良質の恋愛映画には心惹かれるラストシーンがある。家族や生活のしがらみ、世俗の通念などなんらかの事情で訣れを余儀なくされ、ふたたび結ばれる条件を失った恋人たちが、時を経て巡り会うくだりだ。恋を喪って、かわりにひとつの成熟を遂げた二人は、ほほえみあい、お互いのしあわせを願って、さりげなく別れてゆく。たとえ恋の成就はなくとも青春というもののかけがえのなさが集約されるその場面が、映画ファンを魅了し、甘酸っぱく切ない余韻を残すのである。
先日、TV録画でジャック・ドウミ監督・脚本のフランス映画『シェルブールの雨傘』(1964年)を観た。これはミュージカル仕立てでもあり、「しがらみ」や「通念」の重さの描写もほどほどの軽い作品であるが、エンディングはこの「思いやりの再会」タイプの典型であった。そこで、ああ、ここでもガソリンスタンドの場面だと思い出したのは、1930年代の広津和郎原作による75年1月放映のNHK銀河テレビ小説、『風雨強かるべし』だった。もう半世紀もまえの観賞なので細部の記憶は定かではないが、反体制の非合法地下活動に入ってゆくヒロイン・ハル子(栗原小巻)と、名家の息子の帝大生(篠田三郎)との恋が引き裂かれる物語である。そのラストシーン、風雨のなかガソリンスタンドで雨合羽を着て働くハル子の前に、元カレの乗用車が止まるのである。当時コマキストだった私にとって、その折の栗原小巻の明眸に滲む豊かな情感は忘れがたいものだった。
恋愛ものは長期間の物語にかぎる。若者たちの切実な恋の歩みはたいてい、その過程で否応なしに降りかかる、大きくは社会的・世間的な、身近かには経済的または家族的な、二人を引き裂く圧力との闘いの軌跡だからだ。恋の名作とは、そこをたじろがず凝視する作品にほかならない。そんな基準から選んで、今回は、私がアメリカ恋愛ものの双璧とみなす二作品を紹介したいと思う。シドニー・ポラック監督、アーサー・ローレンツ原作・脚本の『追憶』(1973年)と、エリア・カザン監督、ウィリアム・インジ原作・脚本の『草原の輝き』(1961年)である。
もっとも『追憶』については、拙著『私の労働研究』(堀之内出版、2015年)の第六章「スクリーンに輝く女性たち」のなかですでにかなりくわしく紹介しているので、今回はかんたんにふれるだけにしよう。1930年代末の学生時代から一貫して左翼活動に携わってきた真摯なケイティ(バーブラ・ストライサンド)は、政治とはつねに距離を保つスポーツ万能で文才あるハベル(ロバート・レッドフォード)にどうしようもなく惹かれ、戦後、曲折を経てついにシナリオ作家になったハベルの愛を獲得して、ハリウッドでひとときしあわせな生活に入る。だが、「赤狩り」を座視できない彼女の抗議行動がハベルの仕事を危うするまでになったとき、ケイティは誕生した赤ん坊とともにハベルの元を去った。彼女は黙して愛に縋るのではなく結局、どこまでも毅然としてその思想性に生きる孤独な自立を選んだのだ。
この小文のテーマでもある「思いやりの再会」のエンディングだけはくりかえしたい。何年かのち、水爆実権反対キャンペーンの街頭で、ケイティは妻を伴ってニューヨークのホテルに現れた今は放送作家のハベルに再会する。まことに自然なハグのあと、ハベルは奥様と我が家へきてという誘いをそれはできないと告げ、ケイティは「そうね(その方がいい)」とうなずく。最後に「まだ(政治活動を)続けてるんだね」と尋ねられたとき、ケイティは。「そう、私は負け上手なのよ」(I am a good loser)と返す。アメリかの政治的現実と失った恋が重ね合わされるこの台詞はなんてすてきなことだろう。そしてハベルが去るとすぐに、彼女は「水爆実験反対」と声をあげて、行き交うひとにビラを手渡すのである。政治活動家の不器用でひたむきな愛の仕草をみごとに演じたバーブラ・ストライザンドは、むろんすぐれた歌手でもある。その歌うThe way we wereの美しい旋律が高まってゆく。
エリア・カザンの秀作『草原の輝き』は、『追憶』ほど知られていないだけにいっそう語りたい気持に駆られる。
映画は前半、1920年代のカンサス州は地方都市の高校に通う恋人たち、ディーン(ナタリー・ウッド)とバッド(ウォーレン・ベイティ)のはげしいキスと抱擁をぎりぎりと描く。ふたりは性の営みへの禁忌に縛られているだけに、愛の仕草は身もだえするようだ。その禁忌は主として二人の親たちから課せられている。富裕な石油業者のバッドの父エースは、息子にエール大学に入り都会の大手石油会社に就職する期待に執着し、ディーンが好きならやがて結婚させてやるが、今は彼女に深入りして責任をとらされるような羽目になるな、女がほしいならその手の商売女を抱けばいいと言う。名優パット・ヒングルの演じるエースの説得の迫力はすさまじいほどだ。一方、庶民的なディーンの家族は、エールの会社の株をもち、その時代の株価上昇に有頂天である。伝統的で世俗的の価値観に徹した母親は、溺愛する娘の将来のバッドとの良縁を望むだけに、「一線を越えれば飽きられて捨てられるだけ」と、二人の交際に干渉し監視を怠らないのである。
物語は、ふたりの一時的な別れ、バッドのコケティシュな同級生との浮気、ディーンの焦慮と鬱屈・・・と展開する。ディーンは、「どうしたの? バッドに汚されたの?」と問い詰める母に、「いいえ、なにもされていない、触れてもくれないわ」と叫ぶ。そしてそのみじめさの自覚からついに禁忌の不自然さに気づき、卒業パーティに押しかけてバッドを今すぐ抱いてと誘う。だが、おそらくエースの期待を忖度して、バッドは拒んだ。その直後、ディーンは迫ってくる別の同級生の求めをはねつけ、滝に身を投じてしまうのである。助けられたが心の平衡は失った。駆けつけたバッドは、ディーンと結婚して地元の農業大学に進んで、牧場で働くとエースに決心を告げるけれど、手遅れだった。ディーンは、万事控えめだった父親が株を売って得たた資金で精神病院に入ることになった。
バッドはエール大学では目的を失った自堕落な生活だったが、行きつけのピザ店で働く明るいアンジェリーナ(ゾーラ・ランバート)には心を開いた。1929年、株価が大暴落してエールは破産した。エールはニューヨークのキャバレーに呼び寄せたバッドに、お前だけが頼りだが、もう精神病院にいる女とは結婚できないだろう、見ろ、あのダンサーのひとり、ディニーとよく似てて彼女と変わらないだろう、抱かせてやる!と、舞台に近づいてゆく。その深夜、バッドは、エールがホテルの高層から飛び降り自殺したと知らされる。
ディーンは順調に回復していた。手術に失敗した経験をもつシンシナティの医師との間に、バッドのときとは異なる静かな愛を育て婚約もした。退院して故郷に戻ったディーンは、バッドに会わせまいとする母親に逆らって、訪れた親友たちとともに、牧場で働くバッドを訪ねる。主治医もそうアドヴァイスし、父親も彼のアドレスを教えたのだ。バッドは貧しいながら妻のアンジェリーナと子どもとしあわせに暮らしていた。なにが語られるわけでもないのに必要にして十分な「思いやりの再会」。帰途、ディーンはワーズワースの詩を思い起こす。かつて心の危機のころ、この詩の解釈を求められて泣き崩れ、教室を飛び出したのだった。
<草原の輝き、花の栄光、ふたたび還らず、嘆くなかれ、その奥に秘めたる力を信じよ>
エリア・カザンは、終始一貫、端的に鋭く、青春の身に宿る抑えがたい愛の欲求とその試練をみごとに映像化している。ナタリー・ウッドのやみがたい身もだえも、ウォーレン・ベイティのゆとりを失うまいとしてそれができない戸惑いもよくわかる。それに短いショットや台詞でくっきりと印象づけられる周辺の人々の存在感。抗いがたい世俗の迫力を体現するエースは母親はもとより、例えばアンジェリーナにしても、登場するのはピザ屋の1場面のみだが、それでいて彼女がやがて失意のバッドの妻となり、汗染みた普段着で調理のフォークをもったままディーンを招き入れる佇まいがこのうえなく自然なのである。もちろん。ヒューマンな作家、インジの脚本も総て驚くほど説得的である。村上春樹は川本三郎との共著本で、この映画はなんど見ても泣いてしまうと語っているという。
私ごとながら、この映画のDVDを観賞したのは妻、滋子の85歳の誕生日の翌日だった。私は高校時代に滋子と出会い、その後、何度も別れそうになったけれど、結局また戻って、大学院時代の1962年に結婚した。『草原の輝き』を初めて見たのはその前後だったと思う。鮮烈な体験だった。抑えがたい性の欲求も、ソフトではあったが親の圧力も身につまされた。私たちは別れることなく、まさに「共白髪」で60年以上生活をともにしたが、それは、それほどに性の禁忌にとらわれず、61年頃には、滋子が私のぼろアパートに3日ほどは滞在するという、いくらか同棲に近い生活をはじめたからだと思う。でなければ何年か後には、私たちも「思いやりの再会」をすることになったことだろう。ともあれ、『草原の輝き』はわが青春の映画である。初見の時の場面のいくつかは決して忘れることがなかった。ワーズワースの詩の訳も当時の記憶にもとづく。DVDでは、もっと平易な口語訳であった。