その9 <社会>としての労働組合(2024年6月3日)

 この「連載」は、労働研究における私なりのキーワードの意味するところを、発想の時期にとらわれず思いつくままに綴ってきたが、研究史の中期以降に精力を注いだ日本の労使関係の把握に入ってゆきたい。今回はしかし、生涯にわたって執着した、私に特徴的な――少なくとも日本では――労働組合という組織への視点を示しておきたいと思う。その着想は1976年の『労働者管理の草の根』の所収論文に遡り、後期2013年の『労働組合運動とはなにか』(岩波書店)にいたるまで継承されている。それは、<社会>としての労働組合、という把握である。
 若き日の着想の論文では、ヒントを得たF・タンネンバウム、S・パールマン、A・フランダース、H・A・クレッグなど古典的な文献の引用に満ちている。しかしここでは、2013年の著書の、「原論」の章にみる「社会(学)的にみた労働組合」のくだりからかんたんに説明しよう。
 生産手段を奪われて労働力を商品として売るほかはない労働者階級は、まずアトムとして労働市場に投げ出され、資本家に拾われ棄てられて翻弄される。けれども、労働者はいつまでもばらばらで星雲状態のなかを漂い続けるのでなく、やがては、無意識的にせよ、星雲のなかに「可視的ななかま」、すなわち生活上の具体的な必要性と可能性を共有する他人がいるような、ある境界をもつ領域をきっと見つけるだろう。領域の境界は基本的には仕事の種類や職場や技能、副次的には人種や宗教、性や年齢など多様であり得るが、この領域を私は、まず自然発生的な<労働社会>とよぶ。
 「可視的ななかま」のうちには、助け合いや庇い合いの慣行が自然に生まれている。例えば、なかまの間では決して競争しない、仕事を分け合う、困窮したなかまを扶助する仕組みをつくる、働きと稼ぎにおいてぬけがけしない・・・などである。だが、すぐに疑問が生まれるだろう、こうしたなかまの「黙契」は果たして持続可能なのか?
 自由競争という資本主義体制の「公認の道徳」が浸透している。雇用主は低賃金で働く人を求め、どこまでもなかま同士を競争させようとするだろう。労働者のほうも、緊急の個人生活の必要性に直面してしばしば、それで雇ってくれるならと、進んで、またはやむなく「黙契」を裏切るという現実がある。労働者はそこで、ゆっくりとではあれ、放置すれば風解する「可視的ななかま」の領域や、そのなかでの反競争的な暗黙のルールの意識的な構築を迫られることになる。ユニオニズムが芽生えるのはここからだ。それゆえ、自然発生的な<労働社会>を意識的に組織化したものが労働組合であり、その内部で息づいていた助け合い・庇い合いの黙契を意識したものが労働組合の要求・政策ということができる。私は若き日に、W・M・Leisersonの次のような記述にふれて心底から納得した、その感銘を忘れられない。
 労働組合機能は、公式の組織が賃金労働者の間に現れる遙か以前から存在した、職場労働者の習慣や気質に根を降ろしている・・・われわれの知るような組合規範と団体協約は、事実上労働者の書かれざる習慣と掟の法制化であって、それは習慣法が成文法に対してもつ関係と同じである」(American Trade Union Democracy、1959、P.17)。
  
 一般に<労働社会>の形成の基準は、ひとつは、職業的生涯、異動してもそこには留まるという意味での「定着」の範囲の共通性、今ひとつは、労働者生活における具体的な必要性と可能性の共有である。この<労働社会>の多様性が、労働史上に現出した労働組合のさまざまの組織形態の由来を説明するだろう。このように概念化することができよう。

 A・企業に定着する人
  ――a経営者・管理者へのキャリア展開――企業社会⇒企業別組合
  ――b特定の職種・職場に定着――職場社会⇒産業別組合(職場支部)
 B・職業(専門職・熟練職)に定着する人――職業社会⇒クラフトユニオン
 C・産業・職場・(非熟練)職種への就業が偶然的で流動的な人
  ――特定の地域への定着を経て地域労働社会⇒ジェネラルユニオン(一般組合)
註:もっとも、ABCの分類が同じでも、人種・宗教・性などによって「文化」(もの
  の考え方)があまりにも異なる場合には、組合組織が別になることが十分ありうる  だろう。現代日本では、女性だけのユニオンや非正規労働者の組合の結成はむし   ろ自然である

  日本についても<労働社会⇒労働組合>と把握することは、あるいはいぶかしく思われるかもしれない。しかし企業別組合に帰結させたものは、他の要因も作用すたとしても、ひっきょう日本なりの<労働社会>、企業社会であった。国際比較的にみれば、もちろんその特異性は明かである。企業社会は、黙契にすでに資本の論理が浸透しており、他国の<労働社会>のような反競争性が明瞭ではない。もっと枢要の異常性は、Abの人びとの職場社会がAaの従業員にこそふさわしい企業社会から自立せず、そこに曖昧に吸収されていることだ。こうした企業社会の性格については後にまたふれるけれど、企業別組合といえども、少なくとも1970年半ばくらいまでは、確かに世界共通のユニオニズム的な営みを発揮しなかったわけでなかった。そこを顧みれば、日本の労働組合運動を「世界の常識」を外れた、比較できない異質の運動とみることは、むしろこれからの日本の組合組織の変革の展望を絶望視させることに通じるように思われる
 この項の終わりに、最近、1984年~85年イギリスの炭鉱大ストライキの軌跡を細部にこだわって辿る作業を通じて、<社会としての労働組合>という長年の持論については、ある点で反省を迫られたことを付記したい。新自由主義の嚆矢ともいうべき炭鉱の閉鎖・大合理化に対して、10万人以上の炭坑夫たちは1年にわたって力尽きるまでピケをふくむストライキをもって抗った。その基礎はなによりも男たちの職場社会の結束であった。だが、抵抗力の驚くべき持続は、彼らの家族、女たちのつくる炭鉱ムラ・コミュニティの協力と援助、相互扶助の活動によってこそ支えられていたのだ。職場社会は居住地のコミュニティに抱擁されるとき、いっそう強靱に立つことができる。そういえば日本でも、かつて強靱だった炭鉱組合運動の背後には「炭住」の絆があったことにいまさら気づく。私の労働社会論は、この居住コミュニティの存否ということに関心が薄かったと反省させられたものである。くわしくは、冷静な叙述をもってしかるべき敗北の過程が「哀切を込めて語られている」とも評される、2023年の拙著『イギリス炭鉱ストライキの群像――新自由主義と闘う労働運動のレジェンド』(旬報社)の一読を乞う次第である。

大企業のサラリーマンや「OL」も、エンジニアや旋盤工も、教師や医師も、トラックドライバーも看護師も、スーパーのレジ担当パートもファストフードのアルバイト店員も、労働力商品の販売者としてはすべてプロレタリア、労働者階級である。けれども、彼ら・彼女らのそれぞれの<労働社会>は同じではない。日常生活上の必要性と可能性や「可視的ななかま」の範囲が異なるからだ。<労働社会>こそが多様な形態をとる持続的な労働組合の培養器となる。「階級としての労働者」が労働組合をつくるという命題はきわめて一般的な意味では正しいとはいえ、その一般論のみを強調する一部の「左派」研究者や労働運動実践者はしばしば、広くプロレタリアにふくまれとはいえ<労働社会>を異にする労働者さまざまの具体的な生きざまの凝視を怠り、ひいては、労働組合の組織形態にも無関心になりがちである。みんな連帯できる同じ労働者ではないか、そのなかの生活の格差や個々のニーズにこだわるなというわけだ。
 そのよびかけは総じて空しい。もとより、たとえば全国民的な政治課題をめぐる街頭行動とか、ゼネストに近い統一ストライキとか、労働者が<労働社会>の境界を超えて一斉に行動するときは確かにある。それは心の躍る非日常的な祭りだ。だが、祭りが終わるとき労働者の帰る居場所は、やはり職業社会や職場社会や地域一般労働社会であり、それぞれにふさわしい形態の労働組合なのである。
 私が労働組合の役割を経済的機能や政治的機能に限局せず、<社会としての労働組合>に執着するのは、労働組合とは、労働者が誰しも、個人のもつ競争資源の乏しい「孤独な稼ぎ人」たることをまぬかれる、なかまとの絆、相互扶助、、生活擁護を闘う協同の場をもたねばならないという思いに根ざしている。そこは居場所だ。一介の労働者は孤立してはやってゆけない。そこに帰属し、絶えずふりかかる受難に連帯して対応できるような居場所が不可欠なのだ。
 私の議論がさしあたり「ねばならない」という「べき論」であり、ユートピア論にすぎないと受けとられることを、私はよく承知している。たしかにいま現時点の現前にあるものは、従来、労働市場での不成功者の苦境をいくらかは緩衝してきた大家族や地域共同体が著しく衰退したのに、帰属すべき<労働社会>のないまま、過重労働や過少雇用、ひいては孤立貧に呻吟するニッポン・プロレタリアーとの群れである。
 企業のノンリート従業員もかつての職場社会の紐帯を失っている。まして、非正規労働者や低賃金の単身者、稼ぎのよい配偶者を欠く女たちは、まったく助け合いや生活改善に協同できるなかまをもたず、非情の雇用主に拾われ棄てられをくりかえし、文字通りの生活苦はどこまでも続いてゆく。最近の手近な文献では、例えば田中洋子編著『エッセンシャルワーカー』(旬報社)、東海林智『ルポ 低賃金』(地平社)などでその一端を知ることができよう。
 そうした孤立と貧困の深刻化に対して、保守政権の行政の吝嗇な生活支援策に心細く依存するだけでいいのだろうか。やはり当事者たちBY THE PEOPLEの営みが不可欠なのだ。 過重労働や貧困に苦しむ人びと自身が、自己責任論の軛を絶って、帰属する<労働社会>を探り当て、その居場所それぞれにふさわしいかたちの労働組合の意識的な構築につなげること。日本でも、クラフトユニオン、コミュニティユニオン、地域一般組合、企業横断の産業別組合など、もっと多様な労働組合が組織されるべきだ。これまでずっと新自由主義の「悪魔の挽き臼」に粉々にされてきた若い世代、いわゆるZ世代の一部は、そう気づいて、ささやかながらその萌芽を育てはじめているのではないか。私のできることはもうほとんどないけれど、<社会としての労働組合>の必要性論を可能性論に高める方途は、なお模索してゆきたいと思う。