その1 残業代ゼロ法案の欺瞞


ホワイトカラー・エクゼンプションへの「トロイの馬」
           ──「高度プロフェッショナル労働制度」考 2015.2.21記

 厚労省が労働政策審議会に提示した「残業代ゼロ」「高度プロフェッショナル労働制度」について考えるとき、なによりも忘れてはならないのは、現在、日本のホワイトカラーの多くが、とかく曖昧な労働時間管理の下で、達成の程度を厳しく査定される過重なノルマを課せられ、本来は非合法のサービス残業や休日返上を通じて他の先進諸国の水準をぬく長時間労働を余儀なくされていることだ。健康やワーク・ライフ・バランスを損なうような働きすぎが常態になり、過労死が跡を絶たない根因もここにある。そもそも「時間ではなく成果に応じて支払う」という、公平感に訴えるような枕詞は欺瞞である。仕事の成果を問われずに「だらだら」働いている労働者はすでにごく少数にすぎない。また、時間だけで支払われている?というなら、なぜサービス残業があるのか?

 企業の能力主義管理はすでに労働時間の多寡だけの評価方式を脱却してはいる。だが、残業や深夜業への割増手当の法的義務をすっきりと免れたい企業は、能力や成果だけを評価するシステムを可能な職域から導入したい。今回の提案は間違いなく、働きすぎすぎを助長するこの「ホワイトカラー・エクゼンプション」への第一歩となる。
 金融商品の開発・ディーリングやコンサルト、製品・サービスの研究開発など、仕事量などに関して「企業に対する個人取引力がある」と想定される「高度プロフェッショナル」への職域限定。従業員の平均年収の3倍以上、1075万円以上という収入条件。これらをみれば確かに新制度が適用される範囲はさしあたり限られるかもしれない。だが、働きすぎ防止の歯止めとして提案されている措置──在社時間と自己申告の社外労働時間からなる「健康管理時間」の規制、つぎの勤務までのオフタイムの下限を設定する「インターバル制度」の導入、年104日の休日取得(これは週休日にすぎない!)などはすべて、法的強制力なく、これからの厚労省指導や企業内の「合意」決定に委ねられていて、その実効性は危うい。それになによりも、新制度の適用される労働者の範囲は、多くのホワイトカラーに拡大される可能性がきわめて大きい。
 政財界は「小さく産んで大きく育てる」つもりなのだ。はじめてホワイトカラー・エクゼンプションが導入されたとき、財界は年収400万円以上に適用と表明している。

 日本の正社員や労使関係のありようをふりかえりたい。「高度プロフェッショナル労働」制が具体的に適用される職域は「柔軟な働き方」を旨とする日本的能力主義のもとでは、ひっきょう企業内での個人別決定にならざるを得ない。そこで上司は、労働時間に関わらずがんばらせたい従業員に、あなたに期待するのは「ただのサラリーマン」の自足なんかじゃない、高度プロフェッショナルとしての創造的な貢献です、あなたはできる、新制度の適用に挑戦してみなさい、と誘導するだろう。その際、ワーク・ライフ・バランスを大切にして引き続き地味な仕事を続けてゆこうと思い定め、この励ましを装う誘導を拒むことのできるノンエリート気質の正社員はそう多くないだろう。よかれ悪しかれ上昇志向に靡く日本のサラリーマンの「強制された自発性」にもとづいて、新制度適用の前提である「本人の合意」が容易に成立することになる。その点では、意味不明瞭な「開発型営業職」への裁量労働制適用の同時提案はいっそう、適用される労働者の雪崩のような増加を招くだろう。
 現時点の日本で働きすぎ防止に本当に必要なことは、ノルマ・仕事量、残業の諾否などに関する労働者の発言権、労働組合規制の復権にほかならない。この労使関係的な営みがさしあたり難しいとすれば、すべての職種を対象にした残業マキシマムと、せめて10時間のインターバル制の法制化が不可欠である。

このエッセイは、共同通信社会の依頼による「識者評論」(今のところ4紙ほどに掲載)に修正・加筆したもの