その3 分業の構造と受容 
(2023年5月2日)

 <強制された自発性>の概念化は80年代のことであるが、このような把握の由来を回顧すると、研究史初期の60~70年代以来の私の大きな関心分野であった単純労働論と分業論にさかのぼることに、いま気づく。分析の方法意識の枠を超えた初期の研究内容に立ち入ることになるけれど、系論として、若い日に確信したことをふりかえってみよう。
 60年代に労働問題の勉強をはじめた私の目に映じた衝撃的な現実は、高度経済成長下の日本の職場に広く普及していた膨大な密度高い単純労働であった。どのような機会にそれぞれの職場の現実にふれたのかもう思い出せないけれど、例えば、東芝の汎用モーター工場の巻線・組線職場、総理府統計局のキー・パンチャー室、電電公社の「104番」電話番号案内作業場・・・などでは、大きな建屋の中でずらりと並んだたくさんの若い女性たちが、脇目もふらず一心にそうした手作業をしていた。少し後に、私は懸命に学んだC・ウォーカー、R・ブラウナーなど英米の労働社会学の自動車組立工――assembler 機械製作の熟練仕上工fitterとは区別される非熟練工――の細かい分析などを参考にして、単純労働を、作業方法、作業時間などの裁量権をもたず、機械と労務管理に命じられるまま作業する労働者と定義した。その定義はともあれ、私には単純労働は、日々息つく暇もないほどにゆとりがないばかりか、長く続けてゆくにはつらすぎる仕事であるように感じられた。当時、このような仕事はどれほど多かったことだろう。そして高度経済成長下の日本は、賃金水準は改善できても、こうした単純労働の要請を決して否定できないと私は確信したのである。だが、それにしても、彼ら、彼女らは、なぜこのような資本に求められるしんどい労働を、引き受けてくれるのだろうか?
 一方、私はそのころ、師匠のひとりである科学史家・中岡哲郎から決定的に大切なひとつの認識を教えられた。それは、生産と情報処理のシステムの一角が高度にオートメーション化されても、産業社会は、そのオートメーションの効率性を活かせるために、さまざまの単純労働の担い手をいっそう必要とするということである。例えば自動車のエンジンの穴開け作業がオートメ化されれば、その作業のスピードに対応するためには、以前よりも多くの単純作業のアッセンブラーが求められるいうわけである。形成される全体の分業構造は、そしてやはり、基本的には労働「やりがいの度合い」において上に薄く下に厚いピラミッド型、小池和男の穏健な表現では「将棋の駒型」であった。
 膨大な単純労働の現存とシステムのなかの多様な労働の分布をみる必要性。このふたつは私を分業の論理とその安定性への考察に向かわせる。およそ権力の求める産業社会の秩序は、分業体制の安定的な秩序維持なくしては覚束ない。近現代の権力のニーズは、それゆえ、とくに単純労働を中心とする下位労働の就業に「ふさわしい」とみなす人びと、すなわち、そうした就業を「叛乱」なく引き受けてくれる人びとを見いだすことにほかならない。では、それはどのような人びとか。大きくふたつの属性があると思う。
 ①長年の貧困や失業の体験、高度な仕事のまったき無経験などによって、就業さえで きれば仕事の内容はさして重要ではないと考える、またはそう考えさせられる人びと。 わかりやすく現時点の日本を念頭において具体的に挙例すれば、それはノンエリート の女性たち、非正規体験の続いた求職者、低学歴者、定年後再就業の高齢者、技能修 習などの外国人労働者・・・である。
 ②下位職務の遂行がただ経過的なものと意識している人びと
こうした単純労働の分析や分業の把握は、初期1976年の『労働者管理の草の根』(日本評論社、1976年)所収の「労働単純化の論理と現実」、「労働意識の背景」、「労働疎外論の今日」などの諸論文に明瞭である。そして私はあらためて、後期2000年の『女性労働と企業社会』(岩波新書)三章のなかで、この分業と配置の構造を定式的に述べている。もちろん、分業の安定的維持を支える労働者の下位職務への就業が<強制された自発性>の選択以外ではないことはいうまでもない。そのうえで上の①と②についてもう少し述べておく。
 まず②について語れば、続けてゆくにはつらすぎる単純労働・下位職務の遂行者は数多いが、労働者はそれを職業生活の一経過点として上位職務に「脱出」できれば耐えることができるかもしれない。ではどのように脱出するのか。これまでのところ、男性は年功制のもと昇進によって「上に」、それが難しい女性は結婚・出産退職によって家庭に、つまり「横に」脱出してきたのである。しかし②の脱出の選択は、とくに現時点では、①にあげた恵まれない就業者の群像には、利用できない場合のほうが多いだろう。彼ら、彼女らは、「脱出」といっても同種の仕事を強いられる別の職場への脱出であって、貧困の強制を逃れられず、わずかでも稼げることを恩恵として、その点だけでは自発的に労苦に耐え続けるのだ。私たちは農業、工場、建設現場、大量販売店、ファストフッド・・・で、どれほど多くの密度高く身体が疲れる、拘束的な単純作業者、コールワーカー、店員、警備員、配送係の低賃金労働者の群像を眼にすることだろう。非正規雇用から逃れられない低学歴の女性たち、フリーターやアルバイト、乏しい年金収入を補うために働く高齢者、そしてベトナム人やネパール人である。
 社会の歴史的変化によって、こうした群像が下位職務の受容を拒むようになるという心の踊る可能性はある。たとえば女性のジェンダー規範からの離脱、非正規雇用者のユニオニズムの台頭、外国人労働者の権利擁護などがあれば、分業秩序に対する異議申し立てが起こりえよう。1972年、アメリカはオハイオ州ローズタウンのGMペガ工場では、単純で他律的なコンベア作業の労働者7800人が「(賃金ではなく)このような内容の仕事はいやだ」と山猫ストに入ったものだ。若い日にその報にふれたときの大きな感動は忘れられない。このような「叛乱」こそは資本制社会を根底から変革する思想と行動にほかならないと感じたのだ。以来半世紀にわたって、私は現代の日本でのそのような萌芽を求め続けている。
とはいえ、さしあたり、資本主義の産業社会の分業構造は、それぞれの階梯の職位に「ふさわしい」とされる人がはめ込まれた巨大な階層社会のパノラマとして現れている。既存の「社会主義国」においても状況は同様であろう。いや自由な労働組合活動が許されない「社会主義国」の職場では、この階層社性はいっそうはばかりないかもしれない。いずれにせよ、その産業を代表する陽の当たる職務だけに注目して、基幹と補助、中心と周辺の仕事の相互依存性に注目しない、すなわち「パノラマ」をみない労働研究を私は軽くみる。私には、職場にあるすべての仕事について、就業者の正規・非正規別、性別、年齢別、人種別などの属性を把握できれば、職場の分析は半分は終えているように思われる。