下、「市民塾」と略)がひっそりと幕を閉じた。
 ここで、3年間の軌跡としての綜合テーマ、例会ごとのプログラムをふりかえってみる。
 *R=報告者(所属機関のみ表示))、C=コメンテーター(第1期&第2期)

第1期(2017年4月~18年2月) 「私たちの日常生活と人権」
①女性の生きがたさ ■R・坂倉加代子(四日市男女共同参画研究所)
②貧困者の生存権はいま ■R・深井英喜(三重大学)
③学校のいじめと友だち関係 ■R・山田潤(元定時制高校教員・元関西大学講師)
④サラリーマンの表現の自由――私の銀行体験から ■R・猿爪雅治(名城大学)
⑤過重労働とパワハラ――自死に誘われる若者たち ■R・熊沢誠(塾代表)
⑥大学生の生活と意識 ■R・粟田菜央&山口由貴(三重大学学生)

第2期(2018年4月~19年2月) 「私たちの隣人――無理してるけどがんばってる」
①シングルマザーのゆとりなき日々 ■R・当事者/C・水野有香(名古屋経済大学)
②老親介護のため離職して ■R・予定の当事者は欠席/C・津止正敏(立命館大学)
③仕事と家事・育児の両立はやはりむつかしい? ■R・当事者/C・石田好江(愛知  淑徳大学)
④生活保護受給者のリアル ■R・村田順一(寄添いネットワークみえ)/C・深井英  喜(三重大学)
⑤この日本で働くということ――外国人労働者の体験 ■R・神部紅(みえユニオン)  /C・艶苓(中京大学)
⑥若者の就業――「使い捨てられ」も「燃えつき」もせず ■R・熊沢誠(塾代表)/C  ・橋場俊展(名城大学)

第3期(2019年4月~20年2月) 、女たちの夢と現実――<女性学>入門
①若い女性として生きる――その希望としんどさ ■R・貴戸理恵(関西学院大学)/C  ・山口由貴(三重大学大学院)
②家事・育児・介護の担い手は誰? ――「これまで」と「これから」 ■R・深井英喜 (三重大学)/C・佐藤ゆかり(三重の女性史研究会)
③男女関係にまつわる多様な性暴力 ■R・禿あや美(跡見学園女子大学)/C・坂   倉加代子(四日市男女共同参画研究所)
④貧困化する女性たち――状況、背景、改善の方途 ■R・北村香織(三重短期大学) /C・水野有香(名古屋経済大学))
⑤専業主婦・パートタイム・正社員――それぞれの自由と鬱屈 ■R・熊沢誠(塾代表) /C・石田好江(愛知淑徳大学)
⑥風雨つよくとも屈せず――韓国女性労働者の闘い ■ドキュメント『外泊』上映』/C  (解説文寄稿)・横田伸子(関西学園大学)

 小規模ではあっても、継続的な市民塾の運営にはさまざまの作業が欠かせない。会場設営や資料プリントや司会の作業は、無償で会場を提供したNPO法人・四日市男女共同参画研究所に集うわずかの女性たちによるところが大きい。案内郵送と受付と会計処理はまた別の女性スタッフの担当であった。しかし、企画――具体的なテーマ、報告者・コメンテーターの決定、運営ルールの策定、それにはがき案内・配付資料・例会後の「事務局総括」などの文章作成は、ほとんどすべて代表の私が引き受けた。だから市民塾の内容については全面的に私の責任に属する 以上のテーマ設定にも、私たちの(というよりは私の)塾を立ち上げるに当たっての、当初からの次のような問題意識が色濃く反映している。
 現時点の日本のふつうの人々は、日常的には、職場、学校、家庭、地域などの界隈に属している。その界隈はふつう、いつもの俗論を声高に語るボスと、処世のために「KY」とみなされることを怖れる穏健な多数派で構成されている。そこに立ちこめる忖度の「空気」が強力な「同調圧力」になっている。それゆえ、その空気のなか、人権に敏感な人びが「慣行」をおかしいなぁと感じたとしても、寡黙なままなのではないか。そしてこの同調圧力に反発することで被るある種のいじめや排除に意義を申し立てる「大胆な」発言や行動を結局、放棄してしまっているのでないか。ふつうの人々の間に広がる同調圧力に靡くこの「空気」こそに、日常生活のしんどさや、憲法には保証されているはずの人権尊重や民主主議の空洞化に危機がひそんでいる・・・。
 それゆえ私たちは、「日常の界隈」に生きる「ふつうの」寡黙な人びと、しんどい思いをかかえる、どちらかといえば恵まれない人びとに注目し、彼ら、彼女らの自由な発言を制約している困難な問題をリアルを凝視したうえで、その状況に風穴を空ける手がかりを探ろうと試みたのである。

 運営の方針にもある工夫があった。通常の講演会では講師の語りが長く、質問機会も限られ、その解答もまたくわしすぎて、フロアに欲求不満が残ることが多い。だから市民塾は、報告は1時間に限り、コメントテーターが論点を引き出し、一問一答型式を避けて、できるだけ多数が発言できるように努めた。この運営方式は、討論が多く論点に立ち入ることが特徴として評価された「職場の人権」の体験から学んだことだった。ちなみに会員の年会費は2000円、折々の参加費は500円、会場カンパはなし。講師には5000円、コメンテーターには3000円を、交通実費のほかに支払うことにした。もとより極端な薄謝であったが、幸せなことに、近隣はもとより、東京、大阪、京都、名古屋、津などの、その分野の有力な専門研究者、あるいは問題の当事者の協力を得ることができた。
 しかしながら、組織的な情宣力の乏しさもあって、市民塾は大きくは育たなかった。会員はほぼ30名以下、例会参加者は25~40名に留まった。それぞれのテーマについて大切な論点は総じて指摘されたけれども、フロア討論ということに不慣れな参加者の多い討論はなお不十分で、発言の立ち入った応酬は不十分だったと思う。毎回の学習はそれなりに有意義だったと自負できとはいえ、いささか理想倒れの市民学習会だったかもしれない。ふっつの講演会のほうは気楽だと感じる人もきっとあったことだろう。
日常の界隈における同調圧力のなかでの自由の逼塞という状況は、いま2020年、ますます際立っているかにみえる。その危機は、「令和の御代」と五輪・パラリンピックの「国民的」祝賀ムード、あれほどまで欺瞞と無責任と国政の私物化を続ける安倍内閣の存続、労働組合運動の抵抗の極端な衰退、DVやいじめの蔓延・・・などにまことに明瞭である。それなのに、わずか3年で市民塾を閉じるのはいかにも心残りではある。とはいえ、私など旧世代に偏ったスタッフのいっそうの高齢化あるいは繁忙、新鮮な企画をつくる感性の鈍化、それに遠方から有力な論者を招聘しうる財政の貧弱さ、会計の赤字などのゆえに。情宣力の乏しい市民塾のこれ以上の存続は難しいと判断するほかはなかった。これまでさまざまな協力を惜しまれなかった報告者、コメンテーター、例会参加者の方々には深く感謝したい。
 ここに、ささやかな市民学習会の軌跡と、なお古びてはいないと自負する問題意識(日常のリアルな界隈における自由な発言の逼塞)と、運営方針およびその反省点などを、【市民塾in四日市】の記録として留めおきたいと思う。四日市の地でなくとも、世代を超えるなんらかのグループが、新しい創造的な感性をもって、日常のリアルを見つめる新たな市民塾を組織されんことを願いつつ。