その20 告発される大阪医科歯科大学のアルバイト職員差別

 はじめに 2015年8月、大阪医科大学でのアルバイト勤務に携わった香山由佳(仮名)は、この職場で体験した正職員にくらべてのみずからの労働条件のあまりに大きな格差を是正することを求めて、大阪地裁に提訴した。

 香山は、2013年1月に、大阪医科大学基礎系教室に有期雇用・フルタイム・アルバイトとして就職し、以降、毎年4月の一年ごとの契約更新をくりかえして、15年3月まで事務職「秘書」として働いた。2015年3月には、心労の末、適応障害に陥り休職。その年に雇用契約は更新されたとはいえ、欠勤扱いとなる。そして同大学は、これから経過を辿る裁判判中の2016年3月づけで、香山を雇い止めにしている。 

  香山由佳の職場体験と告訴 この大学の事務系職場は、無期雇用の正職員(200人)の他、無期雇用の契約職員(40人)、アルバイト職員(150人)、嘱託職員(10人)という4種の雇用形態で編成されていた。香山の職務は、ある雑誌に彼女自身が記すところでは、そこに配置されている4名の正職員の教授&教室秘書とまったく同じ仕事内容・同じ責任であったという。仕事範囲は広汎にわたり、教授らの全スケジュール管理、各種の研究費の管理、研究材料の購入、教員の授業の資料準備、試験問題の編集や採点の集計、実験助手や非常勤講師の書類手続きと支払い、院生の「お世話」、それにさまざまの雑務(郵便物配布、清掃、整理・ゴミ出し、お茶くみ、軽食・飲物購入など)に及ぶ。所属の「教室」によっていくぶん相違はあったが、香山の教室では、1人で15~30人のメンバーの補助労働を課せられ、しかも用務員の配置はなかった。秘書+一般庶務+雑用が重なる職務である。もと大学教員の私には、「職場の家事」のような煩わしい周辺作業のすべてを引き受ける「秘書」の有り難さがよくわかる。こうした職務配置の格差は研究や講義への集中にとってとても好都合なのである。

 このようなフルタイム・アルバイトに対する処遇はきわめて差別的であった。a賃金は時給制で950円であり、正職員には4~6ヵ月分あるb賞与はゼロであった。その結果、年収は正職員の秘書とくらべて約3割強、2013年の新規採用者とくらべても約55%である。そのうえ、正職員が享受できるいくつかの休暇や便宜供与もアルバイトにはなかった。c年休日数の法定日以上の加算、d年末・年始等の休暇への賃金保障、e夏季特別有休(夏休み)、f業務外疾病休暇への休職規定による賃金保障、g大阪医科大学病院に通院・治療した場合の医療費償還措置・・・などがそれである。

 みずからの仕事に誇りをもち、正職員以上に働いてきたという自覚もある香山由佳にとって、このような構造的差別ともいうべき処遇格差はとうてい容認できなかった。それは有期雇用者と無期雇用者の間にある労働条件の「不合理な」格差の是正を規定する労働契約法20条にも違反するものと思われた。日本郵便や東京メトロコマースなどで、非正規労働者たちがこの法律を論拠に不当な処遇格差の是正を求める裁判闘争に入りつつあったという時代の風もあった。香山の提訴には以上のような背景がある。                                       非情の地裁判決 2018年1月の大阪地裁判決(裁判長・内藤裕之)はしかし、酷薄きわまるものであった。地裁は、大阪医科大学の香山への処遇のいっさいを労働契約法違反に当たらないとして、失われた労働条件の補償分と慰謝料あわせて1174万円余の請求をすべて棄却したのである。ここで私が問題としたいのはその論拠である。  その1。地裁はまず、香山の労働条件と比較すべき対象者を、原告側の主張する同じ仕事をする正職員の秘書ではなく、事務の正職員一般とみなした。すべてはこの認識を起点とする。正職員は、たとえそのときアルバイト同じ仕事をしていたとしても、もともと長期雇用の見通しを前提として、より複雑で責任の重い管理業務などに配置される可能性のある、つまりフレキシブルにさまざまの職務につきうる「能力」をもった人材としてきびしく選抜されて採用され、かつ育成される職員であり、はじめから特定の業務に限定して募集・採用されたアルバイトとは比較にならないというのである。その点は、香山の場合、運転手とか看護師のように職種区分の明瞭な仕事でなく、秘書+事務+雑用を兼ねた一般労働であったことがいっそう不利に働いたかにみえる。ともあれ、労働契約法20条における労働条件格差の合理・不合理を判断する基準も、職務の内容(業務内容、それに伴う責任の程度)、配置変更の程度、「その他の事項」の総合勘案である。地裁はこの基準の複数性活用したのである。

 その2。日本企業の正社員のこうした位置づけを無批判にも前提として、では地裁は、香山の仕事をどのように評価したのだろうか。被告側の主張を全面的に汲む地裁判決によれば、アルバイトは、正職員や契約職員の指示の下、採用部署の「定型的で簡便な作業や雑務レベルに従事する職員」であり、ノルマもそれを達成する責任もほとんどないという。この認識は、実は後の高裁判決も踏襲したところだ。ここでは高裁判決が記す、杉山が後任のために作成した教室事務員の「業務の引継書」を紹介しよう。それによれば、「毎日すること」は、教授らの予定の把握・確認、ポットの水替え、朝夕2回の教授へのコーヒー淹れ、メールセンターの郵便物集配、「一週間の内にすること」は、ゴミ捨て、汚れた白衣のクリーニング依頼、「毎月5日までにすること」も、研究費ごとの請求書の確認、購入伺の作成・提出、科研費書類の印鑑確認などにとどまる。そして高裁判決は、これらはなんらの判断も伴わない単純で定型的な事務作業ばかりだと述べている。判決を聴く香山は、憤りを禁じえなかったことだろう。

 地裁、高裁ともに判決ではまた、正社員とアルバイトの間には期待される「能力」には明らかに高低差がある、それに正社員への登用制度もある、「能力」を発揮できる仕事を求めるならば、正職員になるように努めよという。だが、正職員の秘書は同職のアルバイトと異なるどのような「能力」を発揮しているのかに、言及はない。

 その3。日本企業における非正規労働者の位置づけと以上の「労働分析」の上で、地裁判決は、「職能給」の正職員と時給・「職務給」のアルバイトとの間の賃金格差と、後者の賞与不支給を容赦なく容認した。2013年採用の正職員と比較して香山の賃金が約80%、賞与をふくめた年収が約55%に留まることは不合理とはいえないと判示したのである。そればかりか地裁は、さしあたり労働の質とは無関係な各種の賃金保障や便宜供与(上記c~g)の請求についても、長期勤続や能力開発や労働の長期インセンティヴを「期待」されていないアルバイトには認められないことは不合理とはいえないとして、ことごとく棄却した。従業員としてのアルバイト労働者の尊厳にあまりに配慮のない判決である。原告側が控訴したのは当然のなりゆきであった。

  高裁判決の成果 しかしながら、2019年2月の大阪高裁の判決(裁判長・江口とし子)では、香山のいくつかの訴えが掬われた。

 すでに述べたように、高裁判決も、地裁判決の枠組み、上記「その1」「その2」の認識を踏襲する。それゆえ、正職員とアルバイトの間には「職務、責任、移動可能性、採用の際に求められる能力に大きな相違があ」るとして、賃金決定方式が異なることを了承し、約2割の賃金格差も不合理とはいえないと述べている。

 だが、高裁判決は賞与については地裁と認識を異にした――賞与は、長期雇用へのインセンティヴの要素も含むとはいえ、年齢や在職年数にではなく基本給に連動する支給であり、賞与算定期間における就労それ自体への対価にほかならない。事実、長期雇用を前提としない契約職員には80%の支給もある。したがってアルバイトにも、「功労」の程度は考慮するとしても、約60%を下回らない賞与が支給されなければ不合理だというのである。60%という算定には議論の余地はあれ、経営の人材活用方法と切り離すという賞与論にもとづくこの判決は、非正規・有期雇用者の労働条件改善に大きく寄与する、意義深い、まさに画期的な法的判断であった。

 賞与ばかりではない。夏季特別有休休暇、業務外疾病休暇への休職規定による賃金保障(およびそれによる厚生保険の資格喪失の防止)についても、高裁判決は生活者のニーズに配慮し、アルバイトにも賃金や就労期間に応じてこれらが認められなければ不合理だと判示した。以上いくつかの不合理な処遇でこれまで香山が被った損害賠償と弁護料をふくめて、大阪医科大学には109万円余の支払いが命じられた。この判決に対して、大学側は上告する・・・。

  日本的「人材活用」という堡塁 およそ2015年の頃から、労働契約法20条にもとづいて有期雇用者の差別的な労働条件を是正する提訴が相次ぎ、いくつかの企業で一定の成果が伝えられている。しかしその成果は総じて、各種の手当て、休暇制、あるいは退職金の改善に限られ、基本給や賞与についてはなお手つかずのままであった。この点、本件での賞与の6割認容という判決の画期性はやはり疑いを容れない。しかも、事務アルバイト・香山由佳の職務の、正職員の仕事との違いを指摘されやすい一般労働的性格を考慮すれば、その画期性はいっそう際立つといえよう。それだけに、非正規・有期雇用労働者への、ふつうは賃金の一部と考えられやすい賞与の支給に最高裁がどのような判断を下すかは、楽観を許さない。

 今なお、非正規労働者の差別的労働条件は、正社員を対象とする、どのような責務にもフレクシブルに応じる「能力」の総合評価、すなわち日本的経営特有の「人材活用方法」という「堡塁」によって守られている。非正社員に割り当てられる仕事は、たとえそのとき同一労働であっても柔軟な適応を求められる正社員の仕事と比較できない、両者の基本給決定方式は統合できないというのである。財界が固執するこの堡塁、日本的「人材活用」労務の前に立ちすくんで、喧伝された安倍「同一労働同一賃金」論は虚妄と化した。労働規約法20条にも基本的にはこの堡塁の爆破力はない。

 本件における地裁判決はこの堡塁への完全な屈従であった。そのうえ、地裁は、賃金・賞与の決定方式の統合を放棄するかわりの弥縫策として安倍労働改革が勧める手当や休暇の均等化さえ無視した。高裁も基本的には堡塁の承認をまぬかれなかったけれども、柔らかい感性に恵まれた高裁の裁判官は、あえて、というべきか賞与を賃金の方にではなく手当の方に引き寄せて解釈することによって、辛うじて堡塁の一角を崩し、他の休暇付与および不時の賃金保障とともに、原告の訴えを掬ったのだ。非正規労働者のこれからの反差別運動の課題は、この判決を起点として、日本的「人材活用」の堅固さと安倍労働改革の不確かさをどこまで追及できるかであろう。

 *2019年5月記/参照文献:大阪地裁判決(正本)、大阪高裁判決、各種の原告側  資料、原告執筆の小論(『女性のひろば』2017年12月に掲載)ほか

                   『労働情報』982号 2019年6月