ようやく暖かくなった3月21日は、私たちの63回目の結婚記念日だった。なんのお祝いもなく、四日市の思い出ぶかい界隈をただ散策した。南納屋の運河にかかる相生橋から、かつて遊郭だったという高砂町を抜けて、小さな灯台のある旧港の突堤に出る。学生時代によくデートしたところ。外海を隔てて積荷を降ろす巨船、向いには古い波ぬきの穴の列、左に白銀の大協石油のコンビナートプラント、舫っている多くの漁船・・・という景観である。そこから新しくできた遊歩道が延び、運河の大きな水門を回って相生橋に戻る。そこから、仏像の多い大師之寺を覗いて、諏訪新道を歩いて近鉄四日市へ辿るだけである。
諏訪新道はかつては四日市の中心で、戦後は餅、精肉、うどんなどの老舗がならび、戦後初期には、大きい鉢のぜんざいを8杯食べれば無料だった「びっくりぜんざい」の「うまいや」とか、後にイオンに発展する安価な衣料の「岡田屋」とか、「とんかつを食べて寝れば太る」と看板を掲げたとんかつ店などで賑わっていたが、今は寂れている。よく立ち寄った小さな喫茶店「小麦」ももうない。
1950年代に四日市高校の新聞部で知り合い、「永すぎた春」を経て62年に結婚した私たちは、大学時代の頃からおよそ60年以上も文字通り一緒に歩き続けてきた。京都、奈良、神戸、名古屋の各所はもとより、西欧、東欧、東南アジア、インド、イランとかウズベキスタンなどの魅惑的な美しい古都を、世界の名だたる美術館を、80年代末ごろまではときに息子たちと。妻とはいつも二人三脚だった。
そして社会の要請に応じた私の仕事が皆無になった現在もなお、私たちはほとんど目的なく歩き続けている、毎日1時間たらず近隣の野道や旧東海道を、そして今日のように四日市の街を。80年代半ばも過ぎて体力や脚力が著しく衰えている私たちは、歩かなければふたりともすぐに動けなくなると思うからだ。だから、上皇夫妻のように()寄り添って、実にゆっくりと。溌剌さも、先を急ぐ希望もないゆえに、四日市の寂れた諏訪新道そのものようなある寂寥感はまぬかれないけれども、歩き続けている。ちなみに先日、専修寺・一身田寺内町では1.3万歩、3.21の四日市では9700歩も歩いた。休みながらではあれ、心臓弁膜症・不整脈を抱える妻・滋子がこんなに歩いていいのだろうか。いや、それは望ましいことと信じたい。この「ふたりぼっち」に幸あれ!







