その4 被差別者の自由
(2023年5月12日)

 労働問題の勉強のはじめから単純労働、分業と配置のありように深い関心を寄せていた私が、やがてこれらの議論に不可欠の位置を占める女性労働というものを研究対象のひとつとするようになったのは必然であった。とはいえ、研究初期の営みは、後に述べるように、伝統的な「3Mの領域」(man、manual、manufacturing)に限局された労働組合研究であって、本格的に女性労働の状況に取り組んだのは、前掲『職場史の修羅を生きて』所収の『歴史学研究』84年1月の論文「女性労働者の戦後」においてだった。歴史から文学に及ぶあらゆる知見を動員して懸命に執筆した記憶がある。そこで私は、「単純労働への緊縛、低賃金、短勤続という相互補強的な三位一体」および単純労働脱出の性別ルート(前項参照)を、女性労働のおかれた基本的枠組みと規定している。
 しかし、この構造に対する女性の主体的対応については、愛読していた森崎和江が、「女は『権力や支配力の外』にいて『不安なく遊べる状態』をのぞみ・・・『被害者の自由』をへそくりのように溜めています』と指摘していることに大きな影響を受けたと思う。未婚の{OL}であれパートタイマーであれ、私が昭和40年代以降の女性労働者のまずは屈託ない仕事観を<被差別者の自由>と規定したのは、上の森崎の鋭い指摘のいわば剽窃に近い表現にすぎない。
 日本企業において女性は仕事内容でも、賃金でも、雇用保障の実質でも、構造的に差別されている。だから企業や経営のことに責任を感じなくてもいい、そんな自由をもつのだという感覚。これは権力から疎外された者の小気味よい無責任であって、この規定にいささかも侮蔑もない。私は後年、一部のエリート女性に活躍の場をそれなりに用意する男女雇用機会均等法が成立し、能力主義管理の浸透する1993年に、あらためて「被差別者の自由――日本的能力主義と女性」という短い論文を書いている(『賃金と社会保障』1109号)。私は仕事に「後ろ向き」のこのスタンスを、むしろ欧米ブルーカラーも共有するようなノンエリートの思想として定立を試みたのである。
 この把握には多くの女性研究者から賛否両論の反応があった。なかには男の私には女性への侮蔑があるという本能的な反発もあった。しかし、この立場の限界または(正当にしても)その経過性を指摘するまっとうな批判もあった。ひとつは<被差別者の自由>論は、能力主義に背を向けてもそれに対抗する思想になり得ず、職場の性差別構造を撃つ実践性はないという批判、今ひとつは、これは結局、女性を職場から遠ざけ性別役割分業を承認させることになるという批判である。私も支援の陣営にあった住友三社の性差別告発の裁判闘争を担う論客、中島弁護士なども、そうした批判の論調であった。
 これらの点は、実は私自身、自覚するところであって、こうした批判は正当であった。私はむしろ、84年の論文でも、いったん企業の論理に外在的になったノンエリート女性性たちが、欧米のユニオニストのように連帯して、例えば家事一切を免除される男の働きぶりを基準とする能力主義を昔日のものとするような仕事の編成に乗り出す、そんなことを展望していたのである。この展望はなお夢想のままであるかぎり、<被差別者の自由>の概念は死に絶えてよい。だが、現時点において多様な非正規雇用の女性労働者が企業の内部にまで攻め上るとき、彼女らはひっきょう思想としての企業外在性を自覚するはずである。