●8月7日:2025年8月の試練
8月に入った。まずは先月に引き続く連日の異常な猛暑に迎えられる。5日には群馬県伊勢崎市で観測史上最高の41.8℃、14都市で40℃以上を記録した。クーラーの部屋に閉じ込められて読書や映画のDVDばかりの日々であるが、やはりはじめての夏ばてなのか、いつも眠く、けだるい感じをまぬかれない。
けれども、この8月には、妻・滋子が進行する大動脈弁狭窄症に対処するため、25日に四日市市立病院(CYH)に入院し、27日にカテーテル手術(TAVI)を受ける。私自身は、7月はじめに転倒して外傷性くも膜下出血などで緊急入院し、12日間の治療・安静静養を余儀なくされている。さいわいこれは全快し無罪放免となったとはいえ、次の妻の入院・TAVIこそは、私たちの余生のための闘いの正念場なのだ。私はあらためて、洗濯、掃除、ゴミ処理、その他もろもろの家事修行をはじめている。なによりも、猛暑のなか食欲が衰えがちなので、滋子がリーダー・私がヘルパーながら、昼食と夕食に食の進むような料理を用意するのに腐心する。こうして妻が疲れすぎないよう、入院・TAVIの準備が万全であるよう努める日々である。
それでも、もともとの高齢化現象――記憶力の衰え、バランスの危うさ、腕や指の筋力低下、長時間歩行の困難、難聴、転倒で一部破損した入れ歯の不具合など、要するに挙措のぎこちなさにうんざりさせられる。いつも捜しものと棚や引き出しの再整理に時間が過ぎる。もっとも、先週は、敬愛する大野章氏の講演会(8.2四日市)、関生労働組合弾圧を許さない東海の会(8.3名古屋)のイヴェントに参加して発言する機会があった。とくに多くのスタッフに病後の参加を危ぶまれていた名古屋の集会は、猛暑のため6600歩ほどの歩きでしたたかに疲れたけれど、京都から参加した旧友Kさんのエスコートもあって、なんとか「まとめの発言」まででき、回復をよろこばれた。
はまなすや今も沖には未来あり(中村草田男)
●8月15日:手術の説明と同意
14日午後、帰省した次男の透を加えて、市立四日市病院の循環器内科に赴く。主治医から、重症化している滋子の大動脈弁狭窄症について、カテーテル手術(TAVI)の時期的な必要性、作業プロセス、万一生じうるさまざまの合併症などについて実にくわしい説明があった。そのうえでさまざまの「同意書」に本人と私の署名を求められる。インフォームド・コンセントの徹底というのだろうか。今ではこの病気に対して、年に1万人以上、この病院だけでも約350人が受ける、死亡率も1%以下のTAVIであるが、その作業は細かく難しそうで不安ではある。けれども、妻の身体環境はTAVIに何も不都合がないこと、もし危険な合併症が起こりえてもそれは術後入院のうちに把握できることを質問で確かめて安堵する。「同意書」の正式の手続きや入院に際しての確認とかで待ち時間も多く、結局、半日仕事にはなって気疲れした。ちなみに今日の費用は160円のみだった。
18日に入院の詳細の説明、25日に入院、いくつかの検査を経て27日の朝にTAVI実施(1~2時間)。全身麻酔の朦朧状態もあって、家族が会えるのは昼過ぎだという。退院予定はいちおう9月3日。深刻な事態は起こらないと信じたい。ともあれ、私たちの余生のための闘いの本番はこうして始まった。
●8月27日:TAVIの成功。峠を超える
8月27日は、多くの方々が気にかけてくださり私ともども温かい励ましに恵まれた妻・滋子の大動脈弁狭窄症カテーテル手術(TAVI)。成功だった!
手術開始の9:00からの待機は、万々一のトラブルがどうしても心配でつらい3時間だった。いいこと・わるいことの想像、長続きしない読書、短い仮寝をなんどもくりかえす。ついに正午、術後に移された集中治療室(ICU)に呼ばれた。主治医の説明を要約する――予定通り経太腿カテーテル大動脈弁留置術を実施/術中に大きなトラブルなく、最終造影・経食道心臓エコーで人工弁周囲の漏れはわずか/現在、自己心拍は安定しており、ペーシング補助はしていないが、数日の経過観察が必要/輸血なし/全身麻酔からの覚醒は良好で、人工呼吸器は離脱。このぶんだと予定通り9月3日には退院できるでしょう・・・。滋子はもう意識が戻っていたが、さすがに顔色は悪く、物憂げで、ほぼ無口である。安堵に胸が熱くなる。よく頑張ったねと声をかける。
翌28日、10:30一般病室に戻ったと連絡があり、13:00に市立四日市病院(CYH)に赴いた。しかしこの病院の面会ルールがきびしく14:00にやっと妻と会う。やつれは残っており、点滴につながれてはいたが、手術前と同じ眼差しの滋子がいた。戻ってきたのだ!この歴史的な猛暑の夏、私たちの余生のための闘いはこうして峠を超えたかにみえる。
スナップは術後の滋子(8.28)、次男・透の好意による「壮行会」(なだ万)、その折の滋子、いま我が家で待つノウゼンカツラ(4枚)。




●9月1日:くらくらする猛暑のなか隔日ごとに手術後の妻に会いに出かける。昨日30日の段階で滋子はいっそう元通りの表情に戻っている。小説や新聞を読み、好きな「数独」もして、脚力の維持のため病棟の廊下を歩き回っているという。
ところがいいことばかりではない。1昨日から私のほうがなぜか突然、味覚と臭覚を失った。すべての食材がうまくなく、家でただでさえ味気ない簡単な調理を、外出時のレストランでリーズナブルなメニューを、完食するのがやりきれない。これはなぜか? 異常な猛暑のためか、高齢化のためか、このところ引き続いたストレスのためか。いつまで続くのか。どうすればいいのか。可能ならば、経験者のアドヴァイスを仰ぎたい。
スナップは9月1日の妻、市立四日市病院(2枚)。


●9月6日:妻の退院、その後
大動脈弁狭窄症のカテーテル手術を終え、術後の経過も良好だった妻・滋子が、10日間の入院ののち、9月3日午前、市立四日市病院(CYH)を退院した。親切な旧友K・Sのくルマで、菰野の自然薯レストランで昼食。長い間、味気ない病院食に絶えた滋子は「おいしい!」と完食した。13時前、我が家に着く。
それからほぼ3日、滋子は、やはりまだけだるい感じが残るらしく、よく眠っている。しかし外見でも挙措でも、以前のよう生気が甦りつつある。昨日など、ふたりでTV録画の映画『マグノリアの花たち』を楽しむことができた。私はといえば、妻の安静ファーストで、数日来の味覚・嗅覚障害(TSL)に悩みながらも、不器用ながら熱心な「主夫」として奮闘しようとしている。ある意味で「老老介護」のよう。TAVIは軽い施術といわれるが、それでも、全身麻酔・人工呼吸・生体弁を装着する血管内のカテーテル・その正確な位置を決める別のカテーテルなど、いくつもの装着・挿入を余儀なくされる。不安と拘束に妻はよく耐えたと思う。そしていま滋子は私の就床の傍らに戻ってきたのだ。
これまでふたりの生活に着地して、老夫婦の大きな試練だった<2025年晩夏の闘い>はこうしてようやく終わった。