毎朝、新聞を開くと、このところ国内でも海外でも社会状況は急速に危うくなり、それなのに多くの国民はその状況を危ういとは感じない空気が濃くなりつつあることを痛感する。私はもうこの傾きに抗う発言も行動もままならないだけに、いらだたしく憂鬱になる。それでも1925年初冬の今、やはり私には危機的と感じられる諸相を順不同でノートしておきたい。イスラエルのパレスチナ人抹殺や原発回帰・再稼働のテーマもむろん黙過できないけれど、ここではあえて4項目に絞りたいと思う。
その1。勇み足の高市首相が、台湾有事は「存立危機事態」でありアメリカの援助で武力行使さえありうると予算員会で答弁し、中国の強烈な反発と、貿易から観光に及んで深刻な影響をもたらす幾多の反日の措置を引き起こした。高市にしてみれば、自民党内の暗黙の了解であり、ボス麻生太郎など自民党右派のホンネの表明に過ぎないかもしれないけれど、これは安倍晋三ですら公言しないのが外交のコツとしてきたレッドラインの踏み越えであり、自国第一主義のアメリカも「台湾有事には武力介入」とは決めていないのだ。公表はされないとはいえ、トランプは習近平に要請され、愛娘のような高市早のあからさまな発言をたしなめたと考えて大過あるまい。議論の余地はない、高市は、「国益」ためにも<台湾有事⇒存立危機事態>発言を早急に撤回すべきである。
そうでなくとも高市早苗は日本を軍事国家とする準備を着々と進めている。以前に投稿した高市政権の「外交・安全保障」政策の一覧を改めて確認しておこう。
①トランプ戦略への無批判な追随/日本に対する軍事上の諸要求に対する前向きの対応
②防衛費増額・防衛力の抜本的強化/「安保3原則」の前倒し(現在GDP比1.8%の防 衛費の2%へのアップを即時実行、それ以降はおそらくトランプの要求に従って3.5%まで進む)/「明示的な指示」はともかく、実際は非核3原則、とくに「持ち込ませず」の緩和/武器輸出を限定する「5類型」の撤廃/軍需産業の政府需要と輸出の促進による財源確保/「敵基地攻撃能力」の一環、新鋭ミサイル設置など整備強化
③憲法改正――自衛隊を国軍と認定/国家情報局、対外情報庁の創設などインテリジェンスの強化/政府大権を行使できる緊急事態条項の導入
④スパイ防止法制定――国家機密の拡大、外国機関との連絡・接触の制限、それを通じ ての体制批判・左派勢力の駆除・・・。
こうして日本は、軍事大国化を通じてインド・太平洋の「平和」に主導権を発揮するという。「いつか来た道」というべきか。想起する、<軍国の冬狂院は唱に充つ>(草田男)
その2。トランプのウクライナ和平案に怒りを禁じえない。ウクライナの全面降伏に求めるかのような28項目は、ウクライナや英国、EU諸国などなどのしかるべき反発によって修正されて19項目になった。来るトランプ・ゼレンスキー会談でNATO加盟、ウクライナの許容兵力、棚上げされているロシアに割譲されるウクライナ領土の範囲などが協議されるという。だが、和平についてロシアはなお、開き直って侵略者猛々しく、ウクライナに全面降伏を迫る傲慢な立場をいささかも変えていない。
トランプはそんなプーチンに毅然と対決できない。そこで徹底した対ロシア制裁を打ち出せないまま結局、ゼレンスキーに、あんた、まだ絶望的な抵抗を続けるつもりかね、アメリカかはもう支援できないよと言いつのり、この最後の機会に大幅な領土割譲などは我慢してもう手を打てと要求するだろう。
このあたりは私の推測にすぎないが、当たらずとも遠からずではないか。トランプはこれまで、国際法上決して許されないロシアの侵略、市民の大量殺戮、住宅・病院・学校の破壊、略奪、子供のロシアへの連れ去りなど、はばかりないフルセットの戦争犯罪に対してなにも非難してこなかった。トランプははじめからプーチンのロシアに対する根底的な批判の目を失っているのだ。ちなみに高市早苗は、EUとともにトランプのウクライナ和平案を批判するどころか、グロテスクにも「この人にノーベル平和賞」なんて口走る。
つぎに、私の専門に近い広義の労働にかかわる項目を考えてみる。
その3。新自由主義的な成長政策を旨とする高市内閣の労政は、「働きたい改革」として、労働時間の上限規制の緩和に乗り出している。注意すべきは、当面の突破口を「裁量労働制」の適用拡大、換言すれば、法的労働時間規制が適用されない労働者を多くすることに求めていることだ。労働力不足や「もっと自由に働きたい」と望む精鋭従業員の労働意欲に対応せよという経済界の要望に、それは応えるものでもある。
昨今、労働現場の人不足は確かに随所で感じられるけれど、そこは外国人材をふくむ人員増で対応するのがすじである。また、仕事の手順、作業の順序、働く場所、仕事と休息の時間配分、そして作業時間などについて、一定の「裁量権」をもつホワイトカラーが増加しているのも事実であろう。けれども、その場合も、その裁量権が偽りなきものであるためには、割当てられる作業量や納期、要するにノルマについても労働者に一定の決定権、少なくとも決定参加権がなければならない。そこが枢要点である、経営者はふつうノルマ決定の専権を決して手放すことはない。そしてノルマの達成いかんが人事考課の中心項目である限り、作業の手順や順序が選択できて賃金システムが裁量労働制が適用されている従業員も、みずからの生活ニーズに応じて労働時間を伸縮できる余地はほとんどないのである。事実、裁量労働制のもとでの「みなし労働時間」には残業の法的上限が適用されても、「実際の労働時間」には適用されないことが、最近、厚労相によって明言されている。
従業員は総じて、進んで裁量労働制を選ぶのではない。「あなたも命じられるまま働くサラリーマンではなく、みずから仕事の仕方を選ぶようなビジネスマンに!」と上司に誘導されて、むしろ「強制された自発性」にもとづいて、労働時間の厳しい規制のない働き方に「挑戦」するのではないか。法的残業規制を外されるホワイトカラーは、インターバル制度の確立がなければ、結局、実際の総労働時間は短縮されないだろう。「働きたい改革」で労働者の一定層の労働時間が長くなるのは確実である。過労死・過労自殺はもう過去のことなのだろうか? 2024年、この分野の労災認定は1304件で過去最高であった。うち、脳・心臓疾患のケースは241件(うち死亡67件)、精神障害のケースは1055件(うち自殺、自殺未遂は88件)であった。
その4。日本では例外的にまともな労働組合である全国建設運輸連帯労組の関生支部(産業別単組)は、2018年以来、戦後史では未曾有の理不尽な刑事弾圧にさらされてきた。この経過について語られるべきことはあまりに多い。しかしここでは、11月18日、大阪高裁が下した、大津コンプライアンス(C)事件の控訴審判決をふり返りたい。
判決は、この過程での「タイヨー生コン」社について疑われた湯川委員長の恐喝を無罪とし、初審判決を破棄して、実刑認定を執行猶予に軽減した。その喜ばしい成果はしかし、一連のコンプライアンス(C)活動4件・4名については初審通り有罪とし、執行猶予つきながら懲役1年から2年半という重罪を課したことでいわば帳消しにされている。すなわち判決は、各所で行われた4つのC活動は、関生支部が生コン協同組合と連携して、生コン供給を契約を、「アウト業者」、すなわち協同組合・組合協約外の、従来の「労使関係のない」業者から、「イン業者」に変更させる目的であったゆえに「正当な組合活動」と見なすことはできない、つまり「威力業務妨害」にあたるというのである。
これは、関生支部のような産業別組合が、従来の労使関係の外にある企業や未組織労働者の労働条件の維持・改善のために活動することを不法とする判示であり、ピケはもとより、ストライキ権の行使をも否定する、少なくともそれらを著しく矮小化する法的規制ということができる。いずれの先進国でも、ストライキが対象企業(群)の営業を結果的に妨害するにいたることを民事上・刑事上の免責とすることこそが、組合活動承認の万国共通の黄金律なのだ。その点は日本の労働組合法も例外ではない。いや、産別組合の世界のことのみではない、企業別組合の場合でも、今回の司法の論法では、非組合員、たとえば派遣労働者や臨時アルバイト、または関連下請企業の労働者の労働条件に関わろうとすれば、それは非合法ということになる。
ちなみにC活動とは、工事現場における安全や製品の品質を危うくする設備や作業などを組合が点検チェックして、業者や行政や警察に改善させる営みである。関生支部にとって、C活動の目的は、それ自体が安全や品質の確保であるとともに、私見ではピケというものがほとんどはじめから不法とされがちな日本の条件のもとで、組合の協約水準を下まわるアウト企業の営業をチェックする戦略でもある。そこで、判決に対する弁護団声明は述べる――判決はCの目的が「悪い」ということを「当然の前提」としているが、「仮にそうした目的があったとして、そうした目的がなぜ悪いのか」、産業別組合としての労働組合が「生コン業者間の過当競争を正常化して企業の経営基盤を安定させようとすること、つまり(熊沢註:労働組合と協約を結ぶ)協同組合の組織率を高めようとすることは当然のことである」。それは労組法2条柱書そのものなのだ・・・と。弁護団声明では、アウト企業の営業をイン企業の営業に変更させるという表現は避けられている。率直に言って、私には判決のいう「目的」と、組合のいう「目的」がどう峻別されるのかが不明瞭に思われる。これからは、両者の「目的」は同じであり、その共通性を直視した上で、その目的そのものの正当性を擁護する立論が求められると思う。
しかしもちろん、関生支部弾圧について私たちがもっとも直視すべきことは、労働組合が既存の「労使関係」内の組合員以外のなかま、広義の非正規労働者の労働条件に介入することへの、日本の政財界と司法権力の断固とした拒否にほかならない。事実、司法権力は、大阪のアウト企業への二つのストライキ事件について、一審、控訴審、上告審いずれでも早々にリーダーを有罪としている。正当な労使関係というもののこうした限定は、もともと非組合員への企業外からの働きかけを前提とする産業別組合、一般組合、コミュニティユニオンの活動をきわめて難しくするだろう。
そればかりではない。協議や交渉以外の闘争手段はもう考えなくなった企業別組合の動向をみて、司法はストライキ一般を企業の営業にダメージを与える「威力業務妨害」として許さない立場にさえふみだそうとしているかにみえる。そうなれば憲法28条に保証された労働組合の争議権の明瞭な否定である。私の思い過ごしだろうか? だが、ストライキ否認はもともと新自由主義の哲学である。そして現時点では、主流派の労使協調の労働組合、議会主義の野党、そして労働問題の「解決」は労働組合に、ではなく法律家やコンサルタントに、と悟るようになった国民意識が、この哲学をいつしか常識とさせてゆく。
他の先進国にはみられない日本の民主主義のもっとも脆弱な部分が、ここにある。