(1)イギリス労働者階級の子どもたち
このたび、24刷に到ったロングセラー、ポ-ル・ウィリス『ハマータウンの野郎ども――学校への反抗・労働への順応』(ちくま学芸文庫、1996年、原著LEARNING TO LABOURは1977年刊)を、ある必要性を感じてあらためて精読した。翻訳者はすぐれて畏友・故山田潤。私の関わりは「共訳」者の名に恥じるほど限定的であり、出版交渉、部分的な翻訳修正アドヴァイス、読みやすい訳文へ修正などにすぎない。
本書は、イギリスにおける公立中等教育機関の底辺、労働者階級の11歳~16歳の子弟の大半が通う「セカンダリー・モダン・スクール」を舞台に、学校に反抗する「野郎ども」グループのビヘイビアを、学校に順応する「耳穴っこ」などと比較しながら、前半ではその生活誌を語り、後半ではその反抗の意味と評価の明暗を分析する、文化人類学・社会学研究の名著である。とりあえず充実この上ない本書の内容の「概要の概要」を、いくらかは私の思い入れもくわえて紹介してみよう。
野郎どもは、階級差別感のない教師たちが懸命に提供しようとする知識、秩序と実直への躾、個人としての能力開発と努力の将来的な効用・・・などを無視し、からかい、やりすごす。学校文化への順応は、今ここにある自由、なかまと共有する悪戯の楽しみや絆を捨てることになるゆえ窮屈なのだ。彼らは学校に順応して、進学コースのグラマースクールや、熟練工の徒弟になる過程としての「テクニカル」に赴く耳穴っこをなかまから排除し、ひそかに軽蔑している。その結果、野郎どもは卒業後はいわば必然的に分業構造の底辺に位置する肉体労働に就く。しかし野郎どもは従容として底辺の仕事に順応するのである。
野郎どもが打ちのめされないのはなぜか。ウィリスはそこには学校教育の効用が及ばない資本主義的階級社会に普及する労働のある現実についての、彼らなりの「洞察」があるという。大半の労働はどれも同じ無意味な営みであり、大切なのは労働の内容ではなく代価としての稼得である、それに、底辺労働から上への脱出可能性は限られており、そのための努力のために当面の自由や「やつら」に対する自律性や消費の楽しみを繰り延べて我慢することはない・・・。それになんといっても底辺の肉体労働は(今流行のタームでいえば)エッセンシャルな仕事なのであり、それを俺が担うのだ・・・というわけである。
ここにもうひとつ、注目すべきことは、野郎どもの反学校文化や就職スタンスについてのある自信が、父親やその職場に根を張る労働者文化に抱擁されていることだった。ウィリスは美しい文章でくこう書いている。
一般に労働階級の職場文化は・・・きびしい労働条件や他律的な服務にもかかわらず、労働する人びとがそこになんらかの肯定的な意味を見いだそうとし、独自の行動規範を打ち立てようとする事実のうちに本来的な根拠を置いている。他人によってどれほどきびしく管理される場合であっても、職場の労働者たちは自分たちでなしうることを実行に移し、その自前の実践のうちに楽しみを見つけ出す。それ自体は生気のない干からびた労役の間をぬって、およそ敗者の泣き言とはほど遠い文化が生きているのである。よそよそしい力が支配する状況を自分たちの論理でとらえかえす・・・
そこには、一定範囲での労働者自治による環境の読み替えがある。例えば自動車のエンジン加工ラインで働く野郎どもの父親のひとりは語る――職場を仕切ってるのはおれたち。職長が配置を決めるのでなく、おれたちが担当職務を輪番で遂行する。ラインには4つほど厄介な担務がある。それを仲間たちが交替でやる。いちど職長が勝手に配置を命令しようとしたので、おれたちはストライキをした・・・。
私見では、これは多分イギリス特有のやまねこ(非公式)ストライキであり、その背景にはその当時(70年代)・その地域(バーミンガムに近い工業都市)で強靱であった労働組合、おそらく非熟練工を中心とする運輸一般労働組合(TGWU)が盤踞していただろう。日本では考えられないほどの仕事配置に関する労働者の自治的支配ということができる。ともあれ、そんな父親の体験談を聞き育ってきた野郎どもは、これは学校で自分たちでやってきた「環境の読み替え」と同じだ、だから自分たちは、働くようになっても、こんなふうにやってゆけると感じるのである。
とはいえ、ウィリスはここから反転して「洞察」の批判、その光を曇らせる「制約」の考察に立ち入る。野郎どもの情念には、アジア系移民に対する差別意識とともに、ぬきがたく男性中心主義、ある女性蔑視にもとづく性別役割分業意識がまとわりついている。それがマッチョな筋肉労働の重視と過剰な誇り、仕事の精神労働的側面や事務労働の役割の軽視を導き、ひいてはそれぞれの職業の多様性の尊重や、仕事そのものでの裁量権拡大の意義を見失わせることになる。長年の徒弟経験の上で一定の裁量権を享受する熟練労働なぞは耳穴っこの仕事、机の事務労働なぞは女の仕事というわけである。そしてこうした「制約」は結局、なかまの限定を通じて、大元で労働者階級全体を支配する資本主義のピラミッド型の分業構造を撃つことなく、むしろその再生産に寄与するのだ。皮肉にも、そして悲劇的にも、支配を拒む野郎どもは与えられる底辺労働に従容として順応することによって、彼らが歯牙にもかけぬ体制の企図する階層的分業への人びとの「しかるべき配置」に協力するにいたるのである。
こみいった考察ながら、なんという明晰な、この上なく密度高い叙述だろう。ほとんどの文章にサイドラインを引きたくなる。この充実の内容を伝える山田潤の訳業はまことにみごとである。山田と私は、1979年、イギリス労働組合のヒアリング調査で協同し、帰国してからそれぞれがほとんど同時期に原書を読んだ。私はこの本につよく惹かれたが、私の英語読解力ではいかにも心許なく、抜群の英語力をもち、高校教諭で教育問題にもくわしい山田を頼み、彼の訳で出版するよう筑摩書房に交渉した。いま再読して、山田の訳業の周到さにあらためて舌を巻き、2022年7月、74歳で他界してしまったこの盟友のことをしきりに追想したものである。
私たちの訳業の動機のひとつは、私たちの国の教育・労働関係の状況が、1970年代のイギリスとあまりに対照的であることに気づいた衝撃であった。しかし両国の状況はもちろん不変ではあるまい。そうしたことなどを、原著の時点、翻訳出版の時期、そして現時点について考えるみることが、このエッセイ後半のテーマである。
(2)<教室と職場>・日本におけるその関係の推移をめぐって
私と山田潤が、LEARNING TO LABOUR(1977年)の訳業を思い立った動機は、すでに(1)で述べたように。かねてから深い関心を寄せていた学校生活と就職との関係のありかたにみるイギリスと日本の大きな違いにひとつの衝撃を受けたからである。
私たちの国では長らく、<よい学校への進学⇒良好な学業成績⇒有利な就職⇒スムーズな昇進>というコース選択が、普通の国民意識であり、それがまた教育熱心な親、「まじめな」子弟の願いであった。そして高度経済成長期には、この個人主義的で能力主義的な選択はかなり成功が約束されていたかにみえる。翻訳をはじめた90年代半ば、中学卒の38%は高校へ、高校卒の45%は大学へ進学している。おそらく産業社会の要請する多くの職務に必要な学力や知識の総量がこの学歴水準の膨張をもたらしたわけではない。けれども、人びとは学校が評価する勉学の態度(例えばに嫌いな科目でも真剣に取り組む姿勢)、秩序への順応、実直さなどが、私見では配置のフレキシビリティに応じうる<生活態度>という日本的能力主義の要請に適合的であることを把握していたのである。
1970年代をピ-クとして管理教育に反発する生徒たちの暴力的反発もあり、いつの時期にも学業についてゆけない生徒たちの輩出があった。だが、イギリスの「野郎ども」のように、親たちもさして気にとめない反学校文化の生徒たちが層として形成されることはなかったように思われる。日本では学校文化に順応する「耳穴っこ」が圧倒的であり、そうでない生徒は「落ちこぼれ」であった。広義の「落ちこぼれ」は総じて孤独であり、打ちのめされていて、野郎どものように仲間との黙契に従って朗かに、したたかに学校生活を過ごし、従容として底辺労働に赴くビヘイビアはない。年々増える一方の理不尽ないじめやしかるべき不登校は、学校という権威の限界を示すものとはいえ、それらは若者たちの自信とユーモアをふくむ反学校文化とはいえないのである。
なぜそうなるのか。イギリスの野郎どもが学校での評価を気にしないのは、背後にある伝統の労働者文化に抱擁されており、どんな底辺労働についてもその抱擁のなかで「環境を読み替えて」結構やってゆけると感じているからだ、過酷な労働条件に遭遇しても、労働者の仲間に入れば、権力に抵抗できる一定の自治的な営みができる、と。しかし対照的にも、ある意味ですでに「国民的」で、労働者階級の文化はまず不在であり、底辺労働の界隈で産業民主主義的な抵抗を見通せない日本では、いいかえれば学校での評価が職場での明暗に直結している日本では、学校での落ちこぼれは打ちのめされたまま、あえていえば3k(危険で・汚い・きつい)仕事、あるいはなかま間の競争と能力主義の熾烈な職場に赴くほかないのである。学校の落ちこぼれは胸を張って就職することができない・・・。
このような日英・彼我の違いには、では2020年代なかばのいま、なにか変化が見られるだろうか。
イギリスも変貌を遂げている。国際的な経済競争への対応と産業構造の変化に迫られたこの国において、1980年代以降、新自由主義の旗手サッチャーは、70年代まで強靱さを誇った労働組合運動に挑戦して勝利を収め、その背後にあった労働者階級の絆に支えられた労働者文化の建材を危うくもした。進出した日系企業の「日本的経営」のインパクトもあって、就職した野郎どもにそれでもやってゆけると感じさせた労働者の自治的規制の余地も狭くなったといえよう。一方、学校についても中等教育の一元化が進められ、個人の競争的ながんばりによって将来の仕事の明暗が決まる兆しが現れている。私はこの分野の見識に乏しいが、イギリスもその点では、国民規模で競争が展開される「単線教育」の支持者が多い日本に接近したとはいえよう。
では、私たちの国ではどうか?1970年代後半、低成長時代の到来とともに親の期待が達成される余地が狭まり、限られた有利な就職・順調な昇進と昇給のポストという成功を求める進学熱・受験競争がいっそう熾烈化する。しかし「失われた20年」を象徴する就職氷河期(1993年~2004年)は、「一流」大学を卒業して努力した競争の勝者に大企業正社員や公務員や各種の専門職のポストを獲得させる一方、他方では就職戦線での多数の敗者を多様な非正規雇用者、正社員でも「ブラック企業」の従業員、都市サービス産業の雑業などに追い込んだ。平等なはずの国民は、「団塊ジュニア」の世代においてこうして明瞭に格差をもつ階層に分断されたのである。
そしてこの階層化が進行するなか、次世代「Z世代」のうち敗者の家庭で育った若者の多くは、不遇の親たちの勉学の督励も空しいと感じ、学校の提供する知識のまじめな習得が卒業後の企業や職種の選択に大きな意義をもつとは信じられなくなっている。2024年の時点では、中卒の99%は高校に進学し、高卒の59%は大学に進む。しかしそれ自体も質的レベルにおいて階層化されている高校でも大学でも、その「下半分」では徹底した勉強離れと学力不足に多くの教員たちは空しく手をこまねいている。大学によっては学生はほとんどフリーアルバイターといえよう。全体として野郎どもが輩出し耳穴っこの層が薄くなったという点に限ってはイギリス化が生じたといえないこともない。
だが、制度としての学校の空洞化以上に本当に深刻なことは、若者の勉強離れ・学力不足のもたらす知性、とくに批判的知性への徹底的な忌避というおそるべきモメンタムにほかならない。スマホのSNSしかみない、TVでは深刻な番組は避ける、本や新聞は読まない、いや万事「タイパ」志向で、フェイクを正確に暴く書物などは読まないばかりか、もう読むことができなくなっているという。それは扇動政治に易々と靡く悪しきポピュリズムの土壌と断じることができる。
「落ちこぼれ」が就くことになる仕事やどれも似たような一般労働であり、学業の努力は刻苦精励に値しないという認識は、野郎どもの「洞察」と同じかもしれない。だが、ここでふたたび注目すべきは、日本においてはイギリスでは学校離れを抱擁した労働者文化は、依然として不在であり、いっそう不可視であることにほかならない。団塊ジュニア世代の成功者は競争と結果的格差を肯定する能力主義の鎧を身にまとったけれども、不成功者たちは新自由主義の掟である自己責任論で問責され、アトムのまま不遇に絶え続ける。その子弟は、真実エッセンシャルワークであるか否かを問わず、就業可能だった労働条件の劣悪な仕事群に、「従容として」にはほど遠く、やむなく、あるいは自暴自棄で入ってゆくのだ。その界隈で「環境を読み替える」仲間の絆も、それができる労働組合運動もさしあたりないからである。
このように暗い考察のうえで私はどのような希望を紡ごうとしているのか? 具体的な提言にはほど遠いが、発想の方向としては、要点はふたつである。
ひとつには、産業規模であれ、職種横断であれ、シスターフッドであれ、地域ごとであれ、生活と権利の必要性と可能性が可視的な範囲にあるなかまが、共通の文化(ものの考えかた)を育てることのできるソサイエティ、例えば地域の企業横断労働組合や市民運動グループなどの凝集体を、いかにしても構築し広げること。
いまひとつには、その対話と学習活動を通じて、ソサイエティのメンバーが権力やエリートからの加圧――誘導や操作や統制に抵抗できるまでの批判的知性を培うこと。そのためには、公教育の巨大な資源を、視野のひろい教員たちの協力のもとに活用すること。
あながち時代遅れのロートル・レフトの空想論ではない。さらに論を進めることはもう私にはできないけれど、なお支配的な新自由主義のなか社会的格差が深化しているのに、社会民主主義ばなれした「保守中道」のかたちでアモルフな国民を統合しようとするナショナリズムの風が吹きはじめている現代日本でも、そのゆくえを危ういと感じる人びとの試みる、こうした萌芽はかならずあるはずである。