マリーナ・オフシャンニコワ。ご記憶だろうか、2022年3月14日21時、ロシア国営放送第一チャンネルのニュース番組で、局のプロデューサーだったその女性マリーナは、突然アナウンサーの背後にあらわれ、「No War 戦争をやめて。プロパガンダを信じないで。あなたたちは騙されている」という手書きのポスターを掲げたのだ。
世界に公開されたこの映像は6秒間で中断され、ネットに広がった動画は直ちにことごとく削除された。しかしマリーナは、すでに自身のSNSにこのように発信していた――今ウクライナで起きていることは犯罪です。そしてロシアは侵略国です。・・・私はこの数年間、クレムリンのプロパガンダを行いながら第一チャンネルで働いてきました。今はこのことがとても恥ずかしい。テレビの画面から嘘を伝えさせたことが恥ずかしい。ロシアの人びとをゾンビ化させたことが恥ずかしい。こうしたことがすべて始まった2014年(クリミア占領)に、私たちは黙っていました。クレムリンがナヴァリヌイに毒を盛ったときも、私たちはデモに出ませんでした。・・・この非人間的な体制をただ黙って見ているだけでした。・・・
マリーナは拘束され、職を失った。彼女の息子は、これまでの生活を台無しにしたとして彼女を非難したという。マリーナは、4月からドイツの新聞のフリーランサー・ジャーナリストの職を得たが、7月には裁判のためロシアに帰国し、ロシア軍の信頼を失墜させたとして5万ルーブルの罰金を科せられる。しかし驚くべきことに、その間、彼女は、権力の中枢クレムリン近くで、ウクライナで殺された子どもたちの写真をつけたプラカードを手に、ひとりで反戦キャンペーンを実行している。252人の子どもたちが殺された、あと何人の子どもを殺せばすむのか、プーチンは人殺しだ、と。もちろんこれも虚偽によってロシアを貶める行動とされ、マリーナは自宅軟禁される。けれども、その後マリーナは娘とともについにフランスに亡命するのである。
23年10月、欠席裁判は、マリーナに8年半の実刑判決を下した。私が胸をつかれるのは、彼女の母親、息子、そして元夫が、検察側の証人として出廷した事実だ。元夫は、マリーナの親権を剥奪する訴訟を起こし、娘の捜索願いも出している。ロシアの世論は、肉親さえもマリーナから引き離したのだ。
今パリで娘と暮らす47歳のマリーナは、23年にドイツで出版した「自伝的フィクション」のエピローグに次のように書いている。
「ときどき私は、娘をこんな試練に遭わせてしまったことで自分を責めることがある。・・・慣れ親しんだ心地よい家庭生活を守るためには、何百万人ものロシア人がそうしているように、頭を砂の中に突っ込み、なにも恐ろしいことなど起きていないようなふりをした方が楽だったのではないかと思う。/しかし沈黙は犯罪に加担することだ。ウクライナの街にロシアの爆弾が降り注ぐ時、何もしないで黙っていることはできなかった。・・・」
マリーナ・オフシャンニコワは、つよい倫理的衝迫に突き動かされ信じられないほどの勇気を発揮して、私たちに希望の灯りを贈った。これまでもあったように、彼女がロシアの権力に暗殺されたりすることはないだろうか。命長かれ! その娘が母を誇りに思うことあれかし! そう祈りたいと切に思う。
以上の記述は、事実経過も発言も、まったく私見なく、全面的に高柳聡子『ロシア 女たちの反体制運動』(集英社新書)の記述そのままである。ちなみにこの本は、帝政時代、1917年革命期、スターリン時代、その後、プーチン政権期を通して、平和と人権、性差別反対などに身を投じたおよそ20人の女性たちとそのグループの系譜を追う、類書を見ない感銘ぶかい好著である。一読されたい。
写真は名高いイコン一枚のほかは2017年にロシアを訪問中カメラに収めた平凡な人びとの映像である。何も恐ろしいことなど起こっていないかのように日常を過ごすことでは、人びとはどこでも同じというべきか。




