7月4日、連日の猛暑のなか、妻・滋子は私より2ヵ月半ほど早く86歳になった。この頃、私たちは、体力的にも経済的にも「まだできること」を確かめながら日々を過ごしている。そんな私たちふたりの典型的な外出のなかみは、名古屋へ出て、季節に応じて公園の花々を楽しみ、かならず映画をみて、書店をのぞき、8000~10000歩ほどウォーキングして、リーズナブルな行きつけのレストランで夕食をとることだ。先月末には、名駅地下街の「廣寿司」で数量限定特価1000円の「にぎわい弁当」を昼食とし、伏見のミリオン座で『ホールドオーバーズ』と『あんのこと』(6.29のFB投稿参照)の二本を観て、伏見から名駅まで歩き、ミッドランドの「文化洋食」でオニオンスープとハヤシライスの夕食をとった。この日、歩いたのは7500歩、総経費は17000円ほどだった。
交通費、わけても近鉄の値上げが痛い。名古屋への往復だけで2400円ほどかかる。高齢者の外出を勧めるなら交通機関のシルバー料金制度をつくるべきだろう。しかし、心臓弁膜症で投薬・経過観察中の妻も、この日も、スピードは遅いが歩き通した。「典型的な外出」はまだできるようだ。とにかくふたりとも身体を動かしたほうがいい。
それにしても「もうできなくなった」ことはあまりに多い。2019年が最後だった海外旅行、ハイキング、筋力や耐久性やバランスの要る庭や屋内での作業はもうできない。ふたりとも認知能力や整理能力や記憶力が衰えて、いつももの探しをしている。小1時間ほどのシェスタは不可欠だ。幸い腰、膝、脊柱などの障害も重い内臓疾患もまぬかれていて、散歩や愛用の電動アシスト自転車でのショッピングはまだ可能だが、全体に行動はのそのそしている。外食は頻繁だが、年金以外の収入が皆無になった今は、後10年ほどのありうる大きな出費――このところ相次ぐ不可避の耐久材の買替え、できなくなった庭作業などの外注、必要になるかもしれない多額の医療費など――に備える貯蓄が心配で、2人で3万円ほどかかる懐石やフレンチのレストランには、よほどのハレの日でなければ脚が遠のく。その「ハレの日」が来る見通しはさしあたりない。
当面の私の最大にしてほとんど唯一の関心は、いつも二人三脚なのに、もう十分に元気とは言えない妻・滋子の心臓弁膜症のゆくえである。どうしても相互ケアの生活が続く。いま私は、午前中は日本の精神史などの書物を繙くけれど、午後からは、いまだ家事の担い手とは言えないまでも、家事修業、家事手伝いの日々である。それもいい。このところ、わが師、同世代の方々、信頼する若い友人たちの逝去、深刻な病苦、コミュニケーションのできないひきこもりなどの報にしきりに接する。私たちはまだ恵まれているのかもしれない。私たちは残存能力を探り当ててなお生き延び、この世がどこまで生きづらくなるかを見届けよう。私が担当する洗いものをしながら、そんな思いが胸に去来する。